終章 


 私にとって、『壊す』ことは当たり前のことだった。

 人間が、意識することなく生きているのと同じように、壊すことに理由はなかった。

 息を吸って吐くのと変わらない。

 ただ壊す。

 それが、私。

 私と同じように、ただ『創る』存在もいる。

 私たちには、世界を見通す力がある。

 眺めるのに飽きた時は、人の体を模倣し、人の世に紛れたりもした。

 違った刺激が欲しかっただけだが、あまりそれは満たせなかった。

 世界の滅亡が差し迫ったある日、私はある男を見つけた。

 私は、その男を見続けることにした。

 面白そう、だからではない。

 

 その男は、既に壊れていた。

 



 自分が異常であると自覚しているイジョウ。

 ただの異常者は、自分が正しいと、間違っていないと思う。

 故に、自分の考えを曲げようという思考が生まれない。

 だから、その思考が適応できない社会から排除すればよいだけのこと。

 しかし、そのようなイジョウ者は、社会に溶け込む。自分がイジョウであることを隠して生きる。

 その者たちは、こう考える。

 社会、そして自分の周りのコミュニティにとって、何が異常で、何が正常なのか。そのカテゴライズの中、異常とくみされた自分はどうすべきなのだろうか。

 何をしたいと思っていいのか。

 ある者は挫折し、ある者は諦め、ある者は後悔し、そして、この男は抗った。

 異常という壁の先を目指し続けた。

 どんなに壁が分厚くとも、どんなに高くそびえ立とうとも。

 彼が目指したのは、正常。

 大半の人が当たり前に持っているもの。当たり前に備えているもの。当たり前に享受しているもの。

 ごく普通で、面白みのない、ありふれた日常。


 私は知っている。

 その者たちは、決まって、正常に押しつぶされる。

 いずれ。

 



 死を望みながら、生を続ける。

 破滅を願いながら、救済を模索する。

 枷になるとわかっていながら、他人との関わりを断ち切れない。

 心と頭が合っていない。

 本人がそれをどう捉えているのか、そもそも無意識下に放り投げたのかどうかはわからない。

 ただ、その在り方はいびつで、壊れたものだった。

 私は、こう思った。

 この男を、壊したい、と。

 既に壊れているこの男を、壊したいと。

 



 見てきた。

 見てきた。

 見てきた。

 特に何も思わなかった。

 遠くの夕日を眺めるように、ただ見てきた。

 そして、その男は、一つの世界を創った。

 私は喜んだ。

 退廃した世界には、確かに壊すものは少なかった。退屈してたのも事実だ。

 新たに獲物が現れた。それも喜ばしいのだが、それ以上に、嬉しい。

 

 これで、やっとあの男を壊せる。


 そして、世界は滅んだ。


 そして、あの世界での私の記憶はここまで。




 意識が覚醒したのは、新たな世界があいつのおもちゃ箱になってから幾年月後のことだ。

 狭い部屋の中で、やっと事態に気付いた。

 自分でも笑ってしまうほどの体たらく。滑稽にもほどがある。

 おあずけをくらった獲物を横取りされた。その怒りに爆発しそうな時。

 そう、それは、覚醒してからそう長い年月は経っていなかった。

 運命の方から転がってきた。

 私のいる領域に迷い込んできた。抜け方も帰り方も知らずに立ち止まっているのだから、迷い込んだ、という表現は間違っていないだろう。

 喜びも束の間。私は声を掛けた。

「―――」

「―――」

 何度呼びかけても、男には言葉として届かなかった。

 けれど、何かを感じ取れたみたいだ。

 違和感を辿って、私の目の前まで来た。

 男が触れた瞬間から、やっとまともなコミュニケーションが取れるようになった。

 私には絶好のチャンスだ。

 外に出られること。

 あいつをぶっ倒せること。

 そして、この男を壊せること。

 私の提案に、男は乗った。

「お前は何だ?」

「私は―――」

 私は、お前の悪魔だ。



 

 私にとって、壊すことは特別なことじゃない。生きることと同義だ。

 既に壊れたものを見て、壊したいと思った。

 壊したいと、思った。

 はずだ。

 はずなのに、どうしてだろう。

 わからない。

 どうして、

 どうして、塵となって消えていく男を前に、壊れて欲しくないと、そう思っているのだろうか。

 目から水が零れる。

 中々止まらない。

 私はそれを知らない。

 私はその感情を、らない。

 それなのに、しばらく止まることはなかった。

 そして、胸の痛みだけが残った。


                    *


 戦いは終わった。

 だからといって日常が戻ってくるわけではない。みんな集まって笑い合う日々はもう来ない。

 朝陽は崩壊し、死体の山が築かれた。あの戦いで、他所の高校に集まった人達も、大半が巻き添えで死んでしまった。

 

