13.第一歩



「………んあっ………?」


 アリエッタは不意に意識を取り戻した。

 見慣れない天井と、着慣れないドレスに最初は困惑したが、徐々に記憶が蘇っていく。


「ああ、ソファで寝ちまったのか………で、誰かが運んでくれたのかな?」


 ベッドサイドの小さなテーブルにフィロメラの書置きを見つけると、俺は現状を把握した。


「とりあえずは明日の朝、か………」


 窓から外を見ると、静まり返った街並みを月が照らしていた。夜明けはまだ遠いようだ。

 俺は再びベッドに潜り込むが………


「………眠れん」


 一度覚醒してしまった脳が、再びおやすみモードに移行するには時間がかかりそうだった。


 …というか、このエイビスから進呈されたドレスをいい加減脱ぎたい。

 良質な素材で出来ているのか、着たままベッドで寝ていた割には酷い型崩れはしていないが、こんなもん着てたら寝れたものではない。


 ………いっそ脱いじまうか?

 そんな寒い時期じゃないし、下着で寝ても風邪を引くような事は無いだろう。

 ドレスは朝になったら、また着ればいい。


 そうと決まれば、さっさと脱いじまおう。脱げなかった。


「…俺はこれをどうやって着せられたんだっけ?」


 エイビス邸のメイドさん達によって着せられた高級ドレスは、俺には脱ぎ方がさっぱり分からなかった。

 ファスナーやら結び目やらを探して、俺は不思議な踊りを踊った。

 あっ、そういえば着せられた時にメイドさんに背中のファスナーを上げられたような気がする。

 俺は背中に手を伸ばすが、それらしい物に手が届かなかった。


 これ多分、一人で脱げる仕組みしてねえな?




 俺が不思議な踊りを継続していると、ドアが控えめにノックされた。


「えーっと………アリエッタ、起きてる…かな?」

「おお、エクスか。ちょうど良かった。少し手伝ってくれないか?」


 俺に促されて、エクスが恐る恐ると言った感じで部屋に入ってくる。


「ご、ごめんね。こんな夜中に………ところで、手伝ってほしいって?」

「ああ、ドレスの背中にファスナーが有ると思うんだけど、ちょっと下ろしてくれないか?」






 ちょっと待て。俺は今、何を言った?






 俺は恐る恐る振り返ると、ぶっ倒れるんじゃないかと思うぐらい顔を真っ赤にしたエクスが立っていた。


「ア、アアアリエッタ………!下の階にはフィロメラさん達も居るし………じゃなくて!

 その、そういうのは………僕も、その…男だから………」

「す、すまん!少し寝ぼけてたみたいだ!今のは忘れてくれ!」


 痴女か俺は!?


 いくら俺が精神的にはエクスのパパでも、外面は同い年の女なんだから、恋人でもない男にドレスを脱がさせるとかありえねえだろ!?

 こんなことで俺がエクスに気持ち悪がられたらどうしてくれるんだ。

 やはり寝起きで少し脳みそが働いていないみたいだ。

 それもこれも、こんなドレスを着せたエイビスが悪い。エイビスめ~~~!


