第一章 出会い

                     1


 桜舞い散る季節、二つの道は再び重なった。


                     2


 朝の七時

 枕もとのスマホがバイブレーションとともにピピピッ、と断続的な音を鳴らす。左手で手さぐりにスマホを探し画面に触れると音は鳴りやんだ。目を閉じたまま一度仰向けになり、深呼吸をしてから上体を起こす。

 起きてからは顔を洗い、ニュースを見ながら朝食をとり、歯を磨いて身支度を整える。何の変哲もない、いつも通りの一日に始まり。唯一違いがあるとすれば……。

 (まだ誰も起きてこないか。)

 心の中でそう思いながらも理由は既に分かっていた。

 (まぁ、今日は祝日だからな。起きるにはまだ早いか。)



 七時五十五分。

 鞄を持って玄関へ向かう。一度座って靴ひもを結ぼうとしたとき、後ろからギシッ、ギシッ、と誰かが階段を下りてくる音がした。

有次ゆうじ、今日は祝日じゃなかったか?こんな朝っぱらからどこに行くんだ?」

 降りてきたのは有次の父親、久遠くおん勝武まさたけだった。彼ががこう言ったのは、有次が制服を着ていたからだろう。

 有次は少し振り返って、

「父さんこそ、昨日はいつ帰ってきたの。」

「昨日は遅くまであっちに残っててな、帰ってきたのは二、三時間前ぐらいかな。」

 よく見ると、髪はボサボサで所々無精ひげが生えていた。

「……。」

「連絡しなかったのは悪かったって。」

 彼は苦笑いしながら言ったが、有次は少し怒気のこもった視線を向ける。

「父さん、前もそう言ってたよ。忙しいのはわかるけど帰りが遅くなるなら遅くなるって連絡をくれないと。幸一も心配してたよ。」

 何も言い返せずうなだれてしまったため、話題を元に戻す。

「今日は学校で特別講義があるんだ。午前中で終わるからそのつもりで。」

「へぇ、どんな内容なんだ。」

「"今日"やるってことは一つしかないよ。」

 靴ひもを結び終わり、立ち上がって玄関の扉を開ける。家を出る直前にこう言った。



。」


                 3


 神奈川県朝陽あさひ市。

 国と県が試験的に作り上げた近未来都市。


 市全体は上から見ると二重丸のような構造をしており、真ん中の小さい円の内側が『商業区』、小さい円と大きい円の間が『居住区』となっている。また、商業区から外に向けて十二本の超大型道路、公開道路オープンロードが均等に間隔を空けて伸びている。なぜこのような名前が付いたかというと、この道路が唯一外とつながっているからだ。

 この都市のコンセプトの一つに「セキュリティ」があり、閉鎖的な都市だ。外部から市に入る手段は、公開道路を通るか地下鉄に乗るかの二つしかない。地下鉄の入り口や公開道路の各所では荷物検査が義務付けられており、さまざまな探知機やレーダーが目を光らせている。空港は市外にあり、遠くからやってくる人も例外なくどちらかの方法で市に入らなければならない。そのため、市内の公開道路以外の道路は全て市内で完結している。

 朝陽市はその性質上、他の市と比べて小さな市である。にもかかわらず市の人口で全国一位を誇っているのは、商業と居住を分けたことにある。

 商業区に存在する店舗には駐車場がない。共通の大型地下駐車場のみにすることで店舗同士の間隔を最小限に抑えている。また、商業を一つにまとめたため、基本的な人の流れは家から商業区の一方向に限られ、円形構造により複雑な道路は不要でまっすぐ商業区に伸びる道路があればよいのだ。居住区間を移動するための道や公開道路につながる道路も存在するが、人の流れがコントロールできることで道路にかかる土地を大幅に削減している。

 加えて、朝陽市は縦に長いというのも特徴の一つにある。商業区には高層ビルが、居住区には高層マンションが乱立している。

 最大限まで無駄を省き、上の空間も活用した構造によって、朝陽市の人口密度はとても高くなっている。

 朝陽のシンボルと言ったら、中央にそびえ立つ二百階建ての超大型ビルだ。どこにいても目につくそのビルは、日本を代表する都市にふさわしい豪華絢爛な造りとなっている。下層ほど飲食店やサービス店が集まり、上層に行くほどオフィスに使われている。最上階あたりは全て展望スペースとなっており、観光の名所となっている。

 朝陽には最先端の技術が集結しており、多くの研究所が連なる。よってその恩恵を最も受けやすく、また開発した技術を実践することも許可されている。

 町には多くの自動ロボット、ホログラムが取り入れられており、治安維持や避難案内などは全てプログラムに従って勝手に行われるようになっている。

 世界を見ても、これほどまでの技術が幅広く普及しているのはここだけと言ってもいいだろう。安全面も絶対の信頼があり、各国の富裕層から大きな支持を受けており、益々の発展が期待されている。


                    4


 有次は町の大通りを歩いていた。ここは街路樹として桜が植えられていた。ちょうど今が満開シーズン。桃色景色の中、少し大きめの制服を着た初々しい新入生達が、どこか不安な感情を隠しながらも新生活に胸を躍らせて登校していく。そんな光景を想像してしまいたくもなるが、周りに制服を着ている者などいなかった。自分を除いて。理由は単純、今日が祝日だからだ。しかもただの祝日ではないため、基本的に部活動なども行っていない。

 この大通りは商業区に直接つながっているため、多くの人が行き交っていた。彼もそのうちの一人だ。しかし、彼の行先は商業区ではなかった。


 学校は商業区ではなく居住区にある。学校名はどれも「朝陽第〇学校」のように表されていて、有次の通う学校は「朝陽第一高等学校」だ。

 家から学校まで徒歩二十分ほどあり、夏場は登校するだけで疲れてしまうのだが、今日は特に運がなかった。

 (今日は何でこんなに暑いんだ?)

 まだ四月も中旬に差し掛かったころだというのに気温は夏日を記録していた。ここ三日間は少し肌寒かったせいか、有次は学校指定のブレザーを着てきてしまったことを後悔する。

 日陰から出ると正面から強い日差しが照りつけてきた。思わずおでこのあたりに手をかざす。気分が最高に沈んでいるというのに、追い打ちをかけるように不快な音が飛び交う。


「スピード出しすぎ注意」

「ポイ捨て禁止」

「今日の天気は快晴。気温は二五℃、湿度は五六%」

「おはようございます。今日は"平和記念日"です。日々の平和に感謝すると共に今後のより良い平和のため、皆さんのご協力お願いします。おはようございます。今日は――」


 町のいたる所に電光掲示板が設置されており、表示された文字を機械的な音声が読み上げている。


 『戦争』以降、今日四月十二日を「平和記念日」として祝日とした。

 行き交う人々を観察する。家族、友人、恋人。多くのものはこの祝日を謳歌することだろう。自分たちの好きなように時間を使うだろう。

 (こんな日ぐらい家でゆっくりしたいのに。)

 一人制服で歩く有次は悪態をついた。余計なことを考えたせいで余計に気分が沈んだのであった。

                  


 校門近くまで来た有次は既にブレザーを脱いでいた。

 スマホに目をやると、

 (思った以上に時間がないな。ゆっくり歩きすぎたか。……ん?)

