第92話 「あらー? この黒い霧。何なのかしら?」
「こんなカスどもがオレの右目をよお?! 発動。暗黒の霧。世界を闇に染め上げろ!」
グラサン男が右手を前に突き出すと同時、手の平を噴き出す暗黒の霧によりダンジョン内、周囲一面が暗闇に染め上げられていく。
「あらー? この黒い霧。何なのかしら?」
自身に迫り来る暗黒の霧。子犬たちを庇うべく男たちに相対する美代子だが、片手を伸ばして霧に触れるその瞬間。
「!?」
指先に走る激痛。さらには頭痛生理痛めまいに倦怠感。目はかすれ耳は聞こえづらく喉はカラカラに乾いていく。このまま黒い霧に全身が飲み込まれては危ない。逃げなければと思うが、その身体はまるで麻痺したかのように動かない。
「にゃん!」
そんな折。絶体絶命の美代子に飛びつく三毛猫ニャン太郎。口で襟首を引っ張り後ろに引き倒す。
ドサリ。地面に倒れたおかげで黒い霧を抜け出た美代子。すかさず白ハト白姫様が飛び乗るとその羽を羽ばたかせる。
「ヒールッポー」
美代子の胸元に落ちる白い羽。
「はっ!? お母さん……いったい何を?!」
一瞬にしてクリアになる思考。身体の痛みや倦怠感は消え、視界は良好。
「にゃー!」
美代子を急かせる鳴き声に地面を起き上がると、迫り来る暗黒の霧から逃がれるようダンジョン内を走り逃げ出した。
「んだあ? あの女……オレの暗黒の霧を受けて何で動けやがる?」
「どうやらすでにDジョブを取得しているようだな」
「それより問題はあの白ハトだ。何だあの魔法は?」
「ただの治療魔法ではないな」
グラサン暗黒魔導士のLVは25。暗黒の霧に含まれる状態異常は(五感異常、全能力減少、毒、腐食、MP減少、MP蒸発、恐怖、麻痺、睡眠、混乱、放心、封印、暗黒火傷、闇光火水耐性減少)と多種多彩。それが一瞬にして全て消去されたのだから驚くのも無理はない。
「どうする? この後はダンジョンの出口を見つけ、モンスターを外へ追い出すという手筈だが?」
「そんなん決まっとるやろ! 逃げた女と畜生どもをぶっ殺すんや!」
「そう言うとは思ったが……分かった。俺が残り出口を探しておこう。女と動物の始末はお前たちに任せる」
頷く5人の男たち。1人を残し、4人は逃げる美代子とペットを追いかけ走り出した。
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自宅ダンジョン地下1階。先導する白猫ニャン子に続いて走る美代子の姿。すでに四十路も近いとあって、すぐに息切れするかと思えたが。
「ハア。ハア。意外と走れるものねえ。もしかしてお母さん、まだまだ若いのかしら?」
残念ながら若くなく、追いかけるのはエ連の誇る精鋭工作員。
「おらおら! 待てやババア!」
「あの女。昨日今日Dジョブに目覚めたにしては速いな」
お互いの距離は徐々に縮まり追いつかれるその寸前。
「にゃん!」
「なんだこの猫は?」
「まさか俺たちを足止めしようというのか?」
「その度胸は買うが、わずか1匹ではな……」
「待て! うかつに近づくんやない!」
追いかける4人の男たちの内、不用意に前に出る男が1人。
「にゃん!」
EXスキル:Gダッシュで一瞬にして距離を詰めるニャン太郎。すれ違いざまに爪でひっかきその足首。アキレス腱を切断する。
「ぎゃー! 俺のアキレス腱がー!?」
「早い!? この猫。ただの猫ではないぞ?!」
「へっ。だから言ったろ?」
「分析は後だ。まずは身体を動かせ!」
地面に倒れる男。そのまま喉笛を掻き切らんと迫るニャン太郎だが、盾を構える男が巧みに割って入り、以降の追撃が防がれる。
