13 やっぱり猫は猫


 とりあえず、ユーフラテスを堰き止めている巨大宇宙船を動かし、流れを元に戻さねばならない。


 異星児童たちには船内に戻ってもらい、俺たちは、再びダム湖もどきの岸上に立った。

 MIB支部長の超銀河端末を通して、俺がヨグさんちの息子に、離陸ペースの指示を出す。


「よーし、ゆっくりゆっくり――いや、もっとゆっくり――くれぐれもちょっとずつ、ちょろちょろ流してくんだぞ」


 ずごごごごごごご――。


 差し渡し2キロはあるとおぼしいゲテゲテの宇宙船が、微妙に速度を変えながら、じわじわと浮かんでゆく。


「ちょと待て。速すぎるぞ、オイ。――はいはい、そんなもんそんなもん。――はい、そこでストップ」

 フランス傭兵部隊の小型ヘリに、下流域の流れを上空から観察してもらい、宇宙船の位置を微調整する。

「よし、OK。当分そのまんまの位置で待機だ」


 自動操縦で高度を固定したのだろう、異星児童たちが宇宙船の外に出て、プールの営業終了を惜しむように、ばしゃばしゃと水遊びを始めた。


     *


 そうして、午後までかかってダム湖もどきの放流を続けていると、

「――何!?」

 通信機を手に、クレガ中佐が叫んだ。

「それは本当か!?」

 百戦錬磨の彼らしからぬ、焦った声である。


 富士崎さんが、眉をひそめて訊ねた。

「……何かアクシデントが?」

 クレガ中佐は、押し殺した声で答えた。

「米軍筋から情報が入った。イラン方面から、ステルス戦闘機の編隊がイラクに向かっている。今のところ機体・総数などは不明」


「しかし、イランにステルス機など、あるはずがない。――まさかロシア筋が?」

 半信半疑の富士崎さんに、利蔵りくら室長が言った。

「いや。現状、ロシアにそこまでの余力はないだろう。むしろ中共が絡んでいる可能性が高いな」


 クレガ中佐もうなずいて、

「我々の行動を、アメリカ主導の作戦と誤解したのかもしれません。謎の巨大生物の正体がエイリアンにせよ宗教的存在にせよ、アメリカの手にだけは渡すまい――そんな腹かと」

 富士崎さんと利蔵室長は、困った顔で黙りこんだ。


 御当地イラクと東隣のイランは犬猿の仲で、イランは中国とマブダチで、イラクはアメリカとマブダチで、中国とアメリカは犬猿の仲――。

 世界情勢に疎い俺にも、その程度の知識はある。


 利蔵室長が、ぼやくように言った。

「困ったものだ。あそこと北朝鮮は、しばしばロックチャイルド筋の動きを確信犯的に無視する。名ばかりとはいえ共産主義国家だから、宗教的なしがらみも無視できる」


 クレガ中佐の通信機に、また着信があった。

「詳しい追加情報が。――[鋭剣ルイジェン]に酷似した超小型機が、五機V字編成で計二十五機、すでに東の国境を通過してイラク上空を西進中」


「えと、るいじぇんって?」

 首をひねる俺に、

「中国製のステルス無人機だ。実戦投入は初めてだが、発表どおりの性能なら手ごわいぞ」

 富士崎さんはそう説明し、クレガ中佐に訊ねた。

「待機部隊の火器で迎撃できませんか?」

「残念ながら相手が悪い」


 利蔵室長も、クレガ中佐に訊ねる。

「近隣の米軍では?」

「位置的に間に合いません」


 クレガ中佐は、同行してきた四機の小型戦闘ヘリを振り返り、

「有人戦闘機が相手なら、あれで一か八かの勝負に出るんですが、なにせ無人機は小さい上に、超低空を超高速で自在に飛び回る。蜂の大群に襲われるようなものです。編隊の中には、おそらく自爆特攻用の機体もある」


