出発
翌日も猛暑は続き、遠くの道路には蜃気楼ができていた。なんでも、はるか遠くの景色が反射して見えているので、どうやっても近づくことはできないと理科の先生が言っていた。当時はこの事実がなんの役に立つのかと眠気を押し殺して聞いていた。
暑さのせいか現実逃避するために学生時代のことを考えていたら職場についてしまった。
「おはようございます」あちこちからまばらに挨拶が返ってくる。
「あれ、佐上係長は?」隣のデスクでしかめっ面をした山内先輩に聞くと、昨日急遽出張となりすでに出発したという。
「まいっちゃうよ。所長も係長も雨堤もいないって最悪すぎる」
「数日の我慢です。それに、なにかあれば連絡してきていいですから」
一応の救済措置を提示して、出張先の但馬汐村について少し調べておこう。昨日は暑さに負けてすぐに眠ってしまったので、ここで挽回しておきたい。
但馬汐村の場所は、青雪町の北に位置しており、地図上では山と山の間にぽっかりと空いた盆地のような場所に村が表示されている。道は青雪町から一本ともう一本あるように見えるが、途中で切れていて、林道に接続されているため生活道路ではなさそうだ。
「陸の孤島って感じね」アマゾンや生協の配達が来てくれるならなんとか生活できるのかな。
さらに青雪町からは、車で一時間三十分以上も距離があるので、日常生活はかなり大変だと思う。
村のホームページには『ようこそ但馬汐村へ』と書かれたトップページが表示されているが、新着情報などは数年前から更新が止まっている。
「ネットは繋がるけど、運用できる人はいないのか。高齢者ばっかりって感じね」
ホームページには村の人口が全体で五十人弱と書かれていた。いわゆる限界集落だろう。
「ってしまった。宿とるの忘れてた」
宿をとらないというのは死活問題だ。仕事が終わって街灯もなさそうな夜道を一時間三十分以上走るのはさすがに怖い。
急いで宿のページを探すと、
「うわあ、ぼろいなぁ」
掲載されている写真は、かなり年季の入った外観が映し出されており、老朽化が進んでいるようだ。
外壁は所々剥がれ落ち、ガラスもヒビが入っている。客室は畳6畳ほどの所にちゃぶ台とテレビが置かれているだけの質素な部屋だった。というか、そもそも写真が全部ピントがいまいちあっていない。
「まぁ、この際贅沢は言ってられないか。せめてご飯だけはまともなものが出てくるといいんだけどなあ」
ご飯の写真は無かったが、村のホームページには郷土料理らしき写真があったので、何かしら出てくるかもしれない。今はさっさと予約しなくては。
ホームページ上に書かれている電話番号にかけてみると、数回コール音が鳴り、相手が受話器を取った音がした。
「はい、魂癒閣です」物腰の柔らかそうな中年の女性が出た。
「あの急で申し訳ないんですが、今日そちらに泊まりたくてお電話しました」
電話してから気が付いたが、こういう人の来なさそうなところは、当日の予約など受けてくれるのだろうかと心配になった。
「え?今日ですか?えーとたぶん大丈夫だと思うんですが、少々お待ち下さいね」電話の相手は少し驚いた様子であったが、対応してくれそうだ。
やはり昨日のうちに予約をしておくべきだったなと少し後悔した。
待機音が鳴り1分ほど経ったところで再度女性の声がした。
「あ、お待たせしてました。今日のご予約承れますので、お名前とお電話番号を教えていただけますか?」
「あ、よかったです。雨堤葵と申します。電話番号は……」無事に予約をとれてほっとした。
「はい、アマヅツミアオイ様ですね。わかりました」
電話を切って終わりになるかと思いきや、女性は話を続けた。
「ところで、うちに女性のお客様はかなり珍しいんですが、工事の関係の方とかなのかしら?」
「あ、いえ。工事ではないんですが、仕事の関係で、はい、出張なんですよね」
なんだか電話口の女性は不思議そうだ。そんなに珍しがらなくてもいいのに。
「あら、そうなんですね。うちの村って観光地でもないからちょっと不思議に思ってね。ごめんなさい、立ち入ったことを聞いてしまって」
「いえいえ。気にしないでください。それではよろしくお願いします」
「でも、気を付けてくださいね」
「え?はい、ありがとうございます」
電話口の女性の方から受話器を切ったので、耳元で機械音が鳴っている。まあ宿に泊まる人の仕事のことやプライベートのことを聞くのはあまりないのかもしれない。
それにしても変な切り方だったな。
きっと村に来るまでの道中を気を付けてきてということなのだろうが、なんだか他の意味を伝えているのかと違和感を感じた。
「お、宿の予約とれたの?」
隣から山内先輩がこちらの様子を伺ってきた。あいかわらずデスク周りが汚い。
「あ、はい。当日ではあったんですが、なんとか予約は……はい」
「ん?なにかあった?」
「いえ、最後にちょっと違和感のある返事をされた感じがして」
「うーん。俺もあのあとちょっと村について調べたけど、結構な過疎地だよね?コンビニも無いし、病院だって隣町まで行かなきゃないってんだから、住んでるやつは変わり者か、昔から住んでる高齢者だろうな。逆に出ていきたくなる奴のほうが多いだろうね」
「え?あぁ、まぁそうですよね」
山内先輩が何か伝えようとしているのはわかるが、何が言いたいんだろうか。なんだか少しうざい。
「要はさ、そういう村はよそ者を毛嫌いする傾向があるんだよ。新しく来るものを快く思うような人は少ないんじゃないかな。だから電話口で変な対応されたのも、村に何しに来やがるんだ?って思ってのことだったんじゃないか?」
「そうですかねー。最初の対応とかは良い感じだったんですよ?それに一応宿ですから、いろんな人が来るわけじゃないですか。そんな考え持ってたら大変ですよ」
「雨堤の言いたいこともわかるけど、俺の父親の方の実家も、ここと同じような集落だったから、なんとなくわかるんだよ。だから、自分が受け入れられているとは思わないで行った方が良いぞ。特に最初は優しい雰囲気で対応されて、なんだか歓迎ムードだなと思いこんじゃうんだけど、時間がたつにつれて化けの皮がはがれてくるからさ」
偏見も度が過ぎると胃がもたれてくる。山内先輩のありがたい言葉を途中から聞き流し、やっぱりの宿の女性の言葉が気になるが、行かないことには何もわからない。
「色々と情報ありがとうございました。じゃあ、山内先輩そろそろ行ってきますね」
「お、そうか。まぁなんにしても気をつけてな。山は特に天気も変わりやすいからな」
「はい、一応ついたら職場に連絡入れるつもりなので、よろしくです」
社用車のシルバーのウイングロードのカギを予約していたが、もっと小さい車の方が走りやすかったかも。
但馬汐村までのルートをカーナビに入れると途中まで高速で近づくことができるみたいだ。でも、青雪町付近のインターチェンジで降りて、下道で2時間ほどかかる。
さっさと行かないと日が暮れてしまう。キーを回してアクセルを踏み込む。「さて、行きますか」
進行方向の雲が少し黒くなっているが、気にしていられるほど社会人は甘くない。
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