魂癒閣
神社で出会った巫女に教えてもらった道を、車で十分ほどまっすぐ走らせると、錆びれたクリーム色の宿が近づいてきた。
近くで見ると、より老朽化が酷いことがわかる。壁にはヒビが蜘蛛の巣のように入り、割れた窓ガラスにはガムテープで補修されているところがある。昔テレビで見た、ヤンキーが通う高校みたいだ。
駐車場には自分の車以外に何台か止まっているので、他にお客さんが泊っているのだろう。こんなところに泊まる人は何をしている人なのか。
入口の前に敷き詰められているコンクリートタイルは、隙間から雑草が伸びているうえに、
「これだから田舎は嫌なんだよなあ。帰りたい……」
まだ宿に入ってもいないが、愚痴をこぼしてしまう。一泊二日の小さめのキャリーケースをタイヤを浮かせながら受付へ向かう。蛾を踏みたくない。
引き戸を開け、中に入ると宿の中は薄暗く、天井には橙色の蛍光灯と、白色の電球がアンバランスに配置されている。宿の不気味さを助長させてしまっている。というか目がチカチカするし、これじゃお化け屋敷じゃないか。
受付横には団体客用の歓迎ボードが置いてある。『〇〇様御一行』のように書いてあるやつだ。ただ、乱雑に消されたホワイトボードを見ると、今日は予約が入っていないようだ。わざわざここに来たくはないよな。
受付には「御用の方はこちらのベルを押してください」という張り紙がされたベルが置いてあったので、押してみると甲高い金属音が宿の中に響き、遠くで誰かが返事をした。
しばらく待っていると、パタパタとこちらへ小走りで向かってくる足音が近づいてきた。お化けじゃないことを祈る。
「はーい、お待たせしました。ご予約の方ですね?遠くからようこそ。ここの宿で女将をしてます
登場したのは、丸メガネがよく似合う中年の女性だった。髪は後ろでまとめられており、身長は私よりかなり低く、ちょこちょこと動く様は小動物みたい。
「わかりました。……はい、お願いします」インクの切れかかっている黒いボールペンで記入を終え、用紙を女将に返した。こういう類のものをいつも宿で書かされるが、この宿では顧客情報の管理という概念なさそうだなと思う。
「えー、
「珍しいですもんね。自分で言うのもなんですけど」今まで自分の親族以外で会ったことがない。
「ほら私、井上っていうんですけど、ありきたりな苗字でしょ?だから、つい珍しい苗字の人って羨ましくって」
さすがサービス業をしているだけあってか、おしゃべりな人だ。この仕事は向いているのだろう。自分にもほしいスキルだ。
「あら、私ったらつい話過ぎちゃった!ごめんなさいねえ」
「いえ、大丈夫です」正直くたくたなので、早く部屋に案内してほしい。
「そうしたらね、雨堤様はお二階のお部屋になります。カギはこれお渡ししますね。201号室ですから。それから、お食事は十九時頃一階の食堂でご用意させてもらいます。朝ごはんは朝の七時に同じ場所です。それから……」
淡々と宿の説明をされるが、重要なこと以外頭に入ってこないい。というより、眠くて疲れた頭には何を言われてもしんどい。後で部屋によくある「館内の案内」を見よう。
「ここまで何か質問あります?」
「大体わかったので、大丈夫です」
そうすると女将は満足げに「何かあれば内線してくださいね」と言ってどこかへ消えていった。
また受付には静寂がおとずれた。この宿には女将以外の従業員はいないのかと思うほど人の気配を感じない。やはり不気味だ。
受付の右横に階段があり、木の板でできているためか上るたびに軋む音がする。いっそ底が抜けて労災もらって休みたいなんて考えていると、案内板が目の前に出てき。
右と左に部屋が伸びており、部屋の奥の方が数字が若い順番になっているので、201号室は一番端だ。
娯楽となるものは、自動販売機が一台、有料チャンネルのカード販売機が一台ある。古いモーターの音が廊下に響いている。
「もしかして、今日は私だけしか泊まらないのかな」
この辺りは観光地ではないし、温泉でも出ないと泊まりに来る理由が見つからない。
それに女将の反応から察するに、女性一人で泊まりに来ることは少なさそうだ
「まあ、静かなのはいいことだけど」キャリーケースを引き、一番奥の201号室へ行く。
『201』と書かれているドアを開き、中へ入るとホームページで見た写真と同じく、畳六畳にちゃぶ台とテレビがある殺風景な部屋だ。あとは、お札が張られていないことを祈っている。
