7 閑話休題《あだしごとはさておき》


 コンビニ時代の常連さんに、外出中は常にMIBに監視されているという老婦人がいた。


 MIB、いわゆるメン・イン・ブラック――UFOや宇宙人の存在を一般市民に悟られてパニックが広がるのを防ぐために、政府が設けた秘密機関の回し者であるとか、いや、地球人になりすました宇宙人そのものであるとか諸説あるが、彼女を監視しているのは後者であった。


 顔見知りになって半年ほどたった頃、「あんたは秘密を守れそうな人だから」と、常ならぬ表情でそれを打ち明けられたとき、俺はてっきり軽いジョークだと思った。

 ふだんの彼女にアルツやデンパの兆候は皆無だったし、「ほら、今も五六人でこっちを見張ってるでしょ」などと耳打ちされて店の外を眺めても、黒ずくめの集団など、無論いるわけがない。

 だいたい、いつも渋い和服をきっちり着こなしている老婦人とMIBでは、あまりにミス・マッチである。


 しかしその後も老婦人は、店に俺と彼女しかいないときを見計らって、地球におけるUFOとMIBの活動状況を、晩のおかずのレシピのように微に入り細に入り報告してくれるのだった。

 俺もすなおに相槌あいづちを打っていた。

 SFなど無縁の老婦人が語る宇宙人地球侵略の実態は、妙に地道な生活感に溢れていてトンデモなりに面白かったし、何より老婦人の人品骨柄、とくに金離れが上等だったのである。


 聞けば、人混みに出るとドサクサにまぎれて何をされるか判らないので、ほとんどの買い物を、近所の個人商店やコンビニで済ませているらしい。

 そのくせ正月には、浅草寺の初詣はつもうで土産みやげを、店まで持ってきてくれたりもする。

 春には四国遍路土産みやげ、夏には伊勢参り土産みやげ、秋には奈良京都土産みやげをくれた。

 それぞれ大層な人出だったはずだが、神社仏閣は地球土着の精霊が頑張っているから、宇宙人も遠慮して出てこないのだそうだ。特に観音様が苦手らしい。


 閑話休題あだしごとはさておき――。


 いや、閑話ではない。

 俺もあの老婦人のように常識をわきまえた、秩序ある狂人にならねばならぬ。


 老婦人が見ていたMIBは、俺から見れば、ただの空気だった。

 ならば、これから俺がなんかいろいろお仕えしようとしているこのちっこい御主人様は、他人ひと様から見れば、そも何者であるか。

 湿気をはらんだ梅雨つゆどきの大気の一部にすぎないのか、衰弱した子猫か巨大人面猫又か、あるいは俺の認識どおり、猫耳の生えた黒ニーソのゴスロリ娘か――。

 肝腎のそこんとこが、狂ってしまった下僕には、判別できないのである。


 とりあえず空気?

 第二候補が、子猫あたり?

 それとも間を取って、空気っぽい子猫?


 うん。空気っぽい子猫にしとこう。

 そんな感じで世間を取りつくろいながら、このシヤワセな狂気の世界に、身を委ねるしかあるまい――。


     *


 空気猫、もとい御主人様は、ひとしきりごろごろと喉を鳴らしたのち、

「おなかすいた」

 猫らしくころりと気を変えて、とことこと元の茂みに分け入った。

「いい匂い」

 さっき俺が放り出した猫ミルクの皿を、四つん這いになって嘗めようとしている。


「お、おい」

 俺はあわてて紙皿を引っさらった。

 いかに正体は空気っぽい子猫であれ、俺の高貴なトリプルメダリストに、そんな食事マナーを許すわけにはいかない。


 四つん這いのまんま「むー」などとゴネている御主人様に、俺はコンビニ袋をちらつかせて見せた。

「こっちに、もっと旨いのがあるぞ」


 新人下僕の忠義をイマイチ信じきれないのか、御主人様は喉の奥から、さらに低い唸り声を発した。

「ぐぅうぅう」

 爪出し猫パンチの予兆である。


 俺はあわてて猫スープの外袋を破り、スティック状に小分けされた内袋の一本をつまみ出すと、

「ぷちっとな」

 御主人様の鼻先で袋の先端を開封し、粘液状の中身を、ちょっとだけ押し出した。

「むにっとな」

 思わせぶりに、その黄金こがね色の香ばしい粘液をちらつかせ、

「ほれほれ、ほれ」

「……うにゃあ!」


 この商品選択には自信がある。

 血統書付きの深窓猫から札付きのドラ猫まで、どんな猫でもにゃーにゃー鳴きまくりながらCMさながらに慕い寄ってくるという、無敵のトロトロスープである。

 実際、俺はこれを使って、荒川の河川敷に巣くっていた喧嘩けんか傷だらけのボス野良に、猫じゃ猫じゃを踊らせたことがある。


「ほれほれ、ほれほれ」

「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」

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