「ま、おめーの仇はオレがとってやっからよお……発動。暗黒の霧!」
盾を構える男に手間取るその間、グラサン男の掲げる右手を発する暗黒の霧がニャン太郎の周囲を取り囲んでいた。
「あら? あれでは三毛猫ちゃんが危ないのではないかしら……?」
身をもって暗黒の霧の危険性を知る美代子。走る足を止めニャン太郎を振り返るが。
「にゃー!」
先頭を走る白猫ニャン子の急かせる声に、慌てて足を動かし走り出す。
「この猫畜生が……よくも俺のアキレス腱を!」
アキレス腱を切断され倒れる男が懐からポーションを取り出し傷を癒すと、暗黒の霧に巻かれるニャン太郎に向けて青筋立てて武器を振り上げる。
「なー」
その様子に美代子たちが逃げるのを見届けた黒猫ニャン花。霧に囚われたニャン太郎を助けようというのか、暗黒の霧の只中へ走り消えて行った。
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白猫ニャン子に先導される美代子は階段を駆け下りていつの間にか地下2階。草原の広がる広場へやって来ていた。
「三毛猫ちゃんと黒猫ちゃん大丈夫かしら……って、あら? こんな草原にポツンと何かの建物が? これはダンボールハウスとキャンプ用テントかしら?」
さすがに息を切らせて駆け込む美代子。ペットたちと共にキャンプ用テントへ入り息をつく。
「まあ? このテント。中にクッションが置いてあるけど……これイモちゃんの部屋にあった物。これ、あの子たちが作ったテントなのね」
だが、テントに入り息つく暇もない。
「クソが! 猫畜生にやられたアキレス腱を治療するのにAランクポーションを使っちまったぜ」
「それにしてもあの女とペットども……何処へ行った?」
「任せておけ。俺のDジョブはSSRの超盗賊。逃げる獲物の足跡をたどるなど朝飯前だ」
ニャン太郎とニャン花はどうなったのか? 草原広場に工作員の男が4人。その姿を現していた。
「足跡の続く先だが……あれだな」
「なんだ?。あのテントとダンボールハウスは?」
「あのような貧相なテントに隠れてどうするつもりだ?」
「恐怖で頭イカれちまったんやろ。おらおらいくぜ! 暗黒の霧。発動や!」
美代子たちの隠れ潜むテントに向けて暗黒の霧が迫り来る。
その様子に白ハト白姫様はMPポーションのビンにくちばしを突っ込みゴクゴク飲み干すと。
「ヒールッポー」
バサバサ羽ばたき舞い散る白い羽。聖なるヒールの魔力がテントに充満。さしずめ暗黒の霧を寄せ付けない聖なる領域と化していた。
「なんやあのテント? オレの暗黒の霧を弾きよる!?」
「ふむ……やるな」
「ふん。それなら物理的にテントを壊せば良いだけだ」
テントを切り裂かんと剣を構え迫るのはDジョブSSRの超剣士。
「ここは俺が行く。アキレス腱の恨み! 超・スラッ……」
だが、超剣士がスキルを発動するその直前。
「クルッポー!」
弾丸のようにテントを飛び出る1羽の影はハトサブロー。
ズバーン
「ぐあー! 腕が! 腕の腱を切られたー!」
すれ違いざまに超剣士の腕を切り裂きUターン。即座にテントへ帰還する。
「あれはオレの右目をえぐったクソ鳥!? なんで暗黒の霧の中を飛べるんや?!」
触れれば状態異常となる暗黒の霧だが、わずかの時間であれば耐えられる。例えるなら水の中、肺いっぱいに酸素を吸い込み潜るなら、しばらくは行動可能というわけで。
その酸素に該当するのがテントに充満する白姫様の聖なるヒール。
「にゃー!」「にゃーん!」
白猫ニャン子とキジトラニャン美の2匹。もふもふの体毛に聖なるヒールを蓄えテントを駆け出すと、大剣を取り落とす超剣士へ向かい一直線。