 後ろからドタドタと走ってくる音がした。しかもこっちに近づいてきた。後ろを振り返ると同時に、

「よぉ、有次!」

 声をかけてきたのは、明るめの茶髪(本人曰く地毛)が特徴の少年。

 名前はかがりしょう。有次とは高校一年生の時からの友達だ。

「おはよう、翔。どうしたんだ、そんなに汗をかいて。」

「いやー、今日は珍しく早く起きたもんでな、朝っぱらからサッカーの練習してたら時間見んの忘れてて……。」

「相変わらずせわしない奴だ。」

 翔はニカッ、と笑った。

 有次から見て彼はいつも笑っている存在だった。対照に有次は普段あまり感情を表に出さない。

 翔は体格がよく、身長は百九十センチ近くあり、腕や足の露出部分からは鍛え上げられた筋肉が見てとれた。有次の身長は百七十センチ前後といったところで、細身だ。お世辞にも力があるとは思えない体格だ。

 (ただでさえ暑いのにさらに暑苦しいのが来た……)

「……?どうした、有次。具合でも悪いのか。」

「いいや違うんだ。大丈夫。」

 こちらをのぞき込んで来ようとする翔を右手を軽く上げて制するが、左手は頭を押さえていた。


 

 二人は同じクラスであるため、教室まで一緒に歩いた。

 廊下は二人以外誰もいなかった。

「しっかしよー、なんだってこんな日に学校に行かなくちゃならないんだ?しかも三年生だけじゃん。進学そうそうやめて欲しいよな。」

「こんな日、だからだろ。」

 翔は両手を頭の後ろで組んだ。

「確か同盟の人がやってきて戦争について語ってくれるんだろ。でもさ、今世界はなんだぜ。今更戦争について語られても興味ないっての。」

「まぁ、百年も前のことだからな。逆に興味を持つほうが稀有さ。」

 有次は窓の外に目をやる。空はすがすがしいほどに晴れていた。

 (、か……)

 彼にとって「平和」とはをもつ言葉だった。

 窓の外を見ながらボーっとしていると、

「やべっ、有次時間ないぞ。」

 廊下にあった時計の長針は二十五分を回っていた。辺りの学校は小中高問わず、どこも朝のホームルームは八時半からと決まっていた。

 慌てて走り出した翔の背中を有次は追いかける。



 八時三十分、キーンコーンカーンコーン、と鐘がなると同時に教室の扉は開いた。

 クラス中の視線が一つに集まる。

 翔はいつも通りの笑顔と軽快な口調で、

「遅れました~」

 と、後頭部をかきながら教室へ入っていく。

 有次はというと、席が後方ということもあって、後ろの、翔が入っていった扉とは別の扉から教室に入る。

 有次が入ってきた扉は、二人が来た方向からは遠い方の扉だったため、教室に入るタイミングがほんの少しズレた。そのおかげか、他の生徒たちは翔しか見ておらず、しれっと誰にも気づかれず席へと移動できた。

 いや、きっと理由は別のところにあった。

 クラスからは、なにやってんだよー、どうせ寝坊だろー、などなど様々な声が翔にかけられる。

 翔の座席は、運悪く教卓の真ん前。いやでも先生から目立ってしまう。もちろん悪い意味で。クラスの中で数少ない、席替えを強く希望するグループの一人である。

 二人が席についてもなかなか静寂がやってこない状況に苛立ち始めた担任の先生は、気持ち悪いぐらいの笑顔で、

「え~、皆さん、よろしいですか。」

 話していた連中が一瞬にして口を閉ざす。

 クラスにとどまらず彼女の授業を受けている生徒ならこの危険信号を察知できるだろう。若くして世界が注目している都市の高校教師をしているため、優秀であることは間違いないのだが、難儀な性格の持ち主だ。普段こそは上品な淑女を装っているが、実際はがさつで面倒くさがりで怒りっぽい。同棲したら別れてしまうタイプの女性だ。独身の理由がここにあると言うことを本人が自覚していないことが恐ろしいところである。

 そして今この瞬間、彼女のベールが剝がれようとしている。そうなった彼女を一言で表すなら『面倒くさい』である。すると誰かがこの静寂を破る。

「先生、朝のホームルームを始めましょう。」

 声の主はこのクラス唯一の茶髪の生徒。もとはといえば自分が事の発端。俺に任せろと言わんばかりの英雄的行動である。

「……ええそうね、始めましょう。」

 爆発危険物の無力化を確認。教室の平和は保たれたのであった。

「今日の欠席者はなし、っと。じゃあ今日について軽く説明するわね。」

 名簿に今日の出席を書き終えると、先生は普段通りの口調で話し始める。

「九時から文化館で特別授業があります。五分前には移動を終えているように。文化館での授業はおよそ三十分ほどで終わり、そのあと教室に戻り少し活動をしてもらいます。」

 ある生徒が手を挙げる。

「先生、教室に戻ってきてからは何をするんですか。」

 至極当然の質問ではあるが、先生は何故か困ったような顔をして、

「それが私たちにも詳しく知らされてなくてね。どうやらグループワークの類らしいんだけど……。」

 先生たちにも知らされていない活動。

 生徒たちの頭の中ではたった一つの結論が導き出された。それはきっと的を射ていることだろう。


 ((めんどくせーな、絶対。))


 朝のホームルーム、といってもやることは出欠の確認と連絡事項を伝えることぐらいである。特別な行事がある日でも、事前に内容は掲示されているため当日に連絡することなど特にないのだった。しかもこの日に至っては先生も詳細を知らない有り様である。

 十分ほどで先生は教室をあとにした。

 九時まではまだ時間があるため、先生がいなくなってからは教室も賑わいを取り戻した。つい先日進級して新しいクラスになったというのに、生徒たちは既に打ち解けていた。

 教室という狭い範囲で、四十人の生徒がそれぞれ数人のグループをつくって話し始めると、全体として大きな「音」が生み出される。全体の輪の外側から見ると、個々の話の内容までは聞き取れないが、各々の声が混ざり合い、意味を持たない「音」の塊となって押し寄せてくる。

 翔もその輪の中にいた。正確には中心にいた。

 多くの人達から声をかけられ、自分からグループに入っていったり、自分の周りにグループができたり。常に彼の周りには輪があった。みんな彼の笑顔に魅かれていた。その笑顔は周りに伝播して周囲の人達をたちまちに笑顔にする。底なしの明るさと純粋な笑顔から篝翔という人間はクラスの人気者だった。

