18.負けられない戦い……!


 アリエッタが銀猫亭で働き始めてから、ひと月が経った。



「一ヶ月間お疲れさんアリエッタ。生活費の分を差し引いているからあまり多くはないかもしれんが、受け取ってくれ」

「ありがとうございますマスター。こちらで勉強させてもらっている立場なのに何かすいません」




 という訳で楽しい給料日である。俺はマスターから恭しくお賃金を頂いた。


「なあに気にすんな。親父さんから仕込まれてるだけあって筋は良いし、看板娘がお目当ての客も増えたしな」

「あははは。私なんかが看板娘だなんて恐れ多いですよ」

「いやいや、仕入先でもアリエッタは評判いいぞ?快活で話してて気持ちいいってさ」

「またまたぁ。恥ずかしくなるんで、あんまり持ち上げないでくださいよ」


 父さん仕込みの商売術はともかくして、看板娘は流石に大げさだ。こんな美形だらけの異世界で俺程度の顔面で客が増えるなら苦労はしない。俺はマスターの冗談を笑って受け流した。


「………まあ、看板娘云々はともかくとして、女にしてはまあまあやれてるんじゃねえの」


 ツンデレみたいな事を言いながら倉庫で在庫確認をしていたテイムが戻ってきた。


「お疲れ様ですテイムさん。………でも、その女にしてはっていうの止めてもらえますか?これでも、そこら辺の男よりは戦力になれてるつもりですよ?」


 俺は腰に手を当ててムンッと胸を張って言い返すと、テイムはばつが悪そうに頭を掻いた。


「あ~……すまん、今のは俺が悪かった。お前が頑張ってるのは分かってるつもりだ。………この一ヶ月間よく頑張ったなアリエッタ」




 ちょ……ちょろすぎる………ッ!


 何でたったひと月で完オチしてるんだよこいつ。初登場時はもっとギラついた奴だったじゃんお前。俺は気持ち悪がった。


「ど、どうしたんですかテイムさん………ちょっと気持ち悪いですよ?」

「人が真面目に褒めてやってんのにてめえは……っ!」


 俺が牙を抜かれちまったテイムを哀しげな瞳で見つめていると、マスターが俺とテイムを見て笑った。


「まあそう言うなアリエッタ。テイムは仲間が出来て嬉しいんだよ」

「仲間?」

「お前も知っての通り、テイムは仕事には真面目かもしれんが口が悪けりゃ手も早い。適当な仕事してる奴とは取っ組み合いになることも少なくなかった」

「そうそう!私の知ってるテイムさんはそういうキャラですよ!」

「はったおすぞアリエッタ!」


 俺は吼えるテイムを無視して、マスターに話の続きを促した。


「だから、同年代で真面目に商人やろうとしてるアリエッタが来てくれて嬉しいんだろ。同志って奴だな」

「私、普通に仕事してただけなんですけど……」

「謙遜しなくてもいいって。あんだけ熱心に仕事やる奴は中々見ねえよ」


 いや、本当に普通に働いてただけなんだが……

 確かに仕事中にサボったりはしていないし、少しばかりサービス残業したりはしていたが、特別な事をしていたつもりは本当に無かった。もしや俺の感覚がおかしいだけで、この世界基準だと前世である日本人の一般的な労働に対する感覚は異常なのだろうか?