ズバーン×2
治療したばかりのアキレス腱を切り裂き、その足首を斬り落とした。
「
バランスを崩し地面に倒れる超剣士の姿。
「わんわん!」×3
これまで守られ逃げるばかりであった子犬3匹がテントを飛び出すと。
ガブリ×3。首へと噛みつき止めとした。
素早くテントへ帰還する猫2匹と子犬3匹。つまりは白姫様の鎮座するテントを拠点にしたヒット&アウェイが、今の局面を乗り切る勝機となる。
「凄いわ! って、人が死んで喜んで良いのかしら……? いえ。駄目よ。こんな時こそお母さんが褒めてあげないと……凄いわみんな!」
戻るペットたちを全力で良い子良い子する美代子。特にまだ子犬の3匹を捕まえ思いっきりなでなでする美代子の手は、不思議な光を放ち始めていた。
「まさか……? SSRの超剣士が……?」
「野郎! お前ら油断してんじゃねーぞ!」
「ふん。どうやら本腰を入れる必要があるようだ」
追いかける4人のうち1人を倒して残るは3人。今度は暗黒の霧を操るグラサン男を仕留めるべく、再びテントを飛び出すハトサブロー。
「クルッポー!」
弾丸のようにグラサン男の顔面へくちばしが突き刺さる。その直前。
ガシーン。
盾を構える男が割り込み、ハトサブローのくちばしを受け止めた。
「ふん。俺のDジョブはSSRの聖騎士。守りに関して俺の右にでるジョブは存在しない」
カキーン。盾に弾かれた衝撃で地面に落ちるハトサブロー。
「よっしゃハラショー! ようやったで!」
グラサン男が素早く近寄りその身体を踏みつけると。
「おらおら暗黒の霧じゃい! オレの目の仇! 死ねやこのクソ鳥が!」
「クルッポー!?」
地面で身動きの出来ないハトサブローに向けて暗黒の霧を放出する。
足を止めてはヒット&アウェイは台無し。もしも羽毛の下に蓄えた聖なるヒールが尽きては状態異常の霧の只中、ハトサブローは死亡するだろう。
「にゃー!」「にゃーん!」
その様子にニャン子とニャン美の2匹が慌ててテントを駆けだした。
眼前の敵は3人とはいえ、その全員がSSRのDジョブを持つ精鋭たち。
いや。実のところ今回、自宅ダンジョンへ侵入するべくヴィクトロビチが用意した10人全員がSSRのDジョブを持つエリートたち。相手の油断からたまたま1人倒せただけ。元々が寄せ集めの野良ペットたちだけで敵う相手ではないのであった。
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公立究明高校 2年教室
今は数学の授業中。先生が黒板に書く公式についてせっせとノートに書き写す俺であったが、クラスの全員が真面目に授業を受けるわけではない。
数学は積み重ね。すでに授業に付いていけなくなったのだろう。窓際の席に座るクラスメイトは退屈そうにグラウンドを眺めるが、突然、何かに気づいたように声を上げる。
「おいおい! グラウンドに野良猫が入り込んできてるぜ!」
「マジでー?」
「どこどこー?」
校内に野良犬や野良猫が入り込むといったイベント。退屈な授業に飽き飽きしている学生が食いつかないはずもなく、多くの生徒が野良猫を見ようと席を立ち上がり窓から顔を出していた。
「やれやれ。すでに季節は高校2年の夏。今から大学受験に備え勉強しなければならないというのに、たかが迷い込む猫畜生のいったい何が珍しいのか……」
そんなクラスメイトの騒動にも我関せず。公式を頭に入れるべくノートに書き写した内容を見つめる俺であったが……
「あれ? あの猫。怪我してるやん!」
「マジで? 三毛猫ちゃん。どこで怪我したんやろ?」