 俺は気を取り直して、エクスに椅子を勧めると、自分もベッドに腰かける。


「あ~………それで、エクスはこんな夜中にどうしたんだ?」

「用事って訳じゃないんだけど……まだ、ちゃんと話せてなかったから。

 もし起きてたら、声だけでも聞けたらなって………その、大丈夫だった?彼…エイビスに何か怖い事はされなかった?」


 どちらかと言えば怖かったのはエイビス邸を強襲してきたお前だったんだが、まあ黙っておこう。


「何もされなかったから安心しろ。その前にお前が来てくれたからな。

 ………5年前と同じだな。また、お前に助けられちまった」

「うん。アリエッタに何かあれば、僕はいつだって駆け付けるよ」


 なんてパパ想いな息子なんだ。嬉しい反面、おれ離れが出来ていないようで少しだけ心配になってしまう。


「そういえば、何で俺がエイビスの屋敷に居るって知ってたんだ?」

「ああ、ミラちゃんに教えてもらったんだ。アリエッタがエイビスに連れ去られたから助けてほしいって」

「なるほど。ミラちゃんが………って、ちょっと待て。お前、また村に行ってたの?お前がそんな頻度で来るような何かがウチの村にあるの?」


 村の地下に封印された邪神とか。

 もし、その手のメインシナリオに関わりそうなものが実家周辺に存在しているのなら引越しも検討せねばなるまい。


「うっ………そ、それは………その………」


 エクスは苦し気に顔を歪ませて、口を開いたり閉じたりしている。

 こいつは子供の頃から言いづらい事が有るとこんな感じになってたっけ。




 はぁ~~~………仕方ねえなあ。


「アリエッタ………僕は………」

「エクス、無理すんな。話したくないなら話さなくてもいいよ」




 俺の言葉にエクスが驚いた顔をする。


「えっ…い、いや……それは……」

「いいんだよ。話せる時が来たら話してくれれば、それでいい」


 勇者なんて呼ばれてはいるが、大きな括りで言えばエクスも軍人のようなものだ。

 機密上、一般人の俺には話したくても話せないこともあるだろう。


 それは、もしかしたら村や俺にとって何か不都合なことなのかもしれない。


 でも、大丈夫だ。




「俺はエクスを信じてる。だから、大丈夫だ」


 エクスが決めたことなら大丈夫だ。

 息子のことを信じてやれなくて、なにがパパだ。俺はエクスを信じる。


「………でも、アリエッタ………」


 隠し事をしている後ろめたさからだろうか。

 エクスは子供の頃によくしていた不安そうな顔をしている。

 もう一押し必要か?体は大きくなった癖にしょうがない奴だ。


 俺はエクスの胸にコツンと握りこぶしを当てた。


「前にも言っただろ?お前が決めたことなら、それで何が起こっても俺は怒らないって。

 俺はエクスを信じてる。だから、お前も俺を信じろ。

 俺はお前の味方だよ。これからも、ずっとな」



 俺はニッと不敵に笑った。


 決め台詞を言うヒーローの様に、精一杯カッコつけて。

 エクスが誇れる俺であるように。エクスの内側から不安が消し飛ぶように。






 **********






「俺はお前の味方だよ。これからも、ずっとな」


 エクスの胸に当てられた彼女の拳から、熱を感じる。

 静かな、でも鉄を溶かすような熱さを。


 ずっと、不安だった。


 故郷に、彼女に別れを告げたあの日から、僕は出来るだけアリエッタの事を考えないようにしていた。

 彼女の優しさを、温かさを、楽しかった日々を。

 思い出してしまったら、きっと耐えられなくなると思っていたから。


 そして、それが事実だった事が分かってしまった。


 5年という月日をかけて封をした彼女への想いは、一目彼女を見ただけで再び溢れ出してしまった。

 それは同時に、僕の心に大きな恐怖を呼び寄せた。






 次に彼女に会える日まで、僕は生きているのだろうか?




 次に彼女に会った時、彼女の隣には僕ではない誰かが立っているのだろうか?




 次に彼女に会う時まで、彼女は僕のことを覚えていてくれるのだろうか?




