17.アリエッタちゃん猫かぶりフォーム
「………ふあ、もう朝か………」
ベッドの上で軽く伸びをしてから時計を確認する。
今日からお世話になる修行先へ顔を出すまで、まだ大分余裕があった。
「…とりあえず、顔でも洗うか」
俺は客間を出ると、昨日案内してもらった記憶を頼りに洗面所へと足を運んだ。
「おっ、すげえ。本当にお湯が出るよ」
俺は洗面台に付けられた二種類の蛇口を調整しながらひねると、温かいお湯が出てきた。
仕組みは謎だが、まあ魔法を上手いこと使ってるんだろうな。
この世界は、妙に魔法技術が発達・普及しているせいか変な所で歪な進化を遂げているものが多い。
火を使いたければ、薪を使うよりも発火の魔術が組み込まれた『魔石』と呼ばれる物を炉に放り込んだ方が早いし、何なら薪を買うよりも安かったりする。
水に関しても同様で、少量の水なら井戸や川から取ってくる事もあるが、大量に使うなら魔石に頼った方が手っ取り早い。
この手の魔法の産物が上流階級に独占されている訳でも無く、俺が暮らしていた田舎みたいな庶民の間でも普通に利用されているのは、この手の異世界では中々異質な社会だと思う。
まあ、そのおかげで特別裕福でもない俺の実家でも、毎日温かい風呂に入れたし軟弱な(元)現代日本人にはありがたいことである。
俺がそんなどうでもいい異世界知識をモノローグしながら、顔を洗ったり寝ぐせを整えたりしていると、不意に洗面台の隣にある浴室の扉が開いた。
うえぇっ!?だ、誰か朝風呂にでも入ってたのか!?
使用中のフダとか何も無かったよな!?
俺は動揺すると同時に、これから起こるであろうラッキースケベイベントに胸をときめかせた。
屋敷に居るのは、俺を除けばエクス、フィロメラ、レビィ、リアクタの4人………
つまりエクス以外の3人なら大当たりのビッグボーナス確定である。
確率は75%………!大丈夫、俺なら引ける。SSR湯上りガチャを………!
激アツリーチ演出のように、モクモクと妙に濃い湯気に俺は目を凝らした。
誰だ………誰が来る………!?
湯気はやがて薄くなっていき、俺の目の前には湯上りで仄かに赤みを帯びた艶やかな肌の………
「………あぁ?誰だお前?」
筋骨隆々の知らない全裸の男が立っていた。
**********
「ね……眠い………」
アリエッタの手料理を食べて、アリエッタと同じ屋根の下で眠って、目覚めてもアリエッタが近くに居るという状況に精神が異常な動作を起こしてしまい、昨晩は中々寝付けなかったのだ。
「シャンとしろよエクス。今日も訓練所で指南役なんだからな」
隣を歩いているレビィさんに肩をバンバンと叩かれる。
彼女の言う通りだ。訓練とはいえ油断すれば大怪我をするし、逆に相手に大怪我をさせてしまうかもしれない。
「それじゃあ、私はフィロメラを起こしてくるわ」
レビィさんはそう言うと、僕と別れてフィロメラさんの私室の方へと歩いていった。
顔でも洗って気持ちを切り替えるか………
そう思い、洗面所の前まで歩いていくと、中からアリエッタの声が聞こえてきた。
「えーっと…にゅ、入浴中とかじゃないよね………?」
僕は扉に使用中のフダが掛けられていないことを確認しつつ、恐る恐る扉を開けた。
「おーそうかそうか。お前が噂のアリエッタか。エイビスの所でやらかしたとんでもない女って話は聞いてるぜ」
「やらかしたのは俺じゃないっての。俺もアンタのことは新聞で見たから知ってるぜ。無双の槍使い。神域の槍術。えーっと名前は………」
「ヴィラ………何してるの………?」
扉を開けると、僕達の仲間…ヴィラが全裸でアリエッタと和やかに歓談していた。
「そうそう。ヴィラ、だったな」
僕の震える言葉にアリエッタがパチンと指を鳴らした。
