9 増殖する訪問者
「ちょいと、店長さん」
店長と親父の後ろから、また別の懐かしい声がかかった。
「肝腎の用件を忘れないでほしいんだけど」
昭和の個性派大物女優・沢村貞子さんの晩年を思わせる、
「丹下さん!?」
コンビニの常連だった、あの老婦人なのである。
いつも
相変わらず和装がデフォルトらしく、今夜も塩沢紬の渋い
店長は丹下さんに頭を下げて、それから俺にも、すまんすまん、と言うように、
「いや、なんか、どうしても荒川君に会いたいと、丹下さんがおっしゃって……」
元従業員のプライバシーを勝手に漏洩しちゃってごめんね――そんな顔であった。
俺としては、一向にかまわない。
東京都民と称する大多数の地方出身者は別状、下町の東京土人は、他人行儀なプライバシー意識を、かえってウザったく思うのである。
たとえば往年の大人気映画シリーズ[男はつらいよ]、あのフーテンの寅さんの故郷・葛飾柴又は、厳密には東京の下町ではないが、気風としては、確かに昔の下町風なのである。
つまり、ツンケンした常識人よりも、ざっかけない変人のほうがまだマシ、みたいな。
「お元気そうですね、丹下さん。――あれ? なんか去年より、ちょっと若返ってません?」
お世辞ではない。巧言令色とは無縁の俺だから、丹下さんも俺を
「わかる? 入れ歯を変えただけなんだけど」
「へえ。でも口元の表情とか、しゃべり方まで若いみたいな」
「そりゃあんた、前の入れ歯のウン十倍もかけた、ハイテクバリバリの最新型だもの」
ちなみにこのお婆ちゃんは、亡くなった旦那の遺産を運用し、悠々自適の生活を送っている。
「でも丹下さん、俺になんの用事ですか?」
また、どこかの旅行土産でもくれるのだろうか。
丹下さんは悪戯っぽく笑って、
「実は私も、知り合いに頼まれただけなんだわ。あんたにどうしても会いたいって人たちがいてね。まあ、あんた本人より、えーと、タマちゃん? あの猫じゃ猫じゃのお嬢ちゃんに、会いたがってるんだけど」
なるほど、丹下さんは、タマのファンに頼まれてきたらしい。
確かにタマは、芸人としても猫又としても地球外生物としてもガードが堅いから、一般のファンは、なかなかタマに近づけない。現に今だって、
「丹下さんの知り合いなら、一席設けてあげてもいいですよ」
俺が社長兼マネージャーとして余裕をカマしたとたん、
ぞわぞわぞわぞわ――。
見れば、それまで誰もいなかった前庭の舗道に、いきなり黒々とした人影の群れがひしめいている。
「どわ!」
俺だけでなく親父や店長も、気配に振り返って息を呑んだ。
「うわ」
「ひえ」
ほぼ同時に、常磐邸の周囲のあっちこっちで、あっちこっちの連中が大騒ぎを始めた。
「こりゃ何事だ!」
「Riot of MIB!?」
「這些黑人是什麼!」
どうやら黒い行列は、塀の外まで続いているらしい。
それでも丹下さんはまったく動ぜず、ちょっと舌打ちしてから、それら無数の黒い影を叱りつけた。
「こらこら! 話が終わるまで、おとなしく待ってなさいって言ったでしょ!」
中学生の修学旅行を引率している、古参女教師のような口調であった。
「す、すみません。つい興奮してしまって」
先頭にいた黒い影が、ぺこぺこと頭を下げながら弁解した。
「なにせ、故郷の星を離れてかれこれ七十年、ようやっと社命を果たせそうなあんばいで……」
影ではなかったのである。常磐邸の庭は、夜でも四方八方それなりに明るい。
ただ、相手が黒スーツに黒シャツに黒ネクタイ、おまけにサングラスまでかけていたので、いきなり出現すると――のちの説明では、量子迷彩とやらを解除しただけらしいが――真っ黒い影にしか見えなかったのだ。
庭の舗道にひしめくMIBが、先頭の奴に続いて、丹下さんにぺこぺこと頭を下げた。
「すみません」
「ごかんべんを」
「お見捨てなく」
それから全員揃って、俺に深々と一礼し、
「なにとぞよろしく荒川さん!」
悪夢のようだ、と俺は思った。
「わははははははは!」
思わず大笑いするしかないほどの悪夢であった。
騒ぎを聞きつけたのか、邸内から富士崎さん一派が駆けだしてきた。
大量のMIBを見たとたん、すちゃ、と反射的に銃を構える。
常磐邸の警備員もあっちこっちから飛んできたが、こちらは伸縮式の特殊警棒しか持っていないので、あんまり気勢が上がらない。
裏庭から「ばうわう!」と駆けてきた轟天号は、俺を見つけたとたんに「おんわんわ、おんわんわ」と尻尾を振りはじめ、番犬の用を成さない。
「あ、ご安心ください。私ら、あくまでただの会社員ですから、武器は持っておりません」
のほほんと構える先頭のMIBを、丹下さんがたしなめた。
「あんた以外は、とりあえずみんな消えてなさい。ひとりだけでも充分アヤしいんだから」
ごもっとも、と言うように、黒い一団は、MIBその一を残して一斉に消滅した。
富士崎さんたちは警戒を緩めず、消えてしまった多数の気配を探りながら、分担して四方を狙い続けている。さすがはプロの諜報員である。
富士崎さんが、俺に言った。
「事の次第はともあれ、彼らが本当のMIBなら、内調やCIAの動きも違ってくるぞ」
「どーゆーことですか?」
「
富士崎さんたちが門外に向かおうとしたとき、
「もう遅いようだ」
玄関の中から、常磐老人の声がかかった。
常磐老人は、黄門様ではなく悪家老モードの顔で、
「たった今、
「え、えと……それはもしや、ただのヤバイ人じゃなくて……」
首を傾げる俺に、
「総理の矢倍君だよ。彼だけじゃない。内閣調査室長と、在日米軍司令官も同行する」
「内調トップは解りますが、在日米軍司令官も?」
富士崎さんが呻くように言った。
「……タロット大統領も承知の上ですか?」
「奴のことだから、どこかで女遊び中かもしれんが、どのみちすぐに伝わるさ。下手すりゃあのヤンキー親爺も、国防長官あたりを引き連れて、エアフォース・ワンで飛んでくるぞ」
わははははははは――もはや悪夢を通りこして、モンティ・パイソンのシュール・ギャグである。
「外の間諜連中も、あっという間に増員するだろう。そちらの黒い方には、すぐに中に入ってもらいなさい」
常磐老人は、心底、楽しそうだった。
「しかし
「そうらしいな。みんな上がってもらいなさい。これからは
楽しそうな黄門様ではなく、楽しそうな悪家老であるところが、このとっちらかった状況においては、かえって頼もしい。
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