 そんな"もしも"に囚われてしまったら、堕ちるのはあっという間だった。

 彼女に会えない夜を迎える度に、僕は胸を掻き毟るような不安と焦燥感に襲われた。






 僕は胸に当てられた、彼女の手を握りしめた。




「エクス…?」


 彼女がきょとんとした顔で僕を見つめる。


 結局、僕は彼女の事を信じ切れていなかったんだ。

 彼女に拒絶された時、自分が傷つくことが怖くて。




「アリエッタ……聞いて欲しい話があるんだ」




 でも、彼女はこんな弱くて臆病者の僕を、何も聞かずに信じると言ってくれた。


 だったら、僕も彼女を信じよう。信じてもらえる僕になろう。


 これは、その第一歩だ。






 僕は懐から、"それ"を取り出した。


 こんな物を肌身離さず持ち歩いている癖に『出来るだけ考えないようにする』なんて矛盾もいいところだ。

 自分の女々しさと、馬鹿さ加減に苦笑してしまう。


 僕の手のひらに乗った"それ"を見て、アリエッタが目を丸くした。


「お前………それは………」


「アリエッタ。僕は必ず、"これ"を君に返しに行くよ。

 ………それまで、僕のことを待っていてくれるかい?」




 僕の手のひらに乗っているのは、白い小さな花を模した髪飾りだった。




「………呆れた。ひょっとして、お前いつも"それ"持ち歩いてるのか?」

「うん。僕が持っている物の中で一番価値のある物だからね」


 僕はわざと5年前のあの日の彼女を真似た。

 すると、アリエッタはバツが悪そうに頭をかいた。


「………あんまり、待たせるんじゃねえぞ」


 彼女は短く告げると、僕から顔を逸らしてそっぽを向いてしまった。

 その横顔が少し嬉しそうに見えたのは、僕の自惚れだろうか。


「めいっぱい急ぐよ。信じて、アリエッタ」






 こうして、僕はもう一度彼女と約束をした。

 遠く離れていても、彼女のことを想い続けると。




 **********




「………あんまり、待たせるんじゃねえぞ」


 アリエッタはエクスの視線に耐えられずに、そっぽを向いてしまった。






 ………どうしよう。嬉しい。顔がにやつきそうだ。


 俺は気を抜くと、へにゃっとしそうな顔を唇を噛んで誤魔化した。




 正直なところ、悪い気はしない。


 こいつは5年前の俺が言った馬鹿みたいな言葉をちゃんと覚えていてくれたのだ。

 エクスの手のひらに乗った髪飾りを見た時、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。






 ………しかし。しかしだ。



 いくら何でもこいつ、ちょっとパパに対する愛が重すぎやしないか?

 これまで散々自分をエクスの第二の父だの精神的パパだのと言ってきたが、よくよく考えてみるとエクスにとって俺はただの幼馴染の筈。

 俺がエクスに愛情を注ぐのはともかく、エクスから俺に向けられる愛情がちょっとデカすぎることに疑問を覚えてしまう。




 ……まあ、それはそれとして、エクスがおれ離れが出来ていないという俺の心配は見事に的中してしまったようだな。


 12歳からこれまでの5年間という、前世で言うところの思春期をパパと離れ離れで過ごしてしまったことが不味かったようだ。


 一応、俺の外面はエクスと同い年の女性なのだ。

 そんな奴がエクスとベタベタしていては、エクスの恋人もきっと良い気はしないだろう。俺はパパとして息子エクス恋人ヒロインとも仲良くやっていきたいのである。

 パパとして、息子エクスの為を思えばこそ、少しは冷たくしておくべきなのだろうか。




 ………だが、まあ、今日ぐらいはいいだろう。


「…なんか、眠気がどっか行っちまったな」


 俺はベッドに腰かけながら、軽く伸びをする。


「お茶でも淹れてこようか?」

「いや、それよりも何か話でもしようぜ。この間はバタバタしてたし、あの程度じゃ喋り足りないからさ。

 もっと色々と、会えなかった間のエクスの話でも聞かせてくれよ」

「僕の話か………アリエッタが面白がるような話を出来る自信が無いんだけどな」

「何だっていいんだよ。くだらない話でも、つまらない話でも。エクスの話が聞きたいんだ」

「……はいはい、それじゃあ君が眠くなるまでは付き合ってあげるよ」




 そうして、エクスは記憶を手繰り寄せるようにポツポツと、彼が経験した冒険の話を始めるのだった。






 **********




「アリエッタさん、起きていますか?」


 日の出から数時間が経った頃、フィロメラはアリエッタを寝かせた部屋を訪れた。

 軽くドアをノックしたが、中から反応が無かったので彼女は扉を開けた。


「アリエッタさん。少し早いですが、そろそろ起きて………」


 フィロメラはベッドで眠るアリエッタと、その横で椅子に座りながら眠っているエクスを見て、呆れたように軽く笑みを浮かべた。




「何これ、どういう状況?」

 フィロメラの肩越しに、レビィが室内の様子を見て困惑した表情を浮かべた。


「さあ?でも、まあ………何か良い事でもあったんじゃないですかね」


 フィロメラはエクスとアリエッタの穏やかな寝顔を見ながら、そう告げるのだった。



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