**********
「おっ、エクス。おはよー」
「すぐに朝飯作るからちょっと待っててくれな。ヴィラも食ってくよな?」
「ん~…俺様、普段は朝は抜いてるんだが………たまにはいいか」
「ちゃんと食わないと、そのでかい体を維持出来ないぞ?しっかり食ってけよな」
俺はそう言って、ヴィラの胸板を軽く小突いた。
という訳で勇者パーティー最後の一人、槍使いヴィラの登場である。
勇者パーティーではエクス以外の唯一の男性であり、エクスとはまた違った方向性の男前だ。
エクスは線の細いスマートな感じの男前だが、ヴィラは筋骨隆々でコナン・ザ・グレートな「雄!!」って感じの男前だった。
「というか、そろそろパンツぐらい履けよ。風邪ひくぞ」
「おっと、昨日の夜はパンツを履いてる暇がないぐらい忙しくてな。俺様ウッカリしてたぜ」
そして、相当な女好きのようだ。昨晩も歓楽街で夜通しいかがわしい店で遊んでいたらしい。
前世であれば、間違いなく交流が無いタイプの人間だが、話してみると中々面白い男で、ついつい会話が弾んでしまい、俺は奴にパンツを履かせることも忘れて話し込んでしまった。奴の股間に付いているアレを見るのも久しぶりだったので、何だか懐かしい気持ちになって、和んでしまったのは胸に秘めておこう。
「それじゃ、また後でな」
「おう、パンツ履いたらすぐ行くわ」
俺はヴィラに軽く手を振ると、朝食の献立を考えながら洗面所を後にした。
「よお、エクス。お前の幼馴染だってなアイツ。顔と胸は普通だが………ケツがいいな。安産型で俺様好みだ。………ん、どうしたエクス。何か目が据わってるぞ?そんなに俺様の股間が気になるのか?」
「………ヴィラ。良かったら今日の王宮での訓練、僕と模擬戦をしないかい?」
「あぁ?嫌だよ。お前手数がアホみたいに多いから疲れるし、俺様徹夜で眠いし」
「うん。兵士の人達にも良い刺激になると思うんだ。僕も久しぶりにヴィラと手合わせがしてみたいし、ちょうどいいね」
「………うん?会話が繋がってねえぞエクス」
「それじゃあ、服を着たら一緒に朝ごはんでも食べようか。いやあ模擬戦楽しみだなあハハハハハ」
「もしもーし。どうしよう俺様の言葉がエクスに届いてない。俺様怖い」
「ハハハハハハハハハハ」
背後からエクスとヴィラの和やかな会話が聞こえてくる。
男同士という気安さからか、エクスの声はいつもよりもご機嫌に聞こえた。
**********
「んん~。昨日の夕食でも思ったけど、アリエッタって料理上手だよね」
「そんな大したもの作ってないから、あんまり褒められると照れ臭いけど…気に入ってくれたなら嬉しいよ。沢山食ってくれよな」
俺はレビィからの誉め言葉に、若干の気恥ずかしさを感じつつも悪い気はしていなかった。
筋肉を見せびらかすように妙にピチピチな服を着たヴィラも、気持ちのいい食べっぷりを見せてくれている。
「美味い美味い。たまには朝飯をしっかり食うのも悪くねえな」
「ヴィラさん。口に物を入れたまま喋らないでください」
「む、んぐっ。堅いこと言うなよフィロメラ。朝から俺様の顔が見れるなんて中々レアな状況なんだぜ?もっと俺様とコミュニケーションをあばばばばばば」
流れるようにフィロメラの背後に立ってセクハラをしようとしたヴィラが、フィロメラの魔法で感電している。骨が透けて見えてるけど大丈夫なのかアレ。
「大丈夫ですよアリエッタ。ヴィラさんのセクハラ未遂はこのお屋敷の日常風景ですから。それよりもアリエッタは時間とか大丈夫なんですか?」
俺の隣に座っているリアクタにとって、感電しているヴィラの安否よりも俺のスケジュール管理の方が優先度が高いらしい。俺は壁に掛けられた時計を確認して、時間にはまだ余裕があることをリアクタに伝えた。
