:第3章 「私は、薬草師! 」

・3-1 第14話 「キアラの軟膏」

 キアラがドラゴンの花嫁となり、翼を持った獣にフェリクスという名を与えてから、二か月ほどが経った。

 二人が見つけた、山中の秘境にたたずむ古城。

 外観は廃墟のままであったが、その中心部分、薬草師と竜が新たな家とした場所は、見違えるほどになっていた。

 まず、雑草の類が取り除かれ、庭がすっかりきれいになっている。伸び放題になった木々も、一部が薪とするために伐採され、乾燥させるために屋敷の屋根の張り出しの下に積み上げられていた。

 加えて、草木の中に埋もれていた井戸が発掘され、水をくみ出すことができるように滑車を利用した釣瓶つるべが備えつけられている。この古城に住みついた当初は裏の湖の水を汲んで利用していたが、山々の雪解け水が地層を通る間に濾過ろかされて湧き出している井戸の水の方がより飲用に適していたことから、時間をかけて再生したのだ。

 かつて馬小屋だった建物は、すっかり、ドラゴンの寝床として整えられていた。正面についていた大きな扉は開け放たれた位置で固定され、壁が取り払われ柱だけが残された屋内が見て取れる。フェリクスはいつもこの寝床にバックで入り、翼を畳み、身体を丸めて眠る。なんとか全身が納まるが、さすがに羽を伸ばして、とまではいかない。

 そして、薬草師が暮らしている屋敷。

 こちらも掃除がされ、陰鬱な廃墟といった姿ではなく、すっかり明るい印象になっていた。屋内はどこもかしこも埃が払われ、床も壁もモップがけされてピカピカ。道具類もすべてキアラが使いやすいように整理整頓されている。清掃の手は外壁にも及んでおり、ドラゴンに手伝ってもらいながら何日かかけて磨き上げてある。

 そこは今や、薬草師とドラゴンの城だった。

 誰にも邪魔されず、傷つけられることもなく、二人で楽しく暮らしていくことのできる我が家に変わったのだ。


「おはよう! フェリクス! 」


 朝。

 起き出したキアラはカーテンを開き、新鮮で冷涼な空気を迎え入れるために窓を開け放つと、同じく起き出して来て馬小屋から頭部を出したフェリクスにハキハキとした挨拶をした。

 玄関ホールに仮住まいをしていたのだが、馬小屋にいる伴侶の姿をいつでも確認できる屋敷の二階の部屋を自室と定め、今はそこで寝泊まりをしている。


≪おはよう、キアラ。今日も良い天気だ。……さて、どう過ごそうか? ≫

「う~ん、そうねぇ……」


 問われた薬草師は寝間着姿のまま、あごに右手の人差し指を当てながら考え込む。

 朝目覚めて最初の挨拶を交わした後、こうしてこの日の行動予定を決めるのが二人の日課になっていた。


「私は、前から準備をしていた軟膏を仕上げてしまおうと思うの。あなたにも使ったことのある傷薬。火傷にも効き目があるから、街の人たちにも喜んでもらえるはずだわ! それで、明日は街に出来上がったものを売りに行きたいのだけれど、いいかしら? 」

≪承知した。……しかし、それでは我は、今日、暇になってしまうな≫


 うなずいてくれたものの、どこか寂しそうで、不貞腐れた感じもある様子でフェリクスは双眸を細める。

 キアラは苦笑する他はなかった。


「ごめんなさいね、フェリクス! だけど、この軟膏ができれば、本格的に[薬草師]として胸を張れるようになるの。それで、良い材料や道具を買うことができたら、もっと効果の高いお薬を作ることもできるようになる。……きっと、たくさんの人を助けることができるわ」

≪わかっている。……ならば、我はまた、魚でも獲ってこよう≫


 ドラゴンは最近、湖で魚を獲ることに凝っている。

 水面に張り出した岩の上から見下ろし、湖面に映った魚影に向かって、まるで水鳥のように飛びかかり、その前脚で仕留めるのだ。

 最初は単純に、鳥を真似た遊びで始めたことだったが、今では食べること自体が目的になってきている。


「それじゃあ、いいお魚が獲れたら、また私がお料理して食べさせてあげるわ! 焼き魚に、煮魚。どんな風に食べたい? 」

≪前に作ってくれた、シチュー、というのがまた食べたい≫


 笑顔でキアラがたずねると、すぐにそう返事が返ってくる。

 出会った時は、魔力を糧としているから食事はいらない、と言っていたフェリクスだったが、伴侶が食事をする姿を見ているうちに食べることに興味を持ったらしかった。

 ———こうして予定を決めると、二人はさっそく、動き出す。

 日が昇ったら目を覚まし、日が暮れたら休む。

 昔ながらの、自然に従った生活リズムだ。

 作り置きしておいたパンと、薬と交換したチーズで二人一緒に軽い食事を済ませると、別れてそれぞれが決めたことをやり始める。


「さて。ここで作るのは初めてだから、特に気をつけてやらないとね」


 大きな陶器製の器と、混ぜ合わせて練るためのへら、軟膏の基剤となるミツロウ、数種類の化学薬品、調合に使う薬草、———その多くは事前に時間をかけて乾燥させたり不要な部分を削ぎ落したり下処理を加え、粉末状になるまで徹底的に粉砕したもの、を並べた薬草師は、段取りに抜かりがないことを確かめると、気合を入れ直してうなずいた。

 こうした軟膏は、[薬草師]の代名詞とも言える薬だった。

 持ち運びがしやすくて長期保存が可能。そして、混ぜる薬草の種類、割合によって、様々な効能の薬を自在に生み出すことができる。

 薬草師の修行でまず習うのが軟膏薬の作り方であり、その実力を推し量るのにも使われるのが軟膏薬であった。

 調合する薬草の下準備が下手だったり、手抜きだったりすれば良い効果は出ないし、基剤となるミツロウ(他のものが使われる場合もある)との練り合わせがうまくなければ効能が十分に発揮されない。

 その軟膏を作った薬草師の経験や知識、人柄までわかってしまうのだ。

 ———これから再び、本格的に薬草師として生きていくのなら、絶対にここで失敗したくはなかった。

 この軟膏の出来栄えによって、今後のキアラの、[薬草師]としての評判が決まって来てしまうからだ。

 真剣な表情でヘラを手にした彼女は、慎重に秤で重さを確認しながら、丁寧に材料を混ぜ合わせて行った。

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