 俺が珍しく異世界転生ものっぽい感覚を味わっていると、マスターがニヤリと意地の悪そうな笑みをテイムに向けた


「まあ、こいつがアリエッタを気に入ってる理由はそれだけじゃないかもしれんがな」

「糞親父。長生きしたけりゃ適当な事言うんじゃねえぞ?」

「がははは!さて、アリエッタがうちに来てから今日で一ヶ月だ。ちょっとばかし遅くなっちまったが、ここらで一つ歓迎会でもやっておくか!もちろん俺の奢りだ」


 おおっと、飲みニケーションイベントが発生したぞ。

 そういえば、こっちの世界に来てから未だ一度も酒を飲んでいなかったな。前世ではそれなりに呑む方だったので、こちらの世界の酒がどんなものなのか興味が無いわけではない。だが、その前に一つ確認しておかなくては。


「テイムさん。この国ってお酒は何歳から飲んでもいいんですか?」

「はあ?何言ってんだお前。アリエッタの故郷じゃあ何かそういう決まりでもあるのか?……法律って訳じゃないが、まあ普通は子供相手だったら店が酒を出さない。保護者が同伴していれば、子供にも弱めの酒を出す店もあるが……そこら辺は店主の気分次第って感じだ。要するに適当なんだよ」


 どうやら特に決まりは無いようだった。まあ異世界で前世の法律を持ち出すのも野暮というものだ。遠慮なくマスターの財布で酒を飲ませてもらおう。

 俺が異世界アルコールに思いを馳せていると、不意に店のドアが開かれた。


「親父さーん。まだ居るかい?」

「あれ、薬師さん。どうされたんですか?」

「こんばんはアリエッタちゃん。店じまいをしている所に悪いんだが、親父さんはまだ居るかい?」


 やって来たのは銀猫亭に薬などを卸している薬師のおじさんだった。

 出かける準備をしていたマスターが薬師に声をかける。


「おう、こんな時間にどうしたんだい薬師の」

「この間、話していた訓練所に卸すポーションの話なんだが……」

「ああ、その件か。別に急いでる訳じゃないぞ?」

「たまたま銀猫亭の近くに用事が有ったから、そのついでさ」


 仕事の話か?俺は二人分のお茶の用意をしようとしたが薬師さんに遠慮されてしまった。


「ああ、お構いなく。そんなに長くはならないから」

「そういうことだ。テイムとアリエッタは五番通りの荒鷲屋で先に始めててくれ。俺もすぐに行く」


 ううむ。マスターもこう言ってるし、少しばかり気が引けるが先に行って席を確保しておくか。俺はテイムと一緒にこの辺りでは評判の酒場へと足を運ぶのだった。




 **********




「いらっしゃい!おお、テイムじゃないか。美人さん連れてるけど逢引かい?それならもっとムードのある所に行けよな」

「アホな事言ってんじゃねえよ。こいつはウチの見習いのアリエッタだ。後から親父も来るから3人分座れる席を頼む」

「なんだ、つまんねーの。ちょうど奥のテーブルが空いてるから、そっちに行ってくれ」


 俺とテイムは店員が指差したテーブル席に向かい合う形で座った。夕方の混雑する時間帯なのか騒がしい程に活気に溢れた店内を見回しながら、俺はテイムに尋ねる。


「さっきの店員さんは知り合いですか?」

「まあ、そんな所だ。俺も親父も常連だから顔を覚えられてるんだよ。とりあえず、親父が来るまで軽く何かつまんで待ってるか。何にする?」

「んー、喉も乾いたし何か軽いお酒でも貰おうかな。何がいいかな……」


 俺は店内の壁に飾られたお品書きを眺めた。料理はともかく酒に関しては名前を見てもどういう酒なのか見当もつかなかった。俺が悩んでいると勝手に俺の隣の席に座ったエクスが酒の解説をしてくれた。


