第9章 未知との送迎
1 夏休みの宿題あるある
さて、イタリアの某地方新聞に載った三面記事によると、夏の避暑地の片隅で起こったレストラン爆発事故では、上階の事務所にいたオーナーと事務員に少数の負傷者や死者が出たものの、不幸中の幸い、一般従業員やお客にはひとりも怪我人が出なかった。
まあ実際には十人以上のアカミ、もとい武闘派の事務員も犠牲になったわけだが、みんな骨まで食い尽くされてしまったので、犠牲者の勘定には入っていない。
また、負傷したぶよんとしてしまりのない事務員たちは、担ぎ込まれたユダヤ系資本の病院からあっちこっちに転院してしまったため、現在の所在は曖昧になっている。
ちなみに他の大手マスコミは、自己責任による死者二名程度の爆発事故など、どこも報道しなかった。なにせ大都市では、一般人を狙った無差別テロや組織犯罪が珍しくない土地柄、他に報道するべきネタは日々てんこもりである。
唯一記事にしたその地方紙だって、地元の観光シーズンに水を差すような物騒な記事など載せたくなかったのだが、町中に響き渡った大音響と大閃光をシカトするわけにもいかず、渋々三面の隅にツッコんだのである。
それらマスコミの消極的な動きに、どこぞの陰謀力が絡んだりしていたのかどうか――そういった水面下の事情はとりあえずちょっとこっちに置いといて、
居抜きで買い取った新オーナーは金毛碧眼の美中年、新給仕長に就任したのはやっぱり金毛碧眼の美青年、どっちも水際だった男ぶりを遺憾なく発揮して、ぶよんとしてしまりのない旧経営陣や筋肉バカっぽい旧事務員が出入りしていたかつての汗臭い店舗イメージを一新、やがてはクールマイユールの三ツ星店として末長く繁盛したりするのだが、それもまた別の話である。
*
とまあ、アルプスの向こうのレストランが華々しく再オープンし、世界各地で謎の傭兵部隊が密かに大量の鬼畜をシマツしはじめた頃、アルプスのこっち側にいる俺たちの滞欧は、楽しかったんだかエラいことだったんだかよくわからないうちに、終わりを迎えつつあった。
ロックチャイルド側と常磐老人側の契約は無事に成立し、例の秋葉原騒乱の実行犯と称するハッカー集団がYOUTUBEで犯行表明、それを受けたハリウッドのサニー・ピクチャーズと東京の西川義樹事務所は、新VRシステムによる猫耳ファンタジー映画の製作発表に向けて、具体的な動きを進めている。
まあ、そこいらの算段は、そっち系のプロの方々に丸投げするとして――今現在、荒川プロモーションが直面している重大問題は、ズバリ、夏休みの宿題である。
暎子ちゃんの夏休みの宿題が、八月下旬に至っても、終わりそうにないのである。
小学校の新学期が始まるのは九月の頭だが、帰国後は秋葉原騒乱再現VR映像の残りを仕上げねばならず、暎子ちゃんも、そっちに専念せざるをえない。
幸い、暎子ちゃんは根っからのいいんちょタイプなので、各教科の決まりきったドリルなどは、訪欧前に全部済ませていた。
しかし、いつの時代も最後に残る強敵は、作文・読書感想文・自由研究・工作・図画といった、アナログでファジーなアレコレである。
あまつさえ、俺が通った小学校とは違い、作文と読書感想文はどっちかひとつでいいとか、工作と図画もどっちかでいいとか、そうしたユルさのない学校らしいのである。
そんなこんなで、明日が帰国という日にも、俺たちは朝から城館の一角のサンルームに集い、暎子ちゃんの宿題の残りを、せっせと分担でこなしていた。
作文は、暎子ちゃん自身が、今回の滞欧をネタに鋭意執筆中である。
これが昔の俺だったら、『成田空港は、すごくにぎやかでした』『ジュネーヴ空港も、たいへんにぎやかでした』『シャモニーの町は、とってもきれいで、ものすごくにぎやかでした』『アルプスの山の上は、すばらしくきれいで、そこそこにぎやかでした』とか、『きれい』と『にぎやか』だけで原稿用紙三枚は稼ぐところだが、暎子ちゃんは几帳面かつ独創的な
俺は、読書感想文を担当することになった。
今どきのいいんちょロリが[アンネの日記]を読んだら、どんな感想を抱くか――そんな想定で、テキスト・エディターをぽちぽちしている。
ロリがロリの日記の感想を書くという設定だから、完璧に役になりきる自信はあった。
自由研究は、富士崎さんが、憲法九条と護憲問題をテーマに作成中である。
なんぼなんでも女子小学生の宿題にそれはないだろうと思って、俺が暎子ちゃんに訊ねると、「それくらいカマしたほうが、私のキャラに合います」と、あっさりOKが出た。もしや学校では、日●組系のいいんちょだったりするのだろうか。
でもまあ、富士崎さんも右巻きっぽいわりには「憂国に左右の別なし! ただ
工作は、マトリョーナが引き受けてくれた。
紙粘土で器用に大中小のマトリョーシカ人形をこねあげ、鼻歌を歌いながら絵の具でちまちまと彩色している姿は、まるっきりロシアの女子小学生にしか見えず、こないだサブ・マシンガンを撃ちまくっていた雄姿が嘘のようだ。
非情なる戦士も、戦場を離れれば、やはり人の子なのである。
で、残る図画――これは字を書くのが苦手なタマが、率先して引き受けた。
タマの名誉のために補足すると、タマも四百年以上生きているから、読み書きや四則演算はひととおりこなせる。しかしこれが江戸時代あたりの読み書き
その点、水彩画の絵筆なら同じ毛筆だし、仮に古臭い水墨画になってしまったとしても、図画は図画である。
そう思って、俺もタマの志願を受け入れたわけだが――。
心配して横から覗くと、タマは机の上で三毛猫モードに縮小し、両前足の肉球を、パレットの絵の具にぺたぺたとなすりつけていた。
「……なにをしている」
「にゃにゅにゅにょにゃにゅにょ」
「……アブストラクト?」
「にみゃ」
「……そうか。
「にみゃあ!」
タマは画板に向かって前足を広げ、なんじゃやら昭和の大阪万博で太陽の塔をデザインした少々アレな大芸術家のように、ぎろりと目を剥いて、
「にぇーにゅにゅにゃ、にゃにゅにゃにゅにゃ!」
そう叫びながら絵筆を、いや肉球を荒々しく画用紙に叩きつけた。
「今のタマちゃん語、私にも解ったぞ」
田所巡査長が嬉しそうに言った。
「自分も解りましたよ」
椎名巡査も嬉しそうに言った。
それからふたりでハモって、
「『芸術は爆発だ!』」
俺は、そのとおり、とうなずいてあげた。
ふたりとも着実に、タマ語をマスターしつつある。
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