7 それでもやっぱり、タマはタマ
とまどいまくる観客のざわめきを、タマはちっとも意に介さず、
「もはや猫として、これ以上の栄達を望んではならない――いっそ猫であることも猫又であることも捨てて、あえて次の世界に踏みださねばならない――そんな克己を命じる声が、この美しく可憐な猫耳に、どこからともなく響いてきたりもするのです」
下でモニターをチェックしていた俺は、さすがに心配になって、西川氏のインナーイヤー・インカムに連絡を入れた。
「なんか、タマが妙なアドリブに走ってますけど……」
「いいんじゃないか? なんであれ、猫のやることだし」
西川氏は少しも動ぜず、
「もともと存在自体が、アドリブみたいなもんだし」
暎子ちゃんやマトリョーナも、こくこくとうなずいている。
「……そうですね」
俺も腹をくくった。
まあ猫のことは、猫本人と猫科っぽい方々に任せときゃ問題ないだろう。思えば今回の件に関わった面々には、猫科タイプが多い。犬科なのは轟天号と俺、あとは公僕コンビと富士崎さん一派くらいか。
「と、ゆーわけで――」
タマは、客席を仰いで大きく両手を広げ、
「本日ただ今より、わたくしタマは新たなる
ほう、と西川氏がつぶやき、インカムで音響スタッフにこっそり指示してきた。
「BGMをヤシマっぽいのに変えてくれ。ヤシオリっぽいのでもいい」
モロに[新世紀エヴァンゲリオン]や[シン・ゴジラ]をパクるつもりらしい。
♪ ずん・ずんずん・ずん・でんでん ずん・ずんずん・ずん・でんでん―― ♪
勝手に他の作品のサウンド・トラックを流していいものだろうかと俺は懸念したが、西川義樹事務所の子飼いスタッフである音響チーフは、ボスのためならJASRACなど歯牙にもかけない。
まあ、リズムもメロディーも微妙に変えてあるみたいだから、いざとなったら「オマージュです」と言い張るつもりだろう。
ともあれ満場の観客は、なんじゃやら[シン・ゴジラ]でも始まりそうなムードになっていた。[エヴァ]を知らない高齢者層も、[シン・ゴジラ]は、けっこう観ていたりする。化け猫映画世代、すなわち元祖[ゴジラ]世代なのである。
――なんだかよくわからんが、どうやら新世紀の化け猫は、『アキバちゃん』から『北の丸ちゃん』に形態変化するらしいぞ。
♪ ずん・ずんずん・ずん・でんでん ずん・ずんずん・ずん・でんでん―― ♪
緊迫するBGMに呼応するように、タマは全身をゴスロリから三毛に変じ、むくむくと膨れあがった。
「なまねこ・なまねこ・なまねこ……」
謎の呪文――確か宮沢賢治の童話に出てきた山猫大明神の
「なまねこなまねこなまねこなまねこ……」
しまいにゃ猫耳も尻尾も毛皮に紛れてしまい、文字どおりの毛玉、直径二メートルはあろう三毛柄のケサランパサランと化してしまう。
目鼻も口も定かではない姿で、どこから発声しているものやら、
「――見なさい! これがほんとの
熱気渦巻く満場の武道館に、一瞬、エベレストの風が吹き渡った。
芸人の新ネタが意味不明だった場合など、しばしば客席に吹き渡る乾いた風である。その芸人が有名であればあるほど体感温度が低く、ときとして氷点下を記録したりもする。
……こ、これは……マジに、スベっているのだろうか。それとも、脱力系のボケなのだろうか……。
そんな極寒をものともせず、白黒茶色のケサランパサランは、しばし間を負いてから、
「――な~んちゃって!!」
あっけらかんと、ヌケた声であった。
凍結していた満場に、春一番のような安堵の吐息が広がった。
ああ、よかった。これは、あくまで意図的なハズシだったのだ――。
爆笑とはほど遠いものの、生暖かい笑いと大らかな拍手が、惜しみなくステージに注がれる。
西川氏は、自分の手柄でもあるまいに両腕を大きく広げ、観客の喝采に応えた。
――やはり私の慧眼は衰えていなかった! この猫の芸にハズレはない! なにをやっても芸になる!
暎子ちゃんとマトリョーナは、どでかい毛玉モードのタマを、両側からなでなでと撫で回した。
――ほんと、アドリブがスベらなくてよかったねえ、タマ。
――こんなベタなボケを、堂々とカマす度胸だけは褒めてあげるわ、タマ。
「ごろごろごろごろ……」
しかし、この新形態において、タマの喉は、いったいどこにあるのだろう。
*
オープニングの余勢を駆って、西川氏は[マキシラマ]の技術解説や、マスコミ関係者からの質疑応答を、順調にこなしていった。
ハード面の解説も、やはりこの場では、牧さんより西川氏が適任だった。
もし牧さん本人が解説したら、理系コテコテの方々だけはなんとか理解できるだろうが、他の大多数は、欲求不満と当惑だけを残して、置き去りにされかねない。
その点、西川氏だと、自分自身はごく大雑把にしか理解していないのに、もっともらしい専門用語などは本能的にツボを外さず駆使しまくるから、映像おたくも理系音痴の記者も、〔なるほど、これはすごい。完全に理解できたみたいな気がする〕と得心してしまう。
もとより野次馬連中は、〔なあるほど、とにかく未来方向にトンガったスグレモノなんだなあ〕と煙に巻かれてしまう。
さらに記者会見のシメで、
「映画本編の全世界公開は、今のところ二年後のクリスマス・シーズンを予定しております。
ずいぶん先の話になりますが、映画界に詳しい皆さんなら当然ご存知のように、今どきのデジタル大作映画は、実写部分の撮影よりも、CG処理やSFXを含むポスト・プロダクションのほうに、何倍も時間がかかるのです」
とか堂々と言われてしまうと、うるさ型の芸能ライターたちも、まさか映画制作自体が先々月に発案されたばかりとは思いもよらず、〔はいはい、当然ご存知ですよ。二年なら順当でしょう〕と、納得してくれるのであった。
そしてトドメのひと言、
「なお、今回のイベントに参加してくださった皆様全員に、サプライズ・プレゼントを用意してあります。
[たまたまタマ]映像流出記念DVD[たまたま、ちょっと]――。
五十分弱の短編ドキュメンタリーですが、秋葉原シークエンスのオリジナル映像と、メイキング映像が収録されております。
3D対応のブルーレイも同梱されておりますので、お帰りの際は、忘れずに出口でお受け取りください!」
フィナーレの華々しいBGMが始まると、秋葉原シークエンスのダイジェスト・ホログラフィーがフルカラーで宙空に浮かび、おもむろに三百六十度、まんべんなく回ってみせる。
ステージで手を振る西川氏と暎子ちゃんとマトリョーナ、そして団子坂のお嬢ちゃんがたに向けて、大歓声とともに、フラッシュが光りまくった。
ただし、真の主役たるべきタマだけは、ふつうサイズの三毛猫姿で、ちょこんと丸くなっているだけだった。
実はもうずいぶん前から、この広報活動に完全に飽きてしまい、縮んだまんま、寝たきりなのである。
あまつさえ猫特有の、顔面八割大あくびをカマしたりもする。
「ふあああぁぁぁぁ」
それでも満場の観客は、タマの徹底したキャラ設定に、むしろ感服しているのであった。
なあるほど、どう見ても、三毛猫そのものだ――。
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