査定先の納屋からビンテージバイクが出てくる
浅賀ソルト
査定先の納屋からビンテージバイクが出てくる
俺はフリーランスで中古自動車買取の仕事をしている。
車を売りたいという連絡があってそこに行くと、客は寺の住職だった。
最近、病気をして運転を止められたのだという。寺の仕事は跡取りがいるので支障はないとのことだった。
書類を預かり、さらに自分の目でその住職の車を調べた。
車はかなりくたびれていた。あまり高値が付くような状態ではない。
これなら俺のような専門の査定じゃなくて、その辺の——それこそビッグモーターとか。傷つけられて買取価格を下げられるのでおすすめはしないが——適当な店に持っていってもいいのではないかと思った。車の買い替えなら下取りつきで次の車を買えるのでお得になるはずだ。
「私の名前はどこで知りました?」俺は聞いた。とはいえ、住職ならどこから俺の名前を聞いてもおかしくなかったが。
「
「ああ、荒さんですか。お世話になっています。ありがとうございます」
「おたくはきちんとした仕事をしてくれるという話だった」
「ありがとうございます。誠心誠意、査定させていただきます」
「で、いくらぐらいになる?」
「これは言いにくいですが、これはほとんど乗り潰していますよね。あまり期待はしないでいただきたいです」
実際のところ、その通りだった。田舎では車が必須だが、車乗りは、価値が下がらないうちに下取りに出して次から次へと乗りかえていくタイプと、1台の車をひたすら乗り回し、それがいくらで売れるかなど何も考えていないタイプの2つに分かれる。
こちらは後者のタイプだ。廃車処分にする費用よりは安い金額を、こちらが逆に貰わないとやっていけないくらいの状態だった。
端的に言うとこっちとしても実入りは少ない。何度も交渉する時間の方がもったいないので、ここで一撃で決める必要があった。いやならビッグモーターに持っていくかメルカリで自分で売ってくれってなもんだ。
「これはですね。大変申し上げにくいのですが、一万円いただければ、こちらで引き取ります、ということになります」
急に顔付きが変わった。「なんだと。荒がお前を紹介したんだぞ」
「はい。こちらが私の査定となります」
「俺が年寄りだからって馬鹿にしてるだろう」
「いえいえ。そんなことは」
跡取りのいる住職で、車の運転を止められたという事情からも分かる通り、目の前の男は80歳は過ぎていた。年寄りなのは確かだ。そしてこの年になると猜疑心だけが異常にふくらむことがある。この手の年寄りを俺は何人も見てきた。
俺は普通に走行距離や年式の話から始め、査定金額の根拠を一通り説明した。
ただ、まあ、別に馬鹿にしているわけではないが、この1万円という引き取り費用は、ねばれば0円までは譲れるラインだ。最初からその値段を言わないのはこの商売の通常営業といえる。さらに俺はタイムリミットを1時間に決めた。1時間で1万ならまあいいが、交渉にそれ以上の時間がかかると無駄になる。1時間以内にこの住職が1万払うから持っていってくれと言えば交渉成立。納得しないなら1時間後には交渉決裂となり、もちろんこちらもじゃあ0円などと提案もしない。
立ち去って俺の本来の分野、高級車やクラシックカーの分野に戻るだけだ。
荒さんはいい客だけど、この紹介は彼のミスだろう。紹介したんじゃなくてなにかのついでで俺の名前を出しただけだろう。寺の檀家ではやむなしともいえる。
「さて、査定の内訳としましてはこのようになります。なにかほかにありませんか? 2台まとめてなどがあればまた話は変わりますが」
住職はまだ顔に怒りを浮かべていたが、最初の敵意はだいぶ薄れてきていた。
「もう1台なんてあるわけねえだろ」
「なるほど。残念です。たまにお客様の中にはどこかに眠っている中古車などがあったりもするのですが」
住職の言葉遣いは乱暴だが、文字で見るほど印象は乱暴ではない。昭和というより戦前の世代だとこれが通常の言葉遣いだったりする。対面で話しているとそういう〝素〟が伝わるのでこちらも傷ついたりはしない。
「ああ、車はないが単車はあったな。納屋の方に置きっぱなしのはずだ。単車はいけるか?」
「専門外ではありますが、一応、見せていただけますか?」
「こっちだ」
住職の足腰はかなりガタがきていた。歩くのもしんどそうだった。
しかも寺の境内というのは広い。納屋といわれても俺のいる場所からはどこにあるのか分からず、ゆっくり歩く住職のあとについていって本堂をまわってかなりの時間が経過した。20分は過ぎていた。
