第8話 リベルタ王子のお屋敷

「──リス、ねぇ、イリスってば」


「あっ、えっ、リベルタ」


 私は我に返った。

 目の前に、思い出の中の少年リベルタではなく、大人になった王子リベルタがいた。


「イリス、どうした? 黙ってるのは、その──僕が変なことを言ったから?」

 

 いつもは堂々と、自信に満ちた態度でいるリベルタが、少しだけはにかんだように問いかけてくる。

 そうだった、私、リベルタに好きだって、ついさっき言われたばかりなんだった。

 私が9歳の時から、マラジージ先生のところにいたときから、私のこと好きだったって。

 私はただ、9歳の頃のことを思い返していただけなんだけど、リベルタはどうやら、自分の告白が、私の沈黙をもたらしたのだと思ったみたいだった。


「ううん、違うの、そんなことなくて別に──」


 別に、といってから私はなんて言おうかと困ってしまい、リベルタを見上げた。

 リベルタは、あっという間にいつも通りの表情に戻ると、そう、と言ってにこっと笑い、林の向こうの庭と、広いお屋敷を指した。


「ほら、ようやく僕の屋敷だ。とりあえず休もうか」



 ◆◆◆



 彼の広大な屋敷に案内され、すぐにリベルタは召使いたちに私を休ませるよういいつけ、軽食とお茶を出してくれた。ありがたく手を付け、リベルタの一室のふわふわのソファーでしばらく体を休めると、私は思いついて、ずっと頼みたかったことをリベルタにお願いしてみた。


「ねぇ、せっかくリベルタの家にきたのだから、ここにある図書館を拝見してもいいかしら? 第一王子リベルタ殿下のお屋敷には、珍しい魔道書の図書館があるのでしょう?」


 そう、第一王子のお屋敷……つまりリベルタの屋敷には、珍しい魔道書がたくさんあるという話は貴族の間で有名だ。たまにマラジージ先生が来る、なんて話も聞いている。


「今日あんなことがあった後でも、相変わらず君は魔法の虫だな」


 リベルタはあきれたように苦笑いし、本人直々に別棟にある図書館まで案内してくれた。



 ◆◆◆



「この図書館は僕の許可がなければだれも入れないし、僕しか鍵を持っていない」


 少し自慢げにいいつつ、リベルタは離れにある大きな建物に私を案内すると、扉の鍵をあけてくれた。

 その図書館は、素晴らしいものだった。


 広い。それだけじゃない。見たことのない本が、どこまでもある。私の背丈の5倍はあろうかという本棚が、壁という壁にいっぱいに並んでいた。

 どうしよう、わくわくする!


「ちょっと読んでもいいかしら?」


「もちろん」


 リベルタの返答に、私は本をとるための備え付けられているハシゴを動かして、目当ての本棚にすえつけ、それに昇る。


「イリス、僕が」


「大丈夫よ、心配しないで」


 といいつつ私はハシゴを上った。すごく楽しい。私は高いところ、嫌いじゃないのよね。地上3メートルくらいまでのぼると、目当ての本に手が届きそう。とりあえず、ハシゴに足をかけ私は本に手を伸ばした。


 それは私がまだ読んだことのない本で、読んでみたいと思っていた古代の魔術師の名を冠した本だった。


『アデネイラの選定書』


 そう書いてある背表紙に手を伸ばして取る。少しだけバランスを崩して、スカートの裾がめくれてしまった。そのとたん、リベルタの鋭い声が響いたのだ。


「イリスっ!」


「あ、ああリベルタ、ごめんなさいお行儀が悪くて」


 私は自分の格好をたしなめられたのだと思い、照れながら謝罪する。

 リベルタは焦ったように首を振った。


「違う手を離せ! 本だ! 本を手放せ!」


「え?」


 リベルタの切羽詰まった声、そして、私の手首を、がっしりとつかまれたような痛み。私は思わず自分の手にした本を見た。本からは、黒い腕がのび、私の手首をつかんでいたのだ。


 私は悲鳴とともに、本を勢いよく振り払った。

 しかし、魔術書から伸びた腕は、決して離すまいと思ったのか思わないのかはわからないが、しっかと私をつかんだまま離さない。


 本を引き離そうと、私は数度、思いっきり腕を振った。ぐらっ、という不穏な感覚。自分の体の重心がかしぐ。


 リベルタが青い顔で私に駆け寄り、しかし私は再度の悲鳴と共に、バランスを崩してハシゴから転げ落ちたのだった。

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