4 いきなり武道館ライブ
そして、九月下旬の日曜日、我が荒川プロモーションに所属する女性タレント一同は、いきなり武道館デビューを果たすことになった。
無尽蔵の予算に舞い上がった西川氏が、本来のトンデモぶりを発揮して、日本側の制作発表会場に、いきなり武道館を借り切ってしまったのである。
『映画[たまたまタマ]制作発表記者会見』と、『次世代VR映像システム[マキシラマ]公式デモンストレーション』の同時開催――。
もちろん根っからの商売人がやることだから、見栄や酔狂だけで武道館を選んだわけではない。
3D映像の革命とも言うべき新システム[マキシラマ]は、その映像を三百六十度どの方向からでも、肉眼で実物同様に観賞できるのがウリである。
実際の作品は、劇場公開用3Dバージョンがメインになるが、一部の特設会場では、全周観賞用に視点や画角を編集した、特別バージョンも上映される。
そこいらを効果的にアピールできるのは、高低差に富んだ客席が全周に存在する、ドーム状のイベント施設に限られる。
その時点で、タマがマジなUMAであるなどというトンデモな噂は、ネット界のみならず、アヤしげなオカルト雑誌ですら、すでに完全なジョーク扱いになっていた。
実はそこにも、西川プロデューサーの捻り技が効いていたりする。
彼は、武道館でのイベント開催を告知するに際し、主役のタマの個人情報を厳重に秘匿した上で、〔あくまで四百年前の鍋島猫騒動で化けまくった猫娘そのものである〕と主張したのだ。
つまり、力いっぱい真実を晒したわけだが、もちろんマスコミも大衆も誰ひとり本気にせず、デーモン小暮閣下が〔吾輩は十万歳超えの悪魔である〕と自称するような、ユーモア含みの営業用設定と見なした。
それから三日もしないうち、ゴシップ系の大手週刊誌が『噂の猫娘の正体は、マリネラ生まれの日系少女!』とスクープ、日本帰化名が龍造寺タマであることまで暴露してしまい、マネージャーの俺は取材依頼の電話対応で数日間忙殺されたが、あれも十中八九、誰かさんの関係者がリークしたのだろう。
まあ、真実がどうであれ、昨今の暗いニュースや鬱々たる社会的ストレスにうんざりしていた
*
いきおい、イベント当日の武道館周辺は、未明から異様な熱気に包まれた。
まずは無慮三千人の萌え系おたく野郎が武道館を取り巻いて、ぶよんとしてしまりのない渦を成す。
彼らの大部分は、本来抽選制の無料招待券にネット・オークションで何万円もツッコんだ、コテコテのおたくであった。
やがて日が昇ると、抽選で当てた一般客が約一万人、武道館がある北の丸公園中に、幾重にもその渦を拡大した。
全席指定で午後開場なのに、なぜ朝っぱらから並ぶんだと呆れるのは、イベント素人の浅慮である。みんな、当日限定の各種物販が目当てなのだ。
ぶ厚い有料パンフレットや、オフィシャル設定資料集、平成西川三人娘の豪華サイン入り写真集(アナログ生写真付き)、可動式タマ型猫耳&二叉尻尾セット(内蔵ギミックによる各種意思表示機能搭載)などは、その日そこで入手しないと、あとは法外なネット・オークションに頼るしかなくなる。当然、転売目的の、いわゆるテンバイヤーも大量に混じっているだろう。
パンフレットや資料は無料で配られる正式招待客――各界著名人やマスコミ関係者の中にさえ、タマとおそろいの耳と尻尾欲しさに、早朝から並んだ者も多かった。猫好きにとっては、それほど抗しがたいスグレモノだったのである。
さらに観客の中には、まさか西川氏の主張を鵜呑みにしたわけでもあるまいが、古い怪談映画や寄席演芸の化け猫そのものを懐かしむ多数の後期高齢夫婦も混ざっていたりして、なんじゃやらテレビ普及前の映画黄金時代、全国津々浦々の単館映画館を取り巻いていた世代を問わぬ大行列のような熱気すら、むんむんと醸しだしていた。
*
その日の正午過ぎ、俺たちは武道館中央に設営された特設円形ステージの下、というか内部で、十数名のイベント・スタッフといっしょに、本番前の腹ごしらえを始めていた。
ちなみにアリーナ席は、ふつうのコンサートとは違い、円形ステージを取り巻くように、数列の折りたたみ椅子が配置されている。
ちなみに俺は、ステージに上がる予定はない。
顔出し予定のメンバーは、自ら今日の司会も務める西川氏と、平成西川三人娘、そして団子坂
まあ、俺やセルゲイも立派に主要キャストなのだが、ぶよんとしてしまりのない三十男や四十男が臆面もなく目立ちまくると、ぶよんとしてしまりのない観客にすら敬遠される恐れがあるので、俺は裏方に徹し、セルゲイは
[マキシラマ]のお披露目を兼ねたイベントなのだから、せめて牧さんには顔出ししてほしいところだが、牧さんはシステム名に自分の名を残した以外、いっさい表舞台に立つ意志がなく、今日もSRIの一室で、タマの生物学的なデータの解析に没頭しているはずである。
西川氏が手配した一流料亭の仕出し弁当は、さすがに旨かった。見た目はただの幕の内だが、卵焼きからしてハンパなく味が深い。
ふだんコンビニ弁当レベルの餌しか与えられないスタッフや団子坂のお嬢ちゃんがたは、さすがハリウッド関係の現場はモノが違うと驚嘆している。
「まさか、開始前にイベント経費を全額回収できるとは……」
モニターに映る外の人の波と、リアルタイムで集計表示される物販実績の数字を見ながら、西川プロデューサーがつぶやいた。
「……団子坂
八人組のお嬢ちゃんがたが、きゃあきゃあと歓声を上げた。
そのCDは、元のプロダクションの倉庫に山積みになっていた返品物を荒川プロモーションが原価で買い上げたものだから、俺にもけっこうな収入になる。
俺は上機嫌で、西川氏を持ち上げた。
「一ヶ月やそこらで、よくあれだけ立派な資料集や写真集を用意できましたね」
「これでも、元の本業は出版だよ」
「でも、タマの耳とか尻尾まで」
「あれはもう、
西川氏は、隣で仕出し弁当のカマボコをはぐはぐと賞味しているタマに目をやり、
「猫は
「あなたの審美眼に敬意を表します」
タマはカマボコをはぐはぐしながら言った。
「お礼に、あなたのカマボコも食べてあげましょう」
いかに一級品とはいえ、今どき仕出し弁当のカマボコに執着する者は少ない。戦前の食生活が長かった超後期高齢者とか、江戸時代前から生きているタマくらいのものだろう。
タマの重箱には、たちまち西川氏のカマボコのみならず、俺やスタッフたちの献上したカマボコが小山を成した。
「んむ、苦しゅうない」
芸能関係のイベントにおいて、主役の御機嫌が麗しいのは、なによりありがたいのである。
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