・3-5 第18話 「熱を出した子供」

 そこにいたのは茶色の短髪に優しそうな印象の双眸を持つ、恰幅の良い口髭を生やした商人の男性だった。

 一目で商人だと判断したのは、その服装と身体つきのためだ。

 一般的な庶民というのは質素な衣装を身につけていて、痩せている。このフルーメンの街は河川港の街だから、日に焼けていたり、筋肉がたくましかったりと肉体労働に従事している者が多いが、今目の前にいる男性のようにふっくらしていることはない。

 身なりに気を使うことができるだけでなく、太ることができるのは、一部のお金持ち。貴族か、成功を収めている商人しかいない。

 キアラは記憶力の良い方だったが、その男性商人には見覚えがなかった。

 ———どうにも、切羽詰まっている様子だ。

 温厚そうな人物だったが、今は表情も険しく、真剣で食い入るような視線でこちらを見つめてきている。顔中に汗が浮かび、少し呼吸も荒くなっていた。


「あの……、どういったご用件でしょうか? 」


 キアラは彼の様子に気圧され、自分を圧倒する体躯の持ち主の興奮気味な様子に恐怖を覚えながらも、なんとか愛想笑いを浮かべて見せる。


≪キアラ。なにかあれば、逃げ出せ。すぐに我が助けに行く≫


 その時、彼女の怯えを感じ取ったのか、人々からは気づかれないような高空からずっと見守ってくれていたフェリクスの声が頭の中に響く。


(そう……、そうだったわ! 私には、フェリクスがいてくれる)


 なんとも頼もしいと思った。

 もし目の前にいる男性がこちらに害意を持っていたとしても、少し時間を稼げばすぐにドラゴンが助けに来てくれる。

 人々を大混乱に陥れ、もう二度とこの街には出入りできなくなってしまうかもしれないが、簡単に逃げ出すことができるだろう。


「あの、お嬢さん! 貴女は、薬を売っておいででしたよね!? うちの使用人から聞いたんです、最近、新しく薬を売りに出した人がいるって! 」


 安心して立ち上がり男性を前にして向き直ったキアラに、その商人は切迫した口調で必死に問いかけてきた。


「実は、私の息子のパオロがっ! 小さなパオロが、熱を出してもう何日も苦しんでいるのです! しかも、高熱でして! 日に日に弱っていくのです! 医師に診てもらったところはただの風邪なんだそうで、薬を飲ませて熱を抑え、栄養を取らせてしっかりと休養させればなんともない、ということだったのですが、市場で売っていた薬を飲ませてみても少しも効き目がなくて! もう、どうしたらいいのか! お願いです、なにか、良い薬はありませんか!? 」


 どうやらこの人物は、本当に[薬草師]の客であったようだ。

 彼の鬼気迫る様相は、熱を出した息子を救うために必死になっていたからであるらしい。


(きっと、効き目のない薬を使ったんだわ……)


 キアラにはすぐにピンと来た。

 業者が作る粗製乱造された薬は、まったく効果がないというわけでもないのだが、軽い症状程度ならばなんとかなっても深刻化してしまった場合には使っても意味がない。

 だが、———自分が作った薬ならば。


「でしたら、こちらが効くと思います」


 薬草師はバッグの中にしまっていた粉薬の包みを取り出し、商人に手渡した。

 ただの風邪薬だったが、医師の見立てによればパオロという子供は熱を抑えさせしっかりと休養させれば助かるということだったので、これを飲ませれば解決するはずだ。


「お、おおおっ! ありがとう! ありがとうございます! 」


 男性商人はほっとして表情をほころばせ、目尻に涙を浮かべながら何度も頭を下げ、感謝の言葉をくり返した。

 そしてそのまま、慌ただしく、膨れた腹をぼよんぼよん揺らしながら駆け去ってしまう。

 代金を受け取っていない。

 どうやら息子のことがあまりにも心配で、すっかり支払いを忘れてしまったらしかった。


「あっ! ちょっとっ!! 」


 慌てて呼び止めるが、商人は振り返りもせずに行ってしまった。きっと頭の中がいっぱいで、周りのことなど分からなくなっているのだろう。

 キアラは、追いかけなかった。

 今からでは追いつけないと思ったし、なにより、これで一人の子供が助かるのならば、それはそれでいいかと思い直したのだ。

 だからキアラは肩をすくめて微笑むと、露店の店じまいを再開した。

 ———薬の代金を踏み倒していった太っちょと再会したのは、意外に早かった。


「お願いしますっ! お願いします! 私(わたくし)と一緒に、来てください! 」


 すっかり店じまいを終え、礼によって市場を巡回している徴税官に納税を済ませてから帰路についた薬草師の前にまた、切羽詰まった様子の商人があらわれた。


「えっ? い、いったい、どうされたんですか? 」


 その慌ただしい様子にたじろぎつつも、そうたずねずにはいられない。

 まさか、渡した薬になにか問題でもあったのあろうかと、ちらりと不安がよぎる。


「そ、それが! いただいた薬をパオロに飲ませようとしたのですが、その、吐き出してしまって! どうやら体力を消耗してしまっていて、飲み込めないようなんです! なんとか! なんとかなりませんかッ!? なにか、いい方法は!? パオロを助ける方法をご存じありませんか!? 」


 太い腕でガッシとキアラの両肩をつかむと、彼はゆっさゆっさと激しく前後に揺さぶる。

 くらくらとするが、その必死さも痛いほどに伝わって来た。


「ま、待って、下さいっ! 考えますッ、今、考えますから! 」


 このままではうまく思考できないためそう言うと、商人は薬草師から手を離してくれた。

 そしてそのまま崩れ落ちるようにその場に跪き、両手を顔の前で組み合わせながら「お願いします……! お願いします……! 」と、懇願し始める。


「と、とにかく、息子さんのところに連れて行っていただけませんか? 実際にどんな具合か確かめてみれば、なにか、方法を思いつくかもしれません」


 衰弱した子供にどうやって粉薬を飲ませればいいのか、いいアイデアはなかったが、キアラはそう言っていた。

 息子のことを心から心配している父親を見捨てることなどできなかったからだ。

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