22."好き"と"好き"



「んむっ………!?」




 アリエッタは突然の事態に抵抗するのも忘れて、ミラちゃんにされるがままになっていた。

 数秒の後にミラちゃんの唇が、名残惜しそうに俺の唇から離れる。

 親愛を示すそれとは明らかに違う、少女の劣情を感じさせる湿り気を帯びた口づけに、俺は目を白黒させた。


「……ぷぁっ!ミ、ミラちゃん………!?」

「お姉ちゃん……ううん、アリエッタ。アリエッタは私のこと好き?」


 ミラちゃんが熱に浮かされたような顔で俺に問いかける。初めて見る少女の意外な一面に俺は気圧されてしまい、ミラちゃんに組み伏せられた態勢から動けなかった。


「す、好きだよ。ミラちゃんのことは好きだ。でも、それはこういうのじゃなくてだな……」

「私はこういう"好き"なの。アリエッタもそうじゃなきゃ、嫌」


 クソッ、こっちの話を聞く気が欠片も無い。

 ミラちゃんが俺の心を探るように、瞳孔が開いた瞳で俺の瞳を覗き込んでくる。滅茶苦茶怖い。

 まさか自分がミラちゃんから性的な目で見られているなんて夢にも思わなかったが、前途有る若者を非生産的な爛れたエロス沼に堕とす訳にはいかない。俺はミラちゃんに押し倒された態勢のまま、ペラペラと口を回してミラちゃんの説得を試みた。


「………ミラちゃん。気持ちは嬉しいけど、ミラちゃんは女の子で俺も女なんだ。同性同士でそういう関係になるっていうのは、あまり歓迎されることじゃないっていうのは分かるよね?そうだ、こうしよう。今日あったことは二人だけの秘密にしよう。俺は誰にも話さないし、墓場まで持っていくから安心してくれ。きっとあと何年かすればミラちゃんにも素敵なボーイフレンドが出来て、今の気持ちなんて忘れてしまうさ。その時に俺が少しだけ今日のことを蒸し返してミラちゃんをからかうんだ。きっとミラちゃんは照れながら俺のことを軽く小突いたりするんだろうなあ。どうだ、楽しそうだろ?みんなでハッピーな未来を創っていこうじゃないか」


「………私、お姉ちゃんが女の子をいやらしい目で見てること知ってるんだから」


 言い方ァ!!

 おおお俺の性的指向に関しては今関係ないでしょォーーー!?


「今日だって、リアクタさんが前かがみになったりしてる時にお姉ちゃんがリアクタさんの、その、お、おっぱいを見てたの私、気づいてるんだからねっ」


 やめたげてよぉっ!

 隠していたつもりのスケベ心を12歳の少女に完全に見透かされていた事実に俺のライフはもうゼロである。先程、俺の足をガン見していたテイムを笑えない。だって、リアクタってば俺が同性ということを加味してもめっちゃガードが緩いんだもん。スキンシップ過多だからちょいちょいおっぱいを押し付けてくるし、胸元から結構な頻度でブラチラしているのだ。そりゃあ見るだろう。むしろ見ない奴はホモである。そして俺はホモではない。だから俺は悪くない……ッ!誰も弁護してくれないので、俺は自分で自分を弁護していると、ミラちゃんが俺の耳元で甘く囁いた。


「私だったら、お姉ちゃんのしたいこと全部してあげるよ?おっぱいだって、まだ小っちゃいけどこれから大きくなるし、本で勉強したからお姉ちゃんのこといっぱい気持ちよくしてあげられるもんっ」


 アッーーー!!

