龍の姫に出会う

 時間の流れは残酷だ、なんて言葉を聞いたことがある。


 この言葉を残した者は、おれ達の状況関係なく同じ速度で流れ続ける、そんな所に残酷さを見たのだろう。


 もしくは、老いて醜くなることに耐えられなかったのか。その場合、実に羨ましいと思う。


 あの戦いから早六年が経った。


 エイデンとクロエとの間に生まれたのは、女の子でクロエに似て落ち着いきのある娘へ成長していっている。更に一昨年、男の子が生まれた。きっとあの子はエイデン似だ。


 また、大臣として国王となった長兄の補佐を立派に務めている。


 リュカはあの後、王より騎士団長を任ぜられた。そして、四年前にお姫様とめでたく結ばれ、それとほぼ同時期に女の子を授かった。


 共に旅した仲間達が大役と育児に奔走している姿は、大変そうで幸せそうに見えた。


 そして、おれは——、


「————ハァハァ」


 現在、とある洞窟で魔物から必死に逃げている所だ。


 魔物達は、生き残った厄災と共に魔界へ帰還したが、全てがそうした訳でない。


 こちらに残った者、再び攻め込んで来る者等、以前程ではないが未だに奴らとの戦いは続いている。


 今おれを襲っているのは、どちらなのだろう。


 必死に動かしていた足を止め、共に身体を反転させる。そして、こちらへ向かってくる巨大な百足のようなソレを見据える。


 魔術の発動には、主に三つの工程が必要とされている。


 術式を構築し、そこに魔力を流し、対象へと放つ。


 突き出した右手から生じ巻き付く白い蔓。これはおれが構築した術式であり独自オリジナルの技術。


 普通は予め術式を書き出しておいたり、術式と結び付いた呪文を詠唱したりする。


 やがて右手の先に発生した赤い炎は、球となり百足の頭部めがけて飛んでいく。そして、狙い通りに当たる。そう、当たっただけ。


「ですよねー」


 炎は百足の額を僅かに焦がしただけで霧散し、大したダメージになっていない。逆に百足を怒らせてしまったらしい。


 巨体に見合わない速度で飛び掛ってきた百足を展開していた魔力障壁が阻むが、その鋭利な毒牙を突き立てられた瞬間、ピシリと頼りない音を上げた。


 再び百足に背を向け全力で走る。


『黒の巫女』にかけられた〈〉は未だ解呪に至らず、おれの身体を蝕み続けていた。


 終戦直後、二十手前だった肉体は、今では十六程へと巻き戻っている。


 今は常に〈〉を自身にかけ続けることでなんとか相殺している状態だ。


 自身にかける魔術に魔力の九割を割かなければ、押し負け若返ってしまう為、昔のように魔術が使えず、あの程度の魔物からも無様に背を向け逃げなければならない。


 流石は腐っても厄災。実に厄介なことをしてくれたものだ。本当に覚えとけよ。


 現存する魔術をあらかた調べてみたが、一切の手がかりも掴めなかった。


 そこで可能性を見出したのが、失われた古代魔術だ。


 今目指している洞窟奥で発見されたような遺跡なら或いはと思ったが、そう簡単にはいかない。


 これで訪れる遺跡は、十二個目だ。


 この状態のおれに負い目を感じている仲間達、何より自由な魔術ライフの為、一刻も早く解呪の法を見つけなければならない。



 ◇


 百足を連れたまま走り続け十数分。


 三十手前の身体だったならば、今頃美味しく頂かれていたことだろう。


 少し有難いと思ってしまったことに複雑な心境を覚える。


 ふと、意識を前方へ向けると、道の先が僅かに明るいことに気づいた。


 体力ももうすぐ尽きてしまう。ならばと思い、〈加速する魔術〉により速度を上げ、覚悟を決め光の中に飛び込んだ。


 飛び出した先には、今まで延々と続いた悪路から打って変わって広大な空間に建造物が広がっていた。


 遺跡と言うには、あまりにも状態が良く、今でも使われていると言われても不思議ではない。


 天井へ視線を上げると、洞窟の所々にあった淡く光る鉱石が敷き詰められており、この空間を照らし出している。


 物語の世界から飛び出した。その類の幻想的な景色。


 ——ピシッ


「ッ?!」


 纏った魔力障壁に罅が入る音。それに反応した時には、もう遅かった。


 魔力障壁は硝子のようにあっさりと砕け、百足が間合いへと侵入して来た。そして、おれの横腹を毒牙が抉る。


 何年戦場に身を置いたんだ、と自分を恥じる。


 痛みで息が止まり、抉られた横腹がとても熱い。次いで、目眩と吐き気で立っていられなくなり、その場に膝を着く。


 足元が暗くなり何事かと思えば、やっと大人しくなった獲物を捕食しようと百足が迫ってきていた。


「そんな近づいていいのか?」


 自身にかけ続けている〈老いる魔術〉を解けば、以前と同程度に魔術が使える。


 あまり得意ではないが、すぐに魔術で治療し、百足を処理する。


 要する時間は、数秒。その程度ならば、巫女の呪いの影響も大したことないはずだ。


 そう下した判断の元、魔術を解こうとした瞬間、頭上を黒紫色の結晶が通り過ぎた。


 結晶は百足に直撃すると、肉体の大半を消し飛ばす。そして、役目を終えた結晶は、空中で霧散した。


 今のは魔術だろうか。ならば、初めて見る魔術だ。


 とても美しく儚い。先程のものと同じ現象を起こす術式は——。


 痛みは増し、口や鼻から出血しても尚、おれの思考は、魔術のことで支配されていた。


 しかし、それもすぐに終わった。


 霞む視界の中央に一体の薄紫色の巨大なドラゴン、いや本物が降り立ったのだ。


 おれの魔術脳を現実に引き戻したのは、龍の登場という衝撃ではなく、その美しさだった。


 少しずつ狭まる視界の中、その龍は淡く光ったかと思うと、人族の少女へと姿を変えた。


 少女は、先程の巨体からは想像出来ない程、小さく華奢だ。


 ふわりと柔らかそうな薄紫色の髪を揺らし、こちらへ駆け寄ってくる。


 人へと姿を変えたとて、おれは彼女を美しいと感じた。そう感じたのは、魔術以外で初めてだった。


 暗転する視界は、重力に従い地面へ吸い寄せられるように落ちていく。


 だが、どうして——、


「————裸なんだ……」


 そこで意識は途絶えた。


 最後に見た光景は、少女の白くきめ細かい肌と熟れた果実のように赤く羞恥に染った顔だった。


 ——ああ、なんて愛らしいんだろう。

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