「この店は果実酒の種類が豊富なんだよアリエッタ。りんごにレモンにイチゴにアンズ……変わり種だと桃と唐辛子のお酒なんていうのも有ってね」

「おい、どこから湧いてきた変質者。当然のように他所のテーブルに潜り込んでんじゃねえぞ。アリエッタも普通に受け入れてるんじゃねえ」


 ノーモーションで現れたエクスにテイムが敵意を剥き出しにするが、エクスはそれをにっこりと微笑んで受け流した。


「やあ、テイム。銀猫亭に寄ったら二人はこの店だって聞いてね。マスターに『少し遅くなりそうだけど気にするな』って伝言を頼まれたんだよ」

「そうかい。そいつはご苦労さん。もう帰っていいぞエクス。これから"ウチの"アリエッタの歓迎会なんだ」

「うん。マスターから聞いたから知ってるよ。"僕の"アリエッタの歓迎会をやるってね」


 うーむ。知り合って間もないのに随分と仲良くなったものだ。俺はぐりぐりとお互いの額をぶつけて睨み合っているエクスとテイムを微笑ましく見守っていた。


 俺が銀猫亭で働き始めてから、エクスは客としてちょくちょく店に俺の様子を見に来てくれているのだ。

 魔王軍に大きな動きが見えず、比較的平穏な状況下とはいえ勇者としての職務の合間を縫って態々会いに来てくれているエクスにパパは感激だ。


 ………とはいえ週7のペースでやって来るのは些かやり過ぎである。来る度に薬草をダースで買っているが、一体何に使っているんだこいつは。食ってるの?


 そんな訳で、自然に常連客であるエクスとテイムも顔見知りになり、気が付けばこのように意気投合する仲となっていたのだ。


「何が"僕の"だ。この間アリエッタに『ただの幼馴染』ってバッサリやられてただろうが」

「そういう君は『ただの同僚』らしいね。仕事中ならともかく、プライベートではアリエッタにあまりベタベタしないで欲しいな?」


 何やら俺の話で盛り上がってるらしいが、いまいち話の方向性が見えねえな。一体何の話をしてんだこいつら?今はオフだし、エクスも居るなら猫は脱いでおくか。俺はじゃれあっている二人に割って入った。


「はいはい仲が良いのは結構だが、そろそろ店員の視線も痛いし何か注文しようぜ。俺はりんご酒にしておくか。テイムとエクスはどうする?」


 猫を脱いだ俺をテイムが不満そうな顔で見つめてくる。あんだよ。


「……お前、こいつの前だと随分感じが変わるよな」

「まあ今はオフだし、俺とエクスは長い付き合いだからな。猫被ってる所を見られるのが少し恥ずかしいんだよ」

「……僕はああいうアリエッタも、その、好……んんっ、良いと思うけどな」

「はいはい、ありがとよエクス」


 俺がエクスのお世辞を軽く受け流していると、テイムが店員に注文を済ませていた。程なくして三つのグラスがテーブルに置かれる。テイムがその中の一つをエクスの前に差し出した。


