教える条件

「それで遠慮なく行った結果、文字が読めないと」


「……はい」


 呆れてため息が出る。


 目の前で正座しているアセビという少年は、しょんぼりと俯き、その姿はとても情けない。


 彼に遺跡と呼ばれてしまったこの街で一人になって何年経つだろう。


 侵入してきた魔物を排除し、掃除をし、亡き同胞の墓の世話をし、侵入してきた魔物を排除し——、


 毎日毎日同じことを繰り返し、私の心はいつしか冷え固まってしまった。


 そんな所に現れたのが彼だ。

 

 現れた時も魔物に追いかけられ、なんとも無様だった。


 言葉遣いは粗野でズケズケと土足で心の中に踏み込んでくる。


 草色の長髪は、手入れされていないのかくすみボサボサ。


 不健康なまでに白い肌は、汚れと無数の傷があり、目の下にはくっきりと隈が刻まれている。


 その様相は本当に秩序側に属する者なのかと疑いたくなる程だ。


 魔術師らしいが彼の魔力はあまりに小さい。


 文字が読めた所で本当にその魔術が扱えるようになるのか、甚だ疑問である。


「それで私に文字を教えて欲しいと?」


「はい……その通りです」


 しゅんとした彼は、何故か敬語を話す。


 ここで突き放すのは、とても容易だ。


 ただ、彼は教わるまで図々しくここに居座るだろうことも容易に想像出来る。傷が塞がろうともずっと。


 ちらりと背後に佇む禍々しい扉を見る。


 こちらとしても早く彼をここから帰したい事情がある。


「はあ……」


 こうやってため息をつくのは今日で何度目だろう。


 仕方がない、か。


「いいでしょう」


「本当かい?!」


 彼の口調は、どういった意図があるのか、最初会った時から大分丁寧になった。


「ただし」


「ただし?」


「先に入浴してきてください。臭いです」


 一体いつから体を洗っていないのか。


 彼はそれだけの異臭を体から放っている。


「はっきり言ってドブ沼みたいです」


「もうちょっとオブラートに……」


「包んでこれです」


「ひ、酷い」


 彼は体を小刻みに震わせ、今にも泣き出してしまいそうな程、顔を歪ませている。


 「早く行け」と目で入浴を急かすと、彼は震える手を挙げる。


 いつから発言は、挙手制になったのだろう。


「……何か?」


「傷が——」


「魔力で覆って守ってください。一応、魔術師ですよね?」


 彼の言葉を遮り、先に答える。


 すると、再び彼はスっと手を挙げる。


「せっけ——」


「私が普段使っている物をどうぞ」


 諦めが悪いらしく、彼は三度手を挙げる。


「まだ何か?」


 これ以上、抵抗すると言うならば、無理矢理ここから追い出してしまおう。


「その……教えてもらう時、人の姿がいいのだが」


 どうやら諦めたらしく、四度目の発言は、入浴とは関係ないものだった。


 神話の時代、私達龍やエルフ、ドワーフの祖先は、神に似た存在だったと言われている。


 しかし、彼らは人類に寄り添って生きることを選んだらしい。


 その結果、私は龍と人、二つの姿を持ち、エルフとドワーフは人の姿になったのだ。


 しかし、人の姿を要求するのにどういった意図があるのだろうか。


 まさか——、


「変態」


「ち、違う!断じて!君の裸体が目当てでない、と言えば嘘になるが……ただ、人の姿の方が君は教えやすいし、おれが教えてもらいやすいと思っただけだ」


 確かに一理ある。何か変な気を起こせばそれなりの対処をすればいいだけだ。


 無言で尾の先で浴場へと続く廊下を指す。


 彼は何か言いたげだが、鞄を抱えて部屋から出て行った。


 彼の背が見えなくなるのを見届け、姿を人へと変える。


 服を着たまま姿を龍と人とで変えられたらどんなに便利なことだろう。


