23.王都決戦





「近々、魔王軍に大きな動きがあります。戦場はここ……王都になるでしょう」




 フィロメラさんの言葉に、王城の会議室に集った面々に動揺が走る。

 エクスは事前にフィロメラさんから事の次第は聞いていたが、事態の重さに改めて渋面を作った。


「王都が戦場になるだと?それはつまり砦の防衛が破られるということか?それが分かっているなら今すぐに各地の砦の守りを強化するべきだ。ここが戦場になるなど論外だ」


 将軍の一人の発言にフィロメラさんが首を横に振って否定する。


「"星詠み"で調べたのですが、各地の砦に大きな変化はありませんでした。……つまり、魔王軍は何らかの方法で砦の警戒網にかからずに、突然王都周辺に現れるということです」


 彼女の"星詠み"がどのような能力なのか、以前に尋ねたことがあるが感覚的な要素が非常に大きいようで、言葉にして説明するのは難しいらしい。

 強いて例えるなら"世界"を水面に見立てて、そこに広がる波紋の大きさや様子から未来を予測するようなものらしい。


「馬鹿な……そんなことが出来るなら、何故これまで奴らはその手を使わなかった。大軍を転移させる術を持っているなら、初めから使っていればもっと戦況を有利に展開出来ただろう」

「そこまでは私にも分かりません。今になってやっと部隊を転移させる準備が整ったのか、それともこの手を極力使いたくなかったのか……どちらにせよ、王都での決戦が避けられない以上、私達は少しでも民間人の被害を減らす方法を考えるべきです」


 そう言うと、フィロメラさんは会議テーブルに広げられた王都周辺の地図に魔王軍を示す駒を配置していく。


「敵軍は三方向からほぼ同時に攻めてきます。軍団の規模から考えて恐らくそれぞれ八大幹部が指揮を執っている筈です」

「八大幹部が三人か……幹部を二人倒されて、魔王軍もいよいよ本気ということか」


 フィロメラさんと将軍達の会話を聞いていた国王が将軍の一人に問いただした。


「どう見る将軍。防ぎきれそうか?」

「……難しいですな。数が多すぎます。敵軍の幾らかが王都に侵入することは防げないかと」

「ふむ……。ならば魔王軍の襲撃が始まり次第、民は王城へ避難させよう。城内には魔物に対する結界も張られている。市街に居るよりは幾らかマシな筈だ」


 国王の発言に、傍に控えていた大臣が苦言を呈した。


「陛下、それでは城内の警備が……。それに機に乗じて陛下に狼藉を働く不届き者が出てくる可能性も……」

「仕方なかろう、民の安全が最優先だ。我々の敵は魔王軍であって人族の同胞ではないぞ」

「……陛下がそう仰るならば、私からは何も」

「うむ。フィロメラ、魔王軍の襲撃がいつになるか具体的な日時は"星詠み"で探れたか?」


 国王の質問にフィロメラさんは申し訳なさそうに首を横に振った。


「申し訳ありません。襲撃の時期に関しては、遅くとも今から一か月以内ということしか調べることが出来ませんでした」

「ふむ……。ならば、民には本件については伏せておくように。いつ来るか分からない襲撃の情報を与えても市井を混乱させるだけだ。その隙を突いて魔王軍に攻められては勝てる戦も勝てなくなる。皆もよいな?」




 ……国王の方針は妥当だ。不確定な情報でいたずらに市民を恐慌状態にするよりも、こちらで秘密裏に市民の避難準備を整えておいたほうが、結果的には被害は抑えられるかもしれない。




 だが、王都に危険が迫っていることを、彼女アリエッタにも隠さなければいけないのか?


 アリエッタを説得して……いや、無理やりになったとしても、彼女を転移術で安全な故郷に送り帰すべきじゃないのか?


 ……違う。問題の本質はそこじゃない。


 僕は……アリエッタだけを助けて、王都で暮らす他の人々の危機には見て見ぬふりをするつもりなのか?






