05.別れ


 アリエッタはエクスにおんぶされながら、新キャラの出オチ女を観察していた。



「いやあ、私は動物に好かれやすい体質みたいでして。こういう生傷が絶えないのです」


 そういうと、フィロメラとかいう女は鮮血が迸る片手を掲げて、何やら奇妙な呪文を呟いた。

 次の瞬間、彼女の手が眩く発光し、瞬く間に傷が塞がっていく。


「おお………」


 傷を癒す治癒魔法という奴だろう。

 この世界に転生してから、何回か目にする機会は有ったが、ここまで見事な奴は初めて見たかもしれん。

 数秒後には、彼女の手には傷跡一つ残っていなかった。

 俺は思わず感嘆の声を上げてしまう。




 しかし、『星詠みの賢者』だと………

 知らず知らずに俺は眼光鋭くなってしまう。




 二つ名持ち………!オタク心にギュンギュン来ちゃう奴………!


 いや、そうではない。そんな事より重要な事がある。

 俺はフィロメラを注意深く観察した。


 年齢は多分、17歳前後。

 俺の赤髪ほどでは無いが、この国では珍しい艶やかな黒髪を腰まで伸ばしている。

 藍色のゆったりとしたローブを着こなして、常に穏やかな笑みを浮かべている姿は強キャラ感が半端ねえ。


 そして、さっきから奴が俺の目を釘付けにして離さないもの………




「野郎………なんて、おっぱいしてやがる………!」


「………アリエッタ?」


 思わず口に出してしまったが、奴の驚異的な胸囲の前には些細な事だろう。

 ゆったりとした服装なのに、自己主張が激しすぎるフィロメラの胸部に俺は戦慄していた。

 何だかシリアスな話が始まりそうなのに、俺の目と心はフィロメラのおっぱいに夢中で、今は何を話されても全く頭に入ってきそうにない。クソッ!悪いおっぱいめ!




 エクスは俺の心から溢れ出た真言を無視して、シリアスパートを再開した。


「話…とは、何でしょうか?この場では話せないような内容なんですか?」


 おお、珍しくエクスが警戒心むき出しにしている。

 おっぱい(フィロメラ)は、そんなエクスの様子を微笑ましげに見つめている。


「そんなに怖がらなくてもいいですよ?

 とりあえず、お近づきの印として一つ教えて差し上げます」


「何を………」


「この村の近くに居たオークはあの一匹だけです。

 人類軍と魔王軍の最前線から逃げ出した"はぐれ"ですから、とりあえずはこの村に危険は無いので安心してください」


「なっ………」


 エクスが驚愕に声を失う。

 おいおい、情報が早すぎだろ。何でそんな事知ってんだこのおっぱい。


「私の"星詠み"は未来を見通す力………と言っても、そこまで万能な訳ではありませんが、今日、貴方が"勇者"としての力に目覚める事は予め知っておりました。

 どうか、王都へのご同行を。我が王が貴方をお待ちです」


 なるほどね。二つ名から何となく予想はしてたが、このおっぱいは予知能力持ちのおっぱいだったのか。


 フィロメラがエクスの前に恭しく跪く。


 おお………!

 片膝を立てたポーズで、柔らかく形を崩したフィロメラのおっぱいが俺の精神をネクストステージへと導いた。

 しかし、エクスはそんなおっぱいがお気に召さない様子。


「貴方は…今日、僕達が魔物に襲われると知っていて、何もしなかったって言うんですか………!」


「………"星詠み"で貴方達の無事は分かっていました。

 全ては勇者の力の覚醒を促す為だったのです。どうか、ご理解を」






 う~ん………ひょっとして、俺そろそろエクスから降りた方がいいのかな?

 何かシリアスパート入ってるのに、片方が女の子おんぶしっぱなしって画が締まらなくない?大丈夫?

