11 進撃の巨猫


 やがて眼下に広がりはじめたクールマイユールの街の灯は、シャモニーよりも小規模な観光地と聞いたとおり、賑やかななりに、素朴で民家的な建物の集う山里らしく見えた。


「あっちの小山の麓だ」

 俺が指示すると、タマはなんじゃやら「ぴゃあああ」とも「ぎゃあああ」ともつかぬ、猛禽類のような甲高い啼き声を発した。


 マトリョーナは心配そうに、

「いよいよ頭がおかしくなったのかしら」

「いや、ちゃんと『了解』っぽく聞こえた気がする」


 もともとタマの人外声は、相手の脳味噌に直接ニュアンスをつっこむ、そんな性質なのである。

 それにしても、なぜ「ぴぎゃあ」なのか解らない。


わしの物真似か?」

「ぴんぽ~ん! 大鷲のクロ!」

「……[神州天馬峡]かよ」

「ぴんぽんぴんぽ~ん!」

「古い。古いぞタマ」

 親父が東映時代劇のビデオでも見せたのだろうか。あるいは紙芝居屋が勝手にパクって、って回ったとか。


「いったいなんの話をしているの?」

「[神州天馬峡]は、日本の時代劇だ」

 原作は吉川英治、大正末期から昭和初期にかけて少年雑誌に連載された伝奇活劇小説である。

「ジダイゲキ――ニンジャやサムライの話ね」

「そんなようなもんだ。主人公が大鷲にまたがって、空を飛んだりする」

「……ぴったりじゃない」

「ぴぎゃあ!」


 タマは大鷲のクロなみに、効率的に飛ぶコツを覚えたらしく、水平飛行に移ってからもさほど羽ばたかず、滑るように宙を駆けた。


     *


 タブレット画面のカーナビ、いや猫ナビ画面に従って、クール・マイユールの中心市街からやや外れた、例のロシア料理店を目ざす。

 やがて、丘陵と木立に囲まれた三階建ての建物が、猫ナビ画面にドンピシャ重なった。


「――あれだな」

「ええ」


 チロル風とでもいうのだろうか、白川郷の合掌造りを倍に膨らませたようなシルエットである。冬の積雪に備えてか、屋根の勾配がきつい。おまけに茅葺きではなく西洋瓦だから、屋根にしがみつくのは難しそうだ。


