決戦
レオが山の中を先導し、後ろから追ってくる村人たちをまくために全力で山の中を走っていく。
雨でぬかるんだ道や倒木を避けながら昨日の洞穴の所までなんとか戻ってくることができた。
「追っては……来ていないようですね」
顔や足が泥まみれになりながら天が言った。
「山内先輩……」
助けられなかった。二度も助けてくれたのに、私は結局山内先輩を村の外に出してあげることができなかった。二人が落下していく様をしっかりと目の前で見てしまった。
その光景が脳裏に焼き付き離れない。
あの時手を差し伸べていたら助かっていたのかもしれないのに。自分は恐怖から一歩も動けなかった。手を伸ばせなかった。手を伸ばせば木暮村長まで這い上がってきてしまうのではないか、殺されるのではないかと考えてしまった。
「ごめんなさい……」
地面にへたり込み、力なく謝ることしかできなかった。
「雨堤さん……あなたのせいじゃありません。私も山内先輩を助けると約束したのに、力になれず申し訳ありませんでした」
二人はバラバラになりそうな身体をお互いに抱きしめ、崩れないように支えた。もう涙を抑えることができず、止め処なくあふれてくる。
「……せめて、山内先輩をあの場所から引き揚げてあげたいな。あのままじゃあ、不憫すぎる」
「そうですね。私も木暮村長の亡骸をこの目で確かめるまでは安心できません。崖下に降りたことがある者は聞いたことがないので、調査とともに道具が必要になります。一度村から出て、体制を整えましょう」
本当であれば今すぐにでも崖下に行きたいところだが、まずはこの村から脱出することが先だ。
「神社に軽トラが止まっていますので、それに乗って隣町まで行きましょう。雨堤さんが乗ってきた車には何か細工がされている可能性が高いですので、ここに置いていきます。きっと通行止めの所は、祭りで無人になっているでしょう」
「わかった。……天ちゃんも来るよね?」
「はい。本当ならこの村に残りたかったですが、木暮村長がいなくなったことで、この村を管理する者が不在となりました。無法地帯になってしまった今、巫女としての私の地位は無いも同然、いつ誰から殺されてもおかしくない状況です。重ね重ね申し訳ないのですが、どこでもいいので、適当なところで降ろしてもらえれば助かります」
あの村をコントロールできる人間は、木暮村長以外にいないだろう。そうなれば、非人道的な行為に楽しさを見出してしまった村人たちは、抑制されることなく、欲に忠実に行動を起こしてしまうかもしれない。そうなれば天も安全とは言い切れない。
「あのさ……もし天ちゃんがよかったら、しばらく一緒に暮らさない?もちろんレオも一緒に……」
「え?一緒にですか?」思いがけない言葉に驚いたようだ。
「うん。この村で天ちゃんには沢山助けてもらったから、何かお礼がしたいの。ダメかな?」
思い返せば私がこの村に来た時から今に至るまで、常に危険を警告してくれ、時には身を挺して守ってくれた。にもかかわらず、私は何一つ天にお返しが出来ていない。だから、少しの間でも住む場所が提供できればと思う。
「そう……ですね。もし本当にお邪魔でなければ、大変助かるのですが……」
「よし!それじゃあ決まりね!」
「はい。よろしくお願い……」
天が話し終わる前に、突然レオが激しく吠え始めた。慌ててその方向を見ると、血や腐敗した肉の臭いを纏った木暮村長がこちらを向いて立っていた。
「どうして……」
天の表情は一気に凍りついていた。
「山内先輩と一緒に落ちたはず……」
私は間違いなく二人が奈落の底に落ちていくのを確認した。どこかに助かる要素は全くなかったはずだ。
「死んだはず、ですかね?いやあ、さすがに私も死を覚悟しましたが、どうやらまだ地獄にお呼ばれしていないようでして。雨堤さん、天さん、戻ってきましたよお!」