 **********




「……エクスくん」

「……フィロメラさん?どうしましたか?」


 会議からの帰り道、フィロメラさんが密談するように小さな声で僕に話しかけてきた。


「アリエッタさんを転移術で故郷へ帰しましょう。エクスくんは彼女を説得してください」

「フィロメラさん……でも、それは……」

「本当なら、私の方で馬車と護衛を用意して彼女を送り出したいところですが、私が動けば陛下に勘付かれます。それに魔王軍襲撃のタイミングが掴めない以上、アリエッタさんを送り出したタイミングで敵の攻撃が始まってしまったら最悪です。エクスくんの転移術が一番確実で安全です」

「……ありがとうございます。でも、僕だけが……僕だけが、自分の大切な人を……他の人を見捨てて……」



 僕が最後まで喋る前に、フィロメラさんが僕の胸倉を掴んだ。



「そんなこと言っている場合ですか……!分かってるんですか?彼女に何か有ってからでは遅いんですよ。これは貴方の為でもあるんです」

「フィロメラさん……」

「……気持ちは分かります。でも、いいじゃないですか。エクスくんはこれまで散々頑張ったじゃないですか………一人ぐらい、自分の大切な人を贔屓したって誰も責めたりしませんよ。それで文句を言う人は頭がおかしいんですよ……」



 ……僕は震えるフィロメラさんの拳を優しく解いた。


「……少しだけ、考えさせてください」

「……時間はあまり残されていませんよ。それだけは忘れないでください」




 **********




 魔王軍の大規模侵攻に備えて、軍との連携の調整と会議が連日続いた。

 訓練所と王城を繋ぐ通路を早足で歩いていると、ここしばらく顔を合わせていなかった赤髪の彼女がふらふらとこちらに近づいて来るのが見えた。


「エ、エクスぅ~~~」


 ……僕は、先日から抱いていた葛藤に未だに答えを出せずにいた。

 次の戦いは、間違いなくこれまでで最も過酷なものになるだろう。


 人類軍が破れたら。

 僕が倒れたら。

 王都が攻め落とされたら。

 アリエッタはどうなる。


 今、この瞬間にも魔王軍襲撃の報せが来てもおかしくないのだ。

 やはり今すぐ、無理やりにでもアリエッタを故郷へ送り返すべきではないのか。


「エクス……?」


 知らず知らずのうちに険しい表情になっていた僕を、アリエッタが怪訝そうな顔をして見つめていた。僕は慌てて何事も無かったかのように取り繕う。


「……ん、ああ、アリエッタ。ごめん、ちょっと急いでいるんだ。大事な用じゃ無ければ、また今度でもいいかな?」

「お、おう。別に用事が有るわけじゃないんだ。悪いな……」


 アリエッタの返事を聞くと、僕は足早にその場から立ち去った。会議の時刻が迫っているというのもあったが、彼女の顔を見ていると不安と焦燥感で自分が制御出来なくなりそうだったからだ。






 ………王城へと続く通路を歩きながら、僕は心を決めた。


「……アリエッタ。他の何を犠牲にしても、君だけは……」




 **********




「んん?おいおい、閉店時間はとっくに過ぎてるぞエクス」

「……テイム、夜遅くにすまない。アリエッタを呼んでもらえないか」


 月が顔を見せるような時間に、いきなり銀猫亭にやって来た僕をテイムが怪訝な顔で見つめる。


「……何か有ったのか?ひでえ顔してるぞ。……アリエッタだな。ちょっと待ってろ」


 テイムが階段を上ってアリエッタを呼びに行く。


 ……彼のことだって、僕は友人だと思っている。本当なら彼とマスターも今すぐに王都を離れて安全な場所への避難を促したい。


 だが、彼らにだって大切に想っている人達が居る筈だ。彼らにその人達は見捨てて自分達だけで逃げ出せと、僕は言えるのか?