「はあ……仕方ないですね」


 自室へ服を取りに行く。


 何を着たものか。



 ◆


 昔から風呂が嫌いだ。


 必要ならば垢や汚れは、魔術で取り除けばいい。


 入ったとしても直ぐに汚れてしまう。それなのに、毎日入る必要があるのだろうか。


 脱衣場でコートとズボン、包帯を取り浴場へ入る。


 入った瞬間、ある匂いに鼻が反応した。湯船に寄り確信する。


「温泉か」


 懐かしい。


 昔旅していた時、よく立ち寄ったものだ。


「風呂は好かないが、温泉は嫌いになれないよな」


 早速傷を魔力で覆う。


 低い椅子がありそこに座ると、目の前には大きめの鏡とシャワー、何やら魔力を帯びた石鹸と容器が置いてあった。


 容器の方は使い方が分からないので触れないでおく。


 石鹸をよく泡立てて頭から足先まで泡で包み、入念に洗う。


 彼女の言葉は、刺があってもほとんど傷つかないが、「臭い」だけは別だった。


 もう二度と言われたくない。


 その後、シャワーで泡を流すが、無駄に長い髪がきしみ指が引っかかる。


「だから風呂は嫌いなんだ」


 文句を言いつつ、湯船に浸かった。


 体の芯がじんわりと温められていく。


 こうしていると嫌でも思い出す。


 エイデンが勢い余って地面を叩き割って源泉を引き当て、貧しい村を観光地に変えた。


 お姫様の神聖魔術が、行き過ぎて万病に効く湯にしてしまった。


 女性陣の長風呂とリュカがのぼせたせいでおれとエイデンだけで厄災を相手したこともあった。


「また、あいつらと旅したいな」


 これ以上浸かっていると余計なことまで思い出しそうなので、風呂から上がった。


 鞄から洞窟に入る前に洗濯しておいたタオルを取り出し体を拭いた所で包帯の存在に気づいた。


 自分ではどうしようもない為、ズボンだけ履いて彼女の元へ戻る。



 ◇


 元居た部屋へ入ると人の姿の彼女がいた。


 龍の姿は美しいという言葉が似合う。対して、人の姿は愛らしいと形容すべきだろう。しかし、白と黒を合わせた服に身を包んだ彼女は、大人びた雰囲気を放っている。


 おれの存在を認めると、彼女は何かに呆れたらしくこめかみを押えた。


「とてもよく似合ってるよ」


「それはどうも。……それより髪、そのままにしておくつもりですか?」


「そのまま?」


 彼女の言葉の意味が理解出来ず、思わず首を傾げてしまう。


 彼女は「もういいです」と呟くと、手招きでおれを側へ呼ぶ。


「〈温風を出す魔術ウォーメア〉」


 彼女はジェスチャーでおれをその場に座らせると、頭上に手をかざし魔術を使った。


 〈温風を出す魔術ウォーメア〉。日常生活でよく用いられる民間魔術だ。


 温かく心地いい風が、髪の水分を飛ばしていき、彼女は用意してあったらしいヘアブラシでおれの髪をとき始めた。


「あなた、トリートメントを使いませんでしたね?」


「とり?」


「髪をサラサラにする液体です。せっかく質が良いのに勿体ない」


 恐らく、あの容器に入っていた液体のことだろう。彼女が使えと言うのだから、次から使わなければ。


 その次がいつかは分からないが。


「そうそう、これから毎日お風呂には入ってもらいますから」


「へ?」


「人として当然です。勿論、衣服も毎日洗濯します」


「……はい」


 彼女に逆らえないでじっとしていると、いつの間にか長かった髪が紫色の綺麗な紐で結い上げられていた。


「こんな綺麗な紐、いいのかい?」


「構いません。結っていないと、見ていてこっちが鬱陶しく感じますから」


 その後、彼女は文句を言いながら包帯を巻いてくれた。


 なんだかんだと彼女は、とても世話焼きらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る