2 ハラルミート vs ネコマタミート


 それでも少女たちの中には、夏前までJSだったJC、つまりまだまだ性差意識の乏しい無邪気な女児もいるわけで、大トトロに似たシルエットのヨコズナ・タロウを、男性ではなくイロモノと認識し、はにかみながらもワクワクな視線を送ってきたりする。


「…………」

 あえて俺が知らんぷりをしていると、女児のひとりがどさくさにまぎれて、俺のトトロっぽい二の腕を、ちょん、とつっつき、意外そうな顔をして、隣の女児にこそこそと報告した。

「……ぷよぷよしてない」


 俺が、そのままトトロっぽい顔でしらばっくれていると、今度は隣の女児が、つん、と俺の太鼓腹をつっつき、

「……ゴムのかたまりみたい」


 ふっふっふ。ヨコズナ・タロウは苦労人だから、見かけによらず高蛋白で高反発なのだよ――。

 などと、内心で女児ウケを喜びながら、物言わぬトトロに徹しているうち、いつしか俺もまた、多くの少女たちの愛玩物と化し、つんつんつんつんと、タマなみに突っつかれまくられているのであった。


「つんつん」

「なでなで」

「すごいすごい」

「こんなに丸くて、アブラミじゃないの?」

「ここほんとにアカミ?」


 などと、困ってしまうくらいウケている俺に、暎子ちゃんは当然、穏やかならぬジト目を向けてきたりするわけだが、

「嫉妬は無用ですよ、暎子」

 タマは、あくまで鷹揚おうように言った。

「あれは、食材として、肉質をあらためているだけです」


「太郎さんは、ハラルミートじゃないもん」

「ほう、じゃあ暎子は、太郎を豚肉だと?」

「違うよ。太郎さんはトンカツやしゃぶしゃぶが大好きだから、イスラムの人は食べちゃいけないの」


 そう、ハラル食材としては、豚肉に限らず、ハラル以外の餌や養分で育った動植物も禁物――などという解説はちょっとこっちに置いといて、そもそも俺はヒト科ヒト属だから、いまどきの同属だと、ハンニバル・レクター博士くらいしか食ってくれないと思われる。


 ともあれ、このまま調子をこいていると、荒川家の嫁の象徴である無敵の柳刃・雲州が一閃しそうな不安を覚え、

「さあさあ、みんな、おやつの時間にしよう!」

 俺は立ち上がって少女たちの輪を抜け、富山の道の駅で仕入れてきた、スナックとソフトドリンクを持ち出した。

 フランス外人部隊でもハラル食は携帯しているはずだが、いわゆるミリメシなので、女子供の口に合わなかったのではないかと思ったのである。


 MIB支部長が気を利かせ、

「はいはい、お嬢様がた、洗面所は後ろのドアですよ」

 食事前に手を清めるのも、ムスリムの鉄則である。


 戻ってきた少女たちは、俺がシートに広げた袋や瓶を見て、ちょっと困った顔をした。

 利蔵りくら室長も疑わしげに、

「イカ煎餅せんべいにイイダコの姿煮に、ノンアル梅酒――大丈夫かい? あとでこの子たちが、村八分になったりしないかい?」


 手練てだれの諜報員も、今どきの道の駅には疎いらしい。外人観光客の多い場所なら、世界の宗教事情にも、敏感に対応している。

 もっとも、俺も別にこんな状況を想定して、買いこんだわけではない。せっかくイスラム圏に出かけるんだからと、御当地向けのスナックを選んだのが、たまたま幸いしたのである。


 俺は、袋や瓶のラベルに印刷されたハラル認証を示し、

「妙な添加物が入ってないぶん、日本人向けよりヘルシーですよ」

 ハラル認証マークの横には、日本語と並んで、ちゃんとアラビア文字による細かい成分表示も印刷してある。


「しかし、鱗のある魚はOKでも、鱗のない鰻や穴子、イカやタコはアウト――そんな話を、確かに聞いたが」

 まだ疑わしげな利蔵室長に、牧さんが言った。

「全世界には十六億のムスリムがいるんですよ。地域性も民族性も多種多様、ハラルの解釈も細部は多種多様です。

 さすがに平気で豚肉を食べるムスリムは僕も知りませんが、大学で一緒だったトルコの留学生は、タコやイカを旨い旨いと食ってました。お隣のシリアだって、海岸地方の人なら食べると思いますよ」