足を引きずりながら近づいてきていることから、少なからずダメージを受けているようだが、攻撃性は剥き出しになっている。
「全くあの山内とかいう男には計画の邪魔ばかりされて、困ったものです。味方になってくれれば、結構使えたかもしれませんねえ。惜しい人を亡くしました……ね!」
いつの間に持っていた大木をこちらに向かって投げてきた。
「はっ……!」話に気を取られ、避けきれない。
「雨堤さん!」
天は気の力で大木の軌道を変え、私に大木が直撃するのを阻止してくれた。
「天ちゃん危ない!」
天が振り返ると、今度は木暮村長が距離を詰めてきており、殴りかかってきている。咄嗟に両手で防御の姿勢をつくるが、大男の本気の拳を少女が受け止めきれるわけもなかった。
「ぐがっ!」
天が地面に叩きつけられ、わずかに身体が跳ね上がる様は、トラックに跳ねられた交通事故のワンシーンのようだ。
「天ちゃん!」
慌てて近くに駆け寄るが、痛みのせいか上手く呼吸できていない。
殴られた左腕をみると、くっきりと拳の跡が赤く刻まれ、本来なら曲がらない方を向いている。
「大丈夫?酷い……」
「……なんとか大丈夫ですから、雨堤さんは早く逃げて……」
天を置いて逃げられるわけがない。
木暮村長がゆっくり近づいてくる。レオはどこに行った、まさか逃げたのか。
「天さんを殴ったのはこれで何度目でしょうか。私はやはり細身の人を殴るのは苦手なようですねえ。本当なら楽に逝ってもらうために心臓を打ち抜くつもりでしたが、すみません」
拳をさすりながら木暮村長の口元は片方だけ吊り上がり、凶悪さを増していた。
「化物め……」天をどこまで痛めつければ気が済むというのか。
「雨堤さんいい顔になってきましたね!最初お会いした時は何の面白みもない俗物でしたが、今のあなたは素敵です。天さんの次にね」
目を爛々とさせ子供のように笑っている。
「さあ!次はどんな手でこの窮地から抜け出しますか?」
「来ないでよ……来るな!」
木暮村長が、じりじりと近づいてくる。
まだ動けない天を引きずりながら後ろへ下がるしかない。
少しずつ徐々に下がるも、崖まで下がりきってしまった。
「雨堤さん、私のことは置いて逃げてください」
「置いて行けるわけないじゃない!一緒に逃げるの!」
そう言っても、もう逃げられそうにない。
「もう下がれませんね?では、二人仲良く一つに丸めて成仏させてあげましょう、こんな風に……」
木暮村長の足元にあった二つの石が両手の中で押しつぶされると、粉々に砕け散った。
「……神社で成仏って変じゃない?」
「細かいことは気にしないタイプなんです。それに、神も仏も信じない主義なんです!」
右手で私を、左手で天の顔を抑え、押しつぶそうと動き出した瞬間、天が木暮村長の背後に身を潜めていたレオに叫んだ。
「レオ!お願い!」
木暮村長が反射的に後ろを振り向くよりも早く、レオの青白く凶暴さを増した鋭い牙が襲い掛かる。
並みの人間であれば驚き、その牙の餌食になるが、相手が悪かった。
重々しい肉の塊が重厚な鉄板に打ち付けられた音がした。
木暮の右拳がレオの胴体を捉え、十メートル後ろの木に叩きつけられた。
レオの口から赤黒い血が吹き出し地面に倒れ、腹部にはくっきりと拳の跡がついていた。
「いやぁ、びっくりしたなぁ。あと少し遅れていたら首をやられていましたね」
目を閉じながらコキコキと首を鳴らしている。
「レオ!」
激痛と骨折のため感覚が無くなった左腕を右手で庇いながら、レオに近づく。
白銀の体毛で覆われた巨体は、痛みに耐えるようにうずくまり、荒い息をあげていた。
「レオ!ちくしょう……」