「タマ、木立ギリギリの高度で周回してくれ。できるだけゆっくり、できるだけ静かにな」

しかと。それがし真面目しんめんもくをこそ、とくと御覧ぜられそうらわんずらめ」


 もはやタマがなんのつもりでいるのか、俺には理解できない。神州天馬峡からさらに時代を遡っている気がするが、とにかく楽しそうなのはなによりだ。


 悠々と旋回するタマの上から、マトリョーナが暗視対応双眼鏡で、建物をぐるりとチェックする。

「牧さんが調べてくれたとおりね。レストランとして使われているのは二階まで。たぶんイヴァニコフたちは三階に陣取ってる」


 事前情報だと三階は間仕切りのない屋根裏、白川郷の合掌造りなら養蚕場になっていたような広々とした空間のはずだが、現在どう使われているかまでは判らない。

 二階の窓の上に、やや平坦な大ぶりのひさしがあり、そこから三階の窓が覗けそうだった。


「あの上でいいかな?」

「ええ」

「タマ、あそこに下りろ。瓦屋根だから、足音には特に注意しろよ」

「らじゃー! らんど・おん・たーげっと! うぃすぱーもーど・まっくす!」

 いよいよなんだかよくわからない。


 そして、実際なんだかよくわからない翼使いを駆使し、タマは音もなく庇の上に舞い降りた。


 俺は、ヘリの富士崎さんに連絡を入れた。

「荒川です。二階の南側の庇に下りました。これから三階内部の映像を送ります」

『了解。くれぐれも慎重に』

「はい」


 俺とマトリョーナは腰をかがめて三階の窓に近づき、タブレットにケーブルで繋がった小型カメラを、窓の下端まで差し上げた。

 窓はブラインドで覆われているが、SRI謹製のピンホール・レンズは、些細な隙間からハイビジョン相当の映像を送ってよこす。


 モニターに室内の様子が映った。

「……うわ」

 俺は思わず呻いてしまった。

「ここは相撲すもう部屋の寮か」


 室内の按配あんばい自体は、どこの相撲部屋にも似ていない。予想どおり、悪質なシノギに励む国際ITマフィアの巣窟、そんな感じである。

 ただ、そこ詰めている男たちは、なぜか俺を遙かに凌ぐ、アンコ型の大デブばかりだった。

 無論、みんな裸ではないし、マワシを締めてもいない。しかし今どきの相撲部屋の新米たちは、まげを結う前の長髪にTシャツ姿でゴロゴロしていたりするから、やっぱりこんな感じなのである。


 横の壁の一面を占める多数の防犯カメラ映像をチェックしている大デブがふたりと、何やら管制通信傍受用らしい機器をチェックしている大デブがふたり。

 反対側には、数台のノートパソコンを相手に、たぶん顧客対応しているのではないかと思われる大デブが数人。

 そして奥には、大型サーバー・ラックの横で、三台ほどの液晶モニターを相手に各々のキーボードをぽこぽこといじくっている、システム担当らしい大デブが三人。

 そのいずれもの卓上には、コーラの二リットル・ボトルやポテチの大袋や、フライドチキンの大皿がどーんと置かれ、現在進行形で刻々と消費されつつある。


「……アカミがいない」

 タマが絶望的な声で嘆いた。

「アブラミばっかし……」


 現在のタマは、スフィンクス系の気高い顔立ちをしているだけに、その落胆した顔は、カタブツのモーゼにケンツクをくらったエジプト王妃のごとく悲愴であった。


 俺はマトリョーナに確認した。

「イヴァニコフとやらは?」

「いないようね。奥にドアがある。ボスや武闘派は、そっちにいるのかも」


 ならばそっちから出てこないで外に逃げちゃってほしい、と俺は願ったが、タマは新たな希望に瞳を光らせ、

「そっちにアカミ?」

「アカミはあとだ、タマ。飛びこんだら、まずあのドアを塞げ」

「でもアカミ」

「あとでゆっくり食わしてやるから」

「……指切りげんまんですよ」


 ヘリの富士崎さんが通信してきた。

『サーバー・ラックに無停電装置があるな』

「はい。奥の三人がそっちを仕切ってますね」

『ならば当初の予定どおり、オペレーターを排除してデータの消去やサーバーの破壊を避け、荒川君が正規の電源OFFを行い、データを温存した上でサーバー自体を確保――世界中の関係者を把握するには、それしかあるまい』

「了解しました」


「OK」

 マトリョーナは閃光音響弾スタン・グレネードを手にして、

「防弾ガラスだけど、タマ、破れる?」

「まかせなさい」

 タマは自信たっぷりに言った。

「私は土蔵の戸前さえ、頭突きで吹き飛ばす大怪猫」


「……なんぼなんでも、フカシすぎなんじゃないか?」

 戸前、つまり日本の土蔵のメインドアは、その厚みも重量もハンパではない。

「周りの壁ごと、突き崩すのがコツです」

 なるほど、タマほどの化け猫になると、扉や窓なんぞ、あってもなくても同じことなのだ。


 俺は富士崎さんに伝えた。

「これから突入します」

『了解。武運を祈る』

 俺たちは、レシーバーを防音モードに切り替えた。


 タマ用の耳栓も、どでかい猫耳に詰めこんでやり、

「よし、どつけ、タマ」

 もちろん聞こえはしないから、ぺん、と後ろ頭を叩いてやる。

 タマは、おもむろに頭突きの体勢に入った。


 せーのぉ――

 ――ごば!!


 なるほど、防弾ガラスはびくともしない代わり、窓枠全体が、周囲の壁ごと部屋の内側に弾け飛んだ。

 同時にマトリョーナが、手慣れたフォームで閃光音響弾スタン・グレネードを放りこむ。


 直後に生じる何百万カンデラの閃光を避け、俺たちは壁の大穴に背を向けてうずくまった。


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