開いた扉

 アセビを洞窟外に放り出してどれだけ経つだろうか。


 数日、数週間、あるいは数時間。


 一瞬であるような、とてつもなく長いような。正直、よく分からない。


 ——寂しい。


 その感情を理解した瞬間、思わず笑ってしまった。


 アセビは本当に不思議な少年だった。


 マシにはなったものの言葉遣いは粗野でだらしなく、人間だとしてもあまりに弱い。


 私が嫌う要素を詰め込んだような男だった。


 そして、魔術以外に大して興味がなさそうなのに、何故か私をしつこく構った。


 しかし、ほんの僅かな時間で私の冷え固まった心は、あっさりと彼に絆されてしまった。


 だから、今はただ祈る。

 彼が強く偉大になることを。

 彼が忘れず、迎えに来てくれることを。


「さてと、」


 私はその場に服を脱ぎ捨て、姿を龍へと変える。そして、背後に佇む禍々しい扉へと視線を送る。


 もうすぐだ。魔力とは違う嫌な気配が扉の向こうから漏れ出し始めてしばらく経つが——、


 ——ギギギィィィ


 今ではその気配が、この空間に充満している。


 ゆっくり耳を塞ぎたくなる音を立てながら開く扉を前に足が竦む。


 完全に開いた扉の向こうは、黒い液体のような物に満たされている。それを見た瞬間、頭の中で警報が鳴り響く。


 そして、液面を揺らしながらそれらは現れた。

 数十、いや百を超える魔物の大群。

 魔族も数体おり、その中でも一際強い大魔族の男が、私の前に出て来た。


 大魔族の男は、角が生えていること以外、三十代程の人間と外見的な差異はなく、その身なりは貴族のように上品だ。


「ほう、龍か。我が名はセクムト」


 セクムトはそう言った瞬間、右手のロングソードをその場で振り下ろした。


 その斬撃は、白く輝いていた。そして、離れた私の元へと凄まじい速さで飛んでくる。


 何とか反応し、体を右へと傾けたが、それと同時に左肩に凄まじい痛みが走る。


「——ッ!!」


 痛みに言葉が詰まる。

 見ると自慢の薄紫色の鎧は、易々と切り裂かれており、鮮血が溢れ出ている。


「ほお、私の〈斬撃よ、飛べスプテムナ〉を初見で躱すか。首を絶ったと思ったぞ」


 お父様に聞いたことがある。

 基本、魔族は生まれつき一つの魔法を扱え、生涯を通してその魔法を発展させていくと。


 先程の飛ぶ斬撃が、セクムトの魔法で間違いないだろう。


「龍、貴様の名は?」


「申し訳ありませんが、弱き者に名乗る名はありません」


「ならば、名も無き龍だ。……そう言えば、自己紹介がまだだったな。我が名はセクムト、次期厄災候補である」


 厄災。その単語を聞いた瞬間、総毛立ち反射的に魔法を発動する。


 私の周囲に黒紫色の結晶が出現し、それらを魔物の大群目掛け射出する。


 ——〈龍結晶に裁かれよフォルラッヘヴィオ〉。


 当たれば問答無用でその肉体を消し飛ばす結晶を操る私の魔法。


 魔物の大軍の半分は、私の魔法を受け息絶え、黒い粒子となり宙に霧散する。


 しかし、セクムトを始めとする魔族達は、魔法で相殺したり、躱したりしたらしくほとんど無傷だ。


 今のでダメなのか。


「なかなかいい魔法だ」


「セクムト様、ここは私達が」


 セクムトが楽しげにロングソードを振り上げた途端、それを阻むように少年の姿をした魔族を筆頭に残りの魔族達が彼の前へ出た。


「……ララーク。まあ、よいだろう」


 不機嫌そうにセクムトがロングソードを降ろしたことを確認すると、ララークが指を鳴らし軽快な音を立てる。


 それを合図に今まで動かなかった魔物、魔族が私に向かって攻撃を開始した。



 ◇


 全身に大小様々な傷ができ、動く度そこから鮮血が溢れる。

 いや、もう翼を広げるだけの体力も残っていない。


 残るは十数の大物の魔物と魔族達。


 彼らをどうこうする体力も魔力も私にはもうない。


 結局、私はお父様との、同胞との約束を守れないらしい。


 まだ、この大陸が厄災達率いる混沌の軍勢に支配されていた当時、私の同胞達は、一柱の厄災に挑んだ。


 そして、その厄災をあの扉の向こう、魔界へと撤退させることが出来たもののそれと引き換えに同胞達は私を残し皆、殺された。


 最後にお父様が私に残した言葉は、「扉を守れ」というものだった。


 私はそれに従い、もう誰も帰ってこないこの場所でたった一人でこの時を待ち続けた。


「呆気ないものた」


 気がつくと地面に倒れていた。そして、そんな私をセクムトが見下ろしていた。


 セクムトはゆっくりとロングソードを振り上げる。

 あのロングソードを振り下ろされたら私の命の灯火は消えるだろう。


 やっと終われる。終わりが見えない孤独からやっと開放される。


 ——でも、わがままを言っていいなら、最後にもう一度、彼に会いたい。


「……アセ、ビ」


「アセビ?聞いたことがある名だな……まあ、どうでもよいか」


 セクムトのロングソードが今までになく眩しく光る。


「さらばだ、名も無き龍」


 セクムトが魔法を放った瞬間、術者不明の〈防御魔術〉が彼の魔法を阻んだ。


 知っている魔力。しかし、ここまで大きくなかったはずだ。


 しかし、私と〈防御魔術〉、セクムトとの間に立つ、白い蔓を身に纏うその少年を私が見間違えるはずがない。


「やあ、ラナン。呼んだかい?」


 アセビは優しく私を撫でる。しかし、彼の浮かべる優しい笑顔をとても恐ろしく感じた。


「ごめん。全然、間に合わなかった」


 アセビは尚もセクムトに背を向けたままだ。


 それが気に食わないのかセクムト達は、何度も魔法を放っているが、アセビが発動したと思われる〈防御魔術〉はビクともしない。


 その光景は、異様だった。


 アセビの魔力は、私やセクムト達魔族に比べれば決して大きくない。人間にしては大きい程度だ。


「貴様、何をした?」


「……それはこっちの台詞だ」


 彼は振り向きざまに右手をセクムトに突き出す。


 次の瞬間、〈防御魔術〉がセクムトや魔族、魔物へ目掛け動き出した。


 セクムト達はそれに抵抗するが、抵抗虚しく扉の前へと押し戻される。


「獣風情が、よくもここまでやってくれたな」


「貴様!!」


「待てレーニャ!!」


 アセビが悪意を込めて放った獣という単語に反応した少女の姿をした魔族レーニャが、ララークの制止を無視してアセビに飛びかかる。


「術式……完成……」


 アセビが小さく何か呟くと同時に突き出した右手。そこから白い蔓が生え出る。


「——〈貫く魔術〉」


 アセビの右手の先から放たれた細く白い光線は、あっさりとレーニャの額を貫き、その後ろの四つ腕の大猿型の魔物の胸の中央も貫いた。


 二体はあっさり絶命し、その体は黒い粒子へ変わる。


「弱点まで人の真似事か?」


 今までのアセビとは別人のような底冷えする声に私までゾッとした。

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