 俺はそこまでの知識はなかったし、同乗した少女たちも、地理的に海岸出身ではないと思われる。

 それでも少女たちは、スモウのタロウを信用してくれたらしく、日本なら「いただきます」のように「アッラーの御名においてビスミッラー」とお行儀良く声を揃えてから、イカ煎餅や小タコ煮に右手を伸ばした。

 ちなみに右手でしか食物に触れないのも、ムスリムのお約束である。


「……ぽりぽり」

「……ぱりぱり」

「あらまあ、おいしい!」

「見て見て。このちっちゃいタコ、かわいい」

「タコさんウィンナーみたい」

「ニホンのアニメに出てくる、あのオベントウの?」

「タコさんも、おいしい!」


 日本の食品メーカーが、輸出先と共同企画したワショクだから、ちゃんとムスリムの舌にも合うのである。


     *


 そうして、窓の外に月の沙漠を眺めながら、和やかにスナック・タイムを楽しんでいると、砂丘の波の彼方に、異様な赤い陽炎かげろうが立った。


 もちろん、夜の砂漠に、陽炎など立つはずはない。

 その赤くて丸い巨大な炎の塊が、形崩れしながら音もなく空に浮かんで行くと、その左右にも次々と同じような丸い陽炎が浮かび、そのとき初めて、腹に響くような爆発音が、立て続けに響いてきた。

 戦火である。


 少女たちは、瞬時に笑顔を強張らせた。

 年少のふたりが錯乱したように取り乱し、俺にすがりついてくる。


 彼女らの絶叫に近い号泣を聞きながら、俺はおのれの能天気さを恥じた。

 ここまでの彼女らの無邪気なふるまいは、むしろ、生まれてからずっと戦火に怯えながら生きてきたことへの、つかの反動だったのかもしれないのである。


 俺は、ふたりの背中を、しっかりと抱いた。

 暎子ちゃんも、それを咎めたりはしない。むしろ同世代のふたりをかばうように両の腕を広げて、力づけている。

 俺は、俺が選んだ嫁を、いや俺を選んでくれた将来の嫁を、あらためて心の底から愛しいと思った。


「ほう、花火が上がりはじめましたね」

 タマが、赤い猫目を光らせて言った。

 それから、怯えているムスリムの少女たちをぐるりと見渡し、

「確かに、あれを戦火と見れば、あなたがた手弱女たおやめは、身も心もすくむ思いでしょう。

 私も昔、無差別絨毯爆撃のさなかを、民草たみぐさとともに逃げ惑った記憶があります。

 まともな男手など皆兵士となって出征し、非力な女子供や年寄りばかり残った町を、なおまんべんなく焼き払う――地獄の閻魔えんまもマッツァオの所業でした」


 いや、今は、そーゆー話をするべき状況じゃないから――。

 俺はタマを止めようと思ったが、

「しかし、今はちっとも、怯える必要はありません。むしろ皆で祝うべき時なのですよ。あれは戦火ではありません。めでたい花火です」

 タマは猫目に邪悪な喜悦を浮かべ、そんなことを言いだした。


「なんとなれば、あれはクレガちゃんが、不心得者どもを焼いている炎です。大の男が、大の男の丸焼きを量産しているのです。

 きっと明日の朝御飯には、焼きたてアツアツのアカミの丸焼きが、それはもう食べきれないほど、てんこもりになるでしょう。

 戦況によっては、あの美味しそうなクレガちゃん自身、丸焼き、あるいは手羽焼きやモモ焼きになって――」


 いかん。こりゃやっぱり止めとかないと、クール・ジャパンな巫女キャラの品位が崩壊してしまう――。


 俺は、横からタマの口を塞いだ。

「もご! もごもご! もごもごもご!」

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