テレビの上にかけられている時計を見ると十八時を過ぎており、山内先輩に到着した旨の連絡をしなくてはいけないことをすっかり忘れていた。「やばっ、でももう帰ったかなあ」
まあでも、そもそもこんな時間になってしまったのは山内先輩が電話で指示を仰いできたことが原因だ。遅いと言われる筋合いはない。毅然とかけよう。
社用携帯を開くと『圏外』と表示されていた。しばらく部屋の中を社用携帯片手に移動するが、どこでも一緒だ。自分のスマホも『圏外』だ。「うそでしょ……まいったなぁ」
いくら山合の田舎だからといって、まさか圏外の区域だとは。想定外だ。よく見ると、テレビのアンテナ付近に、電波を安定化させる機械がついている。これがないとテレビの画面が映らないと祖母が言っていたのを思い出す。「ばあちゃんの家も圏外だったっけ……」
しばし考え「どうするかな、でも会社に電話かけないとみんなに心配させちゃうしな」そうだ、女将さんに頼んで電話借りてみよう。緊急事態だもの。
携帯は繋がらなくても、固定電話は予約する時につながっていたのだから圏外問題は解決できるだろう、あとは快く貸してくれるかどうかだ。
「まぁ、あの感じなら貸してくれるよね」
もう一度受付まで戻り、その足で少し早いけれど夕食の会場に出かけてしまおう。貴重品をもって一階へ降りる。
廊下は経費節約なのか、外の明かりが入り込んでいるにもかかわらず薄暗い。夜中になったら歩きたくない。
「……さっさと行って、ご飯食べて寝てしまおう」
神社の調査は明日の午前中に終わらせて、のんびり職場に戻れば丁度いいだろう。少しくらい余裕をもって動いても怒られないでしょう。
廊下を少し早歩きで通り過ぎようと腕を少し大きく振り歩いていると、来るときには気づかなかったが、客室と階段の間に絵が飾られていた。
水墨画のようなタッチで描かれており、絵の中心には、長身の女性が描かれていたが、顔つきは鬼のように凶悪で牙が見える。手足は異常に長く、髪は地面まで届き、その女性の絵の周りには、首や手足が吹き飛んだ人たちが血しぶきと苦痛に歪んだ顔も描かれている。到底宿屋に飾るのにふさわしいとは思えない。
「なんでこんな気味の悪い絵を飾って……」
「それは
後ろから急に声をかけられ、驚きバッと後ろを振り向くと、 受付で案内してくれた井上という女将が佇んでいた。
「あぁ、ごめんなさいね。急に声かけちゃって。あんまりにも熱心に見ていられるから、つい」
「びっくりしましたぁ。全然気配感じなかったから」両腕は鳥肌が立ち、額に汗が浮かんでいる。
「この絵は何の絵なんですか?ちょっと怖いですよね」
女将は視線を私から絵に向け語り始めた。
「これはねえ、青江様といって、この村を守ってくださる神様なんです。昔、この村が近隣の村から狙われたことがあったそうでね、人の多さも武力も劣っていて、陥落するのも時間の問題だった。でも、青江様が来てくださって、大いなる力で他の村からの脅威を取り払ってくださったの」
説明する女将の眼は
女将は続けて話した。
「それ以来、この村の守り神になっていただいているの。この絵は当時の青江様の功績を忘れないように描かれたのよ。明日のお帰りの際にでも魂喰神社によってみるといいわ、そこに青江様が奉られているから、きっと無事故で帰ることができるわ」
魂喰神社はさっき巫女と出会ったところだ。
「あ、さっきここに来る前に道がわからなくなって、ちょっと寄ってきたんです。それで、巫女さんに道を教えてもらったんです」
「そう」
巫女という言葉を出した途端、女将の顔が全く興味無いと言わんばかりの無表情になってしまった。
沈黙が流れる。何か悪いことを言ってしまったのだろうか。神社の話は女将からしてきたわけだから、まずい話題でも何でもないはずなのだが。
女将は身体を絵に向けたまま顔だけこちらに向けて、話を切り替えてきた。
「少し早いですけど、夕食の準備ができましたので、下の食堂においでください」
そう言うと雪駄をぺたぺたと鳴らしながら先に一階へ降りて行ってしまった。
「……なんだったの」
青江様の絵がある方から首筋に冷たい風が吹いた気がした。目があった気がして怖い。妙な話を聞いてしまった。
「……あ、電話借りなきゃ」忘れていた。
女将に続いて一階へ降りた。
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