・2-6 第13話 「新しい暮らし:2」
森の中の探索は、予想以上の結果だった。
———宝庫なのだ。
そこは、すべての薬草師が憧れるのに違いない楽園だった。
入手困難とされる、珍しい薬草の数々。
それが、見たこともないほど豊富に存在している。
万病を癒す特別な薬の材料となるレークス草の群生地。一時的に視力を異常なほどに向上させる薬に使われるアッキピテルの実が鈴なりになった木々。不老長寿をもたらすとされる薬に欠かせない蔦植物グルースの根も、容易に見つけることができる。
それらを利用する方法を知らない者たちにとってはただの草花に過ぎないものだったが、キアラからすればそれらは、財宝の山に匹敵するものだった。
量だけではない。
品質も最高。
おそらく、長年に渡って手つかずのまま放置され、誰の手も入らなかっただけでなく、平野部に比べて高度が高く、気温が冷涼で、生態系の活動自体が低調であったおかげなのだろう。
薬草たちは清浄な自然環境の中でのびのびと、ゆっくりと育ち、何年も、場合によっては何十年もかけて、他の動物や植物に脅かされることなく、
たっぷりと薬効となる成分を蓄えている。その見分け方は師匠からみっちりと叩きこまれているから、間違えることはない。
最初は、キアラもこんな場所が存在していることを信じることができなかった。
貴重な薬草が、それも一生かけても取り尽くすことなどできないほど生い茂っている光景など想像できなかった。そういった薬草の多くはまばらに生えているか、せいぜい数えられる程のものが集まっているくらいなのだ。
業者が使用している促成栽培の薬草畑に行けば、たくさん育てられている姿を見ることができる。だがそういったものはみな貧相な弱々しい外観をしており、この森の中に自生しているものとは比較にならない低品質なものに過ぎない。
———中には、師匠から受け継いだレシピの中でも、特に取り扱いに注意が必要とされる薬の材料となる薬草も見られた。
たった一滴で証拠も残さず、確実に、速やかに相手を毒殺することのできる凶悪な毒薬の材料となるフルカ草の花々。焚くことで相手を強烈な催眠状態に置き、意のままに操ることができる香の材料となるイムぺリウム草の球根。
こうした危険な薬の材料となる植物も、使い方によっては薬にすることができる。
フルカ草の花が持つ毒性はごく微量に薄め、その効果を緩和する別の薬草とうまく調合してやれば抜群の効き目を持つ痛み止めにすることができるし、イムぺリウム草の球根も似た手法で麻酔薬とすることができ、人間の治療に用いることができる。
とにかく、薬草師にとってはあまりにも理想的な森であり、目移りしてしまいそうだった。
(まずは、簡単に作れるものからにしましょう)
せっかく最良の材料があるのだから、[秘薬]などと呼ばれ高値で取引される類の薬を作り、一獲千金を狙いたいという欲に駆られたが、キアラはすぐに作れる薬から始めることにした。
というのは、そうした希少な薬というのは、その分作るのに手間がかかるものであるからだ。
時には一か月や二か月、当たり前に必要になって来るし、場合によっては年単位でかかるレシピも存在する。
そういった高度な薬を作っている余裕は、今の彼女にはなかった。
手持ちの食料が残り少ないのだ。
森の中には木の実やキノコ、野草など、食べられる種類のものがいろいろと見つかり、一人の人間が食べていくのに困らない量が余裕で収穫できそうだったが、そればかり食べてもいられない。やはり、食べなれたパンや、肉や野菜を使い、ちゃんとした料理にして食事をしたかった。
なにより問題なのは、塩だ。
塩というのは基本的な調味料であるのと同時に、人間を始めとする生物が生きていくのに必要不可欠な食材だ。
その入手法は主に二分される。一つは海の水を濃縮し蒸発させ塩分を取り出す方法、もう一つは岩塩など、鉱物として存在しているものを掘り出してくる方法だ。
海岸や塩湖のある地域では前者が、内陸部では後者が一般的だ。
この塩が、どうやらこの辺りでは手に入りそうもない。
探せばどこかに岩塩の鉱脈でも見つかるかもしれなかったが、それを探している時間はなさそうだったし、他にも不足している生活必需品はあるから、それらを手に入れるためにも[元手]が必要だった。
そうしてキアラは二日をかけて、数種類の薬を調合した。
いくつかの薬草を組み合わせて、ハーブティの素となるものを用意した。これらは薬らしくないかもしれないが、立派な効果を持っている。胃腸の働きを良くし健康増進に効果のあるもの、鎮静作用がありストレス性疾患や肩こりの解消などに効果があるもの、疲労の軽減と回復に効果のあるもの、といった三種類を用意した。
それともう一つ、蔦植物の樹液を集め、煮詰めて作ったシロップ。
これは薬とは呼べない代物であったが、甘味料はどこに行っても喜ばれる商品となるし、自分で食べることもできる。
そうして出来上がった品々を持って、キアラはフェリクスと共に人間たちが暮らしている街へと向かった。
ドラゴンが見つけた谷を抜けていくルートにで低く飛び、雪解け水を集めて流れていく川に沿って進んでいくと、大きめの街にたどり着くことができる。
人々を驚かせないよう離れたところで着陸し、薬草師は一人で街に向かった。
自分を[ドラゴンの花嫁]に仕立て上げた村人たちの怯えようを考えれば、あの偉大な獣の姿を迂闊に人々に見せてしまうとパニックになり、取引どころではなくなってしまうのに違いないからだ。
キアラはこのドラゴンがどんなに理性的で穏やかな性格をしているのかを知っているが、初めてその姿を目にする人々にそんなことはわからない。
薬草師という存在を理解されず、ずっと偏見を持たれて来た彼女は、そのことをよく理解している。
フェリクスは伴侶を一人だけで行かせることを心配し、反対したが、結局は空の上からこっそり見守るということで納得してくれた。
街で、キアラが持ち込んだ品々はよく売れた。
ハーブティは、人々が水を沸かして、元の雑味を消すために好んでお茶にする習慣を持っていたために喜ばれたし、甘いものが好き、という人もたくさんいたから、シロップもすぐに、それもなかなかの値段で買ってもらうことができた。
自分は、薬草師である。———そのことを隠していたのも、良かったのかもしれない。
彼女は受け取った代金で必要なものを、とりあえず持って帰れるだけを買い込むと、ほっとしながら街を後にした。
これで、ようやく。
あの古城で、フェリクスと共に生きていく見通しを立てることができたのだ。
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