・1―5 第5話 「似た者同士」

 人々に危害を加えるつもりなどなく、最初から、すぐにこの土地から出ていくつもりであった。

 だから花嫁など、生贄など必要ない。

 キアラは、ドラゴンに食われることも、もてあそばれることもなくて済む、ということだった。

 嬉しいことのはずだった。

 しかし彼女は、それを受け入れることができなかった。

 ———生贄など必要ないと言われても、今さら帰れる場所などないのだ。

 家なら、ある。

 村はずれの森の中に建つ、木こり小屋を改装して使っている、小さくて質素でも居心地が良く、生業である薬草づくりに専念できる、良い家が。

 問題は、人だった。

 人間関係。

 王都周辺の人々に比べれば薬草師に対する偏見が小さく、村の近くに住むことを許してくれた村人たち。

 自分たちの身のかわいさのために、キアラのことを[魔女]と呼び、[ドラゴンの花嫁]として選んだ者たち。

 生贄など不要だから帰れ、などと言われて本当に帰ってみたところで、いったいどんな顔をして非道な行いをした村人たちと会えばいいというのだろうか。

 それは、こちらの問題ではなかった。

 村人たちにされた仕打ちについては何度でも抗議してやりたいが、キアラ一人が我慢すればいいことだ。

 しかし、村人たちは、自分たちが理不尽なことをしていると承知していながら、それでも「よそ者だ」「魔女だ」と言い立て、薬草師を生贄にしてしまった。

 きっと、彼らはキアラの姿を目にするたびに自分たちが行ったことを思い出し、罪悪感にさいなまれることだろう。

 村人たちとの間には常に気まずい雰囲気が漂うこととなり、決して打ち解けることはできなくなる。

 とても、これまでのようには暮らしていくことなどできないはずだった。

 ———たとえ家に戻ったところで、普通の暮らしなどできない。

 キアラにはもう、どこにも[居場所]がないのだった。


「私は、貴方の[花嫁]です! そして、村の人たちは私を差し出すことで、願いを受け入れてもらったのです! 今さら、いらないから帰れ、などと言われても、困ってしまいます! 」

≪ならば、ここで我に食い殺されるのが、汝の望みなのか? ≫


 ドラゴンは身じろぎもせず、ただただ面倒くさそうな口調でそう返してくる。

 キアラは言葉に詰まってしまった。誰も、ここで殺されたいなどとは思ってはいないのだ。


(……あれ? あそこ)


 その時、彼女はドラゴンの身体の一部になにかが突き出ていることに気がついた。

 背中や脚の付け根といったところから、真っ直ぐで細長い、人工物に見えるものが生えているのだ。

 それはまるで、内からではなく、外から、何者かによって突き刺されたようだった。


「け、怪我をしているのですか!? 」


 その正体に気づいたキアラは、はっとして息を飲んだ。

 赤黒い鱗の間から突き出ているのは、巨大な矢だった。ドラゴンバスターと呼ばれる、竜族を[殺す]ために人間が作り出した、強力な発射機から放たれる、槍ほどの大きさのあるものだ。

 そしてそれが突き刺さっているところからは、血が流れ出している。

 鱗の色で分かりにくかったが、今も心臓が脈打つのに合わせ、わずかずつ身体の奥底から漏れ出てきていた。

 ———ドラゴンは、強靭な身体だけではなく、優れた生命力も持った種族だ。だからその鱗の守りを貫かれ傷を負ったとしても、短期間で再生してしまう。

 しかし、ドラゴンバスターはそんな竜族を狩るために作られた[兵器]だ。

 放たれる矢は特注の物であり、塞がりにくい傷口を作るように矢じりが工夫されているし、場合によっては毒が塗られていることもある。

 まして、そんなものが身体に突き刺さったままなのだ。

 今でも生々しく傷が残り、そこから出血が続いている。


≪人間の、ハンターどもに襲われたのだ。……返り討ちにして、四、五人は食い殺してやったが、見ての通り、今でも我の身体をむしばんでおる。住処も離れねばならなくなった。忌々しいことだ≫


 ドラゴンは強大な生物だったが、もし狩ることができれば、貴重な素材を数多く得ることができる。

 その鱗は軽量で強靭な鎧や盾を作る材料として高値で取引されるし、肉は滋養強壮の作用があるとされ金持ちたちが欲しがる。竜族には千年も生きるとされる寿命があることからその骨は不老長寿の薬になると言われ多くの人々が競って手に入れたがるし、眼球は強い魔力を与えてくれるとされ魔法使いたちがありがたがり、脳は叡智を授けるとされ薬にされる。

 もちろん、内臓も捨てられることはない。心臓は竜の生命力を与えると言われ、蘇生薬(ただし、キアラの師匠はこの薬の効果は怪しいと言っていた)の材料とされているし、肝臓は毒消しの作用があるとされ、高級な解毒薬の材料になる。胃はその伸縮性と強度から工学的な用途で飛ぶように売れ、腸は軽く丈夫なロープ、あるいは弓の弦として(ドラゴンキラーに用いられる場合もある)珍重される。

 鱗の一枚から、肉の一片まで。

 ドラゴンに捨てるところなしと言われ、一頭狩ることができれば小さな国を買えるほどの財産が築ける。その価値は、身体の重さと等しい量の黄金になるとさえ言われている。

 ———そのために、一獲千金を狙うドラゴンハンターたちが、希少種である竜族を追いかけ回しているのだ。

 一説によれば、ドラゴンが今日のように数を減らしたのはこうした、人間の飽くなき欲望のためだとも言われるほどにハンターたちは貪欲だ。


(このドラゴンにも、行く場所がないんだ……)


 キアラは、強い親近感を覚えていた。

 目の前にいる傷ついた偉大な獣が、この場所にやって来た理由。

 それは、ドラゴンハンターたちに追われ、傷ついた身体を癒すために、止むを得ず逃げ込んで来たからだ。

 どうやらハンターたちは返り討ちに遭ったということだったが、そこにいると知られてしまった以上は、次から次へと新手がやって来るのに違いなかった。

 それほどにその存在は希少であり、命を賭けて狙うほどの価値がある。

 だから、彼はここへ逃げて来た。

 キアラと同じように、居場所を奪われて。


「あ、あの! 」


 薬草師は、この傷ついたドラゴンのことを放っておくことができなかった。


「私は、薬草師です! もしかしたら、貴方の傷を手当てできるかもしれません! だから、どうか私を、ここにいさせてください! 」


 返って来た答えは、投げやりで、短かった。


≪そなたの好きにせよ≫

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