:第2章 「新しい暮らし」

・2-1 第8話 「家探し:1」

 ごう、と音を立てて、風が渦巻く。

 花嫁の淡いクリーム色の金髪が風になびいて、しなやかに舞い踊る。


「わぁぁ、すごい、すごい! 本当に、空を飛んでいるのね! 」


 薬草師のキアラは、ドラゴンのフェリクスの上、後頭部の辺りから世界を見渡すと、その碧眼を輝かせながら歓声をあげた。

 そうしている間にも巨大な竜の翼は力強く羽ばたき続け、二人をどんどん、空高くへと運んでいく。

 世界がこんなに広く、それなのに、手をのばせば届いてしまいそうなほどに近く感じられたことなどない。

 いつもなら見上げるしかなかった木が、家々の屋根が、眼下にある。うららかな春の日差しの中で、蛇行しながら流れていく川の水面がキラキラと光っている。

 柔らかな緑が一面に敷き詰められた大地。その上でのんびりと草を食んでいる家畜たちや、畑仕事にいそしむ村人たちの姿が点々と、砂粒のように広がっている。

 どうやら幾人かの村人たちが、空に姿をあらわしたドラゴンの姿を見つけたらしい。

 畑を鋤で耕していた一人が農機具を取り落として腰を抜かし、指をこちらへ向ける。おそらくそのわめき声で事態に気づいたのだろう、農作業のためにかがんでいた他の人々も一斉に空を見上げて恐れおののき始めた。

 このままでは村中が大騒ぎになりそうだ。


「ごめんなさい、フェリクス。村の人たちが怖がっているみたいだから、少し、ここから離れましょう? 」

≪承知した。少し揺れるゆえ、しっかりと我が角につかまれ≫


 キアラの村人たちに対する心境は複雑だった。

 しかし、不必要に怖がらせてしまうのはかわいそうだとも思った。

 だから彼女は顔をフェリクスへと近づけてそう言うと、偉大な獣は村から離れる方向に向かって飛翔する。

 薬草師は言われた通り、彼の後頭部に生えている四本の角の一つにしっかりとつかまり、自身の身体が吹き飛ばされないようにした。

 竜が飛ぶ速度は、人間が走る速度とは比較にならず、馬はもちろん、鳥よりも遥かに速い。上下に激しく動く翼のある胴体部ではなく、比較的揺れの小さい後頭部に腰かけさせてもらってはいるが、それでも振り落とされそうになる。竜の首は太過ぎ、キアラにはまたがって乗ることができず両足を左側にそろえた姿勢で横に座っていなければならないから、なおさらだ。

 風圧で閉じた目をほんの少しだけ開くと、下の景色がものすごい勢いで流れて消え去っていく。


「フェリクス、お願い! もう少し、ゆっくり飛んで! 」


 思わず、キアラは悲鳴をあげていた。今にも風圧に押されて自分の身体が吹き飛ばされてしまうのではないかと思えたのだ。

 するとフェリクスはすぐに飛行する速度を落としてくれた。


≪キアラ、すまない……。これでも、加減して飛んだつもりだったのだが≫

「うん、わかっているわ。ありがとう」


 風が弱まり、前から後ろへ景色が流れていくのも遅くなったのを見て取った薬草師は、ほっとしながら顔をあげ、それから「うふふっ」と笑みをこぼしていた。

 怖い、と思ったが、同時に嬉しいとも思ったからだ。


「すごいのね、あなたって! これなら、どんな場所にもすぐに飛んでいけてしまうわね! 」


 きっと人間たちの中で、こんな体験ができたのは自分だけに違いない。

 そしてドラゴンの翼があれば、二人はこの広い世界のどんな場所にも、誰よりも素早く行くことができる。

 それは、素敵なことだと思えた。

 自分たちを遮れるモノはなにもなく、自由に、どこまでも羽を伸ばし、飛んでいくことができる。


「ねぇ、フェリクス。これから、どこに行きましょうか? 」

≪どこへでも、キアラの行きたい場所へ飛ぼう。我が翼は、そなたのものでもあるのだから≫

「なら……、私たちが二人で、安心して暮らしていくことのできる場所は、あるのかしら? 」


 キアラは風に舞う自身の髪を片手で抑え、その瞳で世界を見つめながら、ほんの少しの不安を抱えながらそうたずねた。

 ———もし、そんな場所はない、と言われたら、どうしよう。

 そんな気持ちがぬぐえなかったのだ。


≪そのような場所があるのかどうか、それは、我にもわからぬ≫


 残念なことに、フェリクスも二人の安住の地は知らない様子だった。

 しかし彼は励ますように言葉を続ける。


≪しかし、この世界は広い。我も未だに飛びつくせてはおらぬほどに。きっと、我と、そなたが、穏やかに暮らせる場所もあるはずだ≫

「そう……。そうね、きっと」


 キアラは物憂げに視線を伏せて呟くと、それから、その身体をドラゴンに寄せ、しなだれかかるようにして言った。


「ねぇ、フェリクス。探しましょう? 私たちの、新しい家を。……誰にも傷つけられずに、ずっと笑い合いながら、助け合いながら、生きていくことのできる場所を」

≪必ず、見つけよう。そなたと共に≫


 するとフェリクスは優しい言葉でそう応えつつ、わずかに自身の頭部を動かし、その角を甘えるように薬草師にすりつけた。

 ———それから二人は、新しい、自分たちの家を探すために飛び去った。

 よそ者だ、魔女だと呼ばれ、忌み嫌われなくとも、生きていく場所を探して。

 人々の欲望から逃れ、その翼を安穏と休めることのできる地を探して。

 薬草師とドラゴンは振り返ることなく、旅立った。

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