5 人生いろいろ、猫もいろいろ


 常磐ときわ老人が、改まった口調でMIB支部長に訊ねた。

「で、つまるところ――あなた方は、タマちゃんをこれからどうするおつもりで?」

 苦渋の窺える表情であった。


 タマが不慮の迷い猫ならば、本来の飼い主に返すのが筋だろう。しかし、今現在の下僕頭である俺としては、感情的に納得できない。      

 感情を顔に出さないマトリョーナと、お茶をすすりながら興味津々しんしんで成りゆきを窺っている丹下さんを除けば、俺たち皆がタマに対して、しこたま、あるいはなにかしらの未練を漂わせている。


「私らは、あくまでペット捜索業者ですから、あとは先様が駆けつけるまで、見守らせていただくだけです」

 MIB支部長は、あっさり返した。

「先様は、なにせ超セレブな方々ですから、荒川さんにも充分以上の礼を尽くしてくれると思いますよ」


 俺は、あえて訊ねた。

「――今はもう俺んちの猫、いやタマタマだと俺が主張したら?」


「それも、ありがちなケースですね。しかし、話はこじれるでしょうなあ。おそらく最寄りの汎銀河裁判所で、民事訴訟になるでしょう。

 でも、そのほうが、かえっていいかもしれません。たいがいの場合、あくまでペット自身の希望が重視されます。

 いかなる生物も、自分以外に自身の所有権はない――それが動物愛護の宇宙的原則ですから」


「そりゃ、確かに筋が通ってるな」

 親父が、訳知り顔で口を挟んだ。

 それから親父は俺を見て、

「何年前だったか、かどの株屋が離婚したろう。親爺がベンツ乗り回してた家な」

「うん」

「原因は、嫁の浮気だ」

「へえ」

 俺は親父やお袋と違って、御町内の動向に、ほとんど興味がない。


「あすこは先妻が早くに死んじまって、先妻が産んだひとり娘を、旦那と後妻が育ててた。その後妻が、浮気しちまったんだ。相手は流れ者の板前で、バレたとたんにトンズラこいちまった」

「2チャンの修羅場板みたいだな」

「なんだ、そりゃ」

「いや、いいんだ。続けてくれ」


「そんないきさつだと、ふつう、後妻が旦那に慰謝料を払うらしいんだが、寝取られた旦那も、先妻の子を長いこと育ててもらったわけだから、そこまで鬼にゃなれねえ。結局、後妻は身ひとつで追ん出された。

 そんとき娘は、まだ高校に上がったばかり。

 当然、実の父親の手元に残るとみんな思ったんだが、これが結局、娘当人の希望で、後妻のほうについてっちまった。

 別に、父親と仲が悪かったわけじゃねえ。でもなんでだか、義理の母親の娘になるのを選んだんだな。

 血が繋がらねえ母ひとり子ひとり、噂じゃ三ノ輪みのわのちっぽけなアパートで、今でもちゃんと仲良くやってるそうだ」


「……いい話じゃないか」

「おう」

 裏読みすれば、なんとでも厭な話にできる不倫である。2チャンあたりなら、懐疑的なコメや否定的なコメが、ずらずら並ぶだろう。

 でも俺は、こーゆー話を素直に『いい話』にできる、親父の語り口が好きだ。


「――ま、人情ってやつの天秤てんびんがどっちに振れるかは、当人以外、誰にもわからねえってこった」

 タマは親父に、んむ、とうなずいて、

「『産みの親より育ての親』――あるいは『血は水よりも濃し』――人の心も猫の心も、それぞれの宿命に応じて様々でしょうが、生けるものと生けるものの繋がりにおいて、大切なものはただひとつ。それは愛」


