04.ある少年の覚醒

 振られた………のかな?




 エクスは夕食も食べずにベッドに横たわって天井を見つめていた。






『五年後にエクスの身長が俺よりも大きくなってたら、さっきの話考えてあげる』






 そう言って、夕焼けの中で微笑むアリエッタの顔が瞳に焼き付いて消えない。


 嫌われては………いないと思う。

 でも、あの感じは僕を恋愛対象として見てくれていない雰囲気だった。

 それなら、もっとハッキリと断ってくれても………

 いや、もしかしたら本当に5年後に………?






「分からない………女の子って、全然分からない………」


 虚ろな目で何の味も感じないスープを機械的に口に運ぶ僕を、両親が不思議な生き物を見る目で見ている。


「なあ、母さん…エクスの奴はどうしたんだ?」

「それが、お隣のアリエッタちゃんとお出かけから帰ってきてから、ずっとあんな調子で…」

「ああ………エクスもそういう年ごろか………」

「エクスったら、一体何をやっちゃったのかしら………二人とも、まだ12歳なのに………」


 両親が何やらヒソヒソと話しているが、僕の頭には1mmも内容が入ってこなかった。


 ………とりあえず、明日はアリエッタよりも先に教会に行こう。

 まともに彼女の顔を見れる自信が無いし、向こうも気まずいだろうから。




 **********




「こんにゃろ。挨拶する時は相手の顔を見るもんだろーが」

「あわわ、や、やめてよアリエッタ…!」


 気まずいと思っていたのは僕だけだったようである。

 いつも以上にいつも通りのアリエッタに対して、少しぐらい照れたりしてくれても………と、理不尽な事を思ってしまうのも仕方ないだろう。




 ………やっぱり、アリエッタは僕の事なんてどうでもいいと思っているのだろうか。




 そんな暗い思考がめぐり始めた時、彼女の赤髪に白い花が輝くのが見えた。


「………あっ、アリエッタ。その髪飾り………」

「ん?どうだ、イカしてるだろ?」


 まるで、宝物を自慢する少年のような無邪気な笑顔に、僕はまた見惚れてしまっていた。





 *********




「分からない………女の子って、本当に全然分からない………」

「どうした、エクス?顔色悪いぞ」


 教会での授業が終わった帰り道。

 僕の気も知らずに、アリエッタは帰ったら何をして遊ぼうか等と話しながら隣を歩いている。


「勘弁してよ…僕は、君の顔もまともに見れないのに………」


 ぶつぶつと小声で文句を言っていると、アリエッタが不意に歩みを止めた。


「どうしたの、アリエッタ?」

「泣き声、聞こえなかったか?」




 **********




「大丈夫だって。この辺りは俺の庭みたいなもんだし、少し探してみて、手に負えないと思ったら戻って大人に相談するから。エクスはここでミラちゃんと待ってて………」


 アリエッタが突然、森の中に一人で子犬を探しに行くと言い出した時、僕はこれまでの積もり積もったアレコレが遂に爆発してしまった。


「アリエッタに何かあったらどうするつもりなんだ!どうしても行くって言うなら僕も一緒に行くからね!」

「お、おう………わ、分かった。それじゃあエクスも付いてきてくれ」


 宙ぶらりんにされてしまった恋愛感情に対する不満やら、自分が女の子だという事を忘れているんじゃないかと思うような危機感の欠如に、僕は苛立ち混じりに大声を上げてしまった。


 半ば八つ当たりだった自覚はあった為、罪悪感を感じたが、間違ったことはしていないと思う。

 この村で暮らし始めてから魔物を見る事は無かったが、野生の獣や不審者が居ないとは限らないのだから。






 しかし、危機感が欠如していたのはアリエッタだけではなく、僕も同じだったようだ。


 僕はこの時、何が何でもアリエッタを引き留めて、子犬の捜索は大人を頼るべきだったのだ。




 **********




「エ、エク…エクス………に、逃げ………逃げろ………」


 座り込んでしまったアリエッタの前に、"それ"は立ち塞がった。


 人類の敵、魔物。


 僕は何故、こいつらの存在を忘れてしまっていたんだ。

 故郷を焼かれた恐怖を。

 見知った人間が物言わぬ肉の塊になる瞬間を。

 僕は、見ていた筈なのに。

 こんな状況になることを防げた筈なのに。


 アリエッタを抱えて逃げられるか?

 無理だ。何も持たない大人でも、アレからは逃げられない。

 背中を向けた瞬間に、原形をとどめない肉の塊が出来上がることが子供でも分かる。


 なら、僕に出来る事は?