 しかし、そんな俺の心配をよそにシリアスパートは白熱していく。




「僕の事はいい………!でも、アリエッタを巻き込む必要は………!」


「必要だったのです。星詠みの予測で貴方と彼女が一緒に居た以上、その前提を崩す訳にはいきませんでした」


「ふざけるな!誰が貴方なんかに付いて行くものか!」


「………言いたくはありませんが、これは王命なのです。子供といえど、その意味はお分かりですね?」




 ………要するに拒否権は無いってことか。子供相手に酷い真似しやがるぜこのおっぱいめ。

 いくら、俺をヒロインにしようとする困ったちゃんでも、エクスは俺の愛すべき息子キャラだ。

 酷いことをしようとする奴はパパが出ていってやっつけてやる。


 俺はエクスのおんぶから降りると、おっぱいに噛みついた。おっぱいには噛みついてないが。


「おうおうおう、黙って聞いてれば勝手な事言いやがって、この悪いおっぱいめ。

 エクスを連れ出したいっていうなら、まずはこのパパに話を通してもらおうかァ~~~?」




「申し訳ありませんが、今はエクスくんとお話をしているのです。少し待っていてもらえますか?」

「アリエッタ。ちょっと今は大事な話をしているから静かにしてて?」


 俺は十字砲火を受けて敢え無く討死した。しゅん。

 仕方ないので二人の話が終わるまで、俺はミラちゃんと一緒に子犬と戯れて時間を潰した。




 **********




「それでは、一週間後。再び貴方をお迎えに上がります。

 御友人の方たちに、お別れの挨拶をされるのが良いかと」

「………僕は王都へ行くとは言ってませんよ」

「ふふ、では失礼」


 おっぱいは広場に停まっていた馬車に乗って去っていった。

 シリアスパートが終わったようなので俺はミラちゃんとペスにバイバイしてエクスに駆け寄る。


「エクス、大丈夫か?」

「うん………ごめん、アリエッタ。少し独りにしてくれるかな………」


 俺の返事を待たずに、エクスはこちらに背を向けて歩き出す。

 本当ならエクスの言う通り、そっとしておきたい場面なのだが、俺は奴の好感度を程よく下げておきたいので逃がすつもりは無い。

 俺はエクスの肩に腕を回して、体重をかけるようにもたれかかった。


「アリエッタ…?」

「そんな血まみれで帰ったら家の人がびっくりするだろ。俺も一緒に事情を話してやるよ」

「………うん、ありがと」


 あれ?エクスは思いの外、素直だった。

 ここは俺の事を冷たく振り払ったりして気まずい感じになるシーンかと思ったんだが。


「あー…そういえば、まだちゃんと礼を言ってなかったな。さっきはありがとな」

「え?」

「森で腰抜かしてビビってる俺を抱きしめてくれただろ?