このバイクを見て交渉は終了だな。俺は思った。手応えの感じから言うと1万円は払うのではないかと思った。この納屋まで歩くのがしんどそうなので、何度もこれをやりたいとは思わないだろうという見込みである。
納屋に到着して、住職は手持ちの鍵束から鍵を出してシャッターを開けた。
埃があって、仏具というか、儀式に使うような何やらがたくさん積まれていた。こっちの方が財産としては本命という気もするが、保管がぞんざいなので、そういうものではないのだろう。ぱっと見ではバイクらしきものは見当たらない。
「こっちだ」住職が奥へ進んでいく。
納屋といっても古い建物ではなく、ガレージのような建物で、2階もあれば詰所のような四畳半の小さい部屋もくっついていた。
俺もそのバイクに気づいた。カバーがかけてあって、何かは分からなかった。
万が一ということもあるが、期待はしない方がいい。
周りや上にも何かあったので、御開帳といってばっとめくるというわけにはいかなかった。俺はカバーの下からちょっと覗いた。
ビンテージバイクとしてはそこそこ有名なホンダのCB900Fだ。100万はいく。
急に俺の専門分野になったな。顔に出すような間抜けではない。息も乱さず「ほう。状態はいいですね」と言った。
「これも下取りで出す。もう単車って年でもないしな。これはいい値がつくだろう」
「さすがにこれはすぐには査定できません」こういうのは1万で買い取ったり150万で買い取ったり、わけのわからないことが起こるのだ。「私に任せてはいただけないでしょうか?」
誰なら買うかな? 俺の頭の中にすでに買い手の顔が何人か浮かぶ。こういうのは買う人の代理として購入するという意味合いが強い。
「それはまだ決められないな」住職が言った。
「なるほど。それは残念です」俺は言った。とはいえ、そろそろタイムリミットなのだ。ここで粘ると火傷する。「気が変わったらさきほどの名刺のところまで連絡ください。いつでもお待ちしております」
ここで一旦、住職に時間を与えた方がいいと俺は判断した。
ではまたと言い、心臓はバクバクしていたがクールに去った。
家や事務所に行くのではなく、車で角を2つ曲がってそこで停車して電話をかけた。
掘り出し物の連絡をして、購入者についてあたりを探った。
残念なことに個人で買うという人は見つからなかったが、専門店が状態次第だが——もちろん価格次第だが——仕入れてもよいという返事が来たのは次の日のことだ。とにかく初動の連絡と情報のバラマキはそのときに済ませた。
話の時間は前後するが、情報をバラマキを済ませると俺は寺の方に連絡を入れた。
「さきほどのバイクの査定ですが、明日の午前でも大丈夫でしょうか?」
「ああ、いいぞ。車の方も頼むぞ」
「かしこまりました」
車は0円で引き取ってもいいか。
俺はそれでも気にかかるものがあった。車だと悪名高いのはビッグモーターだが、バイクのバイク王もこの業界では手が早い。そして年寄りの猜疑心はだいたいおかしな方向に走りがちだ。大手に売るよりは俺のようなこのジャンルのプロに預けた方がお互いに得なんだが、なぜか自分が損をしても相手に得をさせない方を選ぶというやらかしをやる。
俺ががっかりするのを見たいという誘惑に負けてしまうのだ。
よそに決めたぞと連絡を受けても、こっちとしては別に悔しいわけじゃないので、「ああ、そうですか」なんだけど。
翌日に専門店が興味ありの連絡をメールでよこしているのを確認して、俺は寺に向かった。
寺のでかい駐車場にはビッグモーターの営業車とバイク王の営業車が並んでいた。
俺は思わず声を出して笑ってしまった。そして誰も見てないのに独り言で、おいおい、面白くなってきやがったぜ、と言った。
それらの営業車から数台の間隔を置いて俺の車を停めた。自分の車にも勝村ヴィンテージというロゴが入っていて、モロに営業車だ。車種はトヨタセリカで、営業ステッカーを貼るような代物ではないのだけどここは宣伝も兼ねている。この仕事をしておいて旧車に乗らないというのは体面が悪い。あ、勝村というのは俺の名前である。別に覚えておく必要はないが。
セリカ独特のドアの音を立てて俺は駐車場に立ち、とりあえず本堂の方へと向かった。
営業を鉢合わせたのは間違いなく住職の狙いだろう。
俺はそんなことで踊らされたりしないぞと臨戦態勢の精神状態になった。
ここで俺は間違えたんだと思う。住職の挑発に乗ってしまって自分の優先順位を見失ってしまった。俺の商売は車を安く買って高く売ることだ。それ以外のことは優先させなくていい。それなのに、住職をいい気分にさせたくないという反骨精神が顔を出してしまった。本来は客にはいくらでもいい気分にさせておくべきなんだ。むしろそれが目的のための手段とも言える。
まだまだ俺は二流だ。
