9 時代考証はほどほどに


 龍造寺タマ様がちまちまぺろぺろしている間、俺はスマホをつるつるして、自分の記憶を再確認した。


 鍋島騒動とは、肥前の国、現在の佐賀県と長崎県あたりを舞台に、豊臣秀吉の時代に端を発し、徳川家康の時代に本番を迎えた、佐賀藩誕生をめぐる根深い権力闘争である。

 最終的には、もともと主君だった龍造寺家を、家臣の鍋島家がなんかいろいろ凌駕りょうがして、初代佐賀藩主の座に着いた。


 そうしたズブドロのお家騒動が起こると、判官贔屓ほうがんびいきの日本では、敗者の怨念が勝者に祟るという怪談話が、もれなくオマケでついてくる。

 鍋島騒動においては、龍造寺家の亡者連中がイマイチ迫力不足だったのか、その家の飼い猫が、堂々代打に立つことになった。それが鍋島猫騒動――今に伝わる怪猫伝説の代表格である。


 当然ながら、実在した鍋島家や龍造寺家のごたごたと、そこから派生した怪猫伝説と、その両方を混ぜこんだ創作物には、それぞれ大きな差異がある。

 しかし又七郎さんが非実在青年であり、実際に非業ひごうの死を遂げたのが高房たかふささんであることは、間違いないようだ。


 もちろん歴史書には猫など登場しないし、巷間こうかんの伝説でも怪猫自身の呼称は定かではないが、後世の芝居や講談や怪談映画では、たいがい龍造寺家の愛猫『たま』が、鍋島家に忍びこんで壮絶に化けまくっている。

『たま』自身にしてみれば、龍造寺家の誇り高きあるじとして、忠実な召使いを奪った宿敵に、きっちり白黒つけたというところか。


 うわ御主人様すげえ――俺は感服してしまった。

 思えばあの老婦人が見ていたMIBも、細部の造りこみがハンパではなかった。ロズウェル事件に関わった米軍が、CIAを通じて日本の内閣調査室に渡りをつけ、総理大臣の密命を受けた内調別班が、MIBの行動を密かに追跡したりしていた。

 基本のトンデモを細部のリアリティーでいかに糊塗するか、そこに正しい幻覚者としての資質が問われるなら、俺もまんざら捨てた狂人ものではない。


 とまあ、夢中でスマホをいじりながら我と我が身に感嘆していると、

「むー」

 隣の御主人様が、猫スープの最後のスティック袋をあぐあぐとしがみながら、ごきげん麗しからぬ声を発した。

前菜オードゥブルがなくなりました。おじさん、主菜プラ魚料理ポワソンを出しなさい」


 おお、おフランス方向も完璧だ。

 ここまでリアルな幻覚様には、俺も正しく名乗らねばなるまい。

「俺は太郎だ。荒川太郎。太郎と呼んでくれ」

 おまえは区役所の記入見本か、とツッコまれそうな姓名だが、本名なのだから仕方がない。


 すると御主人様は、やっぱり不機嫌そうに、

「セバスチャンがいいなあ」


 それがアルプスの少女ハイジ級のクラシックな召使いを意味しているのか、それとも近頃の黒っぽいイケメン執事なのか、新旧ともに親しい俺には判断できない。御主人様のファッションと同じ次元の謎である。


「太郎でがまんしろ。家に行けば、ちゃんと魚が出るぞ」

「お魚!」

 タマ様はこだわりのカケラもなく、俺の背中にがしがしよじ登り、肩車状態になって、びし、と前方を指さした。

「さあ太郎、お魚めざしてレッツラ・ゴー!」


 いやそれは猫のセリフじゃないぞ、と俺は思った。

 でもまあ同じ赤塚先生のキャラに猫のニャロメがいるから、ギリギリ許容範囲ということで。


     *


 幼稚園児くらいなら肩車するのも楽だろうが、(JS+JK)÷2だとさすがに重たい。

 しかし公共の場において幻覚を持ち運ぶには、うってつけの体勢である。

 猫と手を繋いでルンルン散歩したり、空気を優しく胸に抱いて歩いたりしたら、なんぼ「いや私、ちょっとひとりで散歩してるだけなんです。ひとりですよ、あくまで私」と主張しても、常人扱いされない恐れがある。


 また同時に、タマが「♪ おっ魚、おっ魚~~ ♪」などと、いいかげんなメロディーの魚賛歌を口ずさみながらむにむに体を揺する手応え、いや首応えは、常々ロリのまたがる自転車のサドルになりたいと願っていた俺にとって、なかなか得難い感触である。


 しかし――。

 我が家方向に遊歩道を遡るうち、その首筋の感触が、俺にはなんだか、とっても不可解なものに思えてきた。

 やたらむにむにするのみならず、予想以上に生暖かい。

 この蒸れ具合は、どうも布の感触ではない。猫皮でもない。まして空気の感触でもない。


「……おい、タマ」

「お魚?」

「いや、そうじゃなくて……あの……おまえ、パンツ穿いてるよな」

「パンツって何?」

「いやその……穿いてるだろう、ふつう。えと、その、スカートとかズボンの下に」

「あ、知ってる知ってる」

 知っていればいいという問題ではない。

「でも龍造寺さんちじゃ、男の人しか穿いてなかったよ」


 うわ時代考証がとっちらかってる――俺は愕然として棒立ちになった。

 いや、ウスラボケっと突っ立っているバヤイではない。

 とり急ぎ、人目につかない木立の陰に身を隠し、

「……下りろ」

「やだ」

 俺は両腕を上げて、タマの腰をつかんだ。

「いいから下りろ」

「やだやだやだ」


 ご存じの方も多かろうが、下僕の肩や膝でくつろいでいる尊大な御主人様を、下僕側の都合で無理に下ろそうとすると、しばしば下僕の体表に甚大な被害が及ぶ。

「あだだだだだだだ!」

 抵抗するタマを、ようやく地べたに据えたとき、俺の顔には無数の細傷が縦横斜めに走り、推定二十本以上の髪の毛がむしりとられていた。


「むー」

 ジト目で俺を見上げているタマ自身に、責任がないのは明らかである。

 俺の幻覚の不備なのだから、すべては俺のハンパな脳味噌が悪い。


 しかし、それでもやっぱり腑に落ちないのである。

 確かに俺は、ロリのまたがる自転車のサドルを常々憧憬していたが、力いっぱい自己弁護させてもらえば、望んでいたのは、あくまでロリのキュロットスカートやショートパンツの感触である。

 裸で自転車にまたがるロリを、俺の美意識は断じて容認しない。


 しかし――現にタマがパンツを穿いていない以上、もしや俺の深層心理は、ロリの裸チャリンコまで認めてしまうほど、腐りきっているのだろうか。


 俺は、自己の実存に関わる根源的な懐疑から目をそらすべく、虚ろな笑顔を浮かべて言った。

「……買ってやろう、パンツ」

 タマはそっけなく返した。

「いらない」

 俺は涙ぐみながら懇願した。

「お願いだから穿いてくれ」

「めんどくさい」


 あくまで乗り気薄のタマだったが、俺の頬をつたう熱い涙に気づくと、さすがに憐憫れんびんの情を浮かべ、

「――ま、いいか」

 ゴスロリ衣装の腰回りを、なんじゃやらぱふぱふと整えたのち、いきなりスカートをまくり上げた。

「はい、パンツ」


 俺は反射的に数歩、すざざざざと後ずさっていた。

 こ、これは……これはもはや……ふ●どし祭りの女児!


「違ーう!!」

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