3 デビューへのユルい道


 

 日本に帰国した後、時差ボケを引きずったまま七転八倒した結果、俺たちは、なんとか八月中にスタジオ通いを終えることができた。


 明けて九月頭の月曜日、暎子ちゃんはつつがなく夏休みの宿題を提出し、いっとき普通の小学生ライフに戻った。


 まあ、登下校中は常に変装した護衛の群れが見守っていたり、学校では級友から〔マジにこのいいんちょが、ネットで噂の巨大猫映画関係者なのだろうか〕と興味津々しんしんの視線を集めまくったり、自由研究に感動した全●組合員の教師から●産党への入党を強く奨められたりもしたらしいのだが、なにせ暎子ちゃん本人は独特のメンタルを誇る女児なので、そんなフシギちゃんライフを、悠々と楽しんでいるようだった。


「どうせ六年たったら専業主婦になって、すぐに子育てを始めるんですから、それまでは何があってもマクガフィンです」


 近頃の暎子ちゃんの、そんな口癖を聞くたびに、俺は内心〔せっかく十代の幼妻おさなづまをGETするんだから、子育てはちょっと先送りにして、せめて数年くらいは、ふたりだけの隠微いんびな世界に惑溺わくできしたいなあ〕とか思うのだが、結婚前に逃げられてしまっては元も子もないので、ただうんうんとうなずくばかりであった。


 マトリョーナは撮影終了後、いったん常磐邸を出て帝国ホテルのVIPルーム暮らしを始めたが、セルゲイの医療費の明細書が揃ったとたんに目の色を変え、退院したセルゲイともども、常磐老人の居候いそうろうに戻った。

 ロシアの官費暮らしが長かったせいで、自分たちの隠匿資産の円換算価値を見誤っていたらしい。


 俺たちが様子見を兼ねて遊びに行ったとき、セルゲイはマジに大型猫科動物の飼育係を志し、世界中の動物園から取り寄せた求人票を、懸命にチェックしていた。

 マトリョーナは、自前のノート・パソコンでぽちぽちとエクセルの家計簿をいじくりながら、かなり青ざめた顔でつぶやいた。

「……やっぱり、ツルマンの奥さんになろうかしら」


 どうやらロックチャイルド氏は、マトリョーナの実年齢を知ったとたんに、結婚を前提とした交際を申しこんだらしいのである。

 考えてみれば当然の話で、リアルタイムで手を触れることは生涯叶わぬと諦めていた生身の超美ロリが実は独身熟女であると知ったとき、発作的にプロポーズしないロリ親爺は、この世に存在しなかろう。


 タマは、あいかわらず(有)荒川プロモーション内と、その周囲約五百メートル圏内を縄張りとし、夜はたいがい俺の腹の上で寝ている。


 帰国当初、俺はタマが「今夜の晩餐は、バケツ一杯の生キャビアを所望します」とか言いだしそうな気がして戦々恐々としていたのだが、やはり根は和猫、毎日の食事はアジやシャケで満足らしく、おやつも身欠きニシンや猫用蒸しササミや、例のチャオちゅ~るを好んでいる。


 ある晩、いっしょに見ていたテレビの旅番組で、日本でもモノホンの高級生キャビアを生産している所があると知り、腹の上で丸くなっているタマに「食いたいか」と訊ねてみたら、こんな答が返った。


「にゃーにゃごにゃーにゃー、なーなーなー。にゃんにゃごにゃんのにゃんにゃーにょ、にゃんころりんのねこまたにゃん。なーなーみゃー、なおなおなーのねこまたにゃん」


 直訳すると、こうである。

『思えば、あれは危険な食物である。確かに未曾有みぞうの昂揚感を得られるのは確かだが、それはあくまで昂揚という名の自己喪失であって、猫又としての大事な本分を失ってしまう。本分を失った猫又ほど、哀れなものはない』

 四百年も猫又をやっていると、それなりの行動理念があるらしいのである。


「……ちなみに、その本分とは?」

「にゃんにゃごにゃんの、にゃんころりん」


 直訳すると、

『寝るより楽はなかりけり』


     *


 やがて九月の半ば、ハリウッドのサニー・ピクチャーズは、ようやく日米合作極秘企画の映像流出を正式に認め、英語圏での作品タイトルを公表した。


[ Cat Got Your Tongue ?]


 あちらで日常会話に使われる常套句じょうとうくを、まんまタイトルにしたわけである。

 翻訳小説や洋画の字幕で、会話の相手が不意に黙りこくってしまったとき、「どうしたの? 猫に舌を食いちぎられちゃった?」とか「猫に舌を取られちゃった?」とか、冗談半分にまぜっかえして言う、あのセリフである。

 映画の中身も、ちょっとホラーっぽいファンタジック・コメディーになる予定だから、ニュアンスとしてもぴったりで、さすがにあちらの業界人はセンスがいい。


 ほぼ同時に、日本側の共同製作会社である西川義樹事務所から、日本公開タイトルも公表された。

 近頃は、外国映画も元タイトルのまんま片仮名表記で日本公開するケースが多いが、さすがに[キャット・ゴット・ユア・タング ?]では語呂が悪いと思ったのだろう、日本側プロデューサー兼監督の西川氏は、一流コピー・ライターや、マーケティングのプロや、コミカライズを担当する売れっ子漫画家を集めて、侃々けんけん諤々がくがくの会議を繰り広げた結果、こんな邦題を採用した。


[たまたまタマ]


 いつかタマがアドリブで発した安直な駄洒落そのものだが、どうで中身は能天気な猫耳映画、俺もそこいらで順当だろうと思う。


 しかし、その程度のタイトルを決めるのに、

「さて一週間に渡る議論の末に、以下の五タイトルが最終候補に残った。[転生したら三毛猫だった件]、[君たちはどうモフるか]、[何猫]、[四百歳。なにがめでたい]、そして[たまたまタマ]――その中から、正式な邦題を決定したいと思う」

「僕は[たまたまタマ]が一番いいと思いますね。ストーリーの発端となる『偶然の出会い』のニュアンスも含んでいて内容に相応ふさわしいですし、メイン・キャラの名前をそのまま織りこむのも、タイトルの王道ですし」

「しかし発音に『たまたま』が入ると、いわゆる男性のキ●タマを表す幼児語『タマタマ』を連想させて、保護者サイドからクレームが入るのでは?」

「それは問題ないでしょう。過去のゲームや書籍でも[たまたま][タマたま][たまタマ]といったキン●マを連想させるネーミングは使用されていますが、とくにクレームを受けた事例はありません。むしろそれくらいリスクがあったほうが、話題性に繋がるのではないかと」

「しかし[たまたまタマ]だけでは、ポスターのビジュアルが弱い気もするな」

「ならばタイトル・ロゴを、アルファベットの[Tama・Tama・Tama]と組み合わせてデザインしてはどうでしょう」

「なるほど。確かにそのほうが、キンタ●のイメージも薄まるな」


 等々、大の大人が大真面目に議論を重ねたというのだから、つくづく御苦労様なことである。

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