8 夜の訪問者
「とりあえずの山は越えたな」
羽織
イベント終了後の夜、常磐邸の食堂である。
俺たちも、ビールやらワインやらのグラスを掲げた。
ただし平成西川三人娘は、ソフトドリンクのグラスである。タマとマトリョーナは必要以上に既成年だが、体格的にアルコールの代謝がよくない。
常磐老人は、西川氏に言った。
「今後、ハリウッド側とのあれこれは、君に一任しよう。ただし荒川君から聞いているとおり、暎子ちゃんはあくまで学業優先、タマちゃんはSRIでの研究優先でお願いする」
「お任せ下さい」
西川氏は自信満々だった。
「当然、何度か渡米してもらうことにはなりますが、実写での演技部分は、ほとんどグリーンバック収録ですから、国内のスタジオで賄えます。今までの牧さん方式と、大差ありません。牧さんが育ててくれた専門スタッフを、そのまま活用できます」
食堂には、常磐サイドの関係者に加え、イベントには参加しなかった牧さんも顔を出している。
牧さんが西川氏に訊ねた。
「とりあえず当分は、うちでタマちゃんを独占できますね?」
「ああ。肝腎のシナリオが未完成だし、ハリウッドでの記者会見は、来月の予定だからね」
それから西川氏は、改まって俺に視線を向け、
「――で、荒川君」
「はい?」
「君の会社の版権担当者と、一度じっくり相談したいんだが」
「すみません。うちは一応有限会社になってますが、家族経営の個人商店みたいなもんなんです。今んとこ、俺が社長で全タレントのマネージャーを兼業、お袋が経理その他の事務仕事を一切合切、親父は車しか転がせないんで車両担当――そんな感じで」
西川氏は、呆れたんだか困ったんだか、微妙な顔で言った。
「えーと……ぶっちゃけ、今日のタマちゃんのアドリブを見たトカラタミーの企画部から、さっそく[ミケのタマ]の商品化を打診されてるんだが」
「あんな毛玉に、版権が生じるんですか?」
「当然じゃないか。あれはタマちゃん自身によるオリジナル・デザインだ。映画とは無関係だから、サニー・ピクチャーズ抜きで話を進められる」
「だったら、とりあえずタマと交渉してもらうしか」
西川氏は、ちょっと悩ましげにタマを見やり、
「タマちゃん、版権とか著作権とか、肖像権って知ってる?」
タマは、きっぱりとうなずいて言った。
「
どんな口からでまかせも、私が口にすればハナマル――。
猫又特有の、
人類特有の商習慣を、人外のタマにどう吹きこんだらいいか、俺たちが思いあぐねていると、なぜか団子坂のお嬢ちゃんがたが、タマにひそひそと耳打ちしはじめた。
世知辛い地下アイドル界で長年苦労してきた彼女らとしては、後輩に伝えておきたいことが、多々あるのだろう。事務所の強欲に甘んじてはいけないとか、パワハラやセクハラは警察じゃなくて文春にチクれとか。
ごにょごにょごにょごにょ――。
ふむふむふむ――。
しばしの密談ののち、タマは、んむ、とうなずき、西川氏に険しい目を向けて、
「もらえるものは目一杯、もらえるだけもらいましょう!」
「……じゃあ、とりあえず玩具系の相場で、6パーセントも請求すればいいかな?」
タマは、ふるふると
「[ミケのタマ]一個につき、元気な鼠が一匹!」
「……それは、ちょっと難しいかもしれないね」
「じゃあ、元気な雀が一羽!」
見かねた常磐老人が、俺に言った。
「そっち方面の書生を、君んとこに出向させようか。タマちゃんたちが荒川プロに所属している以上、権利関係も、社長の君がきっちり仕切らないと」
「助かります」
そんな下僕の低頭など意に介さず、タマは強気の交渉を続けた。
「ならば[ミケのタマ]一個につき、タタミイワシ一枚では?」
俺はタマの頭をぽんぽんとなだめ、
「いいから俺に任せとけ。下僕として、御主人様の悪いようにはしない。月に一度は天然マグロをまるまる一尾、そんな線でどうだ?」
「おお……」
どうやら納得してくれたようだ。
俺だっておたくの端くれ、キャラ物の玩具の世界は見当がつく。
マジに[ミケのタマ]が商品化されたら、ストラップにくっつけるようなちっこい[ミケのタマ]から実物大の[ミケのタマ]まで、何種類もの[ミケのタマ]が、全国の玩具売り場やファンシー・ショップに出回る。天然マグロなど、物の数ではない。
そのとき、いつもの執事っぽい老人がやってきて、常磐老人ではなく俺に告げた。
「荒川様、お父様が玄関におみえです」
「親父?」
「はい。お連れの方々も御一緒に」
なんだかよくわからないが、親父は電話嫌いの旧人類だから、歩いてすぐの町内のこと、いきなり
「ちょっと失礼します」
俺はグラスを置き、執事さんにくっついて玄関口に向かった。
プチ迎賓館級の玄関に、ダボシャツとステテコ姿の親父が、臆面もなく突っ立っていた。
いつものデカ足サンダルではなく、よそ行きの
「よう、馬鹿息子」
「よう、糞親父」
お互い喧嘩を売っているわけではない。東京土人の父子には、ありがちな愛情表現である。
「いやな、なんか店長さんが、おまえに急用だってんで、案内してきたんだよ」
親父の斜め後ろには、なぜか、あのコンビニの店長が控えていた。
「やあ、荒川君、お久しぶり」
「うわあ、御無沙汰してます」
堀端でタマを見つけた朝以来の対面である。
ヒッピーもどきの蓬髪は、しばらく見ないうちに、また白髪が増えたようだ。それでも、軽く手を上げて挨拶する仕草と穏やかな笑顔は、あの朝よりも、ずいぶん血が通って見えた。少なくとも十八世紀のオートマタではなく、人間の一種である。
「レギュラーのバイトが見つかったんですね。よかったよかった」
「いや、今は休業中なんだ。実はあの日の午後、店で血を吐いてぶっ倒れてね」
「うわ……」
「胃潰瘍で、胃袋を半分切除した。おかげさまで半月以上も、病院で寝て暮らせたよ。毎晩九時には消灯、朝の七時まで寝ていても、誰にも怒られない。胃袋半分で、半月の天国生活なら安いもんだ。
医療費は保険で賄えたし、おまけに癌とか悪性の兆候は皆無――。
人間、真面目に生きていれば、いいことは必ずある」
「でも、えと……もと奥さんのアレとか……」
離婚して故国に帰ってしまった妻子への仕送りは、大丈夫なのだろうか。
「こんど、日本に戻ってくることになった。来月には、またいっしょに店を開ける」
「ほんとですか!」
「まあ、まるっきり嫌われたわけじゃなかったみたいだし、実のところ
娘たちが電話で愚痴ってたんだが、ついこないだ、セーラームーンもプリキュアも、検閲対象になっちまったそうだ。あの国も、近頃なにかと宗教問題でキナ臭いからね」
その種の異国の人々から見れば、自国民の多くが悲観しているこの日本だって、実はアメリカ以上に自由で暮らしやすい国なのである。
俺は思わず両手で店長の手を握り、ぶんぶんと祝福してしまった。
「そりゃあよかった! ほんとによかった!」
念のため、それはあくまで、店長の身を案じていたからである。
店長の娘さんたちが、みんなかわいいロリだから、というわけでは絶対にない。
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