「でも、慣れない街を歩く訳ですから、ご飯を食べたら早めに出発した方がいいですよ。後片付けは私がやっておきますから」
まあ、リアクタの言うことは尤もだ。昨日の時点で早速迷子になっていた訳だしな。ここはお言葉に甘えさせてもらおう。俺はリアクタに礼を言った。
「悪いな。助かるよリアクタ」
「気にしないでください。アリエッタもお仕事頑張ってくださいね。……そういえば、アリエッタが働くお店って何処なのか聞いても大丈夫ですか?」
「えーと、三番通りの銀猫亭っていう雑貨屋だな。知ってる?」
俺が修行先の店名を伝えると、リアクタではなく感電から復帰したヴィラの方が反応した。
「おお、あそこか。何回か前を通ったことがあるぜ。何なら俺様が道案内してやろうかアリエッタ」
そう言うと、ヴィラは自然な動作で俺の腰に手を回して来た。
エクスの方からシュッと飛んできたフォークをヴィラが首を軽く傾けて回避する。壁に突き立ったフォークを見て、エクスが苦笑しながらヴィラに謝罪した。
「ごめんヴィラ。外しちゃった」
「せめて手が滑った事を謝ってくれ。俺様の額にフォークがぶっ刺さってたら謝らないのかお前は」
勇者パーティーの朝食はバイオレンスだな。それとも、周囲の女性比率が高い環境で過ごしていると、気心が知れた男同士の絡みはエクスも普段よりおバカな感じにテンションが上がってしまうのだろうか。男同士で馬鹿をやりたくなる気持ちは分からなくはないが、お行儀が悪いので俺はエクスに「めっ」てした。エクスはしゅんとした。
「地図も有るし、そっちも忙しいだろうから道案内は気持ちだけ受け取っておくよ。みんな色々とありがとうな。お世話になりました」
俺はエクス達に改めて感謝を伝えて、ぺこりとお辞儀をした。そんな俺にフィロメラが優しく微笑みかける。
「こちらこそ美味しいご飯をありがとうございましたアリエッタさん。しばらくは私達も王都に居ると思うので、何かあれば訪ねてきてくださいね」
フィロメラの言葉に続いて、リアクタが俺の手をキュッと握って笑顔を浮かべる。
「もちろん、ただ遊びに来てくれるだけでも大歓迎ですよ。アリエッタ!」
「お、おう。機会が有れば、そうさせてもらうよ」
きょ、距離が近い……!
美少女に至近距離で顔面を見つめられるという前世でも今世でも初めてのレア体験に、俺は思わず顔を赤くしてしまう。
この距離感ガバガバな感じは男を勘違いさせるタイプの女の子だぞリアクタ……!
エクスもきっとこんな感じで落とされてしまったに違いない。ホモサピの雄はみんな距離感が近い笑顔が素敵な美少女を無条件で好きになってしまう呪いにかかっているのだ。
だから、エクスがリアクタを好きになるのも仕方ないことなのだ。
……まただ。胸が痛むような、締め付けられるような奇妙な感覚に襲われる。
リアクタを不安にさせてはいけないと、俺は痛みを顔に出さないように意識して笑顔を作る。
「…リアクタも、エクスのことをよろしく頼むな」
「えっ?エクスさんですか?」
「ああ、ちょっと鈍い所もあるかもしれないけど本当に良い奴だからさ。支えてやってくれると助かる」
「はぁ…分かりました…?」
俺は、エクスとリアクタを全力で応援する。
二人が、エクスが幸せになってくれるように。
だって俺はエクスのパパだから。
パパは息子の幸せを願うものだから、俺がエクスの幸せを願っても何もおかしいことは無い。
俺は真っ当な女の子じゃないから。
不幸ぶるつもりは無いけど、きっと普通の幸せとは少しだけ遠い人間だから。
俺の分までエクスには普通の女の子と、ちゃんと幸せになってほしいんだ。
**********
よっしゃ~!切り替えていこう!