天は気の力を使い、レオの傷を癒そうと集中すると、目の前が真っ暗になりその場に倒れてしまう。
「天ちゃん!大丈夫?!」
抱きかかえられた天は血の気が失せ、今にも気を失いそうだ。
「天さんは力を使いすぎた上に、その身体です。もう限界でしょう」
「……ここで倒れるわけには」
「天ちゃん!しっかり!」
眼前には今にも気を失ってしまいそうな天と、なんとか立ち上がろうと歯を食いしばっているレオがいる。
自分にはこの状況で何ができるのだろうか。
考える時間もなく木暮村長が手を一度叩き、幕引きだと言わんばかりの挨拶をしてくる。
「お涙頂戴の動物物語をお楽しみの所申し訳ないのですが、そろそろお二人ともこの世からご退場願いたいのです。最期に誰かに何か伝えたいことはありますか?私の口からお伝えしておきますよ」
拳をポキリポキリと鳴らしながら、一歩一歩近づいてくる。
砂や石をジャリジャリと踏みしめながら、死を引き連れてくる。
木暮村長の顔が木々の隙間の月光に照らされ、口元がにたりと笑っている。一時も目を離せない。
やはり携帯は通じるはずもなく、天の左腕は恐らく骨折している、この腕では全速力で走ることもできない。
それに、命を懸けて助けてくれたレオを置いていくわけにもいかない。
私たちが死んだら誰か悲しんでくれるのだろうか、家族はそれなりに悲しんでくれるだろうか。
職場のみんなは悲しんでくれるだろうが、日々の仕事に忙殺され、三日と経てば仕事の割り振りと、次に配属させる人間のことで頭がいっぱいになるだろう。
でも、今回の一件が表ざたになれば会社の経営が揺らぎ、それどころではなくなるだろう。もちろん圧がかけられるだろうが。
私が生きてここから出ることができれば次の犠牲者を出さずに済んだのにとは思った。
目の前の木暮村長や私をこの村に送り込むきっかけを作った霧崎が許せない。
もしかしたら剛田所長もグルなのかもしれないが、決定的な証拠がない。
世の中で起きる理不尽なことを、上手く割り切って生きていくことが必要だとわかっていても、最期の最期までそう思いながら死ぬのは嫌だ。
でも、もう打つ手がない。攻撃することも、逃げることもできない。
「辞世の句は決まりましたか?」
木暮村長の靴の足先が視界に入る。
「……ない」
木暮村長は少し驚いたように見えた。
「ほう?辞世の句がない?大切な人が一人もいなかったということでしょうか。それは悲しい人生でしたね。きっと次の人生は良い人に出会えでしょう」
木暮村長の右腕が大きく振りかぶられ、風がなびき、周りの木々がざわめきだす。
木々の隙間から月光が差し込み、木暮村長の凶悪に満ちた表情が青白くくっきりと見えた。
「なかなか骨が折れましたが楽しめましたよ。それではさようなら!」
天の顔が木暮村長の顔を睨みつける。
「な?まだ動けると言うのですか!」
「……辞世の句がないってのは、まだまだ私たちは死ねないってことだからよ!」
木暮村長の巨体をもってしても耐えきることができない突風が木々の隙間から襲いかかり、木暮村長がその場に倒れこんだ。
「おっと!びっくりしましたよ、天さん。まだ戦えるとは」
天は右腕を木暮めがけて突き出している。
「雨堤さん、支えてもらってありがとうございます」
「天ちゃん!大丈夫なの?」
「ええ。正直ぶっ倒れそうですが、このまま死んだら父にも母にも顔向けができないと思ったら、少しだけ力が戻ってきました」
天は目を閉じて「ありがとう」と言った。きっと私たちには見えない誰かが天に味方をしてくれたのだろう。
「この気配……層雲ですか。あいつは死んだはずだというのに、全くどこまで私をコケにすれば気が済むのか……」
木暮村長は何かを感じていたようだ。
「木暮村長、ここで終わりにしましょう」
木暮村長は頭をポリポリと掻きながら立ち上がる。
