9 増員トンデモ国際会議


 俺は、シャツの中で震えているタマに言ってみた。

「いっぺん会ってやってもいいんじゃないか? かなり期待できると思うぞ。日々供される三度三度のおいしい愛とか、ひと声鳴けばすみやかに供されるおいしい愛とか」

 もちろん半分は皮肉である。


 タマは、力いっぱいぷるぷるとしらばっくれた。

「にゃんなななんの、にゃんなーご」

 それはいったい、なんの話でしょう――。

「ねみゅう、なごなご、みゃおなーご。しくしくしく……」

 私が本当に欲しい愛は、太郎の肉布団だけです。しくしくしく……。


 猫じゃらし歴の長い俺も、猫がすすり泣く声を聞くのは生まれて初めてだった。

 マトリョーナが、呆れ顔で言った。

「なんだか浮気がバレそうになって、あわてて夫に泣きついてる不倫妻みたいね」


 言い得て妙であればこそ、俺は激しくほだされてしまった。

 昔、心身ともにずっぷしだったJKに浮気されて逃げられたとき、もし彼女が後日、「やっぱり私には太郎君しかいないの」とか言って泣きながら復縁を望んできたとしたら、俺はたぶん自分もおいおい泣きながら、力いっぱい抱きしめていただろう。


 俺は、せいぜい優しくタマの頭を撫でてやり、

「悪かった。本気にするな。今のは冗談だ。俺はあくまでおまえの下僕だ。下僕は命がけで御主人様を守る」


 それでもまだぷるぷるしているタマを、暎子ちゃんもいっしょになってふにふにと慰めながら、〔やっぱり太郎さんは頼もしいです〕、そんな視線を俺に流してくれた。

 俺が、根っからヘタレなサレ男であることは、暎子ちゃんには内緒である。

 また、今タマの稼ぎがなくなったら、六年後に幼妻おさなづまとのマイホームが築けないと危惧してしまったことなども、密かに墓まで持っていく予定である。


「……えーと、お取り込み中に申し訳ありませんが、そちらの皆さん」

 矢倍やばい首相が、おずおずと口を開いた。

「……そのぐっちょんぐっちょんでねばねばでずるずるでドドメ色のシロモノはマジにとんでもなくアレですねえとか、でもそちらの猫又様だって改めて実物を拝見するとしこたまとんでもねーアレだと思うぞとか、そういった一般論は、ちょっとこっちに置いといて……こちらが内情を明かした誠意を汲んでいただき、そちらの内情も、できるかぎり明かしていただければ幸甚なのですが……」

 滑舌は悪くない。しかし、目つきには明らかにウロがきている。


「話を続けるのは、やぶさかではないが」

 常磐ときわ老人が、入口の大穴を見返って言った。

「このままじゃ、話が外に漏れるかもしれんぞ」


「すでに漏れております」

 モニターの向こうのモリタ氏が言った。

「扉が吹っ飛んだとたん、外にいる国防情報局日本支部のメンバーが、この室内の会話を傍受しました。当然、他国の諜報機関も聞き耳を立てているはずです」


 ありゃりゃ、と困惑する俺たちに、

「気にする必要はなくなりそうですよ」

 牧さんは、システムをいじりながら、

「たった今、外部の会議参加希望者から、アクセス許可申請が入りました。通常のネット回線ではなく、個人所有の衛星回線を介した割り込み要請――フランスのツルマン・ロックチャイルド氏です」