 逃げろって言ってんのにお前って奴は………まあ、嬉しかったけどさ」

「…ははっ、そうだっけ?無我夢中だったから、よく覚えてないや」


 俺の言葉をエクスは照れたように笑って誤魔化した。

 多分、俺に気を遣わせまいとしているのだろう。本当に良い奴だ。


「…なあ、さっきの話だけどよ………嫌なら逃げちまえよ。

 それで世の中が何か大変な事になっちまっても、子供にそんな責任背負わせようとした奴らの自業自得だろ。

 何が起こっても、少なくとも俺は怒らないぜ」


 俺は無責任なことを言った。

 無論、エクスの好感度を下げる為である。本音でもあるが。


「はは、悪い子だね。アリエッタは」

「そうさ、俺は悪い奴なんだよエクス。お前と違ってな」

「………そうだね。ちょっと、僕なりに色々考えてみるよ」






 そうだよ。お前は俺と違って良い奴だから。

 多分、もう答えは決めてるんだろうな。


 そんな事を考えたら、胸の内に苛立ちのような痛みをチクリと感じた。






 そんな話をしている内に、俺達はエクスの家まで戻ってきていた。

 エクスの家に入ると、奴の両親と何故か俺の両親も一緒だった。

 俺とエクスは今日の出来事を説明しようとしたが、既に大まかな事情はフィロメラの奴から聞いていたようである。


 エクスの両親は血まみれの息子を抱きしめると、俺と俺の両親に深く謝罪をした。

 別に彼らは何も悪い事をしていないのだ。俺も両親も気にしていない事を伝えると、エクスの家を後にした。




 その後、自宅に戻った俺は母親からの平手ぐらいは覚悟していたのだが、エクスがそうされたように、両親は俺の無事を涙ながらに喜んで抱きしめてくれた。

 両親に心配をかけてしまった罪悪感と、先立つ不孝をやらかしてしまった前世の両親の事を思い出して、俺はちょっぴり泣いてしまった。




 **********





 そして、それから六日後の夜。

 俺とエクスはこっそりと家を抜け出して、夜の村を歩いていた。




「…で、お前は明日から王都に行くんだな」

「うん。結局の所、王様の命令なら僕に拒否権なんて無いからね。

 むしろ、こうして時間をくれただけ、あのフィロメラって人は実は気を遣ってくれたのかもって今は思ってるよ」


 そうかなあ?初登場で犬に噛まれてた奴だぞ。


「一家全員で向こうで暮らすんだろ?まあ、それぐらいは国に面倒見てもらっても罰は当たらないよな。なんてったって勇者様だからな」

「うん」

「俺が8歳の時にエクスは村に越して来たから、一緒に過ごして四年か。そう考えると、俺達ってまだ結構短い付き合いなんだな」

「うん」

「あーあ、もう一回ぐらい、お前と野球がしたかったなー。最近やっと球に当てられるようになってきたのにさ」

「うん………」




 夜の村は静かで、人の気配をまるで感じない。

 世界の流れから、俺とエクスだけ取り残されてしまったような錯覚すら感じる。


 切り出すタイミングが掴めなくて、実の無い雑談で引き延ばしていたが、そろそろエクスを連れ出した目的を果たすとするか。


「よっ…と」

「アリエッタ?」




 …俺は先日、エクスからプレゼントされた髪飾りを外すと、それを彼の手に握らせた。




「ア…リ、エッタ………?」




 ………エクスの顔が絶望に染まる。


 そうだ。俺がエクスを連れ出したのは、『プロポーズと共に渡されたアクセサリー』なんていう超ド級の地雷アイテムを彼に突き返す為だった。


 エクスは王都へ行き、そこで様々な勇者的イベントをこなすのだろう。

 新規ヒロインだって大量に追加されるはずだ。

 プロローグでちょっぴり描写された程度の田舎へ戻ることなど、もう無いだろう。


 ………しかし、こんな如何にも重要アイテムを持っていては、いつヒロインレースに復帰させられるかと気が気ではない。

 だから、俺はこの髪飾りをエクスに突き返すことで、完全にヒロインフラグを叩き折ることにしたのだ。




「ア、アリエッタ………僕は………」


 見ろ。あのエクスの顔を。

 あんなに傷ついたエクスの顔を見るのは初めてだ。

 これで、俺とエクスの繋がりは断たれた。

 これこそが俺の取るべきルートなんだ。だから、罪悪感なんて………






「勘違いすんなよ、エクス」




 待て、俺は何を言おうとしている。




「それは…今、俺が持っている物の中で一番価値のある一品だ。

 ………少しの間だけ、お前に貸してやる」




 ああ、クソッ!


