19.悪夢

 思い返してみれば、魔の手は随分と前から忍び寄っていたのかもしれない。


 エクスは目の前の現実から目を背けるように、過去を振り返っていた。




 **********




「よっ。エクス」

「アリエッタ?どうしてこんな所に……」

「どうしてって、そりゃあ仕事に決まってるだろ。ほれ、お前には俺の奢りで一本サービスな」


 唐突に王宮の訓練場に現れたアリエッタから液体の入った小瓶を受け取る。


「これは?」

「疲労回復のポーションだよ。この間の魔王軍との戦闘で街道が一つ塞がってるだろ?その影響でこの手のポーションの流通が絞られてるからな。仕入れる伝手を持ってるウチとしては稼ぎ時な訳よ」


 アリエッタは背後の荷車に積まれたポーションを指差した。


「ちょっと前から訓練所で販売させてもらってるんだけど、エクスとここで会うのは初めてかもな。魔王軍の前線基地を潰してたんだって?みんな怪我とかしてないか?」

「うん。小規模な基地だったから大きな負傷とかはしていないよ。アリエッタは最近はいつも訓練所に?」

「ああ、兵隊さん相手の商売なんて、王都でもないと中々出来ないからな。良い経験になるし売り子なら男よりも女の方が映えるってマスターからのお達しだ。最近は店よりもこっちに居る時間の方が長いくらいだよ」

「そうなんだ。実は僕達も明日から指南役でしばらく訓練所での任務なんだ。……その、アリエッタと顔を会わせることも多くなるかもね」

「おう。次からは金取るから売り上げに貢献してくれよな」


 そう言って、アリエッタは悪戯っぽく笑った。


 ここ数日は遠征で彼女の勤める銀猫亭に顔を出せていなかったので、久しぶりにアリエッタの顔を見ることが出来た嬉しさと、これからの訓練所での任務で思いがけずアリエッタに会う機会が増えたことに対して思わず頬が緩むのを感じる。




「やあ、アリエッタちゃん。ポーションを一つ貰えるかな?」


 一人の若い男が、親しげにアリエッタの肩に手を置いた。


「あっ、ホースさん。いつもありがとうございます」


 アリエッタが僕にいつも見せる無邪気な笑顔とは、また少し違った人に見られることを意識した淑やかな笑顔を浮かべた。

 ホースと呼ばれた男が僕の方に視線を向けると、軽く敬礼をする。


「エクス殿。明日からの我らの指南役、よろしくお願いいたします」

「あ、ああ。うん。よろしく」


 僕が気もそぞろに返事をすると、男は再びアリエッタに視線を向けた。


「アリエッタちゃんがエクス殿と知り合いとは聞いていたけど、本当だったんだね」

「酷いなあ。私のこと疑ってたんですか?」

「はは、ごめんごめん。訓練所でポーションを売り込む為のハッタリかと思ってね」

「それじゃあ、お詫びの印にいつもより少し良いポーションを買ってもらえますか?お値段もちょっぴり上ですけど」

「おっと。こいつは藪蛇だったかな?」




 ………随分とアリエッタに親しげだな。この男。


 和やかにアリエッタと歓談している男を見つめる自分の視線が、どんどんと鋭くなっていくのを感じて僕は自制した。

 いやいやいや、ただの世間話じゃないか。いくら何でも、この程度のことで相手を嫉妬するのは度が過ぎている。僕は謂れの無い悪感情を向けてしまった彼に内心で謝罪をした。




「ところで、アリエッタちゃんが良ければ今度の週末に食事でも一緒にどうかな。五番通りに雰囲気の良い店を見つけてね」

「そんな感じで色んな女の子に声をかけてるんでしょう?騙されませんからね」

「うーん。君と仲良くなりたいっていうのは本当なんだけどなあ」


 さて、どうやってこの男を消そうか。

 一瞬で心の温度を氷点下まで落とすと、僕は脳内で完全犯罪の計画を練り始めたが、デートの誘いを軽くあしらったアリエッタに呼びかけられて正気に戻った。


「やれやれ。訓練所に出入りするような女が物珍しいからって、その気も無いのに面白半分で声をかけてくるんだから困ったもんだよな?」


 ……どうして彼女は自分の魅力に対して、こうも無頓着なのだろうか。


 確かに道行く人が皆振り返るような絢爛な美女という訳では無いかもしれないが、彼女の快活で親しみやすい天真爛漫な人柄はとても魅力的だと思うし、それに気づいている男性が僕だけとは到底思えない。

 少し目を離すと、無自覚に自分に向いている矢印を増やしてくるので僕としては気が気ではない。


「それじゃ、俺は営業してくるから。また明日なエクス」

「う、うん。また明日………」


 僕は遠ざかっていくアリエッタの背中を不安な面持ちで見送った。




 **********




 後日、僕はヴィラを連れて訓練所へ指南役として訪れたのだが、事態は僕が思っていたより深刻だったようである。


 先程まで僕と模擬戦をしていた純朴そうな青年にアリエッタが何やら話しかけている。

 僕はヴィラの槍を捌きながら、全神経を集中して二人の会話に聞き耳を立てていた。




「どうしたんですかヒットさん?元気無いですよ?」

「アリエッタさん……いえ、自分の弱さに少し情けなくなりまして……」




 槍による突きだけではなく、蹴り技なども組み合わせたヴィラの多彩な攻撃を受け流しつつ、僕はぎょろりと眼球をアリエッタと青年の方へ向ける。青年は沈痛な面持ちでアリエッタにぽつりぽつりと内心を吐露していた。