 そんな中、有次はワイヤレス式のイヤホンを耳につけて、一人ひっそりと本を開く。


                    5


 校舎とは少し離れたところに文化館はあった。

 中はコンサート劇場のような構造になっており、ステージの前にはずらりと座席が並んでいる。

 座席数は一学年分ぐらいしかないため、全生徒を集めた集会などは行えない。今では吹奏楽部やコーラス部の練習・大会に使われたり、保護者や要人に向けた説明会を実施したりと、そのくらいの出番しかない。といっても、一学年十四クラスで構成されており、一クラスだいたい四十人が在籍している。それなりの規模を誇っている我が校では、体育館が二つあってもこういう場所の価値は大きい。

 今日は三年生のみが参加するため、体育館ではなくここ文化館で特別授業が行われることとなった。ステージに向かって右側からA、B、C…組と並ぶ予定となっており、特別授業に関する資料やパンフレットがそれぞれの座席に置いてあった。


 時刻が九時になると、ステージの中央にポツンと置かれた演説台に校長先生が近づいていった。年齢は五十を過ぎていたが、身だしなみにはとても気品が感じられる。さすがは最先端をいく学校の校長だ。

「生徒の皆さん、おはようございます。」

 それまでは騒々しかった文化館内部は、校長先生のたった一言で豪華な内装にふさわしい静けさを取り戻した。

「本日はお休みの日にお集まりいただきありがとうございます。」

 一度言葉を切り、少し間を空けてからまた話し始める。話の内容が変わるときによく用いられる接続詞、さて、やところで、を使わず「間」で表現するのが彼の話し方である。

「現在の平和な社会において、戦争について学ぶことに疑問を感じている人も多いと思います。ですが過去の闘争の歴史を知ることで、平和の重要性を今一度確認してみてください。その上で、手元にあることが当たり前だとは思わず、手元にあるものをいかにして持ち続けるかを考えて欲しいのです。関係ないの一言で終わらせてほしくないのです。そのための特別講義であることをご理解ください。」

 彼の話は、世界が平和になってから戦争を知らない子供たちに大人たちが言い聞かせていたことだった。だが、他の教職者たちのような形式的な口文句ではなく、彼の言葉にはどこか熱のようなものを感じられた。それまではつまらなさそうにしていた生徒たちも彼の話を傾聴していた。

「前置きはこのくらいにして。それでは本日の特別講師を紹介させていただきます。世界平和同盟 日本支部代表 大國おおくに俊行としゆき様です。」

 拍手が館内に鳴り響く。

 と同時に、ステージの袖から白髪で真っ黒のスーツ姿の男性が現れた。資料の中に彼の紹介文プロフィールが顔写真とともに載っており年齢は七十を過ぎていたが、高身長かつ筋肉質な体つきはきっと顔写真からは想像できないだろう。その大柄な体躯故なのかサイズの問題なのかはわからないが、彼のスーツ姿は見る者に窮屈感を与えた。常に口角が上がっているが、嫌みな雰囲気を一切まとわず、寧ろ初対面の人ほとんどに好印象を持たれるような男性だった。

 男性はゆっくりとステージ中央に向かっていった。校長があとはよろしくお願いします、と男性に言ってステージをあとにした。演説台に着くと生徒たちの方を向き、片手を軽く上げる。

 拍手はピタリと止んだ。

 静寂に包まれた館内に、七十を過ぎた老人の声とは思えないほどの若々しく、透き通った声が広がる。

「皆さん、おはようございます。私の名前は大國俊行といいます。今日はどうぞ宜しくお願い致します。」

 見た目通りの、人当たりのいい口調だった。

「ところで皆さんは、本日四月十二日がなぜ『平和記念日』なのかご存知でしょうか? なんとなく知っている人や聞いたことある人はいると思いますが、その理由を、その意味をきちんと知ってもらうことが今回のテーマにつながっていきます。そのためにはまず、歴史の針を百年前まで戻す必要があります。」

 彼はマイクスタンドからマイクを抜き取り、演説台の前を右に左にと歩きながら話を進めた。

 文化館のホール内全体が暗くなり、ステージ上の大スクリーンに当時の様子と思われる画像が、次々と映し出される。

「今から百年前の二一五○年、『第三次世界大戦』が終結しました。そう、のです。当時多くの一般人はまったく理解できず、大いに困惑しました。なぜなら、からです。しかし、戦争もただひっそりと終わりを遂げたわけではありません。『ある事件』がきっかけで、この戦争は公の舞台にその存在をあらわにしました。」

 そこで言葉を区切ると同時に、大國も足を止めた。

 街ゆく人々が、街頭モニターのニュースに釘付けになり、大きく混乱している様子が映し出された。誰もが信じられないと疑い、同時に真実を受け入れられていなかった。

 深く、深く息を吸い、再び口を開く。

「『グリーンランド消失事件』。二一五〇年四月一日、北アメリカ大陸よりも北に位置し、当時世界最大の島であったグリーンランドが突如地図上から姿を消しました。後から分かったことですが、核兵器や最新型ミサイルなど多くの大型兵器がそこへ打ち込まれていました。このことが世間に知れ渡るのに、そう時間はかかりませんでした。島を丸々一つ消し飛ばすほどの爆撃。高々と立ち上る黒煙。巨大なキノコ雲。急な水位上昇や気象変動。あらゆる異常があらゆるところで観測され、数日のうちに世界は大混乱に陥りました。同年四月六日、国連に加盟していたすべての国の代表たちが、まるで示し合わせたかのように一斉に会見を開きました。そこで明かされたのが、『第三次世界大戦』の存在とその終結です。」


                    6


 町の人々が活発に動き始める頃、この男はいまだに眠っていた。

 久遠くおん勝武まさたけ

 髪やひげは手入れされてなく、私服のままベットで大きな寝息をたてているこの男はれっきとしたお父さんであるのだが、見てわかる通り、家事のレベルは底辺に等しい。一人暮らしを始めると、一か月もしないうちに家の中がゴミ屋敷になるタイプだ。いち家主がこの有様ではどうしようもないが、以外にも家の中はとてもクリーンな状態を保っていた。廊下やリビングに余計なものは置いておらず、まるで毎日家政婦さんが掃除をしてくれているような清潔感があった。しかし。現実として。

 家政婦さんなどいないのだ。

 この家には、父と息子二人の三人が暮らしており、ダメ親のしわ寄せがきているのは誰なのかというと……


 バンッ、と扉が開く。

 入ってきたのは一人の少年。

 名前は久遠幸一こういち。普段はおっとりとした性格の中学生。

 ベットで眠りこけているダメ親を勢いよくゆする。

「お父さん! お父さん!」

 ん~~、と声をあげながら少年とは反対側に寝返りを打つ。

「もう少し、ねむ、ら、せ……」

「もう、せめてお風呂に入って着替えてからにして!」


 どっちが親なんだか。


                    7


「第三次世界大戦。現在に至るまでその詳細は分かっていません。いつ始まり、どのように戦いが繰り広げられたのか。なぜ戦争が起こり、そのことを隠したのか。多くは謎に包まれています。ですが、どの国も口をそろえてこう宣言しました。