「にゃんにゃん鳴いて、まるで誰か探してるみたい」
「可哀そう。誰か捕まえて動物病院へ連れて行ってあげて」
怪我した三毛猫という言葉に俺は顔を上げる。
そういえば我が家にも三毛猫がいる。しかもダンジョンに住みつくという、いつ怪我しても不思議でない三毛猫が。
まあ、関係ないだろうとは思うが……一度気になったからには確認しないわけにもいかず、念のため見ておくかと席を立ち上がり窓から顔を出すならば。
「……にゃん」
ふらふらグラウンドを横切り校舎へ近づこうとする三毛猫の姿は、まぎれもないニャン太郎。
「えー。みなさん。野良猫が珍しいのは分かりますが、保健所に連絡しましたので間もなく殺処分のため職員の方が来てくださります。さあ、授業に戻りますから席に着いて……って! ちょっと! 城くん? どこへ行くのですか!?」
ガラリ。学生鞄を手にドアを開け教室を飛び出す俺は階段を飛び降り上履きのままグラウンドへ。
「けっ! たかが野良猫が保健所に頼むまでもねえ! グラウンドは神聖なる俺の職場。体育教師の俺が処分してやんよ!」
ふらふら校舎を目指すニャン太郎を叩きのめすべく竹刀を振り回す体育教師だが。
「待った! そいつは我が家の飼い猫ニャン太郎! 野良ではないのだから処分しては器物損壊罪。犯罪となる!」
俺は体育教師の前に割って入ると、手にする学生鞄で竹刀を受け止める。
「んだよ。生徒の飼い猫かよ。飼い猫なら首輪くらいしとけっての」
ぶつぶつ呟き立ち去る体育教師。職場を守らんとする意気込みは立派であるが、例え野良であっても虐待しては動物愛護法違反。どちらにしろ犯罪となるため駄目である。
「ニャン太郎。大丈夫か? 何があった?」
「……にゃん」
猫だけに何を言っているのか分からないが、鋭利な刃物で切られたその傷痕。苦しそうに咳き込むその様子。ぼろぼろとなった身体が物語るのは、自宅ダンジョンにトラブルがあったというその証拠。
俺は手早くスマホを取り出しイモに電話する。
「はーい。イモでーす。おかけになった番号は、現在、出ることが出来ません。ピーという発信音の後にメッセージをお願いします」
今の時間はイモも学校で授業中。マナーモードで留守番電話となるのも当然か……
「ちょっと。城さん。何ごとですわ?」
いきなり教室を飛び出した俺を心配したのだろう加志摩さん。俺は手早くイモへの留守番メッセージを吹き込むと。
「加志摩さん。すまないがニャン太郎をタクシーに乗せ、俺の家まで運んでもらえないだろうか? タクシー代は後ほど払う」
従来なら動物病院へ連れて行くべき大怪我なのだが、今はダンジョンのある時代。なるべく揺らさないよう自宅へ運び、ポーションなり魔法なりで治療するのが最も確実な治療となる。
「ええ。それは構わないですが、この猫。ダンジョンにいた猫ですわよね? それが怪我しているということは……」
「ああ。自宅ダンジョンに何かあったと考えるのが妥当だろう。俺は早退。急ぎ自宅へ帰るのでニャン太郎のことをお願いする」
優しく抱き上げるニャン太郎を加志摩さんに託した俺は下駄箱へ。靴に履き替え、玄関を飛び出ようとするその眼前。
「ちょっと待つっしょ! ここで城っちに帰られたら計画がだだ崩れ。それに今は授業中なんだから授業をサボるなんて不良な真似。先生が許してもあーしが許さな……」
ドカン
何やら俺の前に立ちはだかる佐迫さんだが、さすがに今は相手する余裕はない。日大タックルで吹き飛ばした俺は勢いそのまま自宅へ向けて駆け出すのであった。
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