4 決戦の地へ


 俺も暎子ちゃんも挙動に窮していると、MIB支部長のスマホが鳴った。


「はい御主人、壬生みぶです。――おや、御主人ではなく息子さんでしたか。いやはや、先ほどはお世話になりました。遅くまで公務、ご苦労様です」

 ちなみに富士崎さんが外に出張っている現在、俺たちとロックチャイルド側との連絡は、の御自宅経由で行われている。老齢の御主人を徹夜させるわけにもいかないので、息子さんが後を引き継いだのだろう。


「――ほう、そうですか。フランス外人部隊が過激派部隊を制圧完了――それは結構でした。はいはい、了解しました。――はいはい、それでは奥様にも、よろしくお伝えくださいね」


 MIB支部長は通話を終え、こちらに向き直った。

「クレガさんたちが邪魔者を排除したそうです。こちらも、すぐにあちらに合流するようにと」


 そうだったそうだった。つい本来の出張目的を忘れるところだった――。

 利蔵りくら室長が、パンパンと手を打って、

「はいはい、それでは皆さん心機一転、夫婦問題や痴情のもつれはちょっとこっちに置いといて、まずは地球の危機を回避するとしよう」

 異議なし――。

 一同、こくこくとうなずく。


「それから、もうひとつ殿下からの伝言が」

 MIB支部長が言い添えた。

「ヨグさんちのお子さんたちを説得したら、いったん、の庭にお連れするように、と」

 異議な――いや、異議アリ。


「え? まさか、あんなどでかい連中を都心の庭に?」

 血相を変える俺たちに、MIB支部長は、あくまでのほほんと、

やロックチャイルド氏にお考えがあるそうですから、そうしときゃいいんじゃないですか?」


「――いい手かもしれないね」

 牧さんが、ふむ、とうなずき、

「いっそ、この件のすべてを[たまたまタマ]の作品世界に取り込んでしまえば――」


「そんなことが可能ですか?」

 俺が訊ねると、牧さんは、

「可能だよ。秋葉原界隈のみならず都心から副都心まで、舞台になりそうな場所は、すでにマキシラマ形式で3Dデータ化してある。つまり霞が関界隈で何が起きようと、表向きは[たまたまタマ]のシナリオの一部としてごまかせる。

 そうやって時を稼いで、どでかい親御さんの到着を待ち、この地球でたぶん一番生臭くない外交形式――権力抜きの象徴外交に持ちこめばいい」


「なるほど……」

 納得する俺のシャツの裾を、タマが引っ張った。

「伊勢シーパラダイスは?」

「今回はナシだな」

「セイウチなでないの?」

「アマテラス様のお身内の意向を優先しよう」

「でも、カワウソと握手しないと」

 ユルすぎる信心も善し悪しである。


 利蔵りくら室長が、タマの頭をなでながら言った。

「大丈夫。君が立派に地球を救ってくれたら、あとでちゃんと伊勢に連れてってあげるよ。ご褒美も奮発しよう。そうだなあ――シーパラダイスで遊んだあとは、伊勢海老で満杯の伊勢湾を泳ぎながら伊勢海老食べ放題、なんてのはどうだい?」


