・1-6 第6話 「手当て」
ドラゴンのために治療をすることなど、当然、初めてのことだった。
人間に使う薬草で同じ効果が得られるのか。量はどの程度使えばよいのか。
なにもかもが手探りだった。
それでもキアラは、懸命に、できるだけのことをした。
この傷ついたドラゴンが、人間たちの身勝手さによって住処を追われた獣が、他人とは思えなかったからだ。
彼が仮のねぐらとしていた地の底には、使えそうなものがいろいろとあった。
止血に効果のある薬草や、毒消しの作用がある薬草が自然もいくらか自生していたし、洞窟の中には傷の回復を早める効果を持つ種類の苔なども生えている。
しかし、薬草があってもなにも手を加えないまま使ったのでは思うような効果は望めないし、治療にはいろいろと道具が必要だった。
「ドラゴンさん、待っていてくださいね! 私、お薬を持って戻ってきますから! 」
キアラは一旦、自分の家に戻り、効きそうな薬草を手当たり次第に持ち込むことに決めた。
ドラゴンはなにも言わなかった。
このまま薬草師が逃げ出してしまう可能性も彼の立場から考えれば懸念できることだったが、そもそも「生贄などいらない」と言っていたし、彼女が戻って来ても来なくてもどちらでもよいという投げやりな態度だった。
———キアラは、逃げ出さなかった。
もはや村のどこにも自分の居場所などなかったし、傷ついた竜族の隣以外に帰るべき場所はなかったからだ。
洞窟から無傷で戻って来た彼女の姿を目にして、村人たちは腰を抜かすほどに驚いていた。
すでに彼らは、生贄となってドラゴンに食われてしまったはずのキアラを供養するために、村をあげての葬儀の準備をしていたほどなのだ。
まさか、生きて戻って来るとは。
村人たちはみな唖然とし、まるで本物の幽霊が出た、というように薬草師のことを恐れた。
「お願いします! ドラゴンさんの命令なんです、私に馬車を貸してください! 」
キアラは、村人たちに説明などしてやらなかった。
今は心底から怯えている彼らだったが、もし、ドラゴンが傷ついているなどと知れば、目の色を変え、ハンターたちのように襲いかかるかもしれない。
だから薬草師はなにも事情は話さず、村人たちの動揺につけこんで、奪うように馬車に乗りこみ森へと向かって走らせた。これまで馬車を操縦したことはなく見様見真似だったが、馬たちは賢く、なんとか道に沿って進んで行ってくれた。
馬車を家の近くで止め、中に駆けこむと、焦げくさい異臭がする。
アンへデク草の根を煮込んでいた大鍋の火はすでに消えていたが、目を離していた間にダメになってしまったのに違いない。
(この薬があったら、きっと、大勢の役に立ったはずなのに……! )
キアラは悔しく思ったが、すぐに意識を切り替え、保管棚から仕えそうな薬を手当たり次第に運び出し、他の必要そうな道具と一緒に馬車の荷台に積み込んだ。
それから彼女は来た道を戻り、大急ぎでドラゴンの下へと向かった。
≪なんだ。戻って来たのか≫
傷ついた獣は、身じろぎもせずにただ投げやりにそう言って、帰って来た薬草師を出迎えた。
あまり動かないのはきっと、少しでも体力を温存し、傷の治りを早めるためなのだろう。
(けれど、矢が刺さったままじゃ、治るものも治らない)
本格的に手当てを始める前にあらためてドラゴンの身体に突き立った何本もの矢と、未だに出血を続けている生々しい傷口を目にしたキアラは、立ちすくんだ。
これまでも怪我をした人間や動物というのは目にしてきたが、今回のようなものはまだ目にしたことがなかった。
人間の、欲望と敵意。
それがもたらした傷は、偉大な生物であるはずのドラゴンをあまりにも痛々しい姿に変えていた。
その傷口の形は、複雑だ。
撃ち込まれた巨大な矢の矢じりは波打っており、治りにくい傷口を作るように工夫されているだけではなく、一度突き刺されば簡単には抜けないように返しまでついている。
本気の、赤裸々な殺意。
それを目にした薬草師は、背筋が凍る感覚と同時に、罪悪感で心の中がいっぱいとなり、思わず涙をこぼさずにはいられなかった。
自分と同じ人間が、彼をここまで傷つけてしまったのだ。
しかし彼女は、立ち止まらなかった。
「ドラゴンさん! まずは、刺さっているものを抜きます。深く刺さっているので、少し、ナイフで傷口を広げないといけないかもしれません。痛いとは思いますけど、どうか、我慢してください! 」
≪……承知した≫
キアラが断りを入れると、やはり身じろぎもしないままドラゴンから了承したとの返事が返ってくる。
すると薬草師はすぐに自分の家から持ち込んだ荷物へと駆けより、本来であれば仕留めた鹿や猪などの獲物を解体するために使う大ぶりなナイフと、何度も蒸留をくり返してアルコール度数を高めた酒の入った小瓶を取り出した。
もちろん、酒盛りを始めるわけではない。
アルコールという成分を正確に認識して把握しているわけではなかったが、薬草師の間では以前から蒸留した酒を使うと消毒作用があることが知られており、これでナイフを清潔にして、ドラゴンの身体に深く刺さった矢を抉り出すのだ。
矢じりには返しがついているから、そのまま引き抜こうとしたのではまず、抜けない。
無理に抜こうとして矢じりを動かしてしまえば余計に傷口が広がり、怪我が悪化してしまうことになる。場合によっては傷つけてはならない血管や神経を損傷させる恐れもあった。
だからナイフを使って、必要最小限の分だけ肉を切り裂き、返しが引っかかっている部分を取り除いてできるだけそっと矢を抜いてやるのだ。
「いきます! 」
キアラはそう声をかけると、慎重に傷口を見極め、アルコール消毒したナイフで余計な傷をつけないよう丁寧に肉を割いて、少しずつ矢を取り出していった。場合によっては鱗も邪魔となるので、人間の成人男性の手の平ほどの大きさのあるそれを、何枚か剥がしながら手当てを続けた。幸いなことに感染症などの兆候は見られなかった。
おそらく、ドラゴンが感じている苦痛は、生半可なものではないだろう。
しかし賢いと言われている竜族である彼は薬草師の行為の意味をきちんと理解しており、激痛に黙って耐えていた。
そもそも、彼の巨体からすれば、大ぶりとはいえナイフごときでは大きなダメージを与えることもできないと知っているのかもしれない。
結局、この簡易的な手術は数時間も続き、合計で五本もの矢が取り除かれた。
それからキアラは傷口を残った酒で消毒し、針と糸を使って縫い合わせ、止血を助け傷の治りを早める効果を持つ軟膏を塗り、上から煮沸消毒してからよく乾かしてある布を被せて、傷のない鱗の部分に糊をぬって固定し完全に怪我をした部分を保護した。
薬草師の師匠から教わった、人間であれば間違いなく効果のある治療だった。
しかし、竜族にも効果があるかはわからない。
≪人間の、娘よ。感謝しよう≫
それでもドラゴンは、日が陰った中で何時間にも及ぶ手当てを終え、花嫁衣裳を身にまとったまま額の汗をぬぐい、ふぅ、と安堵の息を吐いていたキアラにそう言ってくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます