03.ある少年の日々

「よっ、俺の名前はアリエッタ。お前は?」




 俯いていた僕の顔が柔らかな手によって持ち上げられる。

 この国では珍しい、燃え上がる炎のような赤髪と、澄んだ青空を思わせる碧眼。

 そして、女の子らしくないと言ったら彼女は怒るかもしれないが、飾り気のない自然な笑顔。




 太陽みたいな女の子だというのが僕―――エクスのアリエッタという少女に対する第一印象だった。




 **********




 生まれ故郷の村が魔王軍によって滅ぼされた僕達一家は、親戚の伝手を辿って、なんとか新しい住処を見つけることが出来た。


 恵まれている方だという自覚はある。

 村が一つ滅びたというのに、両親も僕も大した怪我も無く、一家全員で新たな生活を始められるのだから。


 それでも、短くない時間を過ごした故郷が戦火に消えたという事実は、僕の中に重く消えない暗闇として残っていた。


 そして、もう一つ。

 僕の心を苛む"呪い"があった。




『■■■■■■■■』




 故郷が滅ぼされたあの日から時折、頭の中に響く正体不明の音。

 何の意味もなさないその音は少なくとも毎日一回、酷い時には周囲の音が聞こえなくなる程に頭の中で鳴り響いた。


 お医者様に診てもらったこともあるが、僕だけに聞こえるらしいその音の正体は分からなかった。

 強いショックが原因の精神的な病という、何の解決にもならない曖昧な診断結果は僕の心を一層、憂鬱にするだけだった。




「ごめんなさいエクス…辛い思いをさせて………」




 母さんが泣いている。

 自分も辛いのに、僕のために。




「心配するなエクス。新しい家でゆっくり休めば、きっと良くなるから」




 父さんが笑っている。

 自分も不安なのに、僕を勇気づけるために。




 僕だけが、自分自身の為に嘆いている。

 自分が可哀想で、理不尽が辛くて、そんな利己的な自分が嫌で。


 気が付けば、僕は常に俯いて過ごすようになっていた。

 両親の顔を見るのが怖いのだ。自分の醜さを見せつけられるようで。

 空を見上げるのが怖いのだ。また、あの"音"が鳴り響く気がして。






 そう長くない放浪の先で、僕達は新しい住処を見つけることが出来た。

 新居の整理をしながら、両親は僕を元気づけるように、必要以上に明るく振舞っていた。

 そんな両親に報いるように、僕は無理やり笑顔を浮かべた。

 きっと、酷く歪でぎこちない笑顔だったと思う。

 それでも、久しぶりに笑顔を見せた僕に、両親はとても喜んでくれたように見えた。






「すいません。隣の者ですが、ご挨拶に伺いました」


 質素な扉がノックされた。両親と僕は隣人を出迎える為に表へ出る。


「お忙しいところ、すいません」

「いえいえ、こちらこそ御挨拶が遅くなりまして…」


 両親と隣人の一家が軽い挨拶をした。

 向こうも僕達と同じで3人家族のようだ。

 僕と同年代の女の子が親同士の会話をつまらなそうに眺めている。


「―――ほら、エクス。お前も挨拶をなさい」


 父に促されて、僕は慌てて一歩前に出る。

 人付き合いはあまり得意ではないけれど、お隣さんに変に思われないように、僕は出来るだけ自然な笑顔を浮かべて挨拶を―――







『■リ■■タ■■■』






「………ッ!!」


 まただ。また、あの音だ。

 僕は思わず、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。


「エクス!」


 母が悲鳴を上げた。


 ああ、駄目だ。母さんに心配をかけちゃいけない。

 お隣さんに変な一家だと思われてはいけない。

 僕は立ち上がって何でもないような顔をしないと―――




『僕■■■■■ッタ』

『■■間■■う■■』

『■■■■逃■■■』

『声■聞■■な■■』

『■う■■死■■■』

『■■■■今■こそ』

『ア■■ッ■■■■』

『■■■■■■■■』




 頭の中で音が鳴り響く。

 間の悪いことに、ここ最近でも特に酷い奴が来てしまった。


 両親が心配そうに駆け寄って、声をかけてくれたが、その言葉は"音"にかき消されてしまい、僕の耳に届くことは無かった。


 頭痛と情けなさで涙が溢れてきてしまう。




 もう嫌だ。

 何で僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 僕が何をしたっていうんだ。

 誰も僕の辛さを分かってくれない。

 どいつもこいつも、気の毒そうな顔をするだけで何もしてくれない。

 僕を可哀想なものを見る目で見るんじゃない。

 僕を恥ずかしいものを見る目で見るんじゃない。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ!!