「……エクス?どうしたんだ、こんな時間に」




 程なくして、アリエッタが階段から降りてきた。不思議そうに僕を見つめる彼女の顔を見て、僕は覚悟を決める。


 アリエッタだけを、王都ここから逃がす。


 例え周囲の人間から、彼女アリエッタから、卑怯者だと、外道だと罵られたとしてもだ。




「アリエッタ、大事な話がある。少し外で話せないか?」


 僕の言葉にアリエッタが固まった。

 ……勘付かれたか?子供の頃から、妙な所で勘の鋭かった彼女のことだ。僕の様子から何か感じ取ったのかもしれない。


「ふぇっ。え、えっと……そ、それってここじゃ話せないことなのか……?」

「ああ、君と二人きりで話がしたいんだ。今すぐに」

「……は、はい。分かり、ました………」

「少し歩こう。人気のない場所がいい」


 僕が歩き出すと、彼女は少し俯きながら僕の後ろについて歩く。

 ……彼女の顔が少し赤い気がするが、体調が良くないのだろうか。本当なら話は後日にして彼女を休ませてあげたいところだが、状況が状況だけにそうも言っていられない。通りから少し離れた寂れた広場で僕は足を止めた。夜ということもあって周囲に人気は感じられない。ここなら誰かに話を聞かれる心配もないだろう。僕は振り返ってアリエッタを見つめた。