柄にもなくシリアスパートをやってしまった気がするが、切り替えの速さは俺の数少ない長所の一つである。エクス達と別れてから10分もする頃には平常運転に戻っていた俺は、修行先である銀猫亭のマスターに挨拶をしていた。
「アリエッタと言います。今日からお世話になります!」
「がははは、そんな堅くならなくてもいいぞアリエッタ。お前の親父さんから話は聞いている。中々優秀らしいじゃないか」
銀猫亭のマスターが豪快に笑う。可愛らしい店名とは裏腹に、その主の容姿は見事なヒゲを蓄えた鋭い眼光の親父だった。商人というよりも戦士と言われた方がしっくりくる見た目である。
「いえ、"私"なんてまだまだです。マスターの足を引っ張らないように頑張ります」
「おう、あんまり気張り過ぎるなよ。しかし、アイツにこんな美人な娘が居たとはな!店の中が華やかになるってもんだ!」
「あはは、ありがとうございます。大したことない顔ですけど、お店の売上に貢献出来れば幸いです」
そういって俺はにっこりとお淑やかに微笑んだ。
さて、アリエッタちゃん猫かぶりフォームである。
なんと俺はTPOを弁えることが出来る人間だったのだ。プライベートや親しい人間の前ならばともかく、初対面の、それも住み込みで働かせてもらう相手の前では猫の2、3枚ぐらい被ることも出来るのだ。
「とりあえず、部屋に荷物を置いたら今日の所は雑用でもやりながら仕事の流れを覚えてくれ。テイム!アリエッタを部屋まで案内してやんな!」
マスターに呼ばれたテイムという少年がこちらにやってきた。俺より二つか三つ年下だろうか。身長は俺より高いが、顔つきに幼さを感じる。
「俺の息子だ。当面はこいつにくっ付いて仕事を覚えてくれ。テイムも人にモノを教えるっていうのは良い勉強になる。ちゃんとアリエッタの面倒を見るんだぞ」
「アリエッタです。よろしくお願いしますテイムさん」
ぺこりと頭を下げた俺を、テイムは仏頂面で値踏みするように睨み付ける。
「……ふん、女が商人ごっこかよ。お料理教室じゃねえんだぞ」
おおっと、こいつは面倒くさい奴だな?
まあ、突然仕事しながら見ず知らずの女の面倒を見ろと言われれば、多少は機嫌が悪くなるのも分からなくはないが。あっ、テイムがマスターにげんこつを貰った。
「いってぇな!女の商人なんざ、どうせ長続きしねえから面倒見るだけ無駄だって何度も言ってるだろうが!」
「その女の商人の股から産まれてきた奴が何を偉そうな口利いてんだよ半人前が」
「お袋は関係ねえだろ。どうせこいつだって、ひと月もしごかれれば泣き言言って逃げ出すに決まってる!」
聞く耳を持たない様子のテイムにマスターが深い溜息をついて、俺に謝罪をしてくる。
「はぁ……すまんなアリエッタ。客商売だってのに口が悪くて俺も困ってんだ」
「いえ、テイムさんの言う事も分かりますので。女に商人が務まるかどうかについては、私の仕事ぶりでテイムさんに判断してもらおうと思います」
軽く微笑んでテイムの辛辣な言葉を受け流す。俺は見た目通りの小娘では無いので、この程度の挑発にいちいち乗っかったりしないのだ。
……だが、俺だってそれなりに真剣に商人を目指しているつもりだ。さっきの物言いはちょっぴりむかついたので少しだけ反撃しておこう。
俺はテイムに近づくと、奴の顔を下から覗き込んでにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「な、なんだよ…」
「でも、そんな事言うんですから、お仕事ではテイムさんのカッコイイ所を私に見せてくださいね?」
ビシッとテイムを指差して軽く嫌味を言ったら気が済んだので、俺はぴょんと跳ねて奴から距離を取った。
「………」
おや、テイムの奴固まっちまったぞ。………そこまで酷い事言ってないよな俺?
テイムにじっと見つめられて俺は急激に不安になってくる。
見かねたマスターが溜息混じりにテイムに声をかける。
「おい、ボケっとしてないでアリエッタを部屋に案内しろ。もうすぐ店を開ける時間だぞ」
「わ、分かってるよ。ついて来いアリエッタ」
マスターの言葉でようやく動き出したテイムの後に俺はついていく。
建物の二階がマスター達の生活スペースになっているらしく、俺の部屋もそこに用意されているようだ。階段を上ろうとするテイムにマスターが声をかける。
「……テイム。一応言っておくが、預かりものに手を出すんじゃねえぞ?」
「だ、出さねえよ!?くだらない事言ってんじゃねえぞ糞親父!」
何の話だ?
………まあ、半年間働かせてもらうとはいえ、ここでは俺は基本的に部外者なのだ。店の内部事情に首を突っ込むのはあまり品の良い行動とは言えないな。俺は二人の会話を敢えて聞き流すことにした。
「ここがお前の部屋だ。一応軽く掃除はしてあるが、何か有れば俺か親父に言え」
俺は案内された室内を見渡す。まあ広いとは言えないが、寝泊りするには必要十分だろう。
「それじゃあ、改めてよろしくお願いしますね。テイムさん」
俺が片手を差し出して握手を求めると、テイムはぶっきらぼうに俺の手を握り返した。
「………おう。精々コキ使ってやるから覚悟しとけよ。アリエッタ」
こうして、王都での俺の修行生活が始まるのだった。
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