 富士崎さんは、巨大宇宙船と、放流中のユーフラテスを見やり、

「しかし今、下手に邪魔されたら、下流の街が……」


 ナディアちゃんが、クレガ中佐に言った。

「私のスティンガーなら、排熱追尾できます。一機に当たれば、核弾頭で編隊ごと木っ端微塵に」

 クレガ中佐は、即座にかぶりを振り、

「だから却下。どっちに飛んで、何を仕留めるか知れたもんじゃない。せめてロシア製なら使えるんだがなあ」


 北朝鮮製は、よほど評判が悪いらしい。まあ実験中の大陸間弾道弾でさえ、どこに落ちるか誰にもわからないくらいだから仕方がない。


「ヨグさんちの息子に、銀玉鉄砲で撃ってもらいましょうか」

 俺の粗忽な提案も、たちどころに牧さんに却下された。

「一発でイラク全土が焦土と化すよ」


 しばしの沈黙の後――。

 俺たち全員の視線が、地べたのタマに注がれた。

 この超怪猫なら、たいがいのシロモノは、でんぐりがえせるはず――。


「今さら何を騒ぎますか、凡愚の衆」

 タマは三毛猫モードで香箱座りしたまま、淡々と言った。

「悟ってしまえば、人も星も全宇宙も、ただ同じ無常の存在です。どうせいずれは、すべてが光子のチリと化すのですから」


 このままタマに大悟されてはたまらない。

 せめてあと六年は、猫らしく煩悩にまみれて生きてもらわないと、俺と暎子ちゃんの婚姻届を荒川区役所に提出できない。

 たとえぶよんとしてしまりのないロリおた野郎でも、誠心誠意努力していれば、いつかはきっと報われる日がやってくる――そんな美しい理念を、世に示せぬまま終わってしまうのだ。


 俺は美しい理念のために、あえて厳しい現実を、タマに突きつけることにした。

「なあ、タマ」

「なんですか凡愚」

「おまえは、猫として最も大切なことを忘れている」

「煩悩に任せて肥え太りまくった凡愚に何を言われようと、悟ってしまった私の耳には、ただ、この地上を吹き渡る無心な風の声が聞こえるばかりです」


 タマは、糸のように細めた目を、開こうともしない。

 俺は臆せず、なお畳みかけた。


「風の声を聞く前に、生命いのちの声を聞くのだ」

「…………」

「確かに風の声は、ただ渺々びょうびょうと虚しく、無常かもしれない」

「……………」

「しかし、そんな因果律とはまた別の次元で、生きとし生ける者が、ただ生きねばならぬという非業ひごう――そんな非業ひごうの声も、この世界には確実にあるのだ」

「………………」


 ぐるぐる、きゅるきゅる、ぐうぐうぐう――。


「聞こえるだろう。それが非業の声だ」

 それは、タマの腹の虫たちが、身も世もあらず悶えまくる声であった。

「…………………」


 タマの慈顔に、一抹の猜疑の色が生じた。

「……テキトーこいてサボってるだけなのに、なにゆえ私は、これほど空腹を覚えるのでしょう」

 よし、煩悩が戻りつつある――。


「教えてやろう」

 俺はタマの前にひざまずき、両手でタマの三毛顔を支え、真っ向から見つめて言った。

「それはおまえが、まだ昼飯を食っとらんからだ」


「……なんと!!」

 タマの顔面に衝撃が走った。

「思えばそろそろ、三時のおやつの刻限……まさか太郎は下僕の分際で、御主人様の私を即身仏にしようと?」


「いや、忙しくて忘れてた。俺も食ってないし」

 俺はタマの頭を、軽くぽんぽんとはたき、

「でもほら、おまえ自分で言ってたよな。朝晩二回、ひと皿の猫まんまを食えりゃ上等とか」

「……………………」


 タマは、しばし呆然と、俺の顔や皆の顔をチラ見していた。

 それからおもむろに、あっちの空やこっちの空、前後左右の地平線などに視線をさまよわせたのち、

「……ここは誰? 私はどこ?」

 すべてを忘れたことにして、ごまかすつもりらしい。


 暎子ちゃんが生暖かい苦笑を浮かべ、タマの頭をくりくりとなでた。

「はいタマ、三時のおやつだよ」

 ポシェットから、体長数十センチほどの冷凍カラフトマスをぞろりと引き出し、

「まだ凍ってるから、よく噛んで食べてね」


「うにゃにゃ~~ん!」

 ばきばき、ぼりぼり、はぐはぐはぐ――。

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