 ミラちゃんが俺の服に手をかけようとする。あかんあかん、このままじゃミラちゃんエンド一直線だ。

 クソッ、モブキャラとして日々を慎ましく生きている筈なのに、どうしてこう厄介なイベントがひっきりなしに転がり込んでくるのだ。いくらミラちゃんから求めてきているとはいえ、相手は12歳で俺は17歳。オマケに俺の中身はアラサーのおっさんだ。このまま状況に流されようものならロリコン罪で一発レッドカードである。

 俺の脳みその処理能力では手に負えない状況に視線をあっちへふらふら、こっちへふらふらしていると、"それ"が視界に映った。


「………っ」


 ミラちゃんの手は震えていた。

 きっと俺の気が動転していたから気づかなかっただけで、この状況になってからミラちゃんはずっと震えていたのだろう。


 それはきっと怖かったからだ。


 彼女が何に怯えていたかなんて、察しが悪い俺でも分かる。




 それは、俺に拒絶されることだ。




 同性に対する恋愛感情を告白することが、どれほど勇気の要ることだったのか。

 理解出来るなんてとても言えないが、生半可な気持ちで出来ることでは無いのは想像に難くない。

 それでも、彼女は俺に恋心を打ち明けたのだ。これまでの関係が全て壊れてしまうかもしれない恐怖に震えた体で、俺を抱きしめたのだ。


 ………なら、俺も勇気を出さなければ。

 このままミラちゃんにだけ体を張らせるなんて、年上としてカッコ悪すぎる。

 誤魔化しや嘘を無しにして、彼女の気持ちに真剣に向き合おう。




 たとえその結果、俺がミラちゃんから嫌われたとしても、だ。




「えっ、お姉ちゃん……?」


 俺はミラちゃんを強すぎない程度に抱きしめた。

 優しく、彼女の頭を撫でながら続ける。


「俺にとってミラちゃんは、友達で、家族で、大切な妹の様に思ってる」


「………うん」


「俺はミラちゃんが好きだよ。本当に心の底からそう思ってる。……でも、やっぱりそれはミラちゃんが望んでいる"好き"とは違うものなんだ」


「………」


 ミラちゃんは黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。




 ……俺は自分を慕ってくれている少女に、残酷で、致命的な言葉を告げた。




「俺はミラちゃんの想いに釣り合う程の気持ちを持つことが出来ない。だから、君の気持ちには応えられない。………ごめんな」


「………そっかぁ」


「本当に、ごめん……」


「……いいよ。謝らないで、アリエッタ……」



 正直、ミラちゃんを泣かせてしまうかと思ったが、彼女はただ静かに俺の言葉を受け止めてくれた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。ミラちゃんが俺の手を解くと、ゆっくりと起き上がって俺の上から離れた。


「……ありがとう、お姉ちゃん。私とちゃんと向き合ってくれて。私が欲しかった答えじゃなかったけど、好きって言ってくれて嬉しかった」

「……ん、お礼を言うのは俺の方かもな。誰かに愛されるってやっぱり凄く嬉しいことだからさ」


 何となく湿っぽくなりそうな空気を変えようと、俺は軽く肩をすくめておどけた仕草をする。


「それに、ファーストキスの相手がミラちゃんっていうのは中々悪くないしな」

「………えっ?」

「ん、どうしたミラちゃん?」

「わ、私がファーストキスの相手なの?お姉ちゃんの?」

「そうだけど……何か変かな?」

「いや、その……エクスお兄ちゃんとは、してないの?」

「……はぁ?」


 ミラちゃんから突然出てきた名前に俺は怪訝な顔をした。


「い、いやいやいや。俺とエクスはそういうのじゃないからっ」

「……ふーん。あのですね、お姉ちゃん」


 はい、なんでしょうか。

 ミラちゃんが急に改まった感じになったので、俺もつられてベッドの上で正座をした。


「今日のところは退くけど、私はお姉ちゃんのことを完全に諦めたわけじゃないんだからね?あんまりモタモタしてると、お兄ちゃんから無理やりお姉ちゃんを奪っちゃうんだから」

「いや、だから誤解だってば。俺はエクスにそういう気持ちは………そもそも、エクスには他に好きな奴がいるし……」


 エクスとリアクタの仲睦まじい様子が脳裏を過る。しかし、ミラちゃんは俺の言葉を即座に否定してきた。


「それは無い」

「即答!?」

「お兄ちゃんの気持ち悪い行動を見てれば、お兄ちゃんがお姉ちゃんにぞっこんだって誰でも分かるもんっ。お姉ちゃんの馬鹿っ!にぶちんっ!」


 ぷんぷんと怒ったミラちゃんにぽかぽかと殴られる。……どうしよう。少し興奮してきた。

 俺は新しい性的嗜好を開拓する前にミラちゃんを宥めすかすと、ミラちゃんとミラちゃんパパが宿泊している宿にまで彼女を送り届けた。

 まあ、紆余曲折は有ったがミラちゃんと気まずい関係にならずに済んだのは我ながら上出来だと思う。

 パーフェクトコミュニケーション!