「アリエッタ」

「は、はいっ」


 僕は両手を彼女の肩に置いた。僕の話に彼女が動揺した時に落ち着かせる為だ。


「……ッ」


 彼女がビクッと身体を震わせる。僕のただならぬ様子に警戒しているのだろう。


「アリエッタ、落ち着いて聞いて欲しい」

「……や、やっぱり駄目だ!お、お前にはリアクタが……!」

「リアクタちゃん?いや、彼女は関係……」


 アリエッタから突然出てきた名前に、彼女は関係無いと言いかけて僕はハッとした。

 アリエッタが王都に迫っている危機に勘づいているなら、友人であるリアクタを置いて逃げることに後ろめたさを感じているのかもしれない。

 ……だが、リアクタちゃんだってアリエッタが危険に晒されることを望んではいない筈だ。



「大丈夫。リアクタちゃんなら話せば分かってくれるよ」

「リアクタに何を話すつもりなのお前!?」

「リアクタちゃんだって、アリエッタの事を大切に思っている。僕の意見に賛成してくれる筈だ」

「狂ってんのか!?」



 取り乱すアリエッタを宥めるように、僕は彼女の肩に置いた手に軽く力を入れると、彼女に顔を寄せた。


「……アリエッタ」

「うっ、や……やだ……ちょっと待って……」


 彼女は怯えるようにギュッと瞳を閉じる。

 僕も自分を落ち着かせるように静かに深呼吸をした後に、彼女に告げた。


「アリエッタ。何も聞かずに故郷に戻って欲しい。今すぐに」

「………はぁ?」


 閉じていた彼女の瞳がパチッと見開かれて、僕を見つめた。


「……大事な話って、それ?」

「ああ、突然こんな事を言われても困るかもしれないけど……アリエッタ?」

「あ、あ、ああァァ~~~………」


 彼女は両手で自分の顔を覆い隠すと、その場に座り込んでしまった。……何か、想定していた反応と大分違うな。


「だ、大丈夫アリエッタ?どこか身体の具合でも……」

「………いや、自分の桃色脳味噌にショックを受けているだけだ。気にしないでくれ……ちょっと立ち直るまで待ってて……」




 **********




 数分後、座り込んでいた彼女が立ち上がった。


「ふゥ~~~……よし。もう大丈夫。俺は冷静だ」

「う、うん。それならいいんだけど……」


 アリエッタが気合を入れるように、自らの頬を軽く叩くと僕に向き直る。


「それで、俺に故郷に戻れって?それも今すぐに?」

「ああ、今すぐに最低限の荷物をまとめて準備してほしい。転移術で僕が送り届ける」


 僕の滅茶苦茶な話に、彼女は当然のように難色を示した。


「いやいや、そういう訳にはいかないだろう。マスターやテイムにも話をつけないと……」

「……彼らには後で僕から話しておく」

「……せめて理由を聞かせてくれよ。こっちも遊びや観光で王都に来てる訳じゃないんだ。訳も分からずに全部放り投げて帰るなんて……」

「……いいから、僕の言う通りにしてくれっ!」


 僕は思わず声を荒げて近くの壁を殴りつけてしまった。


「エクス……?」

「……頼むから、ここから逃げてくれ。アリエッタ……お願いだ……」


 ああ、駄目だ。声が情けなく震えてしまう。

 魔王軍に滅ぼされた生まれ故郷の情景が脳裏をよぎる。

 それは、まるで王都の未来の姿のようで。




 彼女を失ってしまうかもしれないことが怖い。


 彼女を残して倒れてしまうことが怖い。


 そして、そんな自分の弱さが怖い。




 アリエッタが壁を殴りつけた僕の拳をそっと両手で包み込んだ。


「エクス。お前が本当に望んでいるなら、俺は何も聞かずに故郷に帰るよ。マスターやテイムに不義理を働くことになったとしてもだ」

「アリエッタ……」

「でもな、多分これは違う。ここで俺が何も聞かずに王都から立ち去ることが、お前が本当に望んでいることだとは思えない」


 アリエッタはそこで一度、言葉を切ると真剣な眼差しで僕を見つめた。


「話してくれエクス。……前にも言っただろ?何かあったら、一緒に悩むぐらいはしてやるってさ」



 ……クソッ。

 どうして、僕はこんなに弱いんだ。

 覚悟したつもりだった。

 理解されなくてもいい。彼女に余計なものは背負わせたくないと。

 だから真実を告げずに、彼女を王都から引き離すつもりだったのに、彼女の言葉一つで心が揺らいでしまう。

 彼女の優しさに、甘えてしまう。




「……もうすぐ、少なくとも一ヶ月以内に魔王軍の大規模な侵攻が始まる。……恐らく、王都が戦場になる」


 気が付けば、僕はそうなる事を望んでいたかのように彼女に内心を吐露してしまっていた。




 **********




「……なるほどな。道理で最近、街中で兵隊さんをよく見ると思ってたんだ。この間の訓練所に運んだ資材もそれ関係か……」


 アリエッタは僕の言葉に思い当たる節があったようで、得心がいったように頷いていた。


「軍事機密だろうし、街の人達に情報が伝わっていないのは分かるが……まさか、軍は民間人を見捨てるつもりなのか?」

「いや、秘密裏に避難の準備は進めている。魔王軍の襲撃が始まり次第、市民を王城へ避難させる手筈になってる。あそこなら魔物に対する結界が張られているし、市街地より安全な筈だから」