「勿論、エクス殿に勝てる等とは初めから考えていません。……ですが、改めて実力の差を思い知らされるというのは正直、堪えます。訓練で手加減している彼に全く歯が立たないとは……」




 青年が頭を掻きながら無理やり苦笑いを浮かべた。

 一方で、ヴィラが僕を指差して何やら口上を立てているが全く頭に入ってこない。とりあえず雰囲気で「……ああ!」と力強く頷いておくと、ヴィラの姿が波打つように揺らいだ次の瞬間、彼の姿が3人に分身していた。ヴィラの新技の様だが、僕はそれよりもアリエッタと青年の会話の方が気になって仕方なかった。




「ヒットさんは弱くなんかないですよ。私ちゃんと知ってますから」

「はは、ありがとうございます。……でも、アリエッタさんも見ていたでしょう。先ほどの手合わせでエクス殿に一太刀浴びせることも出来なかった自分を……」

「確かにエクスはヒットさんより強いかもしれませんけど、それだけでヒットさんが弱いなんて馬鹿な事言う人がいたら私がぶん殴ってやりますよ」

「ア、アリエッタさん?女性がそんな乱暴な言葉遣いは……」


 何やらテンションが上がっている様子のアリエッタが青年にグイッと近づいた。


 ………アリエッタ。ちょっと彼との距離が近すぎないかい?もう少し離れて。早く。


 内心でそんな苦言をこぼしつつ、僕は三方向からのヴィラの槍を受け流す。多少、大げさに回避しつつ不自然にならないように視界には常にアリエッタが映るポジションをキープしておく。




「毎日毎日、朝から晩まで国の為に訓練している人が弱いなんて馬鹿なこと有る訳無いじゃないですか。ヒットさんが頑張ってるの私ちゃんと見てるんですからね。もっと自信を持ってください」

「アリエッタさん………その、ありがとうございます。貴方にそう言ってもらえるのは、正直嬉しいです……」

「あは、それなら感謝の印にポーション一本買っていってもらえますか?………あっ、一応言っておきますけど、さっきのはセールストークとかじゃなくて本心ですからね?」

「分かってますよ。貴方はそういう器用な人じゃないでしょうから」

「あっ、酷い。ちょっと馬鹿にしてるでしょう?」




 青年とアリエッタが和やかに談笑している様子を見ていると、僕は心がどんどん冷えていくのを感じた。ヴィラが着ている上着を破り捨てて吼えた。


「エクス~!テメェやる気あんのか!さっきから一体どこを見てるんだよ!?俺様を見ろ!俺様だけを!この俺様の鍛え上げられた肉体と!技を!お前の目に焼き付けるんだよォ~~~!」


 ホモかな?

 怪しげな発言をして飛びかかってきたヴィラをボコボコにした後、僕はアリエッタに声をかけようとしたが、すぐさま次の模擬戦希望者が現れてしまった。一応、兵士たちの訓練が任務である以上、断ることも出来ず僕は途切れることなくやってくる猛者たちを相手にすることになった。

 結局、この日はアリエッタとは二言三言しか言葉を交わすことが出来なかったのだった。




 **********




 任務とはいえ、勇者にだって休みはある。


 訓練からも魔王軍との戦闘からも解放された僕は、軽い足取りでアリエッタの勤める銀猫亭へと向かっていた。彼女の都合さえ合えば、食事にでも誘おうと思っていたのだ。なんなら彼女を僕達の屋敷に招待するのもいいかもしれない。リアクタちゃんもアリエッタに会いたがっていたし、ちょうどいいだろう。


 そんなことを考えながら通りを歩いていると、見覚えのある赤髪が僕の目に映った。




 そして、彼女の隣には見知らぬ男が立っていて、それはとても親し気な様子で談笑していた。


 誰だあいつは。銀猫亭のテイムでも、ここ数日で訓練所で見かけた兵士達でもない。


 僕は近くの壁にスッと身を隠した。いや、別に隠れる必要は無かったのだが身体が勝手に動いてしまったので仕方ない。僕は激しくなる動悸に息を荒くしながら、こそこそとアリエッタと見知らぬ男の様子を伺った。


 かなり距離が離れていたので、何を話しているかまでは聞こえなかったが、彼女はにこやかな笑顔を無防備に男に向けているし、男の方も親し気にアリエッタの肩に手を置いたりしている。そんな光景を見ていて、僕は胸を掻き毟りたくなるような衝動に襲われた。