 ―――何より、こんな自分勝手な事しか考えられない自分自身が本当に嫌だ。






 そっと、頬に柔らかい手の感触を感じた。


 母親のそれではない、小さく、温かな感触。


 それは、うずくまっていた僕の顔を優しく上に向けた。






「よっ、俺の名前はアリエッタ。お前は?」






 まるで、何でもないことを聞くように彼女は笑顔を浮かべて僕に尋ねた。


 そこには憐憫も、同情も、侮蔑も無かった。

 ただ、自然に僕と向かい合ってくれる眼差しだけがあった。




「………エクス。僕の名前はエクスです」

「そっか。よろしくなエクス」




 気が付けば、嵐のような"音"は止んでいた。






 旅の疲れが出てしまったのだろうと、アリエッタの両親は思ったらしく、挨拶もそこそこに僕達は解散することになった。


「あ、あの…アリエッタ………」

「どうした、エクス?」


 別れ際に僕は彼女を呼び止めると、彼女は首を傾けて、ぶっきらぼうに返事をした。


 ………さっきまでは気づかなかったけど、彼女の振舞いは何だかまるで男の子みたいだなんて失礼なことを思ってしまう。


「そ、その…変だと思わないの…?僕のこと………」


 我ながらおかしなことを聞いていると思う。

 こんなことを聞いても、向こうに気を遣わせてしまうだけじゃないか。

 でも、僕は彼女から感じた、あの眼差しの理由を知りたかったのだ。






「あー………まあ、気にするな。俺も14歳ぐらいの頃にはお前と似たような感じだったから。お前の気持ちはよく分かるぜ」


「………え?」


 彼女はよく分からないことを言っていた。


「おっと、今の俺はまだ8歳だったか。悪い、こっちの話だから気にしないでくれ」

「う、うん………」

「やっぱり、どこの世界でも男の子はかかっちまうんだなー、中二病。なんだかホッとするぜ」


 けらけらと笑う彼女に肩をバシバシと叩かれる。痛い。

 彼女の話はよく分からなかったが、僕に対して偽りのない親愛の情が向けられているのは子供ながらにも理解できた。






 それは、両親以外から初めて感じた温かなものだった。






「あ、あの!アリエッタ!」

「んー?」

「ぼ、僕と友達になってくれませんか!」




 こんな事を口に出すのは正直恥ずかしかったが、それでも僕は彼女と少しでも一緒に居たいという気持ちが抑えられなかった。




「何言ってんだよ。俺とお前は既に中二病という重い鎖で繋がれたフレンズだっての」

「え、えーと………」


「要するにとっくに友達だってことだよ」




 これが、僕とアリエッタの出会いだった。




 **********





 それからの僕の日々は、いつも隣にアリエッタがいた。


 僕の何処を気に入ってくれたのかは分からないが、彼女は何かにつけて僕を遊びや買い物に連れ出してくれた。