 おお、根っから能天気な猫娘でもさすがは主役、その気になれば、ここまで立派なセリフが言えるのである。


「ただ愛のみが、私を律します」

 タマは澄みきった瞳で、MIB支部長を見据え、

「愛――それは、労せずとも日々たゆまず供される三度三度のおいしい御飯、そしてひと声にゃーと鳴けば、すみやかに供されるおいしいおやつ」

「………………」

「と、ゆーわけで、とりあえず、そのセレブ一家の潮騒キボンヌ」


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 ああ、しょせん猫は猫、やっぱり犬でも人でもない――。


 脱力感に満たされる広間に、あの老執事が顔を出した。

「お話中に失礼します。――旦那様、矢倍やばい様とお連れの方々がお着きです。お申し付けどおり、地下の会議室にお通ししました」


 常磐老人は、ぷるぷると頭を震わせて脱力感を払い、

「……超銀河問題を片づける前に、まずは地球側の問題だな」

 そう言って、俺たちをぐるりと見渡し、

「富士崎君、そして牧君と荒川君、わしと同行してくれ」


「お? 俺もですか?」

 俺がしこたまビビっていると、

「当然だ。何事も、優先順位の第一は現状把握。いきなりタマちゃんやMIBさんたちを担ぎ出すわけにはいかん。

 とりあえず君がタマちゃんの代理人、わしがMIBさんたちの代理人、あとのふたりは、軍事関係と科学関係のオブザーバーということで」


 常磐老人は、丹下さんに目を移し、

「本来なら、あなたがMIBさんたちの代理に立つべきなんでしょうが、代理の代理が私、それでよろしいかな?」

 丹下さんは、あっさりうなずいて、

「はい、よろしく。あたしゃ政治家とか軍人とか、辛気くさくて大嫌いだから。――でも、ほんと、ここんちのお茶はおいしいわねえ」


 まだビビっている俺に、マトリョーナが耳打ちしてきた。

「大丈夫よ、タロウ。さっき、こっそりツルマンに連絡しといたから。お客さんたちにも、なんらかの話が行ってるはず。あなたはツルマンの親友とか、自己紹介しちゃいなさい」


 常磐老人が、それを聞きつけて破顔した。

「そりゃ、何よりの友人関係だな」

 俺も、ようやく安堵あんどした。

 ぶっちゃけ、ただのロリおた仲間だが、余所よそ様から見れば、汎世界資本のオトモダチである。


 暎子ちゃんが、がんばってくださいね、と手を握ってくれた。

 タマは、ちょっとだけこちらを見、

「なんだかよくわかんないけど、御主人様のために、誠心誠意がんばりなさい、太郎」

 それだけ言って、すぐにMIB支部長に向き直り、

「んで、あっちの家は、どんだけセレブ?」

 わくわくわく――。


     *


 地下といっても、階段や廊下は、あくまで豪邸仕様である。

「いやあ、なんだか六十年安保の頃を思い出すよ」

 俺たちを率いて会議室に向かいながら、常磐老人は言った。


「あの頃は、矢倍君の祖父じいさんが総理。言っちゃあなんだが孫と同じで、アメちゃん頼みの似非えせ右翼だ。いかに敗戦国とはいえ、国を売ってまで大国に媚びる義はない。

 そんな売国的似非右翼と、科学的社会主義を標榜しながら、内実は我欲むき出しの権力闘争に明け暮れる似非左翼――。

 そんな連中が無益に血を流し合う中、わしらは若き憂国の徒として、官邸襲撃を画策していた」


 老人の皺深い顔の瞳に、若々しい光が宿っていた。


「まあ、結局は決行前に検挙されちまって、仲間共々、しばらく臭い飯を食わされたんだがな。

 ――今のこの国からは想像もつかんだろうが、ただただ熱い時代だった」


 日和見ひよりみの俺としては、熱いのも善し悪しだと思う。

 どうせ右も左も、結局は富と権力に帰結しちゃうんだから、やっぱり世の中を丸く治めるには、狭隘きょうあいなイデオロギーや宗教にこだわらず、普遍的かつ審美的な価値基準に徹するに尽きる。

 ぶっちゃけ全人類が、ひたすらロリと猫を崇め奉っていれば、どーやったって戦争にはならない。アブラっこい親爺なんぞを上座に据えるから、生臭い血の雨が降るのだ。


 もっとも銀河や超銀河まで視野を広げてしまうと、所によってはロリや猫がいない可能性もあるが、少なくともMIBさんたちの星には手足八本のロリがいるはずだし、その近所の銀河には、猫っぽい毛玉だっているはずだ。

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