「……ほらよ。俺の奢りだ」

「えっ。いいのかいテイム?」

「アリエッタの歓迎会って言っただろ。だったら祝う奴は多い方がいいってだけだ」


 テイムがまた安いツンデレみたいなムーブをした。エクスは苦笑しながらグラスを手に取る。


「ありがとう。そういう事なら頂こうかな」

「ああ、俺のお気に入りの酒だ。味わってくれ」


 俺も自分のグラスを手に取って頭上に掲げる。


「それじゃあ乾杯しようぜ。俺の前途を祝して!」

「そういうのって自分で言うものか?まあいいか……アリエッタの前途に」

「乾杯!」


 俺達3人はグラスをぶつけると、グイッと中身を呷った。エクスが中空に向けて盛大に酒を噴き出した。


「ぶふぉあっ!?ごぉっ……がぁっ……!の、喉が……灼け……!?」


 エクスがイケメンがしてはいけない顔をしながら咽ている。テイムが自分のグラスを飲み干してニヤリと頬を歪ませた。


「俺のお気に入りの酒はどうだ?言っておくが俺のグラスもお前と同じ酒だぞ?」


 おいおい、一体何を飲ませたんだよ。俺はエクスのグラスを拝借して一口味見をしてみた。


「あっ、馬鹿!よせアリエッタ!」


 テイムが慌てて止めようとするが、その前に液体が俺の喉を通過する。

 うーむ……喉が燃えるような激しい熱と、まるで溶けた飴のような強烈な甘味を感じる。癖は有るが、まあ悪くない味なのだが……


「お前、これ火がつく奴だろ?よく一気にいけたな」

「アリエッタも意外と強いんだな………まあ、そこの優男にはちょっとばかしキツかったか?いやあ悪かったよ」


 まったく、テイムの奴め。しょうもない悪戯しやがって………おや、呼吸を整えたエクスが俺の手からグラスを奪い取ると、残った酒をグイッと一息に飲み干したぞ。ゆらりと感情を捨てた能面のような顔になったエクスが店員を呼び止める。


「……すいません。僕と彼に同じものをもう一杯」


 程なくして再び可燃性の液体がエクスとテイムの前に鎮座した。


「僕の奢りです。遠慮せずにどうぞ」

「ハッ……面白れェ……!」


 二人が再びグラスの中身を一息に呷ると、今度はテイムが店員に二人分の酒を注文した。何やら知らんが男の戦いが始まったようである。まあ、こういう馬鹿なことをやれる友達というのは大切にしなくちゃな。俺は勝負を止めるような野暮な真似はせずに、りんご酒をチビチビと飲みながら二人を見守る態勢に入るのだった。




 **********




 そこからの二人の戦いは混迷を極めた。


 お互いの空けたグラスが十を越えた辺りから周囲にギャラリーが集まり始める。たまたま近くを通りかかったヴィラが飛び入り参戦して勝負は三つ巴に。周囲で誰が最後まで生き残るか賭けを始め出したので、俺は口八丁で賭博の胴元を引き受けて小銭稼ぎを目論む。勝負は更に激化し、酩酊したヴィラが全裸で踊り始める。エクスの帰りが遅いので様子を見にフィロメラとリアクタが来店。フィロメラがフルチンで踊り狂うヴィラの頭部を背後から杖で強打。エクスの見張り役としてリアクタをその場に残すと、フィロメラは昏倒したヴィラを引きずって帰宅。場の雰囲気に流されてリアクタが軽めの酒を注文するが一杯で真っ赤になる。あまりの可愛さに俺がリアクタを膝枕で看病を始めてから一時間が経過した頃に、いよいよ最後の勝利者が決まろうとしていた―――!




 **********




 テイムが空になったグラスを勢いよくテーブルに叩きつけた。


「ま……まだだ……まだ、俺は………」


 闘志は消えていなかったが、肉体は付いて来れなかったようだな。テイムはテーブルに突っ伏して気を失ってしまった。




「えー、という訳で優勝は飛び入り参加のレビィ選手でーす。皆さん拍手ー」

「イェーイ。エクス見てるー?」


 という訳で飲み比べ勝負を制したのは、リアクタを心配したフィロメラが送り出したレビィとなったのだった。ちなみにエクスは10分ぐらい前に沈んでいたのだが、もはや何の勝負だったのか完全に見失っていたテイムは何故かレビィとの一騎討ちに臨み、敢え無く散っていったのだった。


「いやぁ~楽しかったなー!こんなに飲んだのは久しぶり!」

「ククク……俺も楽しかったよ。小遣い稼ぎも出来たしな……」


 配当金を払っても、手元にかなり残った金をジャラジャラと数えながら俺はニチャアと邪悪な笑みを浮かべた。

 途中からやってきて、一緒に飲みながら勝負を観戦していたマスターが俺に呆れ顔を向ける。


「やれやれ……アリエッタは逞しい奴だなあ。まあ、酒の席だし堅いことは言わんが変な商売は始めないでくれよ?」

「身銭を切っている方が周りも盛り上がるでしょう?私は楽しく騒ぎたかっただけですよ」




 俺は膝の上で丸くなっているリアクタの頬をぷにぷにと弄りながら、ドブみてえな顔色になっているエクスとテイムの死体を見つめて優しく微笑むのだった。



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