「はぁー……はぁー……はぁー……」




 僕は呼吸を荒らげながら、身を隠している壁をギュッと握りしめる。血走った目を見開いてアリエッタと男を監視していた僕の肩を背後から誰かが叩いた。


「おい変質者」

「誤解です。僕は怪しい者ではありません」


 僕は反射的に冤罪を主張した。

 背後を振り返ると、そこには僕と同じく休暇中のヴィラが立っていた。


「……人類軍の大英雄様が街の往来で一体何をやってるんだよ」

「ヴィラか……ちょうどよかった。実は相談に乗って欲しいことが有るんだ」

「俺様は自首した方がいいと思う」

「僕が犯罪者という前提で話を進めないでくれ。とりあえず落ち着ける場所で話そう」


 僕は嫌がるヴィラを連れて近くの酒場へと足を運ぶのだった。




 **********




 思い返してみれば、魔の手は随分と前から忍び寄っていたのかもしれない。


 僕は目の前の現実から目を背けるように、過去を振り返っていると、ヴィラが面倒そうな顔をしながらグラスの酒を流し込んだ。


「あ~……つまり、なんだ。最近アリエッタの周りに近寄って来る男が多すぎるって話か?」

「うん。アリエッタが魅力的な女性だということは理解していたけど、それにしても最近の彼女の周囲の男性比率の高さは異常だと思うんだ。どうしたらいいと思う?」

「それに俺様は何て答えれば正解なんだよ………というか、そんなに心配ならさっさとアリエッタをモノにしちまえよ面倒くせえ」


 乱暴な結論に至るヴィラに僕は首を横に振った。


「それは出来ない」

「何でだよ」

「……僕達の戦いは死と隣り合わせだから。もしも、僕が今すぐ告白してアリエッタと恋人同士になれたとしても、彼女を残して僕が死ぬことだって十分にあり得る。その時に、アリエッタには僕の事を引きずってほしくないから………だから、僕が彼女に想いを伝えるなら、それは僕達が魔王軍を打倒した時なんだ」

「重い上に面倒くせえ……」


 ヴィラは深い溜息を吐くと、店員に酒の追加を注文した。僕が勇気を振り絞ってアリエッタを好いている事を告白してまで相談しているというのに、アルコールを摂取しながら話を聞くなんて誠実さに欠けていると思う。


「あんまり眠たいこと言ってると、アリエッタを他の男に取られちまうぞ。お前は知らないかもしれんが、アリエッタは訓練所の兵士達にかなりモテてる」

「そうなのかい?」

「軍隊ってのは基本的に女っけの無い職場だからな。兵士達の間でアリエッタが半分お姫様みたいな扱いになってるの知らないのか?」

「そ、そんな事になってたの……いや、でも訓練所にはフィロメラさんにレビィさん、リアクタちゃんだって魔術関係の指南役として来ているじゃないか。どうしてアリエッタだけそんな扱いに?」


 僕がそう言うと、ヴィラはまるで物覚えの悪い子供に勉強を教える教師のように頭を抱えた。


「あのな、確かにウチの女性陣は見てくれは良いかもしれんが、あいつらの肩書を考えてみろよ。国王とも個人的に親交がある賢者様。世界の調停者なんて呼ばれている竜族の戦士。世界宗教に片足突っ込んでる聖天教の大神官様。高嶺の花を絵に描いたみたいな連中にどうこうしようなんて考える奴は中々いねえよ」


 ……確かに。よくよく考えてみれば凄い顔ぶれである。僕も故郷の村で一般人として過ごしていれば、彼女達の顔を見る事すら無かっただろう。


「それに対してアリエッタはどうだ?確かに絶世の美女って訳じゃあないが、滅茶苦茶な肩書も持ってない普通の一般人で、妙に男との距離感が近い明るくて優しい女の子が、女日照りの兵隊達の前に来てみろ。女慣れしていない若い連中なんかはあっという間にグラッと来るって寸法よ。自分でも手が届きそうって所がポイントだな。遠くの薔薇よりも近くのたんぽぽって奴だよ」



 なんてことだ………僕は頭を抱えた。

 アリエッタの魅力が皆に認められているのは悪い気はしない。しかし、このままではアリエッタがどこの馬の骨とも知れない男に………


「まあ、アリエッタのことなら多分、大丈夫だろう」


 ヴィラがグラスを呷りながら無責任な事を言った。一体何を根拠に………




「だって、あいつお前にベタ惚れしてるじゃん。よっぽどの事が無ければ他の男になびいたりはしねえだろ」




 ………?


 アリエッタが、僕を?

 ヴィラが意味不明なことを言っている。


「大丈夫ヴィラ?飲み過ぎた?」

「お前、マジで気づいてないのか?アリエッタの顔見てれば分かるだろ?」


 アリエッタの顔?


 僕はここ数日の彼女が近くに居た時の事を思い返してみたが、特におかしな所は無かったと思う。


 強いて言えばお互いの視線が合うことが妙に多かったのと、僕がそれに気づくとアリエッタが慌てて僕から視線を逸らしていたように見えた事ぐらいだが、それは子供の頃からの事だったし何も特別なことではなかった。やはりヴィラの勘違いである。



「……あ~やだやだ。何でこんな遠回しな惚気話を聞かされなきゃならないんだか……」

「………???」




 結局、僕はヴィラの言葉の意味を理解出来ないままに、その日の夜が更けていくのだった。





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