「なんだ、それなら……」

「でも、万全とは言えない」


 一瞬、安心したような表情を浮かべたアリエッタに僕は告げた。


「普通の魔物ならともかく、幹部クラスの力なら結界を破ることは難しくない。勿論そんなことにならないように全力は尽くすけど、保障は出来ない。だから……」

「俺だけこっそり逃げ出せって?」


 僕は黙って頷くと、アリエッタが深い溜息を吐いた。


「……ありがとな。心配してくれるのは凄く嬉しいよ」

「だったら……」

「でも、俺はここに残るよ」


 彼女の言っていることがよく分からなかった。

「どうして」と僕が理由を問う前に彼女は続けた。


「だってさ、エクスも本当は嫌なんだろ?」


 ……何を言っているんだ彼女は。僕は思わず声を荒げてしまう。


「……そんな訳無いじゃないか!?アリエッタに何かあったら、僕は……!」

「違うよ。そうじゃない」


 まるで子供をあやす母親の様な優しい微笑みを浮かべながら彼女は告げた。




「嫌なんだろ?助ける人間と、助けない人間を選ぶことが」




 ……本当に、彼女はどうして妙な所で察しが良いのだ。僕の気持ちには全く気付かないくせに。

 核心をつかれて押し黙ってしまった僕を見て、アリエッタが苦笑する。


「銀猫亭の前にさ、パン屋があるだろ?」

「……え?」

「あそこで売ってるジャムが好きでさ。しょっちゅう買いに行ってたら店長に顔覚えられて仲良くなったんだよ」


 突然の話題転換に困惑する僕を他所に彼女は世間話を続けた。


「あと、この間リアクタと一緒に行った喫茶店のデザートも美味かったな。店の内装も落ち着いた感じで好みだったから、また行こうと思ってるんだ。それと三番通りの洋服屋な、この間は俺が着せ替え人形にされたから、今度はリアクタに滅茶苦茶エロイ服を着せようと思ってる」


 彼女は指折り数えながら、王都で出会った人達や今後の予定について語った。


「俺だけ故郷に逃げ出してさ、次に王都に来た時にそういう誰かだったり、店だったりが無くなってたら凄い嫌な気持ちになると思うんだよな。『あの人達を見捨てて俺だけ逃げた』ってさ。一生引きずるかも。………まあ、つまり何が言いたいかと言うとだな」


 自分の中から言葉を探すように頭をカシカシと掻いた後に、偉そうな感じで腕を組んで彼女は僕に言い放った。




「俺が嫌な気持ちにならないように頑張れ。俺も街の人も全部ひっくるめて救ってみせろ」




 ……彼女のあんまりな物言いに、僕は思わず吹き出してしまった。


「なんだよ、それ。僕に全部丸投げするの?」

「うるせェ~。一般村娘に何しろってんだよォ~。切った張ったでカッコつけんのはお前の役目なんだよォ~」


 アリエッタの傍若無人な振舞いを見て肩の力が抜けたのか、僕は久しぶりに普通に笑った気がした。


「そもそも、そんな話聞かされて俺がお前を置いて逃げ出すと思ってるのか?」

「はあ、聞き出したのは君だろう?……でも、おかげで覚悟が決まったよ」



 恐怖は消えない。


 でも、僕には仲間がいる。僕達の勝利を信じて疑わない彼女アリエッタがいる。


 だったら精いっぱいカッコつけることにしよう。彼女が不安にならないように。


 僕は彼女の手を取ると、彼女の澄んだ青空を思わせる碧眼を真っ直ぐに見つめながら告げた。



「誓うよ。君が望むのなら、君の為に総てを護ってみせる」

「お、お前さあ……女に向かって真顔でそういう台詞を軽々しく言うんじゃないよ。俺だから良かったけど、普通の女なら絶対勘違いするからな?」




 **********




「……しかし、本当に来るのかねえ。フィロメラを疑うわけじゃないが、まるで予兆が無いじゃねえか」

「ヴィラ、今までフィロメラさんの"星詠み"が外れたことは無かっただろ?もうすぐ一ヶ月だ。油断しない方がいい」


 気を紛らわせる為にと、ヴィラと訓練所で軽く手合わせをした帰り道で、独り言のように呟く彼を僕は戒める。


「分かってるよ。大規模侵攻を一般人に伝えなかったのは正解だったな。確実に来るけど、いつ来るか分からない敵っていうのは予想以上に堪えるわ。おかげで落ち着いていかがわしい店にも行けねえよ」