「……指切りげんまんですよ?」

「まかせなさい」

 ふたり仲良く小指をからませ、

「♪ ゆ~びき~りげんまん、う~そついたらは~り千本の~~ます、ゆ~びきったっ ♪」

「♪ ゆ~びきったっ ♪」

 利蔵室長らしく、巧みな猫あしらいであった。


 タマは、前天冠から旭日旗のごとき光芒を発しつつ、

「はいはいそれでは皆さん心機一転、まずは地球の危機を回避するといたしましょう!」


 俺は、こっそり利蔵室長に訊ねた。

「そんなに伊勢海老いましたっけ、伊勢湾」

「明日の事は、明日考えればいい」

 利蔵室長も小声で、しかしきっぱりと言った。

「今日さえしのげれば、どのみち明日は来る」


 うん、こーゆーその場しのぎの楽観主義が、猫あしらいの醍醐味なんだよなあ、と俺は思った。

 同時に、ここまで猫を熟知すれば、内閣調査室は国家的諜報機関でありながら、猫の下僕としても立派に存続できるにちがいない、と俺は確信した。


 猫の忠実な下僕であるためには、気まぐれな御主人様をいかに巧妙かつ円満にだまくらかすか、そこが肝要なのである。

 相手が総理大臣でも同じことだ。

 もし伊勢湾に伊勢海老が足りなかったら、補正予算案かなんかごまかして、房総産や台湾産の伊勢海老を買い占め、伊勢湾に放流すればいいのである。


       *


 クレガ中佐の率いるフランス外人部隊と再合流し、俺たちは、いったん猫バスもとい航宙機を降りて、あちらの軍用ヘリに移乗した。


 例のどでかい水たまりに向かうのは、俺たちが乗る中型輸送用ヘリと、護衛用の小型戦闘ヘリが四機である。

 航宙機は、あちらの宇宙船に探知されてしまうので近づけないし、戦車隊などは、悪ガキたちの銀玉鉄砲の敵ではないから、行っても仕方がない。

 護衛の小型ヘリも、過激派部隊の残党でも出現しない限り、まず活躍の場はないだろう。


 俺たちの中型ヘリには、なぜかナディアちゃんも同乗していた。

「……えーとね」

 俺は念のために訊ねた。

「学校のみんなといっしょに待機する――そーゆー選択肢は、やっぱりナシ?」


「はい。アラーのお告げは絶対ですから」

 ナディアちゃんは澄みきった瞳でうなずいた。

「たとえ結婚できなくとも、私は終生、ヨコズナ・タロウ様にお仕えしなければなりません」

 意気揚々と、アサルト・ライフルを掲げて見せる。


 対する暎子ちゃんは、もう柳刃を閃かせたりはしない。俺の愛を信じているからだろう。〔やれやれ仕方ないわねえ。うちの旦那、いい男だから〕みたいな顔でもある。


 そもそも、艶福家の旦那をめぐる妻妾のズブドロ愛憎物語は昔から多々あるが、たいがい最後には、正妻さんが勝利する。

 万一、正妻さんが先に世を去ったとしても、亡霊となっておめかけさんをとり殺し、逆転勝利する。


 まあ、落語あたりだと、正妻さんとおめかけさんが両方急逝してしまい、その後も人魂同士で派手な喧嘩を続け、生き残った旦那は、仲裁に四苦八苦したりもするのだけれど。


     *


 ヘリが飛び立って間もなく、窓外の陽光が朝の斜光から少し角度を増すと、眼下の砂漠はたちまち陽炎かげろうゆらめく熱砂の起伏と化し、そのうち、砂漠というより礫漠れきばくと呼ぶのがふさわしい、不毛の荒野になった。


 そんな荒野のあちこちに、人々の生きる村や町があり、立派なハイウエイで結ばれた都市もある。

 ただ、人々の生きる土地としてはどうしようもなく痛々しい戦火の跡が、人々が生きる限りの場所を、虫食いのように侵食している。


「ほんとうに人間というイキモノは、死に絶えるまで、人間でしかいられないイキモノなのですねえ。なんとも愚かで、哀れなことです」


 タマがシリアス口調でしみじみと言うので、俺はちょっと感心してしまった。

 これはいよいよ、俺の設定した超高級巫女衣裳が功を奏し、アマテラス級の神キャラに成長したのだろうか。


「しかし人間は、味で伊勢海老に負けますから、仕方ありません。今は伊勢海老たちのために、ちゃっちゃと地球を救って、伊勢湾に飛びましょう」


 俺は、ああやっぱりと脱力しつつ、同時に、心強くも思った。

 人類のために命を賭ける猫はいるまいが、伊勢海老に命を賭ける猫又なら、きっといる。

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