・3-3 第16話 「困ったわ」

 せっかく、腕によりをかけて作ったのに。

 キアラは自分が調合した薬がちっとも売れなかったことにすっかり落胆して、残った商品をバッグに詰め直し、市場で商人たちから売り上げに応じて税を徴収している役人に今日の売り上げを申告して税を納めてから、トボトボとした足取りで帰路についた。

 上流側に向かう街道を進み、途中、細い枝道に分け入って、森の中に入っていく。

 その先に川が雨で増水した時にできたらしい広い河原があり、そこでいつもフェリクスと合流することになっている。

 人々を恐れさせないためにひっそりと行動し、飛び立ってからもしばらくの間は超低空飛行をして、古城と行き来するようにしているのだ。


≪キアラ。浮かない様子だが、なにか、よくないことがあったのか? 空からは、分からなかったが……≫


 ゴロゴロと丸い石が敷き詰められている河川敷で薬草師を待っていたドラゴンは、彼女の落ち込みようを目聡く察し、心配そうな声でたずねて来る。


「うん。ちょっと、ね。……せっかく作ったのに、お薬、ほとんど売れなかったの」

≪それは……、なにゆえだ? そなたの作ったものであるなら、効き目は確かであるはずなのに≫

「そうなんだけれどね。どうしてなのか、わからないの。……とにかく、帰りましょ? 」

≪承知した≫


 家に帰るまでの間に、なにか、薬が売れなかったことの原因に思い当たるかもしれない。

 そう思って気を取り直したキアラはフェリクスの後頭部に乗せてもらって飛び立ったが、しかし、空を飛んでいる間ずっと考えてみてもなにも心当たりがなかった。


「困ったわ……。どうして、誰も買ってくれなかったのかしら? 」


 晩。

 軟膏に使ったミツロウの余りで作った手製の蝋燭ろうそくの明かりで照らされた食卓で夕食を摂る間も、薬草師からは度々、溜息が漏れる。

 そこは、最初に寝泊まりをしていた玄関ホールだ。そこにかつて食堂だった場所からイスとテーブルを持ち込み、食事をできるようにしている。

 というのは、ドラゴンが屋内に首を突っ込んで一緒に食事をできる場所が他になかったからだ。

 メニューは、森で取れたキノコと野草、木の実に、フルーメンの街で買った燕麦を加えたスープ料理。質素な食事だ。

 本当なら、今晩は豪華な食事にするはずだった。

 市場で薬を売って、その代金で肉屋におもむき、保存のきくハムやベーコン、ソーセージなどを買うつもりだった。

 肉はもう、しばらくの間、まともに食べていない。

 魚の肉はドラゴンのおかげで度々口にすることができていたが、内陸部の森の中で育った薬草師にとって、ごちそうと言えば肉料理だった。だから、今日、まとまったお金が手に入れば、そのお祝いに、と、とても楽しみにしていた。


「ごめんなさいね、フェリクス。あなたにも、お肉を食べさせてあげられればよかったのに」

≪なら、今度は魚ではなく、牛でも狩ってこようか? ≫


 申し訳なさそうな謝罪の言葉に、無邪気な返答が返って来る。

 一瞬その気づかいに嬉しそうな表情を浮かべたものの、キアラはすぐに、牛をどこから調達するつもりなのかを察して、首を振っていた。

 野生の牛というのは、この辺りではまず、見かけないのだ。


「ダメよ、フェリクス。人間の家畜を奪うつもりだったでしょう? そんなこと、してはいけないわ」

≪なぜ、家畜を襲ってはならぬのだ? 人間はたくさん牛を飼っている。空から見おろせば、あちこちに放牧されている。たかが一頭だ、誰の迷惑にもなるまい? ≫

「それだと、誰かの財産を盗むことになってしまうわ! 」

≪ざいさん? ざいさんとは、なんのことだ? ≫

「放牧されている牛には、持ち主がいる、っていうことよ。フェリクス、あなたも自分の持ち物が突然奪われてしまっては、嫌でしょう? それに、私はきちんと稼いだお金で買ったお肉しか、食べたくありませんからね」


 ドラゴンは知恵深い生き物だったが、その強大さのために自由気ままに生き、社会も作らない。

 だから人間の暮らし方、財産という概念についてよくわかっていない様子だった。

 強い口調でたしなめられたフェリクスは、なんだか悲しそうな声を漏らしてしゅんとする。


≪わかった。牛を獲ってくることは、しない≫

「うん。それで、お願いね? 」


 薬草師は、素直で純粋なドラゴンに思わず笑顔になっていた。

 話に聞くだけだったころは怖い生き物という印象だったのだが、こうして一緒に暮らしてみると、愛らしい。

 しかし、その笑顔もすぐにまた、雲ってしまう。

 作った薬が売れないことには、これから先もずっと、最低限の生活を続けなければならなくなってしまうし、なにより、薬草師として悔しかった。


「でも、本当に、どうしたらいいのかしら? お薬を買ってもらうには……」

≪その、キアラ。思ったのだが……≫


 スプーンを皿の中に戻し、物憂げに左手で頬杖を突いたキアラに、先ほど怒られたばかりなので落ち込み気味のフェリクスがおずおずとした様子で言葉を向けて来る。


「どうしたの、フェリクス? もしかして、なにか思い当たることがあるの!? 」


 薬が売れないことの解決策を思いついたのかもしれない。

 そう思った薬草師は、ぱっと明るい表情になって、期待の視線をドラゴンへと向けていた。


≪もしかすると、そなたはあの街の人間たちに、[シロップ売り]としか思われていないのではないだろうか≫

「シロップ売りとしか思われていない、って? 」

≪今まであの街は何度も訪れているが、その度に持って行って、一際喜ばれていたのはあの甘い、シロップだ。今では契約先もあるのだろう? ……つまりは、そなたはシロップを売りに来る人間であって、薬を売りに来る人間だとは思われていないのではないか、ということなのだが≫

「な、なるほど……」


 その指摘に、キアラは(もしかすると、本当にそうなのかもしれない……)と思った。

 彼女は、あのフルーメンの街でこれまで、ハーブティやシロップを売りに行っていた。

 それらは食品であり、味見をしてもらうことで「あ、美味しい! 」と品質に納得してもらうことができ、すぐに売れるようになって、その商売は順調だった。

 本当によく売れるので、段々作る量を増やしてもいる。

 このために、キアラはすっかり[シロップ売り]としてフルーメンの人々に認識されてしまっていた。

 ———そんな彼女が突然、「これは薬です。よく効きます」と言って新しい商売を始めても、なかなか売れないのは道理だ。

 薬というのは実際に怪我や病気をしている時でなければ効果を実感することが難しいものであるから、その場で試しに使ってみてもらっても、その効能を証明して納得してもらうことができない。

 シロップ売りが薬と称してなにかを売り出しているが、本当に、効くのかな?

 しかも、あんなに値が張るだなんて。

 人々はそう考え、疑い、キアラがつくった薬を得体の知れないモノとして警戒してしまう。

 だから、売れないのだ。


「でも、やっぱり……。はぁ……。困ったわ……」


 原因がわかって一瞬喜びかけたキアラだったが、すぐにまた、物憂げに溜息をついていた。

 一度その効果を確かめてもらえれば、絶対に、抜群の効き目を発揮する薬だと信じてもらえる自信はある。

 しかし人々に自分は薬草師なのだと知ってもらわなければ、買ってもらえない。

 売れないということはつまり、いつまで経っても、彼女が作った薬の真価は知ってもらえない、ということなのだ。

 これは、酷い悪循環だった。

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