・1-4 第4話 「置き去り」

 ドラゴン。

 おとぎ話や伝説の中の存在ではなく、現実の脅威として認知されながらも、実際にはほとんどの人々がその姿を目にしたことのない、幻の存在。

 それが、目の前にいる。

 それだけではなく、生きて、動いている。

 長い首の先端に乗った爬虫類に類似する形状の頭部で不気味に輝いている目がまばたきをし、それが現実に息づいている存在なのだと認識した瞬間、村人たちは恐怖のあまり悲鳴を上げ、一目散に逃げ出してしまった。


「ど、ドラゴンだぁっ!! 」「ひィィっ! 」「お、俺たちを食う気なんだ! 」


 一人は松明を投げ捨て、もう一人は剣を捨てて駆け出し、三人目は一度尻もちをついてから、手足をバタバタと振り回して地を這うようにもと来た洞穴へと向かっていく。

 当然、キアラのことなど置き去りだ。

 そうした村人たちの醜態に対し、領主の下から問題の解決のために派遣されて来た騎士は、さすがに立派だった。


「空の支配者たる竜族の末裔に、地を這う人間族の騎士が申し上げる! 」


 次の瞬間にはドラゴンが魔法の力を使って吐くという灼熱の吐息ブレスに焼かれるか、あるいはその鋭い牙や爪で引き裂かれているかもしれない。

 鎧も、盾も、剣も、なんの役にも立ちはしない。

 それを知っている騎士は恐怖で足がすくんでいる様子だったが、それでも、自身の役目を果たすべくその場に踏みとどまり、声を張り上げた。

 空の支配者たる竜族とはいにしえからのドラゴンに対する尊称であり、地を這う人間族とは、昔からのへりくだった言い方だ。


「古き盟約に従い、我ら人間族は、竜族に捧げる[花嫁]を用意した! 何卒、我らの願いを聞き届けたもう! 」


 かまえていた盾、身体の半身を覆う大きさのあるカイトシールドの先端を地面に突きたて、右手にかまえていた剣を自身の前で真っ直ぐにして捧げ持ち、敬意を示す姿勢を取りながら騎士がそう言うと、ドラゴンは興味深そうに、こちらを観察する視線を向けて来る。


≪古き盟約など、下らぬ。……されど、汝の願うところ、聞くだけは聞いておこう≫


(な、なに、これは……っ!? )


 突然、鼓膜を通してではなく、頭の中に直接響いてきた声に、キアラは戸惑わずにはいられなかった。

 人間にたとえれば少年のような声だったが、しかし、その口調は厳かなものだ。

 ———ドラゴンは言語を使わず、念話で直接、意志を伝え合う。

 話には聞いたことがあったが、本当であるらしかった。


「ならば、願い奉る! 何卒、この地より去っていただきたい! 」


 騎士も初めて体感することに驚きを隠せない様子で一瞬たじろいでいたが、すぐに姿勢を戻し、与えられた任務を遂行するために直立不動の体勢を作る。


「盟約によれば、空は、翼ある竜族の物。大地は、地を這うことしかできない我ら人間族の物として、二つの種族の間で分かち合ったと聞いている。まして、この地は我ら人間族が村や畑を築き、住まう土地。その近くにこうして居座られてしまっては、取り決めに反することとなるはず! 願わくは速やかに、お立ち退きいただきたい! 」


 口調は丁寧ではあったが、言っていることは人間側の都合ばかりであった。


(そんなことを言われたら、いい気分はしないでしょうに)


 キアラには、きっとドラゴンにとっても不愉快であっただろうことが容易に想像できた。

 [よそ者]呼ばわりをされ、一つの場所に落ち着いて暮らしていられなかった、放浪していた時期の辛さ、悔しさが鮮明に思い出される。


≪……汝の申し出は、確かに聞いた。人間族と無用な争いを生むは、我の本意とするところではない。数日の内に、我はこの地を去るであろう≫


 しかし、意外なことにドラゴンの対応は穏便なものだった。


(てっきり、もっと乱暴なことをされると思っていたのだけれど)


 キアラはイメージと異なる態度に驚いていたが、騎士も拍子抜けしてしまったのかしばらく無言で、ポカンと口を半開きにしていた。


≪いかがした、人間よ。我はそなたらの願いを聞き届けたのだ。く、去るが良い≫

「……っ! 快いお返事、人間族を代表いたしまして、感謝を申し上げる! 」


 双眸を半分ほど閉じ、億劫そうな様子で命じて来るドラゴンに対し、我に返った騎士は慌てて一礼をすると、踵を返して来た道を戻って行った。

 やはり、キアラは置き去りだ。


(来るなら、さっさと来なさい! )


 花嫁はその場に立ちすくんだまま、きつく目を閉じ、両手に握り拳を作って、[その時]が訪れるのを待った。

 古き盟約とやらに従い、人間族は竜族に生贄を捧げ、この地を速やかに去ってくれるように願った。

 そしてドラゴンは、それを受け入れた。

 つまり、二つの種族の間で契約が成立したのだ。

 だとすればキアラはもう、戻ることは許されなかった。薬草師を[対価]とすることで条件を飲ませた以上、もはや彼女は、ドラゴンの所有物なのだ。

 ここにやってくるまでに想像した、様々な[終わり]の情景。

 まるで走馬灯のようにそれらが脳裏を駆け巡る。


(早く……、終わらせて……! )


 これ以上恐怖を感じていたくない。

 運命が変えられないのであれば、さっさとピリオドをつけて欲しい。

 ———しかし、いつまで待っても、ドラゴンはなにもしてこなかった。


≪そなたも、去るが良い≫


 代わりに頭の中に響いたのは、面倒くさそうな言葉。


≪古き盟約はあれど、我は人間の贄など必要とせぬ。元々、この地にはさほど長くとどまるつもりもなかった。そなたが犠牲とならずとも、人間たちの望みは叶えられるはずであったのだ。であるのならば、ここで、なんの罪もなきそなたが、我の贄となる必要もない。……そもそも、生贄を差し出すなど、愚かな因習であろう。我はそのようなことを好まぬ≫


 話はこれで終わりだ。

 目を開いてきょとんとした顔で見つめて来るキアラのことなど知ったことではないといった様子で、ドラゴンはまた首をその巨体の中にうずめ、まるで眠りにつこうとしているかのような体勢になる。


「ま……、待ってください! 」


 騎士や村人たちから置き去りにされ、ドラゴンからも無視されようとしていた薬草師は、咄嗟にそう声をあげていた。

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