 軽い口調とは裏腹に、彼の戦意がかつてない程に高まっているのは模擬戦での槍術の冴えでよく分かっていた。先程の発言も、暗に僕も油断しないように促していたのだろう。




 そんなことを考えながら、ヴィラと通りを歩いている時のことだった。


 人混みの中でもよく目立つ、真っ赤な髪の女性がこちらにやって来た。

 ヴィラが片手を上げて声をかける。


「よう、アリエッタ。今日は非番か?」

「まあそんな所。エクス、ちょっと話が有るんだけどいいかな?」




 僕は迷わず剣を抜いて彼女に突きつけた。


「えっ……エクス……?」

「エクス!?何やってんだお前!?」



 怯える彼女と取り乱すヴィラを尻目に、僕は遂に"その時"が来た事を悟った。



「見るに堪えない猿真似は止めろ。ヴィラ、そいつはアリエッタじゃない」

「なっ……マジかよ。俺にはアリエッタにしか見えないぞ?どうして偽物だって言い切れるんだ?」

「喋る時の抑揚が違う。歩き方の重心が違う。匂いが違う。僕と目が合った時に前髪を整える癖が無い。他にも細かい点は多々有るけど、とにかく僕には彼女がアリエッタには見えない」

「深刻に気持ち悪いなお前!?」


 僕の目は誤魔化せないことを悟ったのか、アリエッタに似た何かがニチャリと崩れた笑みを浮かべる。


「クク……ただの余興のつもりだったが、こうも早く見破られるとはな。人族の観察眼も中々侮れんな」


 次の瞬間、溶けた蝋のようにアリエッタの形を崩した"それ"は、辛うじて人型を保った泥人形のような存在へと変貌した。




「八大幹部"幻影"だ。―――さあ、決戦の時だ人族よ!」




 "幻影"はそう宣誓すると、ボコボコと沼から泡が沸き立つように自らの肉体を膨張させて巨大な竜へと変貌した。

 分厚い城壁すら易々と砕けそうな巨大な鉤爪が僕に襲い掛かる―――!


「ぐぅっ……!」

「エクスッ!」


 咄嗟に振るった剣で爪の直撃を何とか防いだが、"幻影"はそのまま前足で僕を拘束すると上空に飛び立った。

 ヴィラがすぐさま槍を構えて僕の援護に回ろうとする。


「エクスッ!待ってろ、すぐに助ける!」

「ヴィラ!こっちは僕だけで何とかする!それよりも、このタイミングでの八大幹部の奇襲……!!」




 市街に鐘の音が鳴り響く。


 王都外縁で魔王軍の出現が確認された時の合図である。




 鳴り響く鐘の音に苦々しく顔を歪めるヴィラに向かって、僕は"幻影"の拘束を力任せにこじ開けながら叫んだ。


「僕は大丈夫だ!それよりも早くフィロメラさん達と合流して人類軍の援護に回ってくれ!」

「このタイミングで……!外の軍勢にも八大幹部がいるなら俺様達抜きじゃ抑えきれないか……!クソッ!死ぬんじゃねえぞエクス!」


 ヴィラは戦局を見極めると、王都の外縁部へと向かって駆け出した。

 "幻影"はそれを追撃せずに見送る。……初めから狙いは僕一人か。


「ぐぅっ……!うおおおっ!」


 何とか片腕を動かせる程度に"幻影"の拘束を破ると、僕は剣で奴の前足を切り刻んだ。

 僕を拘束していた奴の前足がバラバラの肉片になると、上空に運ばれていた僕の身体は自然と重力に任せた自由落下を始める。


「人が居ない場所は……あそこか!」


 人類軍による避難誘導は迅速に行われているようで、王城周辺以外には殆ど人影が見当たらなかった。おかげで僕は周囲への被害を気にせずに戦える場所を容易に見つけることが出来た。

