3 新たなる第二夫人(まだ候補)


 タマをもがもが言わせている俺に、年長さんとおぼしい楚々とした少女が、透き通った緑の瞳を向けて言った。


「わたくしどもは、誰の火刑も望みません。アラーは、こうおっしゃっております。『汝、殺すなかれ』――」


 他の少女たちは、けっこうカラフルなヒジャブやチャドルでキメているのだが、この少女だけは、質素な黒衣姿である。


「この世のすべては、ただアラーの御心みこころのままに在るのですから」


 そう、エホバだってヤハウェだってアラーだって、同じ神の別称にすぎない。モーゼに十戒を与えたのも、ムハンマドにコーランの元ネタを吹きこんだのも、同じ神なのだ。


「そして、このところ、かつてない辛酸の中で祈りを捧げるうちに、これまでは聞こえなかったアラーの声も、聞こえるようになりました」


 どうやら彼女は、日本で言えば生徒会長的な立場らしく、聖母のごとき慈顔で他の少女たちを見渡しながら、

「アラーは、こうおっしゃいました。

『汝、ゆるすべし。無垢な乙女を虐げる男等おとこらも、芯から邪悪な罪人つみびとには非ず。我が意を誤って伝え聞けども、殉教のこころざしに偽りはなし。なれば汝は、母なる慈悲をもってその男等をゆるし、すみやかに神の国に送るべし』――。

 確かに、そうおっしゃいました」


 言いながら、そのスリムなチャドルのどこに隠していたものやら、すちゃ、と黒光りするアサルト・ライフルを掲げ、

「ですから、親しい賢者ウラマーにお借りしたこの神器で、すでに多くのISとボコ・ハラムの方々を殉教に導き、アラーの御許みもとに送ってさしあげました」


「…………」

 えーと、それって、なんか『赦す』と『殺す』が、結果的におんなしみたいな――。


 中途半端な信心の俺などは、思わず言葉につまってしまうわけだが、すべての神仏を文化人類学上の概念と捉えている牧さんは、さらりと少女に訊ねた。


「ちゃんとイッキに、苦しめないで天国に送ってあげたかい?」

 少女は、聖母の慈顔をもってうなずき、

「はい、首から上を、連射モードで木っ端微塵に」

「それは功徳くどくだね。一瞬も苦しまず、神の国に直行できる」

「はい。アラーの教えどおり、土葬の作法もきっちりと」

「それは良かった。火葬しちゃうと、アラーの元には行けないからね」

 少女と牧さんは、真顔でうなずきあっている。


 ま、まあ確かに、何事も心ひとつだからな――。

 俺も、なんとか得心した。


 一般のムスリムは、死後も最後の審判の日まで昇天はかなわない。そこはキリスト教徒と同じである。しかしアラーのために殉教すれば、天国に直行できる。

 だから、自分たちを犯そうとした鬼畜さえ、殉教者として優しく神の国に直行させてあげようという少女の信仰心は、唯一神を崇める者として、確かに尊い。

 いっぽう、鬼畜を生きたまんまタマの餌にする俺だって、因果応報に従って来世の修行に送ってやるわけだから、仏教的にはちゃんと尊い。


「もがもが、もが!」

 タマが俺の隙を突いて、口を塞いでいるてのひらに、力いっぱい歯を立てた。

「がっぷし!」


「あだだだだ!」

 流血する俺の手を振りほどき、タマは無念の涙にくれながら、

「だからなんでみんな、そーゆーもったいないことばっかしするの!」

 暎子ちゃんが、ぽんぽんとタマを慰め、

「しかたないよ。鉄砲で撃った動物は、ハラルミートじゃないもん」

「アマテラス様は好き嫌いを許さないの!」


 ま、まあ確かに、人間も動物だ――。


 錯綜する種々の価値観の間で揺れ動く俺に――ぶっちゃけウロのきている俺に、

「そして、ヨコズナ・タロウ様」

 アサルト・ライフルを抱えた黒衣の少女は、真っすぐな瞳で言った。

「わたくし、ナディア・イブラーヒーム・ブーパシャと申します」


「あ、はい、ナディアちゃんね」

「アラーは、こうもおっしゃいました。『間もなく東方の日出ずる国から、背丈と同じくらいハバのある男が汝の前に現れるであろう。その者こそ、汝が終生仕えるべき夫である』――と」