 矢倍首相サイドは、意外そうに顔を見合わせた。

 ロックチャイルド氏が常磐老人と親密なのは知っていても、彼自身が今夜の密談に参加してくるとは思っていなかったのだろう。

 汎世界資本という包括的な立場であればこそ、ロックチャイルド家は、国家間のもめごとに表立って絡んできたりはしないはずなのである。


「許可してよろしいですか?」

 うむ、と常磐老人がうなずいた。

「彼が参加してくれるなら、もう世界中の誰に聞かれようが同じ事だ」


 牧さんが、キーボードをポチポチしはじめた。

 警戒厳重なシステム相応、ひとり参加者を増やすだけでも、かなり手間がかかる。まして特殊な回線からのアクセスだ。


 するうち、モリタ氏の隣の中型モニターに、ロックチャイルド氏が浮かび上がった。

〈やあやあ皆さん! バラ色の人生を満喫していらっしゃいますかな!〉


 いきなりフランス語で、舞い上がった若い色男のような声をかけられ、俺たちのみならず、矢倍首相サイドも呆気にとられた。

 フランス語なので、言葉の意味はたぶんマトリョーナにしか理解できなかったが、ファッションも表情も、いつもの熟年ジャン・ギャバンっぽい風格ではなく、若い時分のお洒落なジャン・ポール・ベルモンド状態なのは確かであった。


 咄嗟とっさに言葉を返せない俺たちに代わって、MIB支部長が、如才なく挨拶した。

〈初めまして、ムッシュ・ロケシルド。わたくし、エミビ・パッティ・アンと申します〉

 これも後で解ったことだが、『エミビ・パッティ・アン』は、単に『MIBその一』、つまり日本名の『壬生園一』と同じことである。


 俺はMIB支部長に訊ねた。

「さすが地球支部代表、フランス語もできるんですね」

「いえいえ、これを使っているだけで」

 MIB支部長は、ちっぽけなMP3プレイヤーほどの小物を、黒服のどこぞから手品のように取り出し、

「汎銀河団相互翻訳機です。脳の言語野そのものに作用しますから、微妙なニュアンスまで、瞬時に意思疎通が可能になります」


「ほう」

 牧さんが注目し、

「その技術だけでも、世界を変えられそうだ」

 単に世界中で口喧嘩が増えるだけのような気もするが、スグレモノには違いない。


「よろしければ、皆さんにもお貸ししますよ」

 MIB支部長が、入り口あたりにわだかまっていた部下たちに命じると、たちまち地球勢全員ぶんの翻訳機が調達できた。

「右の赤いポッチをポチっとしていただければ、集団会話モードになって、あらゆる言語体系の話者が入り交じって会話できます」


 俺は試しに、ロックチャイルド氏に話しかけてみた。

「お久しぶりです、お元気そうですね。なんか、ずいぶん日焼けしてません?」

「やあ、タロウ君。実は今、『パクス・ニャミャーナ』の開園準備で、エーゲ海の島に逗留とうりゅうしていてね。こんな軽装で失礼するよ」


 こりゃ確かに言語界の革命だ、と俺は舌を巻いた。俺にとってはどっちも日本語なのに、あっちはフランス語として認識しているらしい。


 ロックチャイルド氏の後ろには、確かにエーゲ海の真珠を量産できそうな紺碧の海と空、そして白い雲が見えた。氏の頭や肩には、色柄違いの小猫たちが、がしがしとよじ登ったりもしている。海辺のテーブルから、スカイプ気分でアクセスしているのだ。

 これでは機密も何もあったものではないが、事ここに及んで、あえてオープンにしている可能性は高い。


 画面の横から、小麦色に日焼けしたビキニ姿のロリが紛れこみ、ロックチャイルド氏に親しげな声をかけながら、彼にたかっている小猫の一匹を抱き上げた。


 マトリョーナが、陰険なジト目になって、

「……ツルマン、そちらの可愛らしいお嬢さんは、どなた?」


 ロックチャイルド氏は、まだ求婚中なのに、たちまちビビリ顔の恐妻家と化して、

「あ、いや、誤解しないでくれたまえ。ここの造園技師の娘さんだよ。たまたま、ちょっと通りかかっただけで……」


 画面の外から、田貫たぬき老人の声も響いてきた。

「ときあたかもエーゲ海の孤島に谺する、高らかな笑い声! 『わははははははは! わははははははは! わははははははは!』――我らが正義の味方、黄金バットであります!」

 どんどこどん。

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