・3-6 第19話 「シロップと風邪薬」

 パオロという名の息子を救うためにキアラの前にあらわれた恰幅の良い男性。

 彼はやはり商人で、マリオ・マルコーニという名の人物だった。

 けっこう、やり手であるらしい。

 彼は自身の名を冠した[マルコーニ商会]を一代で築き上げた。フルーメンの街に本店を持ち、いくつかの街に支店を出し、交易を行っているのだそうだ。

 なかなか羽振りがいい。

 マルコーニ商会の本拠地ともなる店は凝った意匠と贅沢な装飾をあしらった外見で、規模も大きく、これまでキアラも何度か前を通って「すごいお店があるなぁ」とその度に感心し、呆れ、少し不快に思っていたほどだ。

 あまり外見を派手にするのは「儲かっているぞ」と見せびらかしているようで、下品だと感じていたのだ。

 しかし、店の裏側、マリオが家族や使用人たちと共に暮らしている屋敷に入ると、正面の店の印象は商売のための演出、一種の宣伝に過ぎないのだと理解することができた。

 生活空間には一転して無駄な装飾がほとんどなく、落ち着いた内装で統一され、快適に暮らせることを重視した造りになっていた。

 もちろん、大金がかかっていることは間違いないのだが、清潔感があって清々しい心地になる良い家だ。

 普段は明るい雰囲気に包まれているのであろうその場所は、しかし、今は重苦しい。

 マルコーニ商会の主の息子、つまりは将来の経営者が風邪をこじらせ、高熱に苦しみ、このままでは命も危ない、という状態なのだ。

 マリオは人柄が温厚で慕われているらしく、すれ違う使用人たちはみんな心から彼に同情し、パオロのことを心配している様子だった。

 屋敷に案内されたキアラはまず、自分に容態を確かめさせて欲しいと願った。

 しかし、それは叶えられなかった。


「薬草師、ですって!? なんでそんな怪しい[魔女]を連れてきたのっ!? 」


 マリオの妻でありパオロの母親でもあるカテリーナ・マルコーニがそう金切り声で叫び、激しく反対したからだ。

 ———どうやら、夫はあまり薬草師という存在に対して偏見を持ってはいないらしいのだが、彼女はそうではないらしい。

 世の中の大多数の人々と同様に、薬草師というのは怪しげな術を使い、暴利を貪る[悪]なのだという偏見を持っている。

 マリオがなだめてくれなかったら、手に持った箒でキアラは叩き出されてしまうところだった。


「お、落ち着いて、カテリーナ! ほら、彼女の手を見てごらん、薬草の臭いがプンプン、漂ってくるほどじゃないか! 私(わたくし)は昔、商売で薬草師と取引をしたことがあったのだが、その時もらった薬の効き目は本当に凄かった! 市場に出回っている薬では治せなかった病気や怪我が、どんどん治って行くんだ! 本物の薬草師が作った薬というのは、凄い効き目なんだ。だからほら、きっと、この薬草師さんの薬を飲めば、パオロも元気になるはずだよ」

「でも、怪しげな呪術を使って作る薬なんでしょう!? そんなものを飲ませて、パオロが呪われでもしたら、どうするんですか!? 」


 カテリーナは偏見を元にキアラのことを否定したが、子供を愛する良い母親であった。

 後でマリオから聞いた話だったが、彼女はここ何日もつきっきりで子供の看病をしており、ロクに寝ることもできていなかったらしい。

 その目元にはくっきりと隈ができており、普段は美しく整えられているはずの栗色の髪はボサボサで荒れ、全身から疲労がありありと滲み出てきている。

 ここまでヒステリックに薬草師のことをなじるのも、彼女が信じている迷信のためだけではなく、その疲労せいなのかもしれなかった。


「もし、私の薬が効かなかったら……、その時は、煮るなり焼くなり、どうとでもなさっていただいて結構です」


 酷く扱われはしたものの、キアラはなんとか、この家族を助けてあげたいと思った。

 自分がどんなにそしられようとも、一人の子供を救うことに比べれば些細なことに違いないと、そう思ったからだ。

 本心からパオロのことを心配し、跪き、真摯な視線でそう申し出ると、カテリーナにもその気持ちが伝わったのか、彼女もようやく薬草師を愛する息子が病と闘っている部屋へと通すことを認めてくれた。


(すごい、熱……。なんて、かわいそうに! )


 さっそくパオロの額に手を当てて熱を測ったキアラは、その深刻さを痛感していた。

 触ったら火傷しそうなほどに、熱い。

 まだ十歳だという男の子は部屋に見知らぬ人が入ってきたことにも気づかない様子で全身から汗を流しながら荒い呼吸をくり返しており、危険な状態なのは誰の目にも明らかだった。

 昨日はまだ意識があって、食べ物をドロドロに煮溶かしたスープを少し口にできていたらしい。

 しかし今日になってから症状が悪化し、呼びかけても返事をしないし、食べ物も口にできず、水をなんとか飲めるだけ、という状態に陥っていた。

 マリオが呼んだ医師によれば、今日が峠なのだそうだ。このまま熱が引くまで生きていられれば助かるし、そうでなければ……、という容態だった。


(なんとか、私の薬さえ飲んでもらえれば……! )


 キアラはパオロの額に冷たい水を絞ったタオルを乗せてやり、その髪を優しくなでながら、必死に考えていた。

 水はなんとか飲めるが、固形物は無理。ドロドロの液体でさえ喉を通らない。

 先に渡した粉薬も、口に含むなり吐き出してしまったという。

 おそらく体力を消耗したために粉っぽいものを飲み込めないだけでなく、その味も、幼い子供には良くないのだろう。

 良薬口に苦しというが、キアラの薬は抜群に、苦い。

 ———薬草師は自分の自慢の薬が入っているバッグから、粉薬と共に、売れ残っていたシロップの入ったビンも取り出していた。

 なんとか水が飲めるというのなら、粉薬を溶かせば飲み込めるのではないか。

 子供には苦すぎて嫌な味も、シロップで甘くすれば、なんとか我慢してくれるのではないか。

 それに、シロップは食べ物でもあるから、少しは栄養になって、パオロの体力を熱が下がるまで持たせてくれるかもしれない。

 マリオに頼んで水や器、スプーンなどを用意してもらったキアラは手早く、だが丁寧に水と薬とシロップを混ぜ合わせると、少しずつ苦しんでいる子供の口に運んでやった。

 パオロは、それを、———飲み込んでくれた。

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