「エクス………一回、俺のことをパパって呼んでみてくれないか?」

「頭大丈夫?アリエッタ?」






 たまに変な事を言い出したりもするけど………

 まるで同性と接しているような、彼女の気安さのせいなのか。

 ともすれば、両親よりも彼女と一緒に長い時間を過ごすことを、気が付けば当たり前の事として受け止めるようになっていた。


 あの"音"も、アリエッタと出会ったあの日から聞こえる事は無かった。

 まるで、彼女がそれを取り除いてくれたように―――




「うるァーーー!!」

「馬鹿アリエッター!声だけで球にかすりもしてねーぞ!」

「引っ込めー!」




 そんな物思いに耽っていたが、周囲に響き渡る罵声の嵐が僕を現実に引き戻した。


 ブーイングの嵐の矛先となっているアリエッタは、罵声の主達に笑顔で親指を下に向けて応じていた。

 教会での授業が終わると、僕は彼女が考案した『ヤキュー』という遊びに参加していた。


 アリエッタは、その活発な性格からか男友達が非常に多い。

 他の同年代の女の子達がお洒落や色恋に興味を向け始める中で、奇声を上げながら木の棒を振り回す彼女はかなり異質だ。

 その奇行にアリエッタの母親が『あれでは嫁の貰い手が見つからない』と、僕をチラチラ見ながら嘆いている姿をよく見かける程だ。


 かといって、彼女が周囲から爪はじきにされているという事は無い。

 そのサッパリとした気質が良い方向に受け止められているのか、女子男子問わずに不思議な人望を発揮していた。


 特に男子達は、口ではアリエッタのことを小馬鹿にしていても、彼女が男子達の遊びに混ざろうとすると、一言二言嫌がる素ぶりを見せるだけで、実際に彼女の参加を拒絶した場面は見た事がない。


 彼女の誕生日にこっそりとプレゼントを渡している男子が、一人や二人じゃないのを僕は知っている(アリエッタから自慢された)。




 ………そんな事を考えていると、何だか胸がモヤモヤしてくるのを感じた。




「うるァーーー!!」


 ガキィンッ!!


「嘘だろ!?全力でスイングするしか能の無いアリエッタが当てやがったぞ!」

「エクスー!そっち行ったぞーーー!」

「………えっ?」


 次の瞬間、額に打球の直撃を受けた僕は地面に仰向けに倒れていた。


「エ、エクスーーー!?」

「アリエッタの奴!遂にやりやがったぞ!」

「鬼!悪魔!お前の赤髪からは血の匂いがするよ!」

「アホな事言ってないで、濡らした布とか持ってこい!すまんエクス!大丈夫か!?」


 大丈夫、と返事をしたかったが、その前にアリエッタに肩を前後に揺さぶられることで、僕は完全に意識を手放してしまうのだった。




 **********





『―――れ』


 声が聞こえる。

 あの"音"とは違う。男の人の声だ。


『―――守れ』


 …守る?

 何を?何から?