 あの戦いの前、一つだけわかっていないことがあった。

 有次からもらったヴァイスは、有次が死んだらどうなるのかということだ。

 きっとその時が来ないと答えはでなかっただろうし、死ぬことを想定して戦いに臨んでないから話し合う必要もなかった。

 サクヤが言うには、俺の中にあった有次のヴァイスは、完全に俺のものになってしまったらしい。今思えば、初期段階では、有次の成長に合わせて俺の中のヴァイスの総量にも変化があったけど、ある時からそれはなくなった。その影響で、俺の体は部分的に人間の体ではなくなった。簡単に言えば寿命が伸びたってサクヤは言ってたんだけど、どんくらい生きるかは分からないとも言っていた。


 サクヤとは一旦別れた。あいつにもやるべきことがあるらしい。

 だから、俺と幸一は旅に出ることにした。有次が愛した人類が今後どんな風に変わっていくのか、代わりに見届けることにするよ。

 例え彼らがどんな道に進もうともな……





 月が消滅したことで、別のかたちで新しい夜が訪れた。それは、暗黒時代の象徴になってしまった。

 俺たちの戦いは全世界に知れ渡った。新夜がアークを使って、断片的だけど戦いを記録してたんだ。世界の真実を知っていながら、それを隠蔽するだけでなく、第三次世界大戦だの特別な双子を作るための人体実験だの、実情が見えない世界平和同盟に対して、世界各地で民衆の暴動が絶えなくなった。

 一方で、新夜を崇拝する集団が急増した。『支配』された影響が抜け切れなかった、もしくは『支配』されていた時に、その考えに共感してしまった奴が大半だ。

 「死の先にある夢の世界が我々の唯一の救いである」を教義として掲げ、世界各地で広まった。それによって、年々自殺者が急増している。

 事実上世界平和同盟が瓦解したことで、人々の心はまたバラバラになった。

 世界平和同盟ができてからは、皆の指針は「平和」に向かっていたんだと思う。たとえ偽りの同盟だったとしても、そこには平和の象徴があった。はるか昔からの人類の共通の願い、「平和な世界」が成ったのだ。平和になればいいのにじゃない、本当に平和になったんだ。それだけで人々の心は同じ方向を向き始めた。そして心の変化はその者自体をも変えていく。まるで体の芯から温めるように、自分自身、人と人の関係、ひいては種全体が同じ方向を向き始めた。

 しかし、その「平和」の土台が、象徴が崩れ去った。というかそんなもの初めから存在しないのだと気付かされた。加えて新夜が人類に「夢」を見せたことで、皆の指針がバラバラの方向を向き始めた。

 神を肯定する者、神を否定する者、神を見出す者。

 何が善で何が悪か。その意味が今一度問われた。

 人々はその問いに自らの答えを導き出し、行動するようになった。その結果、また争いが起こった。バラバラになった指針をもう一度同じ方向に向かせようとして、誰かの主義主張を捻じ曲げる。そうした小さな指針もやがて大きな指針に飲み込まれる。そして大きな指針同士が争うと、内側から小さな指針が生まれ始める。終わらないループ。毎日昼夜問わず、大小さまざまな争いが絶えなかった。

 今考えると、これは新夜の保険だったのかもしれない。アークに残った記録は突拍子のないものだけど、人類全体を洗脳したことで誰もが異常を体感しているから、信憑性が増す。遅かれ早かれ同盟は崩壊したと思う。それによって時代を逆戻りさせ、混沌を呼び起こし、加えて洗脳下で幻想を見せたことで、自殺する者を増やす。自分が戦いに敗れたとしても、間接的に人類を滅ぼそうとしてたんじゃないかな。それ全て含めての計画だったんだと思う。真偽は分からないし、一体何があいつをここまでさせたのかはわからないけど、何故か新夜のことを心底憎むことはできなかった。サクヤには甘いって言われたけど、新夜のことも知りたいと考えるようになった。人類を滅ぼそうとした男と生かそうとした男、その二人を見た俺には、その後の人類の足跡を見届ける義務がある。……いや、義務、って言えばお前は怒りそうだな。権利、って言えばいいのかな。上手く言葉にできないけど、そういった気持ちから俺は旅立った。誰もが、平和になればいいのにと思う世界は、俺が生きた時代と比べて随分と悲しいものになってしまったけど、初めて人間がどういう生き物なのかがわかった気がする。俺の旅であると同時に、有次や新夜を知る旅でもあるのかもしれない。