『戦争は確かにあったがもう終わった。世界には真の平和が訪れた』、と。」


 声に重みが増す。場に緊張が走る。

「混乱が止まぬ中、さらに世界は動いていきました。各国が『世界平和同盟』の設立を宣言しました。世界平和同盟とは、戦争が終結した証であり、平和の象徴。政治や軍事から完全に切り離された新たなる組織であり、専門家や有志の一般人によって構成されました。その目的は、よりよい平和を実現する、ことでした。初めは専門家や企業の社長しかいませんでしたが、活動を進めるにつれて人種、性別、年齢問わず多くの人が賛同していきました。設立から四十年、我々世界平和同盟はさらなる平和を求めて大小様々な活動をしてきました。緑を取り戻し、貧困を減らし、綺麗な水を配り、教育を届け、人と人とを繋げました。その功績が称えられ、各国が同盟の設立を宣言した四月十二日、つまり今日が"平和記念日"となったのです。ですが、本当の意味で我々同盟が単体で成し得たことなど少ないのです。我々はただの先駆者であり、我々の活動を見た皆さんが協力し、ついてきてくれたからこそ多くの成功を収めることができました。先ほども申した通り、同盟で活動している職員たちは皆特別な人間ではありません。ただ漠然と平和を願う一般人です。つまり、私にできて皆さんにできない道理などないのです。私が今日一番に伝えたかったことはそれです。」

 スクリーンが消灯し、ホール内に再び照明が付いた。

 一瞬目が眩んだ生徒たちを待ち、視線が集まったところで、大國はさらに力強く言葉を放つ。

 一番大切なことを。 

 一番伝えたかったことを。

「世界を平和にするのに特別な才能や資質は一切必要ないのです。必要なことは多くを知り、多くを学び、多くを考えることです。たったそれだけのことなのです。始めるのに早いも遅いもありません。肝心なのはより多くの人間がこれを実践することです。人間一人の力などたかが知れていますが、何十万何千万、さらには何十億と広がっていったらどうでしょうか。しかもその全員が平和を目指したらどうでしょうか。これが世界を平和にする方法です。このことをよく覚えておいてください。それだけで私が今日ここに立っている意味があります。」

 場内には自然と拍手が沸き上がった。それほど彼の話は魅力的なものだった。初めはつまらなさそうにしていた生徒たちも話に聞き入っていた。

 しばらくの間、拍手は鳴り止まなかったが、えーではでは、と大國がなにか話したそうに声を出すと自然と波は収まっていった。

 その後も、大國は話し続けた。

 どれも、戦争についてではなく、世界平和同盟の活動を中心に話した。

 彼はこう言った。『歴史を知ることは大切ですが、最も重要なのは、歴史から何を学ぶのかなのです。』

 当時のグリーンランドには人が住んでおらず、戦争による直接的な死者は確認されていない。しかし、その後の環境破壊は深刻な問題として爪痕を残し、各国は強く責任を追求されることになった。

 その後の世界平和同盟の活躍により、今では国の政治権力よりも同盟の活動の方が強い決定権を持つ。ヒエラルキーを考えれば、頂点が世界平和同盟、その次が各国首脳陣となる。

 戦争は悪である。そこに議論の必要性は無い。だが、それがきっかけで世界に平和が訪れたのなら、そのプロセスを知ることこそ、恒久的な平和に繋がるのだと、そういう大國の考えが話から伝わってきた。


 きっちり三十分で話し終えた大國は、演説台にマイクを戻した。

 誰もが終わったと思ったが、次に彼が放った言葉は想像だにしないものだった。

「では皆さんに課題を出したいと思います。」

「………………」

 課題、その一言でそれまでの雰囲気は一気に崩れた。世の学生諸君にとって、授業中の「二人組作って」と同じぐらい聞きたくないワードだ。授業終わりのこの二文字はいったいどれだけの学生たちを憂鬱の暗闇に突き落としたのだろうか? 

 さっきまでの真剣な空気はどこへいったのやら。一斉にヒソヒソと周りと話し始めた。理由はただ一つ。

 不安、である。

 大國の次の言葉次第で、午後は友人たちと遊んで楽しい時間を過ごすのか、それとも机と楽しい時間を過ごすのかがかかっているのだ。

 コホン、と一つ咳払いをしてから話を再開する。

「皆さんは、世界平和同盟が何故ここまで世界で認められて、平和の象徴とまで言われるに至ったと思いますか?」

 聞いている全員の頭の上にはてなマークが浮かんだ。聞いたことがいまいち理解できない。

 生徒達にとって生まれた時からこの世界は平和で、その立役者が世界平和同盟で、

 、と思っている。いや、それが当たり前だと信じて疑わない。今あるものが何故そうあるのか疑おうともしない。それ故に大國の言いたいことは上手く伝わらなかった。

「例えば、皆さんが百年前に生きていたとしましょう。普通に生活していたら、急に実は戦争があったけどもう終わったよと知らされ、その戦争の詳細については全く口を開かない政府を信用できますか? その政府達が設立した世界平和同盟に一切の疑念も感じませんか? しかし結果として世界平和同盟は世界からの信用を勝ち取り、認められ、今では平和の象徴となった。何故でしょうか?」

 誰もが答えを持たぬ問いだった。

「この問いに明確な答えはありません。ただ皆さんに考えることをやめて欲しくないのです。今目の前にあるものを当たり前に思って欲しくないのです。疑う姿勢が、多くを学び多くを考えるきっかけとなるのですから。」


                    8


 大國俊行の話が終わり、質疑応答の後、彼が退場した。生徒達は一旦教室で待機となった。

 有次が自分の席に戻ると、翔がやってきて一つ前の席に座った。

「これ以上話が長くなってたら完全に眠ってたぜ。」

「眠らなかっただけでも成長なんじゃないか?」

 二人とも徹夜明けみたいな眠たそうな顔していた。耐えきれなくなったのか、お互い机に顔を伏せてしまった。

「それにしても今日は絶対休むと思ったぜ。」

「俺をなんだと思ってるんだよ。」

「自分の胸に聞いてみろよ、一年の時何回遅刻とサボりをやったと思ってる。」

「そっくりそのままお返しするよ。」

「誰かさんと違って行事やイベントは休まないんだよ。毎度クラスの奴らが『有次君はまたいないの?』って言ってんの知らない?」

「他所は他所、うちはうちです。」

「それ使い方違くね?」

 くぐもった声のやりとりは続く。

「なぁ有次、前から聞きたいことがあったんだけど、お前進級とかいつも大変じゃないか?」

「………??」

 質問の意味を理解できなかったため、沈黙を返す。

、人はそう簡単には変わんない。どうせ二年に上がっても遅刻と欠席は日常茶飯事だろ。」

「何が言いたい。」

「一年の時俺より遅刻と欠席の数多かったよな。俺でさえギリギリだったのにどんな裏技使った?」

 しばしの思考の後、きっと翔が見落としているであろうシンプルな回答を簡潔に述べる。

「単に成績が悪いだけだろ、それ。」

「…………………………………………。」

「…………………………………………――」


「ねぇ、そこのお二人さん。」

 謎の気まずいムードを作り出している(翔が勝手に自爆しただけなのだが)二人の前で腕を組んで仁王立ちしているのは、このクラスの委員長こと波澄はずみ久礼波くれは。肩あたりで切りそろえた黒髪、大きな黒縁眼鏡。成績は常に上位。一桁の中でも前半をキープしている。おまけに生徒会長をやっている。彼女のために委員長という言葉が存在するんじゃないかと疑うぐらい模範的な『委員長』なのである。

