・1-3 第3話 「ドラゴンの花嫁:2」

 村はずれに住みついた薬草師を、[ドラゴンの花嫁]に、生贄にする。

 そう決めた村人たちに槍の切っ先を向けられたキアラは、煮込んでいる途中だった大鍋を放置して、追い立てられるように家から連れ出された。

 この地に引っ越すと決めた時に、村人たちから古い木こり小屋を譲り受け、自分の手で掃除し、補修し、なんとか暮らして行けるまでに整えた、我が家。

 名残を惜しむ暇も与えられなかった。

 キアラは村に槍を突きつけられながら連行され、そこで花嫁衣装に着替えさせられた。

 村で唯一の、絹で作られた美しい純白のドレス。

 そこで生まれ育った少女たちなら誰でも着てみたいと憧れ、そして、一生の伴侶を見つけた時に身にまとって来た、特別な衣装。

 花嫁たちがかわるがわる身に着けて来た、大切なもの。

 村のために犠牲となってもらうその代わりに、その花嫁衣装は薬草師のものとなった。


(そんなの、ちっとも嬉しくなんかない! )


 自分だって、花嫁衣装に憧れたことくらい、ある。

 だが、実際に花嫁の姿になってみても、なんの感動も、喜びもなかった。

 二十六年生きて来て、[魔女]と呼ばれ忌み嫌われどこにも居場所のなかったキアラにとって結婚など縁遠い話となっていたが、まさか、こんな形で花嫁になることなど思ってもみなかったことだし、望んだこともなかった。

 ———しかし、いくら嫌だからと言って、逃れられることでもない。

 村人たちは村を救うためには[よそ者]を生贄にするしかないと信じて疑わなかったし、それ以外の可能性を模索するという発想自体を失っている。

 ドラゴンという脅威。

 その恐怖から、一刻も早く逃れたい。

 その共通した思いが、人々から選択肢を奪い去っていた。

 花嫁衣装を整える村の女たちは、悲しそうだった。

 中には涙ぐんでいる者さえいた。

 しかし彼女たちは誰も、「自分が代わりに行こう」とは言い出さなかった。

 口では、「かわいそう、かわいそう」とささやき合ってはいる。

 だが彼女たちもまた、自らが犠牲になりたくないから、村の人間ではない薬草師をなんの相談もなしに生贄に選んだ者たちなのだ。

 今さらなにを言っても、徒労にしかならない。

 そんな絶望と共に、キアラは飾り立てられていく自身の姿を鏡越しに見つめていた。

 やがて、すべての準備が整った。

 村を守るために選ばれた花嫁は馬車に乗せられ、前後を武装した村人たちに囲まれ、ドラゴンが住み着いたという岩場に向かって出発した。

 ようやく見慣れてきたはずの、村の景色。

 前から後ろへ、どこか、空虚に流れ去っていく。

 ここが、自分の暮らす場所。ここを故郷にするのだと、そう思ってこれまで頑張って来た。

 その努力は、結局、無駄になってしまった。

 そう思うと悲しくて、寂しくて、辛くてしかたがなかったが、涙は零れなかった。

 ———ここに、自分の居場所はない。

 そう思い知らされるのは、これが初めてのことではなかったからだ。

 最初にそれを知ったのは、師匠と共に暮らし、育った森を追い出された時。

 それから様々な土地を渡り歩いたが、そのどこにも、安住の地はなかった。

 魔女。怪しげな呪術を使う、不気味な存在。

 そう呼ばれ、決して、受け入れられることなどなかった。

 だからもう、こうして疎外されることには慣れてしまっている。

 涙をこぼしても無駄だと、なんの意味もないのだと、身体がすっかり、覚え込んでしまっているのだ。


(今度こそ、うまく行くと思ったのにな……)


 いったい、なにがいけなかったのだろうか。

 自問してみたが、分からない。

 自分は、やれるだけのことをやった。そう誇れるだけのことをしてきた。

 それでも、ダメだった。

 後悔したくとも、なにを後悔すればいいのかわからない。

 ただ、自分の運命を嘆くだけ、というのは嫌だった。

 だからキアラは空っぽのまま、頭を働かせることをやめ、無言のまま村人たちに運ばれていった。

 そして気づくと、彼女は洞窟の中にいた。


(この先に、ドラゴンが、いる)


 先頭を、松明を持った案内の村人、その次を、剣と盾をかまえた騎士。背後を、剣を手にした村人二名。

 ドラゴンを恐れ、警戒しつつ、薬草師が逃げ出さないように監視している者たちに挟まれながら、キアラはうながされるままに洞窟の奥へと進んで行った。

 自分は、どんな最期を迎えるのだろう。

 興味があるのは、そのことだけだった。

 ドラゴンが生贄をどう扱うのか、噂話でも聞いたことがない。

 昔はたくさん、それこそ空を何十、何百と群れを成して飛び回っていた時代もあったのだそうだが、今となってはドラゴンというのは希少な種族で、滅多に人間と遭遇することもない。

 それだけに情報が少なく、自分がどんな目に遭うのかは想像するしかなかった。

 余計に、恐ろしく感じる。

 鋭い牙を突き立てられ、バリバリと骨を噛み砕かれながら丸のみにされる、というのならばまだいい方に思えた。少なくとも死は一瞬で訪れるのに違いないからだ。

 しかし、時折、獰猛な獣がするように獲物をいたぶり、なぶり殺しにする、などということをされてはたまったものではない。恐怖と苦痛が長く続くことになる。

 噛み砕かれずに丸のみにされ、生きたまま消化される、というのも恐ろしい。

 ———あるいは、[花嫁]という古からの呼び方通り、ドラゴンの伴侶としてその世話でもさせられるのか。


(それは、それで。いいかもしれない)


 キアラはほんの少しだけだが微笑んだ。

 それは、望ましいことなのかもしれないと思ったのだ。

 少なくとも、人間の世界についに居場所を見つけることのできなかった、自分にとっては。

 必要とし、必要とされながら、生きていく。

 いつかそんな家を、家族を持ちたいと願っていた。

 もし[ドラゴンの花嫁]というのが生贄などではなく、竜の伴侶として生きるという意味ならば、形は違うが願いは叶ったと言えないこともない。

 ほどなくして、唐突に洞窟は途絶えた。

 視界が開け、頭上から陽光が降り注ぐ。暗い地下を松明の明かりだけで歩いてくることに慣れた目にその日差しはあまりにも眩しく、キアラは思わず自身の右手でひさしを作っていた。

 円筒形の、空洞。それが地下から地上までまっすぐに伸びていて、空とつながっている。ここまで通って来た洞窟はドラゴンが通って来たにしてはやけに狭いなとは思っていたのだが、どうやら空から直接出入りできるようになっていたらしい。

 そして、その、直後。

 日の光の下にあった赤黒い塊がもぞもぞと動き、その首をもたげ、頭部をこちらへと向けて来る。

 金色に輝く蛇の瞳を持つ双眸がまばたきをする。

 ———そこに、ドラゴンがいた。

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