 **********




 それから数日後、ミラちゃん達が故郷に帰るというので俺は馬車の停留所へ彼女の見送りに来ていた。


「わあっ。お姉ちゃん、そのお洋服着てくれたんだねっ」

「まあ、折角ミラちゃんが選んでくれたんだし、たまには着てやらないとな。髪はツインテじゃないけど勘弁な。結ったり編んだりするのは苦手なんだわ」


 ミラちゃんとはまたしばらく会えなくなるのだ。俺はちょっとしたサービスのつもりで羞恥心を抑え込んで、リアクタとミラちゃんが選んでくれた洋服を着て見送りに来ていたのだ。

 俺は抱き付いてきたミラちゃんの頭を優しく撫でた。


「母さんや父さんにも元気でやってたって伝えといてくれるかい?まあ、あと3ヶ月もすれば帰るんだけどさ」

「うんっ。……その、お姉ちゃん。本当はこんなこと絶対に言いたくなかったんだけど、自分の気持ちに正直になってね?」

「……もしかして、エクスのこと?」

「……気持ちを隠すことの辛さ、私よく知ってるから」


 やがて、馬車が出発する時刻が近づくと、ミラちゃんは名残惜しそうに俺から離れた。




「俺の気持ち、か………」




 ミラちゃんが乗った馬車が見えなくなってから、俺はぽつりと呟いた。


 ……俺の気持ちなんて考えるまでもない。

 俺はエクスのことは好きだが、それはあくまで親愛や友愛としての好意だ。

 好きだから、あいつに幸せになって欲しいから、エクスとリアクタの二人を応援すると決めたじゃないか。


 ……そのことを考えれば考えるほどに、胸が軋むような感覚に襲われる。

 俺は気持ちを切り替えるように軽く頭を振ると、銀猫亭に戻ることにした。無理を言って仕事中にミラちゃんの見送りに来させてもらったのだ。早く戻らなければ。




 **********




「………えっ、これから訓練所にですか?」

「ああ、急で悪いんだが行ってくれるか?テイムも今は手が離せなくてな」


 ミラちゃんの見送りから戻ってくると、早速マスターからの緊急イベントが俺を待っていた。

 別の業者が訓練所へ届けるはずだった資材がトラブルで遅れてしまっているようで、たまたま必要な資材を持っていたマスターが泣きつかれてしまったらしい。テイムも他の対応で店を離れることが出来ないので、俺に訓練所まで資材を届けてほしいそうだ。


「分かりました。すぐに向かいますね」

「ああ、資材は既に表に用意してあるから頼むぞ。アリエッタは今日は店でのシフトだったのにすまんな」

「いえ、任せてください。それじゃあ行ってきまーす」




 行きたくねェ~~~。


 扉を閉めて表に出ると、俺はゲッソリとした顔を浮かべた。

 理由は俺の服装だ。今日は店内での勤務の筈だったので、それならギリギリ我慢出来るとミラちゃんのためにミニスカを履いたのだが、まさか訓練所へ行くことになるとは。

 いつものモブキャラ服に着替えてから行きたかったが、マスターの様子からして緊急の仕事らしいのでそういう訳にもいくまい。


「うぅ……訓練所の兵士さん達に冷やかされそうだなぁ……」


 前世での苦い記憶が蘇る。学生時代に高校デビューを目論んで、クソみたいなセンスを弁えずにお洒落に手を出して、周囲からドン引きされた苦い記憶が……!


