唐突で強引で
ここは外界から隔絶されている為、具体的に経過した日数が把握出来ない。
体感では、一週間くらいだ。
耳元で発せられる澄んだ声、書物を指し示す白く細い指、たまに髪を耳にかける色気ある仕草。
彼女の全てに視線が、吸い寄せられてしまう。
「——って、聞いているのですか?」
「ああ、聞いているよ。ということは、この単語は種子で——」
この魔術書もハズレだ。
彼女に教えられた単語と解析して組み直した術式とを各々の手帳に記し、確信した。
結論から言えば、この魔術書に記載されていた魔術は、〈種子を発芽させる魔術〉と〈植物の成長を早める魔術〉だ。
「意外と綺麗な字を書くのですね」
手元を覗き込みながら彼女が呟いた。
余計な副詞が付いているものの、彼女に褒められたのは、初めてかもしれない。勝手に頬が緩でしまう。
「ええ、そうかな?」
「褒めた私が馬鹿でした」
「おれは褒めると伸びるタイプだよ」
「はいはい」
冗談はさておき、この手帳に記すことこそが仕事なのだから少しは意識してペンを走らせている。
旅の費用は、旅先での雑用に対する報奨金と国から援助だ。
ただ、無償で金を渡す訳にはいかないらしいので、こうして訪れた遺跡に眠る古代言語や魔術を解析した結果をエイデンに提出しなければならないのだ。
◇
彼女に教えてもらい、言語をだいたい理解した。
次の魔術書を手に取り、目を通し始める。
「他に手記はないのですか?」
意外にも彼女の方から声をかけてきた為、停止してしまった。
しかし、すぐに嬉しさで口角が上がる。
「どうしたんだ?構って欲しいのかい?」
「違います、暇になっただけです」
遂に心を開いてくれたのかと思ったが、違うらしい。
がっかりしつつ、鞄の中を漁り、手の感覚から書物らしき物を片っ端から取り出す。
すると、彼女は自分の側に置かれたある一冊の本に興味を持ったらしく、手に取った。
「これは?」
その空色の表紙を見てすぐピンときた。
「『旗振り勇者リュカ』とその仲間達の冒険物語だよ」
偶然、旅先で見つけ、自分が主人公で物語になっているのだとリュカを茶化す為に買った本だ。
「……旗振り、勇者?」
聞いたことがなかったらしく彼女は可愛らしく首を傾げた。
「ええと、六年前混沌の軍政を打倒し、魔界に追い返した英雄だよ」
「混沌の軍勢を打倒?!一体いつ?!」
珍しく大きな声を出す彼女をなだめ、もう一度六年前と伝える。
まさか、それすら知らないとは思っても見なかった。
「……そうですか。同胞達の死は無駄ではなかったのですね」
「君は——」
聞こうとして止めた。
今更聞いてもどうしようもない。
おれ達がなにもできなかった。ただ、それだけだ。
泣きたくなる程優しい声色と伏せられた赤い瞳。
彼女は今何を想っているのだろう。
今まで他人の感情にまで思考を割いてこなかったツケがここにきて回ってきたらしい。
こういう時、どうやって寄り添えばいいのかが分からない。
「聞かないでくれるのですね」
「……それしか出来ないから」
「あなたにしては上出来ですよ」
それだけ言って彼女は、静かに本を読み始めてしまった。
手持ち無沙汰になり、おれも魔術書の解析を始める。
◇
更に時間が経過した。
最後の魔術書の内容を手帳に記し終わった。それはここから去る条件の一つだ。
そして、横腹の傷も跡は残ったが、完全に塞がっている。
約束通り、ここから去らなければならない。
しかし、これまでの交流を通じて多少なり彼女の心を開けたと自負している。
「……終わりましたか?」
彼女も本を丁度読み終わったらしく、こちらへ顔を向ける。
その表情は、最初出会った時よりも幾分か豊かだ。
「ああ、終わったよ」
はっきりそう告げると、彼女は寂しそうな顔をした後、困ったように微笑を浮かべた。
こうして笑いかけてくれたは初めてだ。
「そうですか。あなたと過ごした時間、そこそこ楽しかったです」
「なあ、美しい君。提案があるんだ」
勝手に決めさせてもらうと言った呼び名で初めて彼女に呼びかける。
「なんです、その恥ずかしい呼び名は?」
「そうかな。おれは君にピッタリだと思うんだけど」
彼女は細めるか、今までの冷たい印象は受けない。
「それで提案というのは?」
「美しい君、おれと一緒に来ないか?」
「それは素敵な提案ですね」
「だったら——」
「でも、それは不可能です」
彼女は立ち上がり、禍々しい扉の元へ行くとそれに触れる。
詳しい話は何も聞いていない。
あの扉が何なのか知らない。
だが、あの扉がある限り、彼女がここに縛られ続けることだけは分かる。
「なら、その扉をおれが……」
感情が昂りその場に立ち上がる。そんなおれをなだめるように彼女は、側へと寄って来る。
「ふふ、そうですね。それが出来るようになった時、あなたが私を覚えていたならもう一度誘いに来てください」
俺の胸のそっと触れる。
彼女から溢れる魔力が激しく揺れ出すと同時におれの勘が、嫌なモノを感じ取った。
「さようなら、アセビ。次会う時は美しい君なんて恥ずかしい名ではなく——」
「待っ——」
視界が白く染まり、次の瞬間、おれが洞窟前に広がる森の中に立っていることが分かった。ご丁寧に足下には鞄が転がっている。
——魔法。
使用者の望むままに世界を歪めてしまう力。そこに魔術のような理論や術式は存在しない。
混沌側の知性と力ある魔物である魔族や厄災、秩序側の龍やエルフのような一部の者しか使えない力。
「——ッ?!」
食いしばった奥歯がギシギシと不快な音を立てる。
怒りに任せ、洞窟入口に張られた結界を殴るがビクともしない。
だが、そこで止めることは出来なかった。
無駄と知りながら何度も何度も拳を叩きつけ、ある時ふと止めた。
皮が向け血に染まった拳を見た後、空を見上げる。
——おれは何をしているのだろう。
「どうして……」
彼女の意図が分からない現段階でこの壁を破壊する訳にはいかない。
——ラナンキュラス。
何故、彼女は最後に名前を教えてくれたのだろう。
分からないことだらけで何もしようがないおれは、洞窟に背を向け歩くことしか出来なかった。
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