 


 通常の人間の寿命と同じくらいの年月が経った後、サクヤは俺の旅に同行してくれた。なんだかんだ言って有次の影響を一番に受けているのはサクヤなのかもな。

 二人で旅をしているとき、よく有次や幸一との昔話をしたよ。たぶんお互いにとって忘れられない人だし、忘れたくなかったから。


 

 俺、言えなかったことがあるんだ。

 ずっと近くで見ていたからこそ言おうと思う。「お前のほうがよっぽど人間らしかった」。

 有次や新夜は、既に人ではない存在になっていた。fakerやcipherはヒトの域を超えている。それは確かだ。でもお前らは、例え困難を極める「夢」であっても、何度壁にぶち当たって絶望したとしても、「夢」を追い求めた。そのために努力を重ね、ただひたすらに手を伸ばし続けた。その姿を見て、俺は美しいと思った。人間はこうあるべきではないかと思った。自分を偽物だと言いつつも、無謀な夢を全力で追いかけ、他人を愛し、他人から愛され、数々の苦悩や葛藤を超えた有次の姿こそが、本当の人間なのではないかと思った。お前は人間のfakerにせものなんかじゃない、そう思わせてしまうほど、お前の姿は、生き様は美しかった。気付いてないようだったから、俺が言ってあげたかった。有次は初めからずっと人間だったって。そうすれば、長かった物語にやっとピリオドを打ってあげられる。やっと、呪われた運命から解放される。そう思ってた。でも、逝っちまった。夢も記憶も感情も何もかも失っているはずなのに、最後には笑って死にやがった。俺の気持ちも知らないで…………。

 だから毎年有次の前でこうやって言い聞かせてやってる。体は無くなっちまったからただの飾りだが、だからこそあの世にまで届くように、耳にタコができてもうやめてくださいって泣いて謝ってくるまでやめない。自分が、もう「夢」を追い続ける必要なんてないってことに気付くまでやめるつもりは無い。ただ、あの世ではもう遠い夢を求めるんじゃなくて、足元にころがってる小さな、そして有次とっては大きな幸せに目を向けて欲しい。

 ささやかな日常がありますように。



 

 ゆっくりと目を開ける。

 隣を見ると、旅の相棒パートナーはもう終わって待っていた。

「なぁ、サクヤは有次に何を言ったんだ?」

「んな事言うわけないだろ。」

「いつも教えてくれないじゃん。おぉ~、愛しの主様~、ってか?」

「……。」

「……。」

「……。」

「わかったわかった、悪かったって。だからそう怒るなよ。俺だって別におちょくってる訳じゃないんだぜ。ただ気になるんだよ。かの悪魔様が故人をどう偲ぶのかってね。」

「私の考えを聞き出そうなんて早えーよ、人間。」

「もう人間じゃないってサクヤが言ったんだぜ。」

「お前はよく口が働くようになったな。」

「あ、わかった。俺が言ってないからか。そうだよなそうだよな。言い出しっぺが先に言わないとな。俺は有次に――」

「そういう問題じゃねーよ。」

「え? じゃあどういう問題? ……って言ったら怒りますよね、ハイ、わかってますよ。」

「くだらないことぬかす暇あったらもう行くぞ」

「まぁそう慌てるなよ。急ぐ旅でもないんだし。」

「何言ってんだよ。世界はお前が思ってるより広いんだぞ。有次の代わりに世界を、人間を見届けるんだろ。お前の寿命いのちもいつ尽きるかわかんねぇんだから。」

「そうだな……。あれ、もしかして俺の事心配してくれてる?」

「…………――――。」

「えっ、なんか言った?」

「なんでもない!さぁ行くぞ。」

「へいへい 。」

「……何ニヤニヤしてんだよ。」

「いや、サクヤも随分と変わったよな、って思って。」

「私は私だ。これまでもこれからも変わらない……だからそのニヤケヅラやめろ。」

「そういうところだよ。」

「人間のくせに私に楯突こうってか? 生意気だな。」

「イテテ、どつくなよ。暴力反対!」

 二人の姿がどんどん小さくなっていく。

 その背中に声を掛ける。


「(行ってこい!!)」


 振り返る。

 一瞬有次の声が聞こえた気がした。しかしそこに彼はいなかった。


 幻聴かもしれない。有次ならこう言うかもしれないという妄想かもしれない。


 それでも翔は答える。今は亡き友に向かって。


「おう!! 行ってくる!!」




 二人は今日も歩く。


 どこまでも人間らしく。





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