 普段は壁と同化するようなクソ地味なモブキャラファッションの女が急に色気づいては向こうも反応に困るだろう。兵士さん達の腫物に触るような対応が目に浮かんで更に気が重くなる。


 俺は慣れないスカートで、通行人の皆様に見苦しいものを見せないように四苦八苦しながら、資材が積まれた荷馬車の御者席に乗り込むのだった。




 **********




「おっ、アリエッタちゃん。今日は随分お洒落だね。よく似合ってるよ」

「あっ、はい。すんません。お見苦しいものをお見せして本当に申し訳ないです」




「ア、アリエッタさん。その、今日はまた一段と、可愛らしい装いですね……」

「ごめんなさい。ごめんなさい。私なんかが色気づいて本当にすんません勘弁してください」




 通りがかった兵士さん達に何やら言われているが、1mmも頭に入ってこねえ。いつものモブキャラ服だったら何てことないのに、肌を露出していると俺の精神防御力はここまで落ちてしまうのか。嫌な発見をしてしまった。


「資材を届けたら、さっさと銀猫亭に帰ろう……」


 とぼとぼと重い足取りで訓練所内を歩いていると、奥から見慣れた顔がやってくるのが見えた。


「エ、エクスぅ~~~」


 ふらふらと俺は癒しを求めて息子エクスに近づいた。

 しかし、今日のエクスは何だかいつもと様子が違っていた。なんというか、少し殺気だっているというか、ピリピリとしているような………


「エクス……?」

「……ん、ああ、アリエッタ。ごめん、ちょっと急いでいるんだ。大事な用じゃ無ければ、また今度でもいいかな?」

「お、おう。別に用事が有るわけじゃないんだ。悪いな……」


 俺の返事を聞くと、エクスはそのまま早足で訓練所から王城に続く道へと消えて、通路には俺一人がポツンと取り残された。




「……なんだよぉ。俺に目もくれないでサッサと行っちまいやがって……」


 ……エクスのことだから、きっと何か重大な案件が有ったのだろう。理由も無く素っ気ない態度を取るような奴じゃないことは分かっているが、それでも俺は理不尽な我儘を口にしてしまう。


 着慣れないスカートの端を指で軽くつまむと、俺は溜息混じりに愚痴をこぼした。






「……こんな格好してるんだから、一言ぐらい可愛いとか言ってくれてもいいじゃんかぁ……」




 ………は?


 ちょ、ちょっと待て。俺は今、何を言った?




 自分が無意識にこぼした発言の意味が、ジワジワと脳内に染み入ってくると同時に顔面から火が噴き出しそうになる。




「な、なななな……!何を言ってるんだ俺はァーーー!?」




 訓練所の通路に俺の絶叫が響き渡った。




 **********




 月明りすら無い夜のような暗闇の中に、その城は存在していた。


 広すぎる城内に対して生命の気配は驚くほど少なく、その僅かな気配も城内の一室に集中していた。


「………」


 円卓の下に集った五人の魔族は、一言も言葉を交わさずに沈黙を貫いていた。

 彼らがこの場に集ってから、どれほどの時間が過ぎただろうか。

 耳の痛くなるような静寂を、新たに暗闇から現れた六人目の魔族が破った。


「八大幹部"幻影"ただいま参上しました。……おや、僕が最後か。待たせてしまったかな?」

「構わん。……それよりも、それぞれの持ち場を放棄させてまで我ら八大幹部の総勢を呼びつけたのだ。そろそろ要件を話してくれないか。総司令殿」




 その言葉に呼応するように、仮面で素顔を隠した男が中空に現れた。




 八大幹部達の鋭い視線が男に集中する。常人であれば、それだけで気を失いかねないプレッシャーを意に介さずに、男は言葉を発さずに魔力で八大幹部達に指令を与えた。




「………本気ですか?そこまでする必要があるとは思えませんが……」

「いや、遅すぎたくらいだ。我らの中で最も戦闘能力に優れた"氷獄"が破れた時点でこうするべきだった」

「"魔槍"も破れ、我ら八大幹部も残り六人。今代の人族の勇者は少々手強い。妥当な作戦でしょう」


 総司令と呼ばれる男から与えられた指令に、八大幹部の反応はそれぞれ異なったが、最終的には六名の意見は一致した。




「我ら八大幹部、残存六名。総がかりで王都を堕とす。これで人族との戦いを終わらせるぞ」



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