 ………結局、俺はエクスに心底から嫌われるのが怖いんだ。この半端者め。




「アリエッタ…?」

「だから!やること全部終わったら俺に返しに来い!持ち逃げするんじゃねえぞ?いいな!」




 後半、訳が分からなくなってきた俺は叫ぶように早口で捲し立てると、エクスを置き去りにしてダッシュで自室へと逃げ帰った。




 …まあ、当初の予定とは少し違ってしまったが、髪飾りをエクスに渡すという最低限の目的は果たしたのだ。

 結果オーライということで良しとしよう。

 俺はミッションコンプリートの達成感と、夜更かしした眠気により、ベッドへ倒れこむように眠るのだった。スヤァ………




 **********




 翌朝、村に一台の馬車がやって来た。

 中から出てきたのは、やはりあのおっぱいだった。


「御約束通り、お迎えに上がりました。その様子だと、王都へ来ていただけると思ってよろしいのでしょうか?」

「…僕がどうするかは、貴方の"星詠み"とやらで既に分かっているんじゃないですか?」


 ファーストコンタクトが最悪だったからか、エクスはおっぱいに辛辣だ。

 当のおっぱいは大して気にしてはいなそうだが。

 むしろ思春期の子供を見守るような、微笑ましい気配すら感じる。

 エクスは俺の息子ポジションだというのに不逞なおっぱいだ。


「そのお言葉で十分です。それでは、ご家族の方もこちらへ」


 フィロメラに促されて、エクスの両親が馬車へ乗り込む。


「少しだけ待っててください」

「はい、どうぞ」


 エクスはフィロメラに一声かけると、見送りに来ていた俺の前にやってきた。


「アリエッタ…行ってくるね」

「おう」


 俺は心配など何もしていないと、不敵に笑ってエクスの前に握りこぶしを突き出した。

 エクスは苦笑しながら、俺の拳に自分の拳をコツンと突き合わせる。


「もうちょっと女の子らしい別れ方をしてもいいんじゃないかな」

「こっちの方が気合入るだろ?………じゃあな、エクス」

「………うん、アリエッタも。元気でね」


 別れの挨拶を済ませると、俺はエクスに背を向けて歩き出した。

 未練は、少し残るぐらいでちょうどいい。


「行きましょう。フィロメラさん」

「はい、エクスくん。………彼女と引き離してしまうこと、少しだけ申し訳なく思っています」

「………大丈夫です。別れは、ちゃんと済ませましたから」




 そういうの、俺に聞こえない所でやってくんねえかなあ。


 背中で意味深な会話を聞きながら、俺はその場を後にした。






 ………さて、何はともあれ無事にエクスとの別れも済ませた。

 呪いのアイテムも手放したし、ヒロインレースからも無事に棄権出来た事だろう。


 後は俺の役目と言ったら精々、最終決戦で苦戦するエクス御一行に、地上から祈りを届けるモブキャラの中に紛れ込む事ぐらいだろう。


 もしかしたら、エクスがラスボスを倒した後に、今まで訪れた街を凱旋して回るかもしれんな。

 その時にチラッと一目ぐらいエクスに会うかもしれん。






 まあ、要するに俺とエクスの関係性は、ほぼ終わったということだ。


 そうさ、俺は平穏な生活を望んでいたんだ。これで良かったんだよ。

 あいつの、勇者のヒロインになるなんて冗談じゃない。清々した。

 今日からは枕を高くして眠れるというものだ。






 だから、これは嬉し涙だ。


 寂しさとか、悲しさとか。断じてそういうものではない。




 家に帰ると、母さんが俺を出迎えてくれた。


「アリエッタ………今日は教会での授業は休みなさい」

「な、何言ってるんだよ母さん。俺、別にどこも悪くなんか………」

「そんな顔して何言ってるの。行っても勉強にならないわよ。

 …母さんは昼ぐらいまで出てくるから、しばらく休んでなさい」


 そう言うと、母さんは家を出て俺を一人にしてくれた。

 …気を遣わせてしまったな。ありがとう、母さん。




「………くっ、あ………ああっ………う………っ」


 俺はベッドに倒れこむと、枕に顔を押し当てて慟哭した。

 前世でも、ここまで感情が揺れ動いたことは無かった。

 何なのだ、この胸の痛みは。


 そっと頭に手をやる。

 昨日まで髪飾りが付いていた場所に。


 そこに何も無いことが、何故だか死ぬほど辛くてしょうがなかった。











 そして、エクスが村を出てから5年の月日が流れた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る