「いやはや、今日はスケジュール通りにいかないですねえ!まいってしまいます。段取りよくいかないと、無駄に体力を使ってしまうので、嫌いなんですよ!」
木暮村長は天の異常ともいえる風の力を前にしても平静を崩さないでいる。
「天さんがまた人に危害を加えるために、その力を使うとは。てっきりもう過去の事件がこたえているものかと思っていました。でも……」
さも楽しくなってきたとばかりに、木暮村長は腕を組みながら余裕の笑みをこぼしていた。
「あとどれくらいもつのでしょうか?足元がふらふらですよ?」
天は私に支えられながら、わずかな隙も逃すまいとじっと木暮村長を見つめている。
「そうですね。あなたが言う通りもう限界ですよ」
「天ちゃん……」
私よりも小さな体を限界まで酷使して悪魔に立ち向かう姿は、勇敢な戦士のようだ。
「だからといって、レオを、そして雨堤さんを、何より父さんを苦しめたあなたを許すわけにはいきません!」
今まで聞いたことのない迫力のある声に木暮村長は驚いている。
「村の人たちを狂わせて、自分たちの思い通りに人殺しを楽しんだ罪、死んでいった山内先輩のためにもしっかり償ってください!」
私も木暮村長に食って掛かるように叫ぶ。
「天さん達には苦しまないように逝ってもらいたかったのですが、ここまで言われてしまっては、私も怒りを抑えきれませんよ」
木暮村長の体が大きく震え、今にも襲い掛かってきそうだ。
「雨堤さん、この人に何を言っても無駄なようです。すべての理は自分から発現し、全て自分に集約されると考える。自分のことを世界の創造主だと本気で信じている人なんです」
「つまり、どこまでも自己中心的な人間ってことね」
「はい。そんな人間に理屈は通用しませんし、仮に警察に突き出したとしても精神鑑定で無罪になる可能性もあります」
「あんな巨体を警察に突き出すことなんてできないだろうけどね」
女性二人と狼一匹には分が悪すぎる状態が続いている。
「ところで、この後の何かいい策はある?」
小声で天に尋ねる。
「いえ、もう万策尽きました。でも、あきらめません」
「それじゃ強硬手段をとるしかないってことか。ちなみに気の力はまだ使えそう?」
「かなり頭がクラクラしています。申し訳ないのですが、できればあと一回で仕留めたいところです」
天の顔はただでさえ白いのに、さらに真っ白になっており、体力はあまり持たなさそうだ。
「レオはどう?動けなさそう?」
「昔から傷の治りは早い方ですが、この傷だと逃げるのが精一杯でしょうね」
レオは先ほどと比べるとダメージを回復しているように見えるが、腹部の傷が痛々しい。
「それじゃ、ここは逃げるが勝ちって作戦でいいかな」
「村の外まで逃げ切るのは絶望的と考えます」
「じゃあ、戦うしかないのかな……」
天は一瞬躊躇いながら、私の眼の奥を見た。
「雨堤さん……私と一緒に死んでくれる覚悟はありますか?」
「……ここまで一緒に命をかけてきて、一人だけ生きていてもきっと後悔する。最後まで一緒にいるよ」
天の問いかけに強く返事をした。
「その言葉を聞けて良かったです。一つの賭けになってしまいますが、昔儀式に使われていた桟橋に木暮村長をおびき寄せます」
現在儀式で使われている桟橋は新しいもので、昔のものは雨風によって老朽化し、修復不可能なのだという。
「そして?まさかそこから突き落とす?」
「さすがに体格さで負けてしまいます。桟橋の中腹まで来たところで、私が風の力で桟橋ごと木暮村長を吹き飛ばして落とします。そちらも谷底は数百メートル下にあると言われていて、新しい桟橋の谷底よりも深いと聞きます。そこで、今度こそ終わりにします」
暗に「木暮村長を谷底へ突き落す」と言っていることと同じだ。