「は?」


 年長とはいえ、あくまでJCのこと、アラブ系の目鼻立ちとスリムな長身はやや大人びて見えるものの、やっぱり適齢期にはほど遠い純ロリである。


「えと……あの……」

 けして浮気心で言葉につまったわけではないのだが、

「私が太郎さんの妻です!」

 暎子ちゃんは、両手でがっしりと俺の腕を捕獲し、ナディアちゃんに叫んだ。


 そんな殺気を、ナディアちゃんは悠々と受け流し、

「存じております。そしてロシア貴族の方が第二夫人。ならばわたくしは第三夫人、とゆーことで」


 なるほど、ムスリム社会では、確か一夫四妻まで合法――。

 などと納得しているバヤイではない。

 暎子ちゃんの指先は、今にも俺の上腕二頭筋や腕橈骨筋わんとうこつきんを、ねじ切ろうとしている。


 いやいや、スモウのヨコズナもトトロも、日本じゃ一夫一婦制だから――。 

 俺がそう抗弁するより先に、タマが猫目を光らせて言った。


「ほう。ナディアとやら、なかなかいい覚悟ですね。アカミを粗末にした罪は、それで許してあげましょう。

 ちなみに第二夫人のロシア産ロリババアは、とっくに太郎を見捨てて逃げました。したがって、あなたが太郎の第二夫人とゆーことになります。

 見たところ、暎子よりもずいぶん腰があったまっている様子、せいぜい夜伽に励んで、太郎の子供をなんぼでもポロポロと産みまくりなさい」

「御意」


「こらタマ!」

「勝手に決めないで!」

「あたしゃ東荒堀ひがしあらほり神社の宮司だもん。氏子たちには、バンバンつがってガンガン繁殖してもらわんと」


 ナディアちゃんは大真面目にうなずき、

「お任せ下さい。わたくしは多産系の血筋です。母は八人、祖母は十人の子を産みました。『産めよ増やせよ地に満てよ』――アラーも、そうおっしゃっております」


 わなわなと震えていた暎子ちゃんが、ついに柳刃を抜いた。

 反射的に、ナディアちゃんがアサルト・ライフルを構える。


 双方あくまで威嚇、けして殺意までは感じられなかったのだが、俺は無意識のうちに身を翻し、暎子ちゃんに覆い被さっていた。


 はずみで柳刃の先が俺の顎すれすれに上がり、背中にライフルの銃口が当たる。

 暎子ちゃんは、あわてて刃先を下ろし、熱っぽい瞳で俺を見上げた。

「太郎さん……」

 俺は暎子ちゃんを抱いたまま、しっかりとうなずいた。

 假名暎子よ、荒川太郎は君のためなら死ねる――。


 実は内心、いや俺もまさかここまで岩清水弘な男だったとは、と自分自身に驚いてもいたのだが、それはあくまで極秘である。


「……申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」

 俺の背中から銃口が離れ、ナディアちゃんがつぶやいた。

「わたくしは、ただの召使いでかまいません。今後は身を慎んで、末長くおふたりにお仕えいたします」


「まあ、それも正しい女の道ですね」

 タマは、もっともらしくうなずいて、

「隙を見て旦那を寝取れば、なしくずしに第二夫人だし」

 ナディアちゃんは一瞬うなずきかけ、それからあわててふるふると、激しくかぶりを振った。


 ああもう、もはや、どこをどうツッコんでいいものやら――。

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