 手のひらから魔力を放出して落下の軌道を修正すると、僕は無人の広場に降り立った。僕の後を追うように"幻影"が竜の姿から崩れた泥人形の姿に戻って広場へと着地する。


 ……変身能力は厄介だが、"氷獄"や"魔槍"ほどのプレッシャーは感じない。僕一人でも戦える筈だ。

 僕は"幻影"に剣を向けて告げた。


「悪いが、外で仲間達が待っている。早めにケリをつけさせてもらうぞ"幻影"」

「クク、なるほど。"氷獄"と"魔槍"を倒しただけのことはある。私だけでは分が悪そうだ」

「……何?」




「―――砕けろ、人族の英雄」

「!?」


 背後からの殺気に、僕は回転するように剣を背後に振るう。鈍い金属音と共に伝わってきた衝撃を殺す為に僕は敢えて背後へと吹き飛ばされる。


 僕を吹き飛ばしたのは全身を異常な量の筋肉で構成した魔族の男だった。己の肉体こそが至高の武具だと言わんばかりに武器を持たずに拳法のような構えで拳を僕に向ける。


「八大幹部"煉武"。出来れば貴様とは一対一で手合わせしたかったが、魔王様の為ならば已む無し」


 二人目の八大幹部だと……!


 僕は体勢を立て直しながら内心で呻く。少しでも早く、外で戦っているフィロメラさん達に合流したい状況だというのに……!

 僕は"煉武"と"幻影"の二人が視界に入る立ち位置へ移動しながら、八大幹部の二人を相手取る戦術を組み立てる時間を稼ぐために言葉を投げかけた。


「……僕一人を相手にするのに、八大幹部を二人もぶつけるなんてね。魔王軍は随分と僕を評価してくれているらしい」

「……」

「クク、そう謙遜することは無いよ?勇者エクス」


 "煉武"はこちらと会話する気が無いようだが、"幻影"は僕の挑発めいた言葉に乗ってきた。


「既に"氷獄"と"魔槍"がお前たちに敗れているんだ。これは君という戦力に対する妥当な判断だよ。……そして、僕達は過少評価もしなければ、過大評価もしない。君さえ倒れれば、残りの人類軍は烏合の衆だ。簡単に飲み干せる。……それと、もう一つ」



 "幻影"が人差し指を立てて僕に告げた。




「僕達が二人だけだと、いつ言った?」

「―――ッ!?ああああっ!!」



 僕が直感に任せて、前方に向けて全力で剣を振り下ろした次の瞬間、僕の目の前で見えない"何か"が爆音と共に弾け飛んだ。

 視認出来ない無色透明の魔力弾……!?

 "幻影"は僕が謎の攻撃を防ぐのを見ると、手を叩いて大はしゃぎしていた。


「凄い凄い!あの一撃を防ぐなんて!」

「……喋り過ぎだ"幻影"。貴様が余計な事を言わなければ、今の一撃で殺せはせずとも手傷を負わせることが出来た筈だ」

「いいじゃないか"煉武"。"彼"だけ仲間外れにしては可哀想だろう?さて、距離が離れすぎてて君には見えないかもしれないから彼に代わって僕が紹介しよう。君を狙う3人目の八大幹部"魔弾"だ。王都の外から君を狙撃するから十分に注意してほしい」



 3人目だと……!?こいつらは僕一人に何人の八大幹部をぶつけるつもりなんだ!?



 王都の外から攻めてくる敵にばかり集中していたから完全に油断していた。こいつらは軍勢を率いずに単独で行動しているからフィロメラさんの"星詠み"でも予測することが出来なかったのか。外から攻めてきている3つの軍勢を指揮する八大幹部と、この場で僕を狙っている3人の八大幹部で総勢6人、既に敗れた"氷獄"と"魔槍"を除いた八大幹部が総がかりで攻めてくるなんて……!


 "幻影"の姿が再び崩れて、今度は人間を簡単に丸呑み出来るような巨大な蛇へと姿を変える。

 大蛇は悪辣な笑みを浮かべながら、謳うように僕に宣言した。




「さあ、行くぞ勇者よ。我ら八大幹部三名、全力で相手をしてやろう」





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