9 ロリおたの道を極めて


「qあwせdrfひいひい……」

「wせdrftgあうあう……」

「drftgyおええええ……」


 タマがあんまりスチャラカに弄ぶものだから、巨大児童の中には、バク宙しながら嘔吐えずきそうな奴もいるようだ。


 能天気な俺も、さすがに不安になってMIB支部長に訊ねた。

「……いよいよ地球の最後ですかね」


「なあに、ご丈夫なお子さんたちですから、これくらい楽勝でしょう」

 MIB支部長は、相変わらずのほほんと言った。

「お子さんたち、むしろノリノリみたいですよ」


 なるほど、でんぐりがえる異星児童たちを子細に眺めれば、


「tgyふじこlわはははは!」

「ふじこlqあpひゃっほう!」

「こlpqあwせくるっとな!」


 子供らしい順応性と運動能力で、バク転バク宙のコツをつかんだのか、すでにウケている奴が多いようにも見える。


 しかし俺は、巨大児童たちの中の一匹が、ちょっと気になった。

 あの、やや暖色系の一匹だけが、明らかにノっていないのである。

「drftひいひいひい……」


 思えばヨグさんちの息子は、さっきタマを仲間に見せびらかす間も、微妙に色の違う吐き気を催すような寒色系のぐっちょんぐっちょんたちの内、かろうじて吐き気を催さない程度には暖色系のあの一匹に、とくに念を入れて品定めさせていたような気がする。


 そして今、その暖色系は、今にも嘔吐えずきそうなドドメ色に――。

「qあwせdrfおええええ……」


 そのとき、俺の視神経に繋がる脳髄の奥から、すさまじいアラートが響いた。

 魂が雷に直撃されたような衝撃であった。


「やめろタマ!!」

 俺は絶叫した。


 タマは見向きもせずにくいくいと、

「いやもう猫又として、こんなにバエる悪事を、今さら中断するわけには」


「あの右から二番目の子だけはやめろ!」

 俺は流血折檻覚悟で、タマを羽交い締めにした。

「あれは女子小学生だ!!」


 そう叫んだとたん、

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

 タマのみならず、暎子ちゃんもナディアちゃんもMIB支部長も、なぜか揃って静止、沈黙した。

 いや、脱力したというのが正解か。


 ヘリの待機組も、インカムの向こうで、残らず脱力しているようだ。


『………………』

『………………』

『………………』

『………………』

『………………』

『………………』


 タマの静止によって『逆・猫じゃ猫じゃ』を逃れた巨大児童たちが、次々と空中から落下し、でん、でん、でん、と地べたを揺るがす。


『……えーと、科学者として、参考までに確認しておきたいんだが』

 牧さんが糞真面目な声で質問してきた。

『君は、あの子供たちの雌雄を、どうやって見分けたのかな? 僕には全員ほぼ同じ形状、ねばねばででろんでろんでぐっちょんぐっちょんな生物に見えるんだけど』


「えと、あの……ほら、色とか違うし」

『確かにそれぞれ微妙な差異はあるが、僕には大同小異のドドメ色としか』

「……声も違うじゃないですか」

『確かにそれぞれ微妙な差異はあるが、やっぱり大同小異の、不快きわまりない不協和音としか』


 周りの皆も、不可解そうに俺を見ている。

 同じ女子小学生の暎子ちゃんでさえ、疑惑の眼差しだ。


「……MIBさんなら、わかりますよね?」

「いやあ、見分けるコツがあるなら、ぜひ、お伺いしたいものですなあ。クトゥルー星とは取引の長い我が社でさえ、ヨグさんちの御主人様と奥様を見分けられる人材は、ひとりもいないくらいですから」


 まあ、俺もついさっきまで気づかなかったわけだが、一度気づいてしまえば、勘違いのしようがないのである。


 たとえばこの地球の生き物でも、生まれたばかりのヒヨコの雌雄は、きわめて判別が困難とされている。確かに素人には、まず分別不可能だ。しかし修行を積んだプロの鑑定師なら、ちょっとつまんだだけで、正確にポイポイと雌雄を選り分ける。


 ともあれ俺は、他の皆にも納得してもらうため、ちょっと向こうでぐにょぐにょとわだかまっている巨大児童たちを指さして、

「――えーと、あの真ん中あたりで、他の奴らに心配されてる、ちょっと元気のない子供がいますよね」


 MIB支部長が、こくこくとうなずいた。

 牧さんもインカムから、

『心配されてるのかどうか僕にはわからないが、確かに他より元気がないようだね』


「あれって、どう見ても女の子じゃないですか」

『だから、そう言いきる根拠が知りたい。今どき体力で男女を見分けるのは非科学的だ』


「じゃあ、えーと、そうですねえ――あそこの全員に、ランドセルを背負しょわせてみてください」

背負しょわせても、小さすぎて見えないと思うんだが』

「十メートルくらいのランドセルを想像してください」

『想像したけど……それで、何をどう判断しろと?』


「あの子だけ、赤が似合うでしょ?」

『……そうなの?』

「一目瞭然じゃないですか。他の連中は黒か青、あの子だけ赤がぴったりです。ピンクでもいいですね」

『……すまん。僕は、そういった美学的な感受性が乏しいから』


「じゃあ、全員に子供服を着せてみてください」

『……あいにく僕は、そういった家政的な素養が乏しいから』

「学習院初等科の制服は知ってますか?」

『ああ、それなら、宮様の進学のニュースとかで知ってるけど』


「あの子たち全員が、学習院初等科に通う姿を想像してください」

『……想像した。四谷駅の南西部一帯が、灰燼に帰そうとしている。迎賓館も瓦礫の山だ』

「いえ、子供たちの制服姿だけ想像してください」

『なんとかやってみよう。――うん、なんとか想像した。それで?』


「あの子だけ、赤いスカーフのセーラー服で、他の連中は、半ズボンの学生服ですよね」

『………………』

「ほんとはトイレの花子さんみたいな、赤い吊りスカートに白いブラウスが、いちばん似合うんですけど」


 俺は、確信をこめて言いきったのだが、


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


『………………』

『………………』

『………………』

『………………』

『………………』

『………………』 


 周囲の皆も、インカムの向こうでも、なぜか、誰ひとり反応してくれない。

 氷のように冷たい風が、俺に向かってひゅるるるるると吹きすさんでいる気もする。

 ユーフラテスを臨む炎熱の砂漠地帯を、突然、シベリア寒気団が包みこんでしまったようだ。


 俺は思わず身を震わせながら、皆に念を押した。

「赤い吊りスカートが似合う……でしょ?」


 やっぱり、誰ひとり声を返してくれない。


 MIB支部長やナディアちゃんには、日本的なニュアンスが通じないから仕方ないとして、花子さんルックがぴったりの暎子ちゃんまで、〔この状況で、私はいったいどんな顔をすれば、これ以上この人を傷つけないですむのだろう〕――そんな哀しげな顔をしている。


 タマに至っては、いつの間にか三毛猫モードに縮んでしまい、砂の上でちんまりと香箱座りしている。

「おい、タマ……」


「……私は今、すべてのやる気を失いました」

 タマは、眠り猫のように目を細めて言った。

「それはもー、きれいさっぱり失いました。これからはすべての煩悩を捨てて、ひとり猫鍋のように、丸く安らかな余生を送りたいと思います」


「いや、えと、その――伊勢海老は? 真鯛は?」

「粗末な猫まんまを、朝夕ひと皿もいただければ、猫又は生きて行かれます」


 インカムの向こうで、牧さんがつぶやいた。

『……欲望や執着の醜さを、まざまざと悟ってしまったのだね』

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