『大事なものを守れ』


 その声に、命令のような響きは無かった。

 絶望した人間が、藁にも縋る気持ちで哀願するような。

 そんな切実な声だった。




 **********






「………うっ………」

「おっ、起きたかエクス」


 目を覚ますと、僕はアリエッタに膝枕をされていた。


「あわわわっ!」

「おらっ、暴れんな」


 後頭部に感じる彼女の肌の温もりが無性に気恥ずかしくなってしまい、慌てて飛び起きようとするが、彼女に頭を押さえつけられて膝枕を維持させられてしまった。


「血は出てないし大丈夫だとは思うんだが、吐き気とかそういうのは無いか?」

「う、うん………大丈夫………」


 額に感じる鈍い痛みよりも、アリエッタに至近距離で見つめられている今の状況の方が僕にとっては非常事態である。


「なら良いけど、何か有ったらすぐに医者に診てもらえよ。頭は怖いからな」

「大げさだよアリエッタ。………もう起きてもいい?」

「ああ、ゆっくりな」


 ようやく、僕はアリエッタの膝枕から解放された。

 ………少しだけ名残惜しい気持ちも有ったが。


「ごめんな、エクス」

「気にしてないよ。ボーっとしてた僕が悪い」

「そうか………すまん」

「だから、気にしてないってば」

「いや、そうじゃないんだ………」


 そういって座り込んだ姿勢のまま、アリエッタが僕を見上げた。


 その瞳は僅かに潤んでいて、切なげな声に僕はドキッとして―――






「膝枕なんて初めてやったから………足が痺れて立てないんだ………」






 その後、足の痺れが治まってから帰宅したアリエッタは、既に事情を聴いていた彼女の母親からこっぴどく説教を受け、教会での授業以外の外出を数日間禁じられるのだった。





 **********




 図らずも、数日間アリエッタと距離を置くことになった僕は、以前から考えていた計画を実行に移すことにした。


 村の広場の小さな露店で、僕は目当ての商品を見つける。

 白い小さな花を象った髪飾りである。

 以前にアリエッタに連れられて買い物に出かけた時に見かけた物で、彼女に似合いそうだと思っていたのだ。


 小遣いをやりくりすれば、何とか買えない金額では無かったが、アリエッタの目の前で買う訳にもいかず、かといって日頃からアリエッタと一緒に行動することが常となっていた僕が急に一人になりたい等と言えば、変な所で勘の鋭いアリエッタに妙に思われてしまう。


 だから、アリエッタには気の毒だが、彼女の外出禁止令は僕にとっては好都合だった。

 後は、彼女の懲罰明けにでもプレゼントすればいいだろう。


「坊主、頑張れよ」


 意味ありげな笑顔を浮かべた店主から商品を受け取ると、僕はそれを懐へ大事に仕舞った。

 アリエッタは喜んでくれるだろうか………

 期待と不安が入り混じった奇妙な高揚感で、その日は寝つきが悪かった。




 **********





「はぁ~~~………久しぶりの自由だ………」

「お疲れ様、アリエッタ」


 外出禁止令が解かれたアリエッタは、早速僕を連れて商店街へと繰り出した。

 とは言っても、遊び目的ではなく夕食の材料買い出しが目的である。


「エクスも冷たいじゃんかよー。授業が終わったら家に遊びに来てくれればいいのに」

「ごめんね。僕が遊びに行くと、罰にならないからって、アリエッタのお母さんから距離を置くようにお願いされてたからね」


 僕とアリエッタは他愛の無い会話をしながら、夕暮れの道を歩いていく。






「………アリエッタ、その、これ………」


 僕は意を決して、髪飾りの入った包装をアリエッタに手渡した。


「何だ、これ?」

「えーっと…外出許可のお祝いというか、日頃のお礼というか………」




 後付けの理由なんていくらでも思いつくが、僕は飾らない正直な気持ちを言うことにした。




「………アリエッタに似合うと思ったんだ。気に入ってくれるといいんだけど」


 アリエッタが包装から髪飾りを取り出した。




「………っ!」




 次の瞬間、アリエッタの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。


「ア、アリエッタ!?ご、ごめん。何か不味かったかな………」


 彼女の涙の理由が分からず、僕はパニックに陥ってしまった。

 何か僕はとんでもないことをしてしまったのだろうか?

 やっぱり髪飾りなんて渡すべきでは無かったのか?


 あたふたと慌てふためく僕に、アリエッタが嗚咽混じりに話しかける。


「うっ…ちが………違うんだ………俺、嬉しくて………っ」


 アリエッタは涙をぬぐうと、初めて出会ったあの日のような飾らない笑顔を浮かべた。


「ありがとうエクス…これ、一生大事にするから………」


 彼女はそう言うと、まるで宝石を扱うように繊細な手つきで、その髪飾りを身に着けた。


「どう?似合うかな?」


 夕日に照らされて、より一層鮮やかに輝く彼女の赤髪に、白い花を象った髪飾りが煌いて見えた。






 ―――綺麗だった。愛おしいと思った。






 気が付けば、僕はアリエッタの肩を握りしめていた。




「ア…アリエッタ…!僕と結婚してください………!」




 まるで、いっぱいになったコップの水が溢れ出るように、想いが心から溢れ出してしまった。



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