思い出の80-90年代

晁衡

第1話 レコードの記録

 音声、音楽をそのまま記録する機械を発明したのはエジソンです。

 昭和50年代くらいまで、ずっとレコードによって音楽や音声を記録してました。

 昭和20年8月15日の昭和天皇の終戦の詔勅(玉音放送)も宮城(きゅうじょう)=皇居でレコードに録音され、日本放送協会を通じて全世界に向けてラジオで流されたものでした。


 私がこどもの頃はレコードです。自分が最初に買ってもらったのは「泳げたいやきくん」だったと思います。

 それだったか、「走れ超特急」だったか。

「びゅわーん、びゅわーん、青いひかりの超特急~」という歌です。たしかB面は地下鉄の歌で、丸ノ内線のイラストが書いてあったような記憶があります。



 家には他に歌謡曲などあったようですが、よく覚えているのは、おじいちゃん子だったので祖父が掛けていた二葉百合子さんの「岸壁の母」です。実際に覚えていて唱えます。

 まだ戦争が終わって30年くらいの時代ですから。息子の戦地からの帰還を待ち軍港(たしか舞鶴)の岸壁に立って待っている母の歌です。


 小学校の時には、放送委員をやることになりましたが、給食や掃除の時には、放送室に行って、指定のレコードを掛けました。

 放送機器の電源を入れて、レコードに針を落とし、終わったら針を上げて電源を切るのが仕事です。すべて手作業です。


 レコードはアルバムなどを収録出来るLPレコードと、シングル曲などを収録するEPレコードがメインでした。

 LPは33と1/3回転でEP(ドーナツ盤)は45回転です(1分間)

 なぜドーナツ盤というと、真ん中に大きな穴がありアタッチメントをつけるのです。

 回転数の指定を間違わないようにするなど理由があったようです。


 当時のアイドル曲などはドーナツ盤でした。

 その他にも「ソノシート」というレコードみたいなものがあり、簡易なレコードで雑誌の付録などについていました。

 雑誌に音源の付録がついて来るって、現在でも画期的だったと思います

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