「天ちゃんって時々結構ワイルドだよね」
「時にはこういう思い切りも大事だと父から教えてもらいました。失敗すれば私たちは木暮村長の餌食です」
「その時は、一緒だね」
「あの世でしっかり謝罪させていただきますね」
絶望的状態の中で少しだけ二人で笑いあえた。
レオも心なしか覚悟を決めたような目をしているように見えた。
「レオがいれば木暮村長よりも最短ルートでたどり着けるでしょう。渡り切ったところで待ち構えます」
「そうだね。レオ、頼んだよ」
レオが初めて私にうなずいた様に見えた。少しだけ心が通ったようで、うれしくなった。
「作戦は決まりましたか?そろそろ私も蹴りをつけて、掃除の準備を進めたいんですよね。今回は色々と引っ掻き回されてしまいましたから」
「その心配は必要ないです。掃除されるのはあなたの方ですから!」
天の言葉を皮切りに、二人とレオは古い桟橋めがけて走りだした。
月明かりしかないうえに、地面は木の根や雨のせいで泥濘や穴ができていたりと、足を取られ上手く走ることができない。
ただ、レオは二人が走りやすいルートを考え、誘導してくれているおかげで、何とか転ばずに進むことができる。
数十メートル後方を木暮村長が走って追いかけてくる。
「おやおや、逃げることにしたんですか。ですが、私もお二人をみすみす逃がすほどお人よしではありませんので、捕まえさせていただきますよ!」
レオの後を最短で木々の隙間を走り抜ける私たちとは対照的に、木暮村長は巨大な熊を彷彿とさせる動きで、木の枝を折り、葉をまき散らしながら追いかけてくる。
「さっそく追いかけてきましたね!」
「でも、遅い!まだ私たちに分がある!」
木暮村長は大胆に素早く走っているように見えるものの、体を木々の隙間にねじ込む必要があるので、私たちよりもスピードが出せずにいた。
「パワーだけでは敵わないこともあるんですねえ!でも、いずれ追いつけばお終いです!」
背後から死刑宣告にもとらえられる言葉を浴びながら、慎重にかつ全速力で走り抜けていく。
「あと少し!天ちゃんがんばって!」
「はい!」
レオを先頭として桟橋をめがけて走り抜ける。
目の前に広がる桟橋は新しいものと比べると赤黒く、山間に吹く風によって綱と鎖が擦れ合う不気味な音を奏でている。
『老朽化のため立ち入り禁止』の立て看板を横目に桟橋へ進んでいく。
「見えました!桟橋です!走り抜けましょう!」
レオ、葵、天の順番で桟橋を渡っていく。
桟橋の中心に向かうにつれて、揺れが大きくなり、軋む音が大きくなる。
「私たちが渡りきるまでは落ちたりしないでよね!」
そう願いながら桟橋の3分の2まで渡っているときに背後から木暮村長の声が聞こえてきた。
「久しぶりにこの桟橋を見ましたよ!まだ落ちてませんでしたか。さぁ!鬼ごっこは終わりです!捕まえて谷底に落として差し上げますよ!」
周りの木々が無くなたったため、木暮村長のスピードが一気に上がる。
「やばい!来た!」
「雨堤さん!早く渡り切ってください!」
レオが渡り切り、続いて私が渡り切った。
「天!早く!」
後ろを振り向き、天に手を伸ばす。
「雨堤さん!」
私の手と天の手が届き、全員が渡り切った。
「よし!渡り切った!」
私と天はお互いに桟橋を渡り切ったことを確認し合った。
「そろそろゲームセットといきましょうかねえ!」
後ろを振り返ると、目元を鬼に乗っ取られたかの如く凶悪な眼光を飛ばしながら突進してくる木暮村長が目前に迫っていた。
「天!お願い!」
「木暮村長!あなたにはここで桟橋ごと落ちていただきます!」
天は先ほどと同じように右腕を構え、掌に力を集中させている。
「ははは!ここにきてまた風で転ばせようという魂胆ですか?そんな見え透いた作戦では倒せませんよ!」