「まさかさっきの時間眠ってたわけではないよね?」

 後ろにゴゴゴゴゴゴッと文字が浮かび上がってきそうな勢いだ。

 授業中に寝るなど言語道断。今に寝そうに机に突っ伏している野郎が二人もいればTOP OF 委員長が黙っているはずがない。クラスの風紀を守るのも委員長の務めなのだ。

「だいたいね、今日の特別授業がどれだけ重要かわかっているのかしら。私たちは戦争はおろか争いごととは無縁の世界しか知らないのよ。今後この平和を守っていくには若い世代の力が絶対に必要になってくる。今の私たちに足りないのはその自覚と責任感よ。そういった意味では大國俊行さんのお話はとても有意義なものだったわ。一人だけが変わるんじゃなくてみんなが変わる。まさにその通りだわ!! これをきっかけに学校全体がもう少し平和への取り組みを増やしてくれればきっとみんな変わると思うの。その点あなたたちときたら。眠る? そんなのありえない!! そういう人が全体の士気を下げているのがわからないのかし――」

「委員長!!」

 長い説教に耐えかねた翔が急に体を起こす。完全お怒りモードだった委員長もこれには面を食らってヒャッ!、と可愛らしい声が出た。

「ど、どうしたのよ急に。」

「…………有次って頭良かったっけ?」

「そ、そうね、悔しいことに成績はいつも一位だったわ。去年は同じクラスだったから知ってるのよ。」

「……なん、だと。」

 それは落ち込むよりも驚愕の方が上回ってしまった表情であった。

 彼は一年生の時有次と同じクラスメートだったが、一度も詳しい成績を見たことはなかった。

 (確かに有次は成績表を見せてくれなかった。というか、勉強について会話した記憶がほとんどない。テストの点数を聞くといつも普通、だとかまあまあ、って。嬉しがってるところなんて見たことないし、何なら『俺も全然できなかった』的なことを言ってた気がする。そもそも授業はだいたい寝てるしノートをとってるところなんて見たことねーし。マジかよ!! ずっと俺と同じ側にいると思ってたのにまさか真反対まはんたい、一番遠いところにいたとは――)

  フリーズしてしまった翔を傍らに、別の男子生徒が輪に入ってきた。

「有次くん、ちょっといい?」

 有次よりも小柄な背格好。制服の学ランが少し大きいのか、入学したての新入生のような初々しさを感じる。どこか痩せ細っていて、顔に覇気がなく、けれど髪を短く切りそろえているからどこかフレッシュな印象を抱かせる。

 有次は上半身を起こし、

「どうした? はじめ。」

 彼の名前は、おぼろはじめ。有次達と同じ、三年E組の生徒である。

「前から借りてた本を返し忘れてて。これ。」

 渡された本にはカバーがされており、外からでは本のタイトルも見えない。そのため、本をめくり、中身を確認する。

「そういえば、………すっかり忘れてた。」

 こういう時、ついパラパラとページをめくって目を通してしまうのは、愛読家なら理解できるだろう。そんな有次を置いて、

「朧君、最近はどう?」

「大丈夫だよ、委員長。ありがとう。」

「いいのよ。また何かあったら言ってちょうだい。」

「うん。」

 彼女の言葉を素直に受け止めて、はじめは表情を柔らかくした。苦笑いしているようにも見えたが、それは彼が笑うことにあまり慣れていないからだろう。

「もしかしてみんなお知り合い?」

 正気に戻った翔が尋ねる。まだ進級して間もないため、委員長という目立つ肩書きがあれば別だが、クラスメート全員の顔と名前を覚えられてはいなかった。

「俺ら三人とも二年の時、同じクラスだったんだ。」

「へ〜、なるほど。」

「僕の名前は、朧一。よろしく、篝くん。」

「こちらこそよろしく。わりぃな、そっちは名前覚えててくれたのに。」

「いいよ。篝くんはよく目立つからね。」

「そうか? ありがとう。」

「バカ、褒めてねえよ。」

 つい有次が言ってしまったツッコミで、四人の中に笑いが起きた。

「じゃあ改めて。俺は篝翔。俺も下の名前で呼ぶから、俺のことも翔でいいよ。」

「わかった。翔くん。」

「おう! はじめ!」

 そのまましばらく、四人は談笑を続けた。


 なんでもない、普通の日常。クラスメートとの何気ない会話。話の内容など大抵くだらないものばかり。寝たら忘れてしまうかもしれない。それでも――。

 それでも有次は、この時間を噛みしめていた。じっくりと。忘れないように。


                  *


 十時三十分。

 教室の扉が勢いよく開かれる。

 我らが先生のご登場である。

「はーい、座って座って!! これからの活動について説明するわよ。」

  ゾロゾロとクラスメートたちがそれぞれ自分の席へと帰っていく。まるで乱雑にばらまかれたパズルを一つ一つはめ込んでいくように。話の途中だったが渋々席に戻る翔。振り返ると、有次は机に顔を伏せていた。


 謎のベールに包まれた「活動」というのは、大國俊行が出した「課題」に関することだった。

 具体的にはグループワーク。

 学校側はこの「課題」の重要性を鑑みて、前期の総合学習のテーマに決めたのだ。総合学習とは週に一限のみの特別科目のことで、「生徒たちの視野を広げる」ことを目的としてはいるものの、内容はとしによってまちまちである。例えば去年は、毎回他国の伝統文化に触れていた。

