英雄のコミュニケーション

 目を開けると視界がぼやけているが、建物の中で横になっていることだけは分かった。


 上半身を起こせば、百足に抉られた横腹に痛みが走る。ただ、動けない程ではない。


 体にかけられたおれの白いコートを捲る。その下を見ると、手当てされ包帯が巻かれていた。


 後ろに視線を落とし、枕替わりにされていた肩下げの鞄の傍に眼鏡を見つけたのでかけると、視界が明瞭になる。


 今いる建物の内装は、力ある貴族の屋敷や王城によく似ている。


「目が覚めたのですね」


 鈴を転がすような声がかけられた。


 そちらへ視線を向けると、おれを百足から助けた龍が上品に座っていた。


「……」


「……どうしたのです?」


「いや、お前に見惚れていた」


 無意識に口から零れ落ちた言葉を自覚した途端、顔が燃えているように熱くなる。


 おれは今なんと言った。


「……そうですか。それはどうも」


 対する彼女は、どうとも思っていないらしい。その返答は、冷めたものだった。


 ここまで冷静に返されてしまい泣きたくなる。


 彼女を見ると心臓が高鳴る。


 もっと彼女の声を聞いていたい。


 今まで生きてきた中でこんな感情が湧いたのは初めてだった。


 まずは彼女の名前を知りたい。


「そ、そうだった。おれはアセビ。お前、名前は?」


「ご丁寧にどうも。しかし、脆弱な人間の中でも更に弱く、ましてや野蛮な方に教える名前は持ち合わせておりません」


 刃物かと思う程、殺傷力が高い言葉。普段ならば、傷心するか、腹を立てている所だ。


 しかし、今のおれは彼女と話せることがただただ嬉しく、自然と頬が緩む。


「そうか。なら、呼び名は勝手に決めさせてもらう」


「……どうしてにやけているのですか、気持ち悪い」


 これは不味いかもしれない。俗に言ういけない扉を開いてしまいそうだ。


「うーん、迷うな……」


「……はあ、好きなようにどうぞ」


 彼女の宝玉のような赤い瞳が、細められそこからおれに対する呆れが透けて見える。


 彼女は、一つ大きく息を吐き、頭を腕の上へと降ろした。


 会話が一段落したので立ち上がり、白いコートを素肌の上から羽織る。そして、開かれた巨大な扉へと歩く。


「動くと傷が開きますよ」


「心配してくれるのか?」


「……ここで死なれると困るだけです」


 少しの間の後、彼女の声が耳に入る。


 その声色は、どこか冷たいが、彼女が本当は優しいのだと思う。


 現にこの手当ては、彼女が施したものだろう。そして、気絶する前に見た必死な人の姿の彼女の顔。


 思い出すと胸が締め付けられ苦しい。


 扉の前に立つと、少し冷たい風が頬を撫で、顔から熱を奪っていく。


 ここは、高台の上らしい。


 扉の向こうで、遺跡いや街が広がっていた。


 今にも喧騒が聞こえてきそうな程綺麗な街は、静寂に支配されており、その静けさに思わずゾッとする。


「お前——」


 口を開くと、彼女の閉じられていた目が開き、赤い宝玉がこちらに向けられる。


 ——野蛮な方に教える名前は持ち合わせておりません。


 突然、彼女の声が脳裏を過ぎった。


 確固とした自分を持つことは大切だが、相手を想い自分を変えることも時には必要だ、と酔ったエイデンとリュカから惚気と共に聞いたことがある。


 おれも彼女に心を開いてもらえるよう努めなければ。


 まずは言葉遣いを丁寧にしてみようと決め、すぐ実行に移す。


「君はどうしてここに?」


「?……答える義理はありませんね」


 唐突に二人称が変えたおれを不思議に思ったのか彼女の頭上に疑問符が浮かんだ。

 しかし、しばらくすれば冷たい返答をし、彼女は再び目を閉じた。


 その様子がおかしくて思わず吹き出してしまう。


「なんで笑っているのですか?」


「いいや。ただ、早くおれをここから追い出したいみたいだなと」


「みたい、ではなくその通りです。傷が治ったら——」


「それは君の後ろのソレが関係するのか、な?」


 慣れない言葉遣いに語尾が定まらず、格好つけてみたが決まらなかった。


 彼女の刺すような視線が今までで一番痛い。


 気を取り直して、彼女の背後にある異質な気配を放つ扉に視線を移す。


 遺跡やこの建物とは造形が明らかに異なり、放つ魔力はとても禍々しい。


「……さあ、どうでしょうね」


 まあ、誤魔化すよな。


「残念だけどこの傷はどうしようも。それに折角来たんだ。新しい魔術一つ覚えないと割に合わない」


 コートを少し持ち上げ包帯を見せる。


「貧相な魔力ですが、一応魔術師でしょう?」


「貧相なは余計だよ。まあ、言いたいことは分かる」


 治癒系統魔術で治して、さっさと出て行けということだろう。


「悪いけどそっち方面の魔術は苦手でね。……君程上手くない」


 かなり深い傷だったが、完全に血が止まっている上、包帯の下から僅かに彼女の物らしい魔力が感じられる。


「…………」


 彼女は更に不機嫌になったらしく、返事がなくなってしまった。


「ええと、ここって魔術書とかある?」


「はあ……この城の地下に書庫があります。勝手にどうぞ」


 煩わしさを隠す気がないため息の後、器用に尾の先で指された先に地下室への入口があった。


「勝手にって本当にいいのか?」


「どうせ誰も使わず埃を被っている代物です」


「……じゃあ、遠慮なく」


 今までになく寂しそうに伏せられた彼女の目にいたたまれなくなり、大人しく地下室へ向かう。


 〈灯りの魔術〉で照らされた階段は、埃が積もり、着いた地下室も同じ状況だった。


 こうなるまでどれだけの年月がかかるのだろう。


 それだけの年月、彼女はずっと一人だったのだろうか。


 一人で過ごした時間と仲間と騒がしく過ごした時間とを平等に持ち、尚且つ偶然にも永遠に近い時間を得てしまったおれだからこそ分かるかもしれない。


 その孤独感は、自ら命を絶ってしまいたくなる程だろうか。


 一冊の魔術書を手に取り、テキトーなページを開く。


「うん、読めん」


 遺跡に眠る書物には、よくあることだ。

 まずは文字の解読から始めなければならない。


 ——それだけの時間があれば、


「よし、連れ出そう」


 暗い地下で一人勝手に彼女を外へと引っ張り出そうと決めた。

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