木暮村長は桟橋の柵の役目をしている綱や鎖に手をかけ、突風に備え始めた。
「あなたが力を出し切ったところが最期となりましょう!さぁ!」
まるでガンマンのように正々堂々と受けて立つという姿勢であった。
「あなたのその傲慢さが裏目に出ることになります!」
天の右手に風の小さなうねりができたかと思うと、突風が吹きだし、巨大な空気の塊が放たれた。
突風は桟橋を揺らしながら木暮村長の身体めがけてまっすぐに突き進む。
木暮村長の身体は空気の塊を真正面に受け止め、巨大な身体が後ろへずり下がり、少し浮かび上がった。
「はあ!流石に真正面に受け止めると、なかなか強い力ですね!ですが、この程度では私は耐えきれそうですよ!」
強烈な台風の中にでもいるような環境であるにもかかわらず、木暮村長はむしろこの状況を楽しんでいるようだった。
「天!このままじゃ!」
「早く……早く落ちて……」
天の顔には大量の汗が浮かび上がり、歯を食いしばっている状況から、力はあとわずかだ。
「何か……このままじゃ……」
必死に頭を回転させる。
近くには小石や木の枝、自分の力では動かせない大きな岩、あとは湿った土が大量に足元に広がるだけだ。
耳元には桟橋が大きく揺れるたびに聞こえる甲高い軋む音。
「……天!桟橋の根元を狙って!」
「え?」
「ほら!こっちの地面と桟橋がくっついているところ!」
よく見ると地面と桟橋本体を繋げている金属部分が外れかかっているようだ。
「でも!風の力をそちらに集中させたら、木暮村長がこっちに渡ってきてしまいます!」
少しでも力を弱めればこちらに向かってくる木暮村長を止めることができなくなり、天たちは仕留められてしまう。
「どっちにしてもこのままじゃ二人ともやられる!やるしかないの!」
「わ……わかりました!雨堤さんを信じます!」
天は木暮村長に向けていた右手を桟橋の根元に向けると、木暮村長に向かっていた巨大な風が緩む。
「おや!もう限界ですか?それではとどめを刺しに行きますね!」
木暮村長は再び彼女たちに向かって大腕を振りながら突進していく。
風の力が桟橋の根元へ集中することで、桟橋がさらに大きく揺れ始める。
「だめ!間に合わない!」
「あきらめないで!」
天を励ますものの、とんでもないスピードで木暮村長が向かってくるのを視界にとらえており、足元は震え、泣き出しそうだった。
「今行きますよお!待っててくださいねぇ!」
木暮村長は大きな口をめいっぱい開き、両腕を大きく振り上げ近づいてくる。
「雨堤さん!見てください!」
天が指さす方に目を向けると、根元のねじが吹き飛び、今にも桟橋が外れようとしているのが見えた。
木暮村長がこちらに渡り切るまでにあと数メートル。
あの拳で今度は間違いなく身体を突き破られてしまうだろう。
ここでやられるわけにはいかない。
「雨堤さん!なにを!」
「あんなデカブツにやられてたまるかあ!」
次の瞬間、右足は桟橋の根元めがけて蹴り上げていた。
その衝撃で桟橋は大きくゆっくりうねり、岸から離れて谷底へ落ちようとする。
「な!?ばかな……」
目を丸くした木暮村長が映る。
桟橋の大きなうねりのせいで体のバランスを崩し、天たちがいる岸へ飛び移ることもできない。
「くそお!貴様らあ!必ず地獄に落としてやるからなあ!」
桟橋ごと谷底へ落ちていく木暮村長の断末魔が谷に反響している。
谷底に桟橋が落ちた音は聞こえず、改めて谷の深さを知った。
目の前には桟橋があったと思われる木や鎖の残骸が散らばっていた。
「終わった……?」
「ですね……」
二人は顔を見合わせ、レオの足元に崩れ落ちるように座り込んだ。
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