 いきなり始めて教室内に静寂が訪れるよりは、事前に周りのクラスメートと意見交換した方がスムーズに事が進む、とのことで今日はいわば前準備のようなものであった。

「近くの四人とグループを作って。作り次第話し合いを始めてください。それと、スマホで調べたりするのは禁止です。」

 先生の指示と同時に、ブーブーと文句を言いながら四人が向かい合うように机の向きを変える。

 悲しいことに、このような状況で自由に話し合って、と言われたら話のテーマが途中でいつの間にか変わってしまっているのはよくある話だ。例えばこのグループ。

「ねぇねぇ、みんな何か考えた?」

「特になにもー」

「私も」

「右に同じく」

「そうだよねー、急に言われてもわからないって」

「今日何時に終わるかな?」

「そんなに長くはかからないんじゃないかな、このグループワーク」

「(頷く)」

「俺この後〇〇ちゃんのコンサートライブ見に行く予定なんだよ。ワクワクがとまらない!」

「あ、あたしその人知ってる」

「マジ! 俺□□が好きなんだけど…」

「でも聞いたことはあんまりない」

 えぇ〜、聞いたら絶対ハマるって」

「だったら△△っていうバンド知ってる?」

「知ってる知ってる。めっちゃかっこいいよな」

「わかる〜、めっちゃわかる〜」

「(zzz)」

 話し合いが雑談に変わるのには時間はかからなかったとか。


                    *


 話し合いの状況を見た先生が、このまま続けても意味がないと思い、次の活動へのシフトを試みる。

 パン! パン! と手を叩いて、注意を引く。

「みなさーん。あと数分経ったら班ごとに、グループワークでどんなことを話したのかを発表してもらいます。」

 あちこちから、マジかよ、おいどうする? など慌てふためく声がちらほら。


 数分後。

「はーい! では前の班から順に代表者が発表してください。」

 ある男子生徒が嫌々立ち上がる。

「――――」

 まともな話し合いをしていないなと一目でわかるような発表だった。しかし他のどこの班も大体内容は一緒だった。テーマが難しいからしょうがないかもしれないし、そもそもこれからの授業でより考えてもらうから、始めはこんな感じかな? と先生が思っていると、

「世界平和同盟が信頼を得られたのは、それだけの功績を残したからだと考えられます。」

 そう述べたのは、このクラスの委員長兼生徒会長、波澄はずみ久礼波くれはだった。

「その中でも、二つの大きな取り組みが特に重要だと考えます。同盟が設立されて初めに行った取り組みが、『』です。現在世界では共通語として英語が話されており、それまで六千以上もあった言語が数十まで減少しています。母国語が残っている地域もまだまだ見られ日本もその一つですが、例外なく英語の教育が徹底されています。言語の統一によって人種や出身を問わず誰もが簡単に交流を深めることが可能になりました。細切れされた国が集まって形成される世界から、あらゆる枠組みを超えた人類全体が一つの個として形成される世界、へと変わっていくきっかけになったと思います。」

 ここで一つ間をおいて、

「もう一つの取り組みは、『一人っ子政策』です。当時の人口は右肩上がりで増えており、このまま放置すると、世界的に食糧難や水不足に陥ると計算されていました。また環境破壊の進行によって人類の生活可能圏が年々狭まっており、いつか住む場所もなくなるとのことでした。これらが原因で戦争が起こることも懸念されていました。問題解決の糸口として、同盟は一人っ子政策を世界的に行い、人口の緩やかな減少を狙ったのです。結果は成功を収めたと言っていいでしょう。人口は右肩下がりで着実に減少しており、今後の効果は期待通りとなるでしょう。以上二つの功績、すなわち世界の統合と長期の安定した生活の提供、によって世界平和同盟はみんなに認められるようになったのではないでしょうか。」

 ……………………教室内がシーン、とした。それまでの班の発表とは比べ物にならない発表だった。検索禁止ということは、今述べた内容は自分の頭から引っ張り出してきたということ。今どきの子供たちの中で、過去についてそこまで真剣に、それも自主的に学ぶ子は稀だと断言できる。

 教室内は一瞬唖然とした空気に包まれたが、やがて自然と拍手が湧き上がった。

 一番驚いていたのは先生だった。スマホでの検索を禁じていたため、正直なところ期待はしていなかったのだ。

「素晴らしかったわ、波澄さん。」

 みんな苦笑いしかできなかった。



 帰りのホームルームも終わりぞろぞろと生徒たちが教室を出始めている時、教室の後方で会話をしていたのは有次と翔の二人。

「ああやって話を聞くと、やっぱりは珍しいよな。」

「否定はしない。双子や三つ子などの多胎児も許さないほどの徹底ぶりだからな。」

 翔は眉間に皺を寄せて、必死に思い出そうとした。

「確かそういった場合、誰も産まれてこないようにするんだっけ?」

「そう。受精卵が小さい内なら簡単に、そして安全に中絶できるような薬が過去に開発された。妊娠と同時に多胎児かどうかはわかるから、その薬を服用することで早期中絶をする。ただ選択肢はある。一人だけ残すか、全員を諦めるか。まあ、どちらも一概に正解とは言えない、難しい問題だな。」

 有次は淡々と答えた。

 翔は若干引きつった苦笑いで、

「有次は大人だなー。」

 と棒読みだった。

「?」

「まあそんなことより、有次はどう思う?」

「どう思うって何が?」

「さっきの同盟のやつだよ。お前が人前で自分の意見を言うとは思えねぇからな。何となくどんなこと考えたのかなーって気になって。単なる好奇心だ。」

「その話、私も混ぜてくれない?」

 割って入ってきたのは委員長。

「お? 委員長も気になるの?」

「そうね、すごく気になるわ。」

 何故か強い口調で有無を言わさぬ勢いだった。

「……なんかイラついてる??」

「あら、失礼ね篝君。全然怒ってないわ。」

「(嘘つけ! 顔は笑ってるけど全く笑ってねぇじゃん)」

 思考を察してか、ギロッと翔を睨みつける。

 これ以上の抵抗は帰って状況を悪化させるだけだと思い、翔はそっと肩をすくめた。

「それで? 久遠君の意見は? 」

 頬杖をついてあさっての方向を見ていた有次だったが、

「……強いて何か意見するなら…………。そうだな………………」

 つまらなさそうな顔をして、こう言った。


「――――――――。」


                    9


 一機のプライベートジェットが、日本に向かって飛んでいる。

 走行経路の天気は雨だが、今機体は雲の上。地上の人には想像もできない清々しい青空が広がる。雲海を駆けるこの景色は、青年にとって何度見ても飽き足らないものだった。

 いつまでもじっと窓の外を眺める青年に、一人の男性が近づき、隣に座る。

「あと二時間で日本に着くぞ。」

「大丈夫です。お父さん。」

 青年の父親がそう言ったのは、青年が飛行機に乗ってから一睡もしていないからだ。

 到着した時の目的地は朝。着いてから色々と準備が待っており、おちおち眠ることはできないため、あと二時間しかないが今のうちに眠らなくても大丈夫なのか、という意味で発言したのだ。

 だが、そんなことよりも青年は、外の景色を眺め続けた。

「そんなに空が好きか?」

「はい。自然の太陽。純粋な天空。無垢な雲。どれも見ていて清々しいです。」

「……そうか。」

 父親も窓の外に視線を移す。

 同じような感動は得られなかった。


                  10


 どこからか声が聞こえる。


 意識は妙に冴えているのに、聴覚しかまともに働かなかった。何も見えないし、体もピクリとも動かせない。右も左も上も下も前も後ろも分からない。


 どこからか声が聞こえる。


 遠くの方から「」がやってくる。何も見えないはずなのに「何か」がやってくるとわかる。

 何も見えない、というのには語弊があった。ただ真っ暗なだけなのだ。闇、闇、闇。どこまでも闇。

 そこに異様なものが見えた。真っ暗な世界にそれよりも黒い「何か」がこっちに向かってきた。「何か」は決まった形など持ってないのか、さながら川を流れる水のようにこちらに迫ってくる。


