第14話 第3章:姉と妹の記憶ー003ー

 ぼうっとしてしまう。

 マテオは、どうしてこんな気分になるか解らない。

 招かれた家の玄関口に彼女はいた。

 昼間に見た涙の跡をつけた笑顔は綺麗だったが、客人を迎える柔らかい笑みは素敵だ。春の陽射しみたいな暖かさで包んでくる。


「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕。マテオって言います」


 自分自身に、どうした? と言いたくなるほどの狼狽えぶりだ。


 あはは、と笑った流花るかをたしなめてから彼女は言う。


「初めまして、マテオさん。祁邑陽乃きむら ひのと申します。今回は申し訳ありませんでした。それと、どうか妹たちと仲良くしてやってくださいね」

「も、も、も、も、もちろんです。どうか僕のことは、マ、マ、マテオを呼んでください。陽乃さん」


 彼女の名前を呼んだ瞬間に、かぁーと全身が熱くなったマテオである。

 マテオってへーん、と流花が茶々を入れてくる。いいだろっ、とマテオのいつになく強い口調は指摘を認めたようなものだ。


 あまりの不甲斐なさに思わず頭を抱えそうになったマテオへ、陽乃が名前を呼ぶ。希望の呼び捨てではなく「さん」付けだったが、初めて呼ばれたせいか身体の芯が熱くなる。自分自身のことなのに、何がどうしてこんな気持ちになるか、さっぱりだ。


 もし紹介がなければ、マテオの混乱はなお続いただろう。


 ほら、と陽乃が自分の腰にまとわり付いている女の子を押し出す。ご挨拶しなさい、と言われている娘はまだ未就学児に違いない幼さだ。目を合わせれば、ささっと陽乃の後ろへ隠れてしまう。

 ほらっ挨拶、と陽乃が促すがその背に身を隠れて出てこない。


「マテオさん、ごめんなさい。この子は一番下の妹で『悠羽うれう』。いつも私たちは『うれ』って呼んでいます」


 人見知りで困ったものね、と付け加える陽乃に、マテオは笑い返した。

 相手のご機嫌を窺う追従の笑いだった。


 マテオは逢魔街へ来た意味を噛み締めた。

 ここへ来た理由として姉やウォーカー家に関する事柄は後付けだ。

 ともかく最前線に身を置きたい。

 力を身に付けていきたい。

 もう誰かを盾にする弱さは要らない。


 マテオは感謝したいくらいだ。

 悠羽という幼い娘に。嗅ぎ取れたその存在の不穏さに。

 自分がこれから足を踏み入れる場所は敵の総本山に等しい。

 逢魔街における最重要事項の調査に、これほどの機会はなかった。

 もしかしてケヴィンのことだ。こうした事態を見越してマテオの送ったのかもしれない。姉妹と同年齢なればこそ得られたチャンスだった。


 さすがだな、とマテオは胸の裡でごちた。

 義父としてより、異能力世界協会のトップとする立場を優先する。それこそマテオが尊敬するケヴィンだった。


 ならば期待に応えたい。

 この国の最大能力者集団である『東の鬼の一族』から出奔した直系の孫たちを間近にしている。

 そう、彼女たちは『祁邑きむら三姉妹』だった。

 動向を注視すべき相手だ。


 気を入れ直したマテオが「お邪魔します」と上がり込む。

 当面の問題とすべき相手はリビングにいる。

 北米で随一の強大さを誇る能力者『ケヴィンとサミュエル』の父子に匹敵するかもしれない『冴闇さえやみ』がいる。あの黒き青年がいる。

 マテオでは敵わない相手だ。

 ならば上手く取り入らなければならない。慎重な対処が必要だ。


 緊張しすぎー、と流花の声に気持ちを入れ直す。

 自分の感情を表に出したつもりはないが、陽乃によって訳の解らない感情に支配された。きちんと自身をコントロール出来ていない。ここらで普段の自分を取り戻さなければいけない。


 軽く呼吸をして歩く、リビングへ連なる廊下だった。

 冴闇との対峙を直前にすれば、マテオにしては珍しく手のひらへ汗をかいた。

 先に行く陽乃がドアを開けた。


 マテオはリビングへ足を踏み入れた途端に立ち尽くした。料理の途中だから、と断る陽乃に生返事しか出来ないほど想像外な光景が展開されている。

 どこ座ってもいいよー、と席を勧めてくる流花に思わず訊く。


「なぁ、あれ。本当に『冴闇夕夜さえやみ ゆうや』か」


 風を使う絶大なる能力を秘め、マテオの命が尽きる一歩手前まで追い詰めた青年がである。

 フォークとナイフを握り締めた両手をテーブルに置いていた。マテオを襲撃した際と同じ黒き格好で前掛けをしていた。まるで赤ちゃんがするみたいなフリル付きの白くてかわいい類いときている。

 見た感じは二十代と思しきいい大人で、妖しげな黒き姿見の能力者にも関わらずである。


「冴闇のお兄さん、コートくらい脱げば」


 流花の注意は、マテオもうなずくところだ。普段は常識外れっぽい彼女がここではまとも見える。


「でも、流花さん。でも、でもですよ」


 なんだか妙に切実な態度を見せる黒き青年である。逢魔街に限らず世界有数の能力者として数えられるであろう冴闇夕夜がである。

 泣きそうな声で理由を告げてきた。


「自分がコートを置きに行っている間に、オムレツがきていたら大変じゃありませんか」


 マテオからすれば、何を言っているやらである。

 どうやら食卓テーブルで待つ現在の姿勢を外したくないという点だけは解った。


「あのぉ、もし良かったら僕がコートを掛けにいきます」


 通らないだろうが申し出る行為が好感を呼ぶと計算したマテオだ。

 ただ意外にも「ホント? 助かる」と夕夜がその場でコートを脱ぎ始めた。

 客人に、しかも初訪問で互いにまだよく知らない相手へ任せられるらしい。


 意表を突かれたマテオだが、続けて前掛けをした黒き青年の夕夜に吃驚させられる。


「マテオがこんな良い人ヤツだなんて思わなかったよ。これならウォーカーからの依頼も快く受けられようというものだ」


 もはやマテオは気に入られようなどとする衣を捨てて、何がなんでも聞き出すべく喰ってかかっていった。

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