本堂の呼び鈴を鳴らすとインターホンから住職の声がした。
「はい」
「昨日うかがった車買取の者です。バイクの査定に来ました」
「あー、よく来てくれた。ちょっとそこで待っててくれ。今、別の対応をしている」
「はい」
インターホン越しでも、ちょっと住職がいい気になっているのが分かった。カメラで俺の顔を見ているかもしれないと思った。
しばらくすると、玄関が開き、中からビッグモーターの出張査定とバイク王の出張査定が住職と一緒に出てきた。どちらもバイト大学生みたいな若造だった。実際、バイトだと思う。
「どうもこのたびはありがとうございました」
「いやいや」
「こちらもありがとうございました」
「おう」
そして声を揃えるように「失礼します」と言って去ろうとした。
横を通りすぎる二人に対して俺は言った。「あー、ちょっと」うまく声色は変えた。オクターブもいじった。
二人は立ち止まった。
「あそこの軽と納屋のバイクの査定に来たの?」
「あ、はい」「はい」二人とも素直に答えた。
「もう交渉は成立した?」
「え、あ、はい」「はい」
「なるほど。ありがとう」
立ち去る二人を充分に見送ってから、俺は玄関に一人で立っている住職の方を見た。
何が楽しいのかニヤニヤ笑っていた。
「どうもこんにちは」
「おう。わざわざありがとうな」
「いくらで成立したんですか? よろしければお聞かせくださいませんか?」
「どうしてお前に言う必要があるんだ?」
実際、あまり興味はないんだが、会話を続けた方がいいと思ったので俺は答えた。「後学のためです。どのようなお値段で納得されたのかを勉強させていただきたく」
「まあ、今回はお前もいい勉強になっただろう」
「はい。何か至らぬ点がありましたらご指導いただけると幸いです」
「教えてやる義理はこちらにはないしなあ」
「それはもう、こちらも強要するつもりはございません」
「じゃあ、言う必要はないなあ」
「もしよろしければ是非」
「うーん」
念の為、ここで繰り返しておくが、この住職と会ったのは昨日が初めてである。別に恨まれるようなことは何もしていない。まったく身に覚えがない。少なくとも、ここまで攻撃的にされる覚えはない。ただそれとは別に経験が無いかというと、こういう風に老人が攻撃的になる状況というのは経験済である。こいつは俺を騙そうとしていると一度認定すると、もうそれが確定事項になってしまうのだ。第一印象は大事なんだけど、たまにバイトの学生の方が信用されたりしてしまう。
「住職も納得の査定でしたか?」
「もちろんだ」
「それはよかったです。どの金額ですと満足でしたか、私も知りたいのですが、教えていただけないでしょうか?」繰り返すが別に興味はない。大体想像もついてる。
「お前の出した金額よりはマシだったぞ」
「おめでとうございます。私のような弱小企業ではなかなか大手様のような金額は提示できません」
「そうだな、それがお前の弱さだ」
ここから省略するが、住職が言いたがっているのは確かだったので、ちょっと待てばよかった。では結構ですとこちらが去ろうとすれば、得意気に言うのである。車は無料で引き取り。バイクは10万の値がついた、と。さようでございますか。教えていただきありがとうございました。それでは失礼いたします。俺は去った。想像通りの金額だった。
俺は知人に協力を頼み、寺に電話をかけてもらった。さきほどのバイクの査定ですが、間違いが判明しまして、8万になります。古いバイクの処分には特別料金がかかるのですが、そちらを含めていませんでした。
「ああ、分かった。8万でいい」
すいません。さきほどの査定ですが、再度訂正させていただきます。5万円になります。重ねがさね申し訳ありません。
「どういうことだ? 10万と5万は話が違うだろ」
俺の方はというとバイク王の方に電話をかけて、買取キャンセルの連絡をしておいた。さっきの寺だが、やっぱり売るのはやめた。
「申し訳ありません。査定に御不満でしたでしょうか?」
いや。気が変わって売るのをやめたんだ。思い出の品なんでな。
「かしこまりました。またのご利用をお待ちしております」
住職が本当に処分したかったのは軽の方だからビッグモーターにもキャンセルの偽電話をしておくべきだろう。
そうすれば俺に連絡が来るはずだ。
くだらねえ小細工しやがって。まあ車の処分は5千円にまけてやろう。俺だって鬼じゃない。
※分割するほどでもないので1つにまとめました。
査定先の納屋からビンテージバイクが出てくる 浅賀ソルト @asaga-salt
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