 初めは小さな点でしかなかったのが、今や視界全体が黒よりも黒い「何か」で埋め尽くされている。


 そこから声が聞こえる。


「何か」は近くまで流れてくると、四散し自分を取り囲んでいった。

 完全に囲まれた。

「何か」は少しずつ狭まってきた。逃げ場をなくしてからジリジリと寄って来る様は獲物を狙うハンターのようだ。

 そんなにも殺したいのか、そんなにも逃がしたくないのか。


 あらゆる方向から音がする。それは聞き取れないほどの多数の囁き声だった。

 どんどん狭まってくる。同時に声も大きくなってくる。


 そして、「何か」に取り込まれる。

 そこでやっとなんと言っているのかわかった。







「お 前 の せ い だ !!!!」


 ハッ、と目が覚める。

 体中嫌な汗が広がっていた。布団も毛布も汗で濡れていた。

 体を起こす。動悸が止まらない。

 

 もう何度目だろうか、この夢を見るのは。

 頭を押えさ呼吸を整える。


「最悪な一日の始まりだ。」



 リビングへ降りると幸一こういちが既に起きていた。

「兄さんおはよう。すごい汗だけど大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。それより父さんは?」

「お父さんならもう仕事に行ったよ。何か用事でもあったの。」

「いや、問題ない。」

 二人の父親こと久遠勝武は、日本有数の大手グループ会社「フューチャー」社の社長である。「フューチャー」社は、近年電脳技術の開発に力を注いでいるとして世界から注目されている。世間にはあまり知られていないが、彼は社長でありながら社長らしい仕事の大半は副社長、秘書、部下に任せっきりで自分は研究に勤しんでいる自由人である。何故そんな人が社長に、と思うかもしれないが、その理由は人望の厚さにある。普段はだらしなく粗雑な性格だが、研究や取引、社の経営などの重要な場面ではとても頼りになる存在であった。そんな二面性の持ち主の彼の周りには優秀な人材が多く集まった。それが彼が成功した理由である。しかし、再三注目を受けたことで、副社長と秘書は社長のだらしない一面を隠そうと必死の様子。実は家事一つもできなくて、身の回りの世話をまだ中高生の息子達にやってもらっている事実なんて、隠したくなる気持ちもわかる。功を奏したのか、世間にはさぞ立派な社長さんとして映っていることだろう

 社長であり研究者であり父親でもある彼は、基本家にいない。朝早く出かけた時は、重要な取引先との面会があったとか会社でトラブルがあったとか、いつもそんなところだ。今日もいないということはそういうことなんだろう、と有次が思っていると、テレビからニュースが流れてきたた。

「日本時間にして昨夜の二二時頃にアメリカ、ロサンゼルスを発ったラーンウォルフ親子は、本日の八時頃に日本にご到着予定です。」

 教授か専門家だろうか、出演者の男性が解説を始める。

「此度は『フューチャー』社との共同研究のために、本人自らが日本に来られるということで注目を集めています。電脳技術の第一人者とも言われるウィリアム・ラーンウォルフ氏と、近年電脳界への参入を決定した『フューチャー』社の社長、久遠勝武氏の協力関係には世界が注目しており、今後さらなる飛躍が期待されています――――。」

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 まるで何事もなかったかのように、

「幸一、朝ごはん何食べたい?」

「……兄さん、これお父さんだよね、絶対。」

「……。」

 有次はハァ~、と長いため息をついて頭を悩ませる。

「まさかお父さんがテレビに出てるなんて。そんなこと一言も言ってなかったのに。」

「許してやれ、幸一。」

「…………うん。」

 幸一は有次の向かいに座った。

 いただきますをする前に、浮かない顔をする弟を兄はほっとかない。

「……幸一。いいか、この家にはだろ。父さんはそのことを気にかけてるんだ。あの人不器用だから母親の代わりなんてできないって、あの人自身がよくわかってる。だから家では決して仕事の話をしないんだ。俺達に余計な心配させたくないんだろう。」

 幸一の方に身を乗り出し、しっかりと目を合わせる。

 幸一も少し体を近づけて、真剣に話を聞く体制をつくる。

「父さんが父さんなりに俺たちを思ってそうしてくれているんだ。実際は、私生活を正ただす、とか家事の一つぐらい手伝う、とか他にやりようがあるのかもしれない。でもそれを言ってはいけない。そうすれば父さんは余計に気をまわして頑張りすぎちゃうかもしれないだろ? だから俺たちがやらなくちゃいけないことは、その考えを受け止めてやることだ。善悪も正誤も関係なく。それが家族ってもんだ。それにしても、家のことはもう少しやらせるべきだけどな。あっ、でも本当に何かしてほしいときはちゃんと言うんだぞ。その辺は、もうわかるよな?」

「うん。わかったよ兄さん。」

 有次は右手で幸一の頭をかき回すように撫でた。

 テレビの中では、ニュースキャスターとゲストたちがまだラーンウォルフ氏について話し合っていた。それまでは聞き流していた二人だが、あるゲストが二人にも関係がありそうな話題に切り替えた。

「しかもですね、ラーンウォルフ親子は当分日本に滞在するらしいんですよ。その滞在先が同じく世界から注目を受けている『朝陽』市ということで。ますます目がいってしまいますよ。」

 ニュースキャスターがこれを受けて、

「では、ラーンウォルフ氏が朝陽市について言及されたインタビュー映像がありますので、そちらをご覧ください。」

 テレビ画面が切り替わる。画面中央にでかでかと映し出された、顔のほりが深く貫禄のある男性がウィリアム・ラーンウォルフ氏。

 顔の周りには多くのマイクが寄せられていた。

『ラーンウォルフ氏、朝陽市での滞在を決められた理由は何ですか?』

『はい、一つずつ説明します。』

 見た目通りの、芯の通ったような太い声だった。

『我々スパーク社と共同研究を行うこととなったフューチャー社は朝陽市の近くにあります。毎日お世話になるところですから近くに滞在するのは当然のことでしょう。しかし他の理由としては、我が息子です。』

『ご子息と言いますと、かの天才高校生、草薙くさなぎ・ラーンウォルフ・新夜しんや氏のことですか?』

『天才だなんてよしてください。今回の日本行きには息子も同行します。』

『まさか、高校生ながら父親の研究を手伝っているという噂は本当なのですか!?』

『ハハッ、まさかね。息子はあくまで学生ですよ。私の妻、つまり新夜の母親は日本人でしてね、母親とは死産で一度も会ったことはないのだが、せめて母親がどのようなところで育ったのか見せたくてね。』

 ここでインタビュー映像は途切れた。再び画面はスタジオに戻る。

「ご子息は学校のほうはどうされるんですかね。」

 ゲストの女性が質問を投げかける。

「息子さんは、どうやら朝陽市内の高校に一時期通われるそうです。ラーンウォルフ親子がどれくらい日本に滞在するのかは今のところわかっておらず、おそらく滞在中は高校に通われるものと思われます。」