 アリエッタと一緒に死ぬことだけだ。






 自分の無力さに対する怒りで、頭の血管が切れそうになる。


 アリエッタが、恐怖に震えた瞳をこちらに向ける。

 きっと呪っているのだろう。どうしようもない役立たずの僕を。

 せめて、その恐怖を少しでも和らげることが出来たらと、僕は彼女を抱きしめた。




 ごめんなさい、アリエッタ。


 あの日、君と初めて出会った時。

 僕は君に救われたのに。


 僕は君に何もしてあげられない。




 風切り音と共に魔物の腕が僕達に振り下ろされる。

 せめて、僕は恐怖に負けなかったと。

 自分に言い聞かせるように最期の瞬間まで目を閉じずに魔物を睨み続けた。






 胸の中に抱きしめたアリエッタが小さく呟いた。






「エクス…死なないで………」







 ああ、僕は本当に大馬鹿だ。




『………やっぱり、アリエッタは僕の事なんてどうでもいいと思っているのだろうか。』




 彼女の、あの慈愛に満ちた眼差しを知っているのにどうしてそんな事を考えていたのだ。




『きっと呪っているのだろう。どうしようもない役立たずの僕を。』




 彼女の優しさを知っているのに、どうしてそんな馬鹿げた憶測をしたのだ。






 守りたい。何に変えても彼女だけは―――





『大事なものを守れ』


 声が、聞こえた。


 絶望した男の、それでも諦めきれないという想いが籠った声が。


『僕には、無理だった』


『守ることが出来なかった』


『頼む。お前だけは』


『今度こそは』





『大事なものを、守れ―――!』






 気が付けば、僕は魔物に向かって駆け出していた。


 突然、自分に向かって駆け出してきた小さな生き物にほんの一瞬、魔物の動きが止まる。

 その僅かな時間すら、今の僕には無限に思えた。


 身体が軽い。魔物の巨躯を僕はまるで坂を駆け上がるように登り詰める。


「あああああああ!!」


 僕は全身全霊の力を込めて、手刀を魔物の頭部へと叩きつけた。


 次の瞬間、魔物は断末魔の叫びを上げることすらなく、

 泥で作った山を崩すかのように身体を両断されていた。





 **********






「アリエッタ…」


 僕は地面に座り込んでいる彼女に手を差し伸べた。


「声が聞こえたんだ。大事なものを守れって。

 ………僕の大事なものは一つだけだから、迷わなかった。

 アリエッタ。僕は君を守りたい。

 きっと、僕はその為に生まれてきたんだ」




 確信があった。

 僕が今、ここに居る理由。

 あの"声"も。

 この力も。




 全ては彼女を守る為のものなんだと。






 しばらくは、放心した様子で僕を見つめていたアリエッタだったが、やがて、滝のように大量の冷や汗をかきはじめた。

 そして、俯いて物凄い勢いで何やらブツブツと呟いている。






「ヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だ………」






 言っている内容はよく分からなかったが、きっと混乱しているのだろう。

 無理もないと思う。僕だって自分に何が起こったのか正確に理解した訳ではないのだ。

 だから、彼女が落ち着くまで傍に居よう。

 僕が辛かった時に、彼女がそうしてくれたように………




 **********





 僕は腰が抜けて立てなくなったアリエッタをおんぶして、村へと引き返していた。


 これから、どうしようか………


 普段だったら、背中に感じるアリエッタの体温にドギマギしている所だが、流石に今はそれどころではない。


 魔物の返り血で、全身血まみれになっている僕が村に戻れば、大人達は詳しい事情を根掘り葉掘り聞こうとするだろう。

 しかし、僕が本当の事を話したとしても、信じてくれるとは到底思えない。

 いっそのこと、アリエッタに協力してもらって誤魔化そうか?

 僕の家から着替えを持ってきてもらって、川で血を洗い落として………

 いや、そもそも村の近くにあんな魔物が居た事を隠すわけにはいかない。

 他にもあんな魔物が複数、村の近くに潜んでいるなら今すぐにでも対策を取らなければ。

 大人達に上手く事情を話して―――




「なあ、エクス。あれ何だ?」


 答えの出ない思考の沼に溺れていた僕は、背負ったアリエッタの声に正気に戻る。

 気が付けば村の近くまで来てしまっていたようだ。


「随分立派な馬車だな。こんな田舎に貴族って奴でも来たのか?」


 遠くに見える広場に、この村には似つかわしくない豪奢な装いの馬車が見えた。




 ………何か嫌な予感がする。

 アリエッタには悪いが、村に戻る前に少し様子を………






「お待ちしておりました。勇者エクス」


「うおわっ!?」

 唐突に背後に現れた女性に、僕の背中でアリエッタが悲鳴を上げた。




「王命により、貴方をお迎えに上がりました。

 "星詠みの賢者"フィロメラでございます。どうぞお見知りおきを」




 目の前の女性は、そう名乗ると優雅に一礼をした。






 ………片手を犬に思いっきり噛みつかれてるけど、大丈夫なのかな。この人。




「あ~っ!ペス!無事だったのね!」


 僕達の帰りを待っていたミラちゃんが、フィロメラと名乗る女性(に齧りついている子犬)に駆け寄る。


「えっ、ペスってこれが?

 ………じゃあ、森で見たアレは、ただの野良犬だったのかよ………」


 僕の背中でアリエッタが拍子抜けしたような声を漏らした。




 ミラちゃんはフィロメラの片手に齧りついた子犬を力任せに引き剥がすと、嬉し涙を流しながら感動の再会シーンを繰り広げていた。




 噛みつかれていた犬を強引に引き剥がされたフィロメラの片手からは、それはもう夥しい量の出血が。




「立ち話も何ですし、何処か落ち着ける場所でお話しましょうか。エクスくん?」


「その前に傷の手当をしませんか。出血量がやばいですよフィロメラさん」






 この後、嫌な予感というものは往々にして的中するという事を僕は思い知ることになる。





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