 その後もラーンウォルフ親子に関しての意見や感想を次々とゲストたちが述べていく。

 と、向かい側の、目をキラキラ輝かせている少年がこっちを見ている。

「兄さん兄さん!! 聞いた聞いた?」

「あぁ、聞いてたよ。」

  そっけなく答える。

「もしかしたら兄さんの高校に来るんじゃない?親同士と子供同士が仲良くなったら家族ぐるみの仲ってやつだね。」

「幸一、一つ言っとくぞ。別に共同研究するからって仲良しになったわけではないからな。」

 そんな夢も希望もないただの現実を淡々と述べる有次に次第に不満を募らせていく。

「もぉ~、なんで兄さんはいつもそう固いのさ。」

「留学生ぐらいこっちじゃ珍しくないだろう。」

「そうじゃなくて!」

「例え知り合ったところであくまでも父さんの関係者の息子さんだ。仲良くなるとは限らないだろう?」

「~~ッ」

 耐えかねた幸一は、ご飯作ってくるっ!、と言って勢いよく立ち上がった。

「幸一、俺は卵焼きで頼む。」

「ハイハイ!」

 怒りながらキッチンの方へ行ってしまった。

 気持ちはわかる。

 自分があまり外向的でないことは自覚している。そのことを幸一は気遣ってくれている。しかし今は別のことを考えていた。

 先程のニュースに映っていた人物。その名前。

 (シンヤ…………)


                    11


 今日は起きた時から体調が少し優れなかった。が、家を出るまではそこまで気にするほどでもなかった。


 しかし、前へ進めば進むほど。体全体もなんだか調子が悪い。

 足取りが重い。

 こんなことは初めてだ。

 初めて。では


 答えは出ない。



 学校の敷地に沿って校門を目指す。

 なんだか騒がしい。

 今日は特別な行事でもあったか?

 次々と他の生徒達が走って自分を追い越していく。


 校門の近くはいよいよだ。

 学校の敷地内は関係者でないと入れない。そのためか校門の外に知らない大人たちが押し寄せていた。


 校舎内はお祭り騒ぎだった。

 文化祭や体育祭の時みたいな盛り上がりだ。

 校内を走る生徒が多く、皆楽しそうに話している。楽しそうでもあるが、それよりも興奮しているようだ。

 フロアによって学年が区切られており、三年生のクラスは四階に位置する。

 階段を上がる毎に人が多くなる。が、今はそんなことどうでもいい。右眼の奥が熱い。抑えきれず、右手を目に当てる。

 


 自分のクラス、つまり三年E組の前はより一層騒がしかった。満員電車のように押して押されて、とてもじゃないけど入れそうにない。

 教室の前では委員長の波澄が人混みに向かって必死に声をかけているが、勢いは止まらない。ふと、波澄と目が合った。距離的には四、五メートル程だが、なにせこの人混みだ。かき分けてやってくるまで十秒もかかった。

「久遠君、この人混みじゃあ来るまで大変だったでしょ。」

 息がハァ、ハァと切れていた。それほど今まで必死に声を出していたのだろう。

「ああ。そっちこそ大変だな。」

「そうよ! こんなんじゃ授業どころじゃないでしょ。そろそろ朝のホームールームもあるのに!」

「それでみんなに呼びかけてた、か。いつもながら流石だな、波澄は。」

「ねぇ、そんなことよりその右目どうしたの? 怪我でもした? もしかしてこの人混みにやられたとか?」

 さすがにこうやって右目を押さえていたらそう思われてもしょうがないだろう。しかしそれよりも重要なことを聞かなければならい。自分の状態を心配している彼女に、短く質問をする。

「この騒ぎは何だ?」

「え? 久遠君、まさか知らないの?」

 そう言われるとなんだか答えづらいが、首を縦に振る。

「ほら、見ての通りうちのクラスに人が集まってきてるでしょ。私も今朝友達から聞いて驚いたんだけどね、うちのクラスに新しい転校生が来たのよ。しかもその人が……」

 唐突に、教室内からキャーーッ!! と女の子たちの声が聞こえた。あまりのボリュームに彼女も言葉を切ってしまう。

 悲鳴ではない。むしろその逆。有名人が空港に到着した時に待ち構えているエキストラの歓声。それに近かった。

「百聞は一見に如かずね。とりあえず教室に入りましょう。」

 波澄が教室まで先導してくれた。どいてー、どいてー、と声をあげながら人混みをかき分ける彼女の後ろにくっついて行く。

 教室に入る。波澄が教室の扉を閉めたため外の騒音はある程度聞こえなくなったが、それでも教室内もいつもより騒がしかった。

 最後さいこう列のちょうど中央の席。主に女子たちがその席を囲んでいた。

 輪の中心の人物は座っているのだろうか、こちらからは見えない。

 見えない。 

 だがわかった。。こいつが異常の根源だ。

 こいつは、こいつは? こいつは

「まったく、教室に入るのがこんなに大変なんて。相変わらずすごいわね。……って久遠君!? 大丈夫!?」

「ハァ、ハァ、ハァ。」

 体中の血肉が騒いでいる。燃え上がるように熱い。

 こちらに気づいた翔と一はじめが慌てて近寄ってくる。

「おいおい有次。大丈夫か。委員長、有次はどうしちまったんだ?」

「それが私もさっきそこで会ったんだけど。その時から調子が悪いみたいで。」

 ――――――――――

 何やら周りで話しているが、何も聞こえない。

 聞こえるのは自分の鼓動の音。

 ドクン、ドクン、ドクン。


 


「やっと来た。」




 ギィッ、と椅子を後ろに引く音がした。

 この騒ぎの中心人物が唐突に立ち上がり、こっちに向かってくる。周りの人達は驚いて声を発せずにいる。

 それまでの騒音はどこかへいった。

 やたら静まり返った教室内で、その姿を見た。

 見た瞬間、ようやく理解した。燃え上がるような熱さは、疼きは、ざわめきは、引いていった。

 しっかりとを捉える。

 身長は自分と同じか、それより若干高いか。学校指定のブレザーをしっかりと着ていた。気持ち悪いほどしっくりきている。

 整った顔立ちと、最大の特徴ともいえる真っ白な髪。透明感があり、白銀と表現した方が近いかもしれない。その色は決して染めてだせる色ではない。自然で、綺麗な白。

 何よりこいつは、今朝だった。

 名前は、草薙・ラーンウォルフ・新夜。



 こちらも歩み寄る。

 後ろでは誰かが声をかけてきているが、全ての意識は目の前に集中していた。

 そして、対峙する。

 右眼を押さえていた手を降ろす。


 

 双眼が交わる。



「お前がcipherサイファーだな。」

「そう、僕がcipherだ。初めまして、fakerフェイカー。」